第68回 笹井宏之『てんとろり』

雨によく似たいきものが小さめのくるみを割っている冬の庭
                 笹井宏之『てんとろり』 
一昨年(2009年)一月に急逝した笹井宏之の第二歌集『てんとろり』が、遺歌集として九州の書肆侃侃房から出版された。Book Parkのオンデマンドでしか買えなかった第一歌集『ひとさらい』も、同時に同じ出版社から出た(この場合は再版になるのだろうか)。まずはこのことを喜びたい。『てんとろり』の巻末には加藤治郎の哀切な「あとがき」と、編集の労を取った中島裕介の「製作ノート」が付されている。このように亡くなった歌人の遺稿を整理・編集して出版できるのは、短歌結社の持つ力のひとつだろう。結社に属さず単騎で歌を作っている歌人なら、すべての作業を遺族か友人が行なうしかない。
 『てんとろり』には笹井が本名の筒井宏之名義で佐賀新聞に発表していた歌も収録されている。これらの歌は笹井本人の判断で、第一歌集『ひとさらい』には収められなかったものだという。加藤と中島の判断でこれらの歌が今回収録され、歌人笹井の全貌を知ることができるようになったのは喜ばしい。その理由は「読者がそれを読めるから」というだけに留まらない。もっと大きな意味があるのである。
 芸術家が死を迎えたとき、残された人間がしなくてはならないことがふたつある。作品の散逸を防ぐことと、作品を正しく後世に伝えることである。絵画や彫刻の場合は、遺族が美術館にまとめて寄贈したり、志あるコレクターが買い集めることで、散逸を防止することができる。短歌の場合は、雑誌などの媒体に発表されたり、作ったまま筐底に残されて、歌集に収録されていない歌を掘り起こし、作られた時の姿で後世に伝えなくてはならない。その際に重要になるのが本文校訂である。
 文学作品は作者が最初に書いた形で世に出るとは限らない。まず作者自身が推敲して最初の原稿に手を入れる。新聞小説の王者バルザックは、初稿に真っ赤になるまで手を加えるので、新聞社泣かせだったそうだ。次に編集者が手を加えることもある。中井英夫はよくこれをした。また印刷されるときの誤植もある。つまり作品は世に出るまでのいくつかの段階で異同が生じるのである。本文校訂とはこれらの異同を精査して定本を作る作業をいう。しかしここに問題が横たわっている。何を「真の作品の姿」と認定するかという問題である。作者自身が最初の原稿Aに大幅に手を加えた原稿Bを出版社に渡したとする。世に出るのは原稿Bである。しかし残った原稿Aはどうだろうか。最初の原稿は作者の原初的発想を伝えていないだろうか。また井伏鱒二のように代表作『山椒魚』が全集に収録される際に、終結部を削除してしまった人もいる。このとき削除前の形を真の姿とするのか、それとも削除後のものを定本とするのか。
 このように文学作品は流布し印刷される度ごとに姿が変化する。だからこそ作者がこの世を去ってまだ時間が経過しておらず、作品の散逸と変形が進行していない時に、作品の真の姿を伝える定本を残すことが大事なのである。今後笹井の作品に言及する時には、今回出版された二冊の歌集が定本となるだろう。
 『てんとろり』に収録された筒井宏之名義の作品を読んで驚いた。次のような作品が並んでいるのである。
いくとせも鏡のなかを歩みゐる我とけふまた目を合わせけり (2006.6.22)
花冷えの竜門峡を渡りゆくたつたひとつの風であるわれ (2007.4.19)
ひとときの出会ひのために購ひし切符をゆるく握りしめたり (2007.5.10)
伝へたきひとがゐるゆゑこの歌にあかときの両翼はひらきぬ (2007.6.14)
顔をあらふときに気づきぬ吾のなかに無数の銀河散らばることを (2008.5.15)
 旧仮名を用いた定型短歌で、『ひとさらい』の基調をなすニュー・ウェーブ短歌とはまるで別物である。歌の後に付した発表時期に注目してほしい。笹井が第4回歌葉新人賞に応募したのは2005年6月で、10月に賞を獲得し、第一歌集『ひとさらい』が上梓されたのは2008年1月のことである。だから佐賀新聞に発表されたこれらの作品は、『ひとさらい』以前の習作というわけではなく、『ひとさらい』と同時期に平行して作られたもので、それ以後のものすらある。これはどう考えればよいのか。最も可能性が高いのは、笹井が発表媒体によって戦略的に語法を変えたということだろう。つまり笹井はほっておいても井戸の底から言葉が湧き上がって来るという天然型や、天から言葉が降って来るという巫女系憑依型の歌人ではなく、極めて意識的に文体を作り上げた作者だということになる。もちろん穂村の言う「棒立ちのポエジー」でもないことは言うまでもない。上に引いた歌を見ても、近代短歌の骨法をよく学んで自分のものにしていることがわかる。笹井がこういう歌も作ろうと思えば作れる人だったということは大きな発見である。これによって笹井の他の歌の見方が変わる。これしかできないというのと、他のこともできるがこれを選択したというのでは、そのあり方の意味が違うからである。
   上に引いた歌には近代短歌の根幹をなす〈私〉と〈視点〉があることにも注意しよう。一年前にこのコラムに書いた笹井宏之論でも指摘したことだが、笹井の歌の特徴は、「日常的話し言葉と平仮名の多用、かなり緩い定型意識、特定の視点の不在、それと連動する短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情」であり、特に視点の不在による〈私〉の希薄化が著しい。このことは『てんとろり』にも共通して言えることである。
雪であることをわすれているようなゆきだるまからもらうてぶくろ
うつくしいみずのこぼれる左目と遠くの森を見つめる右目
折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域
ゆめをみる水槽として純白の魚を一尾むねへしずめる
あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ
 語としての「私」や「あなた」は歌の中にあっても、それが視点主体として機能していない。だから歌の情景が誰の目から見たものか判然としない。これが逆に、極限まで希薄化した〈私〉がエーテルのように世界全体に薄くただよっているような効果を生んでいる。また例えば一首目の「雪であることをわすれているような」のように、まるで序詞のように名詞にかかる連体修飾句が多用されていて、この語法もまた笹井の世界構築の手法として生かされている。これもまた90年代に短歌の世界で起こった「修辞ルネサンス」(加藤治郎)の流れの中にあり、現代の新しい序詞と見なせるのではないだろうか。連体修飾句の多用の結果、体言止めの歌が多くなることは以前の文章でも指摘したところである。ランダムに拾ったら、五首中四首が体言止めの歌になった。また結句が用言の場合でも、「まちがえる」や「シーツをかける」のようにル形(終止形)が用いられており、これが歌と世界の接続を回避していることもすでに指摘したとおりである。このような語法が押し上げる世界は、どこか幻想的で夢の中のようでもあり、笹井に細心に選ばれた雪や雲や魚のようなシンボル的アイテムが静かに浮遊する世界である。その世界を冷気のような切なさと悲しみがうっすらと覆っている。
 『ひとさらい』には、「フライパンになりませんかときいてくる獅子座生まれの秋田生まれの」とか「くわがたを折り曲げている寝室に近い将来猫が産まれる」のように、どうにも意味の取れない歌がかなりあった。以前に書いたコラムでは、意味の束縛を脱して言葉の連接によるポエジーをめざすと、あまりに言葉が飛躍しすぎてこのような歌になると書いたが、『てんとろり』ではこのような意味の取れない歌はぐんと少なくなっている。
夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト
折り鶴をひらいたあとにおとずれる優しい牛のようなゆうぐれ
スパゲティ素手でつかんだ日のことを鮮明に思い出しまちがえる
 『てんとろり』に収録された歌はこのように、ほぼ定型に沿って作られており、意味解釈を阻止する言葉の飛躍も比較的少ない。どうやら笹井は言葉の連接によるポエジーの立ち上げの段階を脱して、言葉とイメージの純化の方向へと踏み出したようだ。現代短歌のこのような試行の先に何が待っているのか、もう見ることができないのが残念でならない。
 『てんとろり』は主として「未来」に発表した歌が中心になっている。またほぼ同時期に『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(PARCO出版)も出版されたが、こちらは未見である。最初に書いたように、こうして三回忌に残された作品の定本が出たのは喜ばしい。しかしこれで全部だろうかという疑問が残る。聞くところによると、笹井はネット投稿から歌歴を始めたという。とすると初期の作品はネットにのみ掲載されたものもあり、中にはそのサイトがもはや存在しないものもあるかもしれない。本文校訂は文学作品の命だが、インターネット時代を迎えて本文校訂に新たな課題が生まれたと言えるかもしれない。日本文学史上、未完成の遺稿がフロッピーディスクのデジタルデータとして発見された初めての文学者は安部公房だそうだが、今や遺稿がインターネット上に発見される時代を迎えたのである。短歌の断片が電脳空間のどこかをいつまでも漂っているというのも、どこか笹井の作品世界に似合っているという気がしてくるのが不思議である。