透明なクリアファイルのように 笹井宏之

 笹井宏之は一九八二年生まれ。二〇〇四年から主にネット上などで作歌を始める。歌歴一年足らずで二〇〇五年に第四回歌葉新人賞を受賞。この新人賞はニューウェーヴ短歌の荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘らが創刊した『短歌ヴァーサス』の企画で、受賞のご褒美は歌集の出版である。第一歌集『ひとさらい』はオンデマンド出版で二〇〇八年に刊行された。その一年前の二〇〇七年に笹井は「未来」に入会し、加藤に師事している。同年未来賞を受賞。

 『ひとさらい』のあとがきは、「療養を初めて十年になります」という文章から始まる。笹井は重い身体表現性障害に罹患していて、自宅で療養生活を送っていたのである。第一歌集出版からちょうど一年後の二〇〇九年に風邪をこじらせて逝去する。享年二十六歳の若さであった。

 死後、師の加藤と歌友の編集で第二歌集『てんとろり』が書肆侃侃房から上梓され、同時に第一歌集『ひとさらい』も改めて出版された。この他に、両歌集からの抜粋を集めた『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』がPARCO出版から出ている。これが笹井作品のすべてである。

 笹井は二〇〇〇年の『短歌研究』創刊八〇〇号記念臨時増刊の企画である「うたう」作品賞をきっかけとして陸続と現れたポスト・ニューウェーヴ世代の一人である。この世代の短歌の主な特徴として、日常的話し言葉と平仮名の多用、緩い定型意識、特定の視点の不在、短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情が挙げられる。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って

それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどの明るさでした

 これらの歌を近代短歌のコードで読み解くことはできない。近代短歌では歌に詠まれた風景や事物は作中の〈私〉の心情の投影であり、歌の中で喩としてたった一人の〈私〉を照射する。しかるに笹井の歌では水田に散乱した譜面や畳まれたデッキチェアは何の喩でもなく、歌の中でボエジーを押し上げるものとしてそこにある。笹井は定型による詩の創出ではなく、ひたすら言葉の詩的純度を高めることを目指したように思える。

折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域

あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ

 羽を切り落とされた折鶴や空から剥がれてゆく雲には詩情が漂うと同時に、どこか哀切で悲劇的なものが感じられる。それは必ずしも私たちが夭折歌人と知って笹井の歌を読むからではなく、笹井の短歌世界に内在する資質であろう。

夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト

 とまれ私たちには笹井の二冊の歌集が残されている。その透明で純度の高い抒情はこれからも愛され読まれ続けるだろう。

 

 短歌総合新聞『梧葉』2017年10月 Vol. 55 「夭折歌人を読む」15として掲載

第68回 笹井宏之『てんとろり』

雨によく似たいきものが小さめのくるみを割っている冬の庭
                 笹井宏之『てんとろり』 
一昨年(2009年)一月に急逝した笹井宏之の第二歌集『てんとろり』が、遺歌集として九州の書肆侃侃房から出版された。Book Parkのオンデマンドでしか買えなかった第一歌集『ひとさらい』も、同時に同じ出版社から出た(この場合は再版になるのだろうか)。まずはこのことを喜びたい。『てんとろり』の巻末には加藤治郎の哀切な「あとがき」と、編集の労を取った中島裕介の「製作ノート」が付されている。このように亡くなった歌人の遺稿を整理・編集して出版できるのは、短歌結社の持つ力のひとつだろう。結社に属さず単騎で歌を作っている歌人なら、すべての作業を遺族か友人が行なうしかない。
 『てんとろり』には笹井が本名の筒井宏之名義で佐賀新聞に発表していた歌も収録されている。これらの歌は笹井本人の判断で、第一歌集『ひとさらい』には収められなかったものだという。加藤と中島の判断でこれらの歌が今回収録され、歌人笹井の全貌を知ることができるようになったのは喜ばしい。その理由は「読者がそれを読めるから」というだけに留まらない。もっと大きな意味があるのである。
 芸術家が死を迎えたとき、残された人間がしなくてはならないことがふたつある。作品の散逸を防ぐことと、作品を正しく後世に伝えることである。絵画や彫刻の場合は、遺族が美術館にまとめて寄贈したり、志あるコレクターが買い集めることで、散逸を防止することができる。短歌の場合は、雑誌などの媒体に発表されたり、作ったまま筐底に残されて、歌集に収録されていない歌を掘り起こし、作られた時の姿で後世に伝えなくてはならない。その際に重要になるのが本文校訂である。
 文学作品は作者が最初に書いた形で世に出るとは限らない。まず作者自身が推敲して最初の原稿に手を入れる。新聞小説の王者バルザックは、初稿に真っ赤になるまで手を加えるので、新聞社泣かせだったそうだ。次に編集者が手を加えることもある。中井英夫はよくこれをした。また印刷されるときの誤植もある。つまり作品は世に出るまでのいくつかの段階で異同が生じるのである。本文校訂とはこれらの異同を精査して定本を作る作業をいう。しかしここに問題が横たわっている。何を「真の作品の姿」と認定するかという問題である。作者自身が最初の原稿Aに大幅に手を加えた原稿Bを出版社に渡したとする。世に出るのは原稿Bである。しかし残った原稿Aはどうだろうか。最初の原稿は作者の原初的発想を伝えていないだろうか。また井伏鱒二のように代表作『山椒魚』が全集に収録される際に、終結部を削除してしまった人もいる。このとき削除前の形を真の姿とするのか、それとも削除後のものを定本とするのか。
 このように文学作品は流布し印刷される度ごとに姿が変化する。だからこそ作者がこの世を去ってまだ時間が経過しておらず、作品の散逸と変形が進行していない時に、作品の真の姿を伝える定本を残すことが大事なのである。今後笹井の作品に言及する時には、今回出版された二冊の歌集が定本となるだろう。
 『てんとろり』に収録された筒井宏之名義の作品を読んで驚いた。次のような作品が並んでいるのである。
いくとせも鏡のなかを歩みゐる我とけふまた目を合わせけり (2006.6.22)
花冷えの竜門峡を渡りゆくたつたひとつの風であるわれ (2007.4.19)
ひとときの出会ひのために購ひし切符をゆるく握りしめたり (2007.5.10)
伝へたきひとがゐるゆゑこの歌にあかときの両翼はひらきぬ (2007.6.14)
顔をあらふときに気づきぬ吾のなかに無数の銀河散らばることを (2008.5.15)
 旧仮名を用いた定型短歌で、『ひとさらい』の基調をなすニュー・ウェーブ短歌とはまるで別物である。歌の後に付した発表時期に注目してほしい。笹井が第4回歌葉新人賞に応募したのは2005年6月で、10月に賞を獲得し、第一歌集『ひとさらい』が上梓されたのは2008年1月のことである。だから佐賀新聞に発表されたこれらの作品は、『ひとさらい』以前の習作というわけではなく、『ひとさらい』と同時期に平行して作られたもので、それ以後のものすらある。これはどう考えればよいのか。最も可能性が高いのは、笹井が発表媒体によって戦略的に語法を変えたということだろう。つまり笹井はほっておいても井戸の底から言葉が湧き上がって来るという天然型や、天から言葉が降って来るという巫女系憑依型の歌人ではなく、極めて意識的に文体を作り上げた作者だということになる。もちろん穂村の言う「棒立ちのポエジー」でもないことは言うまでもない。上に引いた歌を見ても、近代短歌の骨法をよく学んで自分のものにしていることがわかる。笹井がこういう歌も作ろうと思えば作れる人だったということは大きな発見である。これによって笹井の他の歌の見方が変わる。これしかできないというのと、他のこともできるがこれを選択したというのでは、そのあり方の意味が違うからである。
   上に引いた歌には近代短歌の根幹をなす〈私〉と〈視点〉があることにも注意しよう。一年前にこのコラムに書いた笹井宏之論でも指摘したことだが、笹井の歌の特徴は、「日常的話し言葉と平仮名の多用、かなり緩い定型意識、特定の視点の不在、それと連動する短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情」であり、特に視点の不在による〈私〉の希薄化が著しい。このことは『てんとろり』にも共通して言えることである。
雪であることをわすれているようなゆきだるまからもらうてぶくろ
うつくしいみずのこぼれる左目と遠くの森を見つめる右目
折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域
ゆめをみる水槽として純白の魚を一尾むねへしずめる
あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ
 語としての「私」や「あなた」は歌の中にあっても、それが視点主体として機能していない。だから歌の情景が誰の目から見たものか判然としない。これが逆に、極限まで希薄化した〈私〉がエーテルのように世界全体に薄くただよっているような効果を生んでいる。また例えば一首目の「雪であることをわすれているような」のように、まるで序詞のように名詞にかかる連体修飾句が多用されていて、この語法もまた笹井の世界構築の手法として生かされている。これもまた90年代に短歌の世界で起こった「修辞ルネサンス」(加藤治郎)の流れの中にあり、現代の新しい序詞と見なせるのではないだろうか。連体修飾句の多用の結果、体言止めの歌が多くなることは以前の文章でも指摘したところである。ランダムに拾ったら、五首中四首が体言止めの歌になった。また結句が用言の場合でも、「まちがえる」や「シーツをかける」のようにル形(終止形)が用いられており、これが歌と世界の接続を回避していることもすでに指摘したとおりである。このような語法が押し上げる世界は、どこか幻想的で夢の中のようでもあり、笹井に細心に選ばれた雪や雲や魚のようなシンボル的アイテムが静かに浮遊する世界である。その世界を冷気のような切なさと悲しみがうっすらと覆っている。
 『ひとさらい』には、「フライパンになりませんかときいてくる獅子座生まれの秋田生まれの」とか「くわがたを折り曲げている寝室に近い将来猫が産まれる」のように、どうにも意味の取れない歌がかなりあった。以前に書いたコラムでは、意味の束縛を脱して言葉の連接によるポエジーをめざすと、あまりに言葉が飛躍しすぎてこのような歌になると書いたが、『てんとろり』ではこのような意味の取れない歌はぐんと少なくなっている。
夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト
折り鶴をひらいたあとにおとずれる優しい牛のようなゆうぐれ
スパゲティ素手でつかんだ日のことを鮮明に思い出しまちがえる
 『てんとろり』に収録された歌はこのように、ほぼ定型に沿って作られており、意味解釈を阻止する言葉の飛躍も比較的少ない。どうやら笹井は言葉の連接によるポエジーの立ち上げの段階を脱して、言葉とイメージの純化の方向へと踏み出したようだ。現代短歌のこのような試行の先に何が待っているのか、もう見ることができないのが残念でならない。
 『てんとろり』は主として「未来」に発表した歌が中心になっている。またほぼ同時期に『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(PARCO出版)も出版されたが、こちらは未見である。最初に書いたように、こうして三回忌に残された作品の定本が出たのは喜ばしい。しかしこれで全部だろうかという疑問が残る。聞くところによると、笹井はネット投稿から歌歴を始めたという。とすると初期の作品はネットにのみ掲載されたものもあり、中にはそのサイトがもはや存在しないものもあるかもしれない。本文校訂は文学作品の命だが、インターネット時代を迎えて本文校訂に新たな課題が生まれたと言えるかもしれない。日本文学史上、未完成の遺稿がフロッピーディスクのデジタルデータとして発見された初めての文学者は安部公房だそうだが、今や遺稿がインターネット上に発見される時代を迎えたのである。短歌の断片が電脳空間のどこかをいつまでも漂っているというのも、どこか笹井の作品世界に似合っているという気がしてくるのが不思議である。

第32回 『風通し』の歌人たち

 最近、若い歌人による同人誌が盛んに創刊されている。すでに6号を迎える「pool」は別として、「豊作」「[sai]」「町」「風通し」など目白押しである。共通する特徴は、結社・流派などにこだわらず、横断的に若い人たちが寄り集まって作っているところか。同人誌は若い人たちの切磋琢磨に格好の場であり、歓迎すべき傾向だろう。今回はその中から2008年11月創刊の「風通し」を取り上げてみたい。1号の同人は、我妻俊樹、石川美南、宇都宮敦、斎藤、故・笹井宏之、棚木恒寿、永井祐、西之原一貴、野口あや子。最年長の我妻が41歳、最年少の野口が22歳と年齢に幅があり、世代論で輪切りにできる構成ではない。あとがきの「説明しよう」によれば、「風通し」は1号ごとのメンバーで1号ごとに企画を立ち上げる「そのつど誌」とある。つまり固定メンバーによる同人誌ではなく、演劇の世界でいうブロジェクト方式なのだ。ということは次号の同人はがらりと顔ぶれが変わることもあり、縁起でもないことを言って恐縮だが、次号はもう出ないという可能性だってあるということだ。若人ならではの大胆さとエネルギーに脱帽しよう。おまけに創刊号の企画はなんと連作歌会なのだ。同人は30首の連作を提出し、インターネット掲示板で一ヶ月にわたる相互批評をしている。「みなさんもやってみるといいが、想像以上のやるんじゃなかったである」とあとがきにあるように、心身ともに相当大変だったことは想像に難くない。各人の個性が光る連作もおもしろいが、それ以上に興味深いのは相互批評の書き込みで、各人の短歌観とともに現在の短歌シーンが置かれている状況が如実にあぶり出されている。
 意欲的構成の連作という点で特筆に値するのは、何と言っても石川美南の「大熊猫夜間歩行」と斉斎藤の「人体の不思議展 (Ver.4.1)」だろう。両方とも大量の詞書を駆使した作品で、ここで何首か抜き出して批評することが不可能な構成になっている。石川の作品は、「四月三十日、上野動物園最後のジァイアント・パンダ、リンリンが死んだ。」という書き出しで始まり、一昨年の7月に起きたリンリン脱走事件という架空の物語を、詞書と短歌で織り上げたものである。短歌だけを部分的に抜き出してみる。
異界より取り寄せたきは氷いちご氷いかづち氷よいづこ
目を閉ぢて開ければ宙に浮かびゐる正岡子規記念球場しづか
枝豆のさや愛でながら〈パンダの尾は白か黒か〉についての議論
夏の夜のわれらうつくし目の下に隈をたたへてほほえみあへば
街灯の赤きを浴びて思ひ出す懐かしいメキシコの友だち
手を振つてもらへたんだね良かつたねもう仰向きに眠れるんだね
真夜中の桟橋に立ちやさしげな獣に顔を噛まれたること
 上野公園を脱走してから、アメ横を通り御徒町を過ぎて、ヨドバシカメラの角を曲がり、万世橋から竹芝桟橋までの夜間歩行の行程を、石川は自分で歩いて確かめてみたそうだ。目撃証言を詞書として挟み、連作もこの行程をたどって進行する。最初は新聞報道のように始まり、酔漢の証言や学生のコンパの場面によって徐々に情景が具体性を増し、終盤に至って作中の〈私〉がパンダに優しく顔を噛まれるという場面で、一連の事件の意味を自ら引き受けるという構成は圧巻で、不覚にも涙したほどだ。最後の歌を除いて歌にパンダが登場せず、目撃証言とそれに遠く近く寄り添う歌という構成を取り、終始パンダを不在の対象として描くことによって、連作全体に神話的雰囲気を漂わせることに成功している。思えばすでに第一歌集『砂の降る教室』所収の快作「完全茸狩りマニュアル」などで、「世界を異化する視線」を駆使していた石川であるが、ここへ来てその才能はますます発揮されているようだ。
 連作批評では2点に議論が集まっている。歌の背後に想定される発話主体が、リンリンなのか目撃者なのか、それとも最後に登場する作中の〈私〉なのかよくわからないという点と、詞書が多すぎて「歌をストーリーに捧げてしまっている」(野口)という意見である。前者については、発話主体の未分化な感じは、「近代的リアリズムとべっこ(ママ)のより始原的なリアリズムを立ち上げようとしている」という宇都宮の分析はやや先走り過ぎの感があるが、確かに近代短歌の〈私〉ではない発話主体として読んで抵抗を感じない。後者については、「『プライベートな個別な私』の感情からの離脱」であり、「一首の背景に『特殊な顔の私』を代入しない」ことが物語のなかに歌を作る意義だとする棚木の意見が、発話主体の未分化性の議論とからむ形で印象に残る。棚木の意見にたいして、「『プライベートな個別な私』しか書けない私にとっては、そんな姿勢に歯がゆさを感じてしまう」という野口の反論に、はしなくも野口の作歌姿勢が露呈しているところが興味深い。
 我妻の指摘するように、物語作家としての作者の資質が存分に発揮された作品であることはまちがいないが、心配な点もある。この作品の延長で石川が散文の世界に行ってしまうのではないかという心配である。もしそうすると「みんな散文に行っちまう。」(大辻隆弘『時の基底』)ということになり、困った事態となる。ぜひ短歌の世界に留まってほしい。
 斉斎藤の「人体の不思議展 (Ver.4.1)」は、本物の死体を様々に標本展示して話題になった展覧会の見聞記という体裁を取っており、石川作品以上に大量の詞書を用いている。こうなると詞書の方が作品の骨格で、歌はその所々に挿入されている感すらある。詞書は、「いらっしゃいませ(カチカチ)」のような現場レポート風のもの、「プラストミック標本の作製法」という展覧会の目録からの引用、「悪いことして死んだヤツとかじゃない」「な」という観覧者の会話などから成る。特におもしろいのは、次のように詞書と歌とが連続して地続きになっている構成である。
 「おそらくこれは、標本になってからの凹みでしょう、
中国から来たものでわかりませんが、立ててたんでしょう針金か何かで」

また一歩記憶になってゆく道にわたしは見たいものを見ていた
 のだろうか。
 (詞書さらに続く)
 斉藤は極めて自覚的な演出者なので、歌と詞書のこのような関係性を意図的に構成したものと考えられる。歌をいくつか引く。
「アセトンに漬けたろか」的なツッコミが嫁とのあいだで流行る四、五日
たましいの抜けきらぬ今しばらくは人目に触れる旅をかさねる
腹が立つ、臆面もなく腹は立ちわたしを駆けめぐるぬるい水
死因の一位が老衰になる夕暮れにイチローが打つきれいな当たり
どのレジに並ぼうかいいえ眠りに落ちるのは順番ではない
 さらにいまひとつの仕掛けは、〈私〉が見た新生児の輪切り標本をもう一度見に行くと会場に見あたらず、係員にたずねてもそんな展示はないと言われ、嫁にたずねてもよく覚えていないと言われたというエビソードである。これまた作品中に虚空間を作るべく斉藤が連作に施した周到な仕掛けであることは言うまでもない。
 批評では、詞書が主になり歌が従になっている構成への疑問や、人体をここまで見せ物にしてよいのかという倫理観や死生観の反省といった主題性の突出をどう評価するかに議論が集中している。「いろんなことを考えるいいきっかけにしたいぼくらはよいこに並ぶ」という連作冒頭の歌からして、「展示方法にご批判もありましょうが、これを生死や献体の問題などを考えるきっかけにしていただければ」的な主催者側の理屈を逆手に取っているのだから、斉藤のスタンスは二重三重に捻れていて一筋縄ではいかない。同人たちもこの点をどう評価してよいのか決めあぐねている感がある。方法論的には、「斉藤さんの作品の特徴として、すでに世の中にカタマリ化して流通している言葉を定型の中に頻繁に引用する」というのがあり、そうすることで「定型のはたらきを失調させる」とする我妻の指摘にうなずく。同時にカタマリ化して流通している言葉を嵌め込むことで、定型の存在をいっそう意識させる点に斉藤の戦略があるのではないかとも思う。斉藤は近代短歌という制度をあぶり出したいのである。
 斉斎藤は一度本格的に論じてみたくなる歌人だが、まだ誰もその本質を剔抉することに成功していないように思える。それは斉藤と短歌の関係が、すぐさま見極められないように周到に韜晦の煙幕に隠されているからである。「人体の不思議展 (Ver.4.1)」もそのうな地点から放たれた変化球なので、評価は様々だろうが問題作であることはまちがいない。同人たちによる掲示板への書き込みの量が、それを雄弁に語っている。
 残りの連作については短評に留める。
けむりにも目鼻がある春の或る日のくだものかごに混ぜた地球儀 
                       我妻俊樹「案山子!」
歯みがきは過去のどこかに始まっていつかは消える 人より早く
片方のサンダルだけがリボンになってほどけて終わる花道をゆく

さびしさの音の粒さえみえそうな夜もわたしはどうせまるがお
              宇都宮敦「昨晩、君は夜釣りへいった」
はなうたをきかせてくれるあおむけの心に降るのは真夏の光
まちがった明るさのなか 冬 君が君の笑顔を恥じないように

手品師が手に品をのせやってくる 冬の日曜日の午後三時
                  笹井宏之「ななしがはら遊民」
太刀魚を夜のシンクに横たえてなんだかよくわからないが泣いた
みぞれ みぞれ みずから鳥を吐く夜にひとときの祭りがおとずれる

こころのことを語れぬほどに暗かった二次会の店 朝に思えば
                       棚木恒寿「秋の深度」
わが内を流るる河に沈みしは鉄の斧なりすでに光らず
近道、裏道ふやしてゆけぬわが性質(たち)をふかく感じて今朝の通勤

一年は六月のまだ一日でパスタのあとにパイの実を食う
                永井祐「ぼくの人生はおもしろい」
コーヒーショップの2階はひろく真っ暗な窓の向こうに駅の光
去年の花見のこと覚えてるスニーカーの土の踏み心地を覚えてる

海を見ぬ日々が私を造りゆく缶のキリンを凹ませながら
                      西之原一貫「夏の嵩」
にわか雨過ぎたる昼のデスクにて加へられし朱の嵩を見てをり
来ぬものをあの日のわれは待ちながら埃の雨のなかに立ちけり

くろぶちのめがねのおとこともてあそぶテニスボールのけばけばの昼 
               野口あや子「学籍番号は20109BRU」
野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり
小説を見せろとじりじり詰め寄れば燕のごとく飛び立つおとこ
 我妻と宇都宮はともに無所属の歌人で、宇都宮は第4回歌葉新人賞次席になっている。早稲田短歌会出身の永井祐も加えてこの三人は、完璧にニューウェーブ以後の短歌シーンの空気を当然のものとして呼吸している人たちである。そんななかに、「音」「京大短歌会」出身で第一歌集『天の腕』を持つ棚木と、「京大短歌会」「塔」の西之原が混ざると非常に奇異な感じを与える。棚木と西之原は文語定型に則り、近代短歌の作りと読みのコードを前提としている歌人で、手堅い作りの抒情歌は安心して読める。一方、我妻・宇都宮・永井の作品は、いったいどのようなコードで読んだらよいのかわからない。そもそもコードの存在自体を否定しているのかもしれない。もしそうなら究極の一回性の文芸ということになる。
 我妻が棚木の作品について次のように評している。「作中人物が歌に収まる姿勢のようなものが気になる」、「カメラ目線とまでは行かなくても、カメラ=短歌のフレームを作中人物が意識している」、「そのような向き合い方でフレームに接していることへの疑いのなさ」が問題だというのである。我妻も宇都宮もなかなかの論客であることを相互批評で示しているが、ここは斉藤に解説をお願いしよう。斉藤は『短歌ヴァーサス』11号に、「生きるは人生とちがう」という文章を書いている。そのなかで、「私は身長178cmである」というときの「私」を客体用法、「私は歯が痛い」というときの用法を主体用法と区別し、短歌の〈私〉は両者の複合体であるという。この事情を次の歌を引いて分析している。
飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ 岡井隆
 上句は〈私〉、下句は「岡井隆」であるという。敷延すれば、「飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆく」は主体用法の〈私〉の目に映った風景である。一方、「いま紛れなき男のこころ」は自分を客体視した客体用法である。このように近代短歌の手法は、「作中主体が見ている風景を、作中主体の(人生の翳りを帯びた)背中をも構図にふくめ、ななめうしろから撮る」ことだと斉藤は言う。つまり〈私〉が映り込んだ情景を、〈私〉込みで斜め上方から切り取る視線が近代短歌の視線なのである。我妻の「カメラ=短歌のフレーム」はこのことを指している。そして〈私〉がいけしゃあしゃあと映り込んでいる風景が我慢ならないと言っているのである。我妻の発言は近代短歌の作歌と読みのコードをまるごと否定することに他ならない。
 では我妻らが肯定するコードとは何か。ここでもまた斉藤に頼ることになるが、同じ「生きるは人生とちがう」のなかで宇都宮の発言が紹介されている。
「『ふつう』の反対って『特別』とかじゃないですか。で、なんていうのかな、『特別』っていうことを声高に叫んでも、特別にならないような気がしてて。(…) そういう風の特別さって感じじゃ特別にならないと思うんです。ふつうに存在してるていうことの特別さっていう。自分のいる空間に他の人は立てないわけじゃないですか、ぜったい。っていう風な意味での特別さっていうものを書いてるんで」(宇都宮敦ロングインタビュー、永井祐HPより)
 異常だとか特殊な能力があるとか特異な体験をしたという「特別さ」を排除し、ここにふつうに生きているという「かけがえのなさ」をこそ「特別」と見なすわけだ。これはひとつの価値観なので、それはそれでよい。問題はその価値観からどのような作歌と読みのコードが導かれるかである。実作を読む限り、そこに近代短歌のコードに取って代わるコードを見いだすことは難しい。しかし、「『短歌のひと』特有のポーズの決め方に私も長々と葛藤していた」という野口の発言や、「短歌的な『私』がア・プリオリには成立しないという理屈、というよりは感覚が、『風通し』に参加されている皆さんの世代では身体化されているのだろうということもひしひしと感じています」という近代短歌サイドの西之原の発言を見ると、近代短歌の「斜め後方からの視線」は若い人たちには嘘くさいポーズと感じられているようだ。近代短歌側としては、これは是非考えなくてはならない問題だろう。もしこの感覚が燎原の火のごとく広まれば、近代短歌は死滅するからである。
 永井らの歌の読み方について、「永井さんの歌はロックだなあと思いながら僕は読んでいます (あるいはロックだなあと思いながら読むとおもしろいと思っている)」と宇都宮は発言している。ロックだなあというのは、「本当のことを歌いに来たんだぜ」とか「負けねえよ」とかいう意味だ。忌野清志郎とか尾崎豊を思い浮かべておけばそう遠くはなかろう。そうか、そう言われてみれば、「噴水の音がうるさくなってくる 話していると夕方になる」(永井祐)という歌なんて、音を当てればそのままロックの歌詞になりそうだ。しかしそれは短歌とは別物である。
 相互批評を読んでいて仰天したのは、「私は自分が歌人であるはずがないと思っている」という野口の発言である。というのも4月20日付の橄欖追放で、「青春の心拍として一粒のカシスドロップ白地図に置く」という野口の歌を引き、「カシスドロップは短歌の喩で、この歌は歌人としての野口の覚悟の表明と読みたい」と私は書いたのだが、これでは完全な読み違いということになってしまうからだ。これは困る。だから野口の発言を、「自分はまだ歌人だと胸を張って言えるほどのレベルには達していない」という自己認識の表明と勝手に解釈しておくことにしよう。野口の歌についての「短歌は気合いだ」という発言にうなずく。また歌ではなくその背後にいる作者に感情移入して読んでしまうことを「作者萌え」と同人たちは表現しているが、なかなか便利な言葉である。どこかで使わせてもらうことにしよう。
 「風通し」はこのように気鋭の若手歌人たちによる刺激的な同人誌である。通読するのにものすごく時間がかかったが、それは内包されている問題量の嵩の多さに由来する。近いうちにぜひ2号の刊行を期待したい。

第22回 笹井宏之『ひとさらい』

まばたきの終え方を忘れてしまった 鳥に静かに満ちてゆく潮
                  笹井宏之『ひとさらい』
 この世には取り返しのつかないことがある。子供は明日も今日と同じように学校があり友達に会えると信じて疑わないが、歳を重ねるにつれて、明日も日が昇るのはそれほど確かなことではないと思い知る。それなのに私たちは相変わらず今日すべきことを明日に延ばすのだ。
 「未来」の加藤治郎選歌欄「彗星集」に集う若手歌人たちが、2008年5月に『新彗星』という短歌誌を出した。巻頭特集は「笹井宏之歌集『ひとさらい』を批評する」である。一部贈呈を受けて、第4回歌葉新人賞を受賞した笹井さんが第一歌集を出版し、評判になっていることを知った。「これはそのうち注文して読んでみなくては」と思いつつ、机辺に堆積する仕事に忙殺されてそのまま数ヶ月が過ぎた。その笹井さんが2009年1月24日未明に他界された。26歳の若さである。若い死は痛ましい。ご冥福をお祈りしたい。私の慚愧は笹井さんが亡くなってから歌集を読んだことである。
 笹井は1982年生まれで、2004年頃から短歌を作り始め、私的な短歌サイトなどのインターネット上で歌を発表し始めたという、純粋なインターネット出身歌人である。始めてから1年後の2005年に、第4回歌葉新人賞を「数えてゆけば会えます」で受賞。2007年に「未来」に入会しているが、入会のきっかけは加藤治郎が名古屋から笹井の住む九州までわざわざ訪ねて来たからだという。加藤がどれほど笹井の才能を買っていたかを物語るエピソードである。加藤の期待にたがわず、笹井は「未来」に入会したその年に未来賞を受賞している。ごく短い短歌経歴だが、ギュッと圧縮された人生の時間を笹井は文字通り駆け抜けたわけである。
 2008年1月に刊行された『ひとさらい』は、笹井が「未来」に入会するまでに書き溜めた短歌を収録している。笹井の短歌の世界をよく示す歌をいくつか引いてみよう。
からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ
猫に降る雪がやんだら帰ろうか 肌色うすい手を握りあう
雨ひかり雨ふることもふっていることも忘れてあなたはねむる
透き通る桃にブラシをあててみる(こすってはだめ)こすってはだめ
カルシウム不足の月を叩き割る 斧のいたるところにどくだみ
表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん
このケーキ、ベルリンの壁入ってる?(うんスポンジにすこし)にし?(うん)
 笹井の短歌は、2000年の『短歌研究』創刊800号記念企画「うたう作品賞」以後短歌シーンに溢れるようになった口語短歌の流れの中にあると言える。その特徴をざっと挙げると、日常的話し言葉と平仮名の多用、かなり緩い定型意識、特定の視点の不在、それと連動する短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情、といったところで、笹井の短歌にはこれらの特徴のほとんどすべてを見いだせる。上に引いた歌を見ても、叙景の視座となるべき視点がなく、叙景によって押し上げられる短歌の〈私〉は不在である。笹井にとって短歌は〈私〉を詠う詩型ではないのだ。強く全面に押し出される〈私〉に替わって、エーテルのように薄く希薄化した〈私〉が歌の全面に漂っている印象がある。またカッコの使用による歌の多声化には、加藤治郎や穂村弘の影響が見られることは言うまでもない。
 先ほど「叙景の視座となるべき視点がない」と書いたが、そもそも笹井の短歌には近代的な意味での「叙景」がない。それでは何があるかというと、それは「言葉の組み合わせ」によるポエジーだろう。このことによって笹井の短歌は近代短歌よりも現代詩に接近すると同時に、歌に登場する景物を喩として読むことを拒むのである。一例を挙げると、「眼のくらむまでの炎昼あゆみきて火を放ちたき廃船に遭ふ」という伊藤一彦のイメージ鮮やかな歌では、「あゆむ」「遭ふ」の主体としての〈私〉があり、〈私〉の眼に映じた叙景として浜辺に横たわる「廃船」がある。その廃船に「火を放ちたき」という強い情念が付託されることにより、廃船は景物の一点から喩へと変貌する。これが近代短歌の読みのコードである。
 しかしながら笹井の短歌にはこの読みのコードは通用しない。だから上に引いた歌で、「カルシウム不足の月」や「水星軌道を漂うやかん」を近代的な意味での喩と読んではいけないのである。そこに見るべきなのは、言葉の連接により醸し出される詩情であり、それは多くの場合、「脆さ」「はかなさ」「淋しさ」のいずれかの属性を帯びている。集中におもしろい歌がある。
野菜売るおばさんが「意味いらんかねぇ、いらんよねぇ」と畑へ帰る
 近代短歌はおおむね意味の歌であり、歌に思想性を回復しようとした前衛短歌も濃厚な意味の歌である。現代短歌は80年代のライトヴァースから「修辞ルネサンス」(加藤治郎)を経て、徐々にみずからを意味から解放しようとしているようだ。歌のすべてが〈私〉の体験の一回性へと収斂する読みのコードを生み出した近代短歌の世界から、現代の若い歌人たちはあたかも古典和歌の世界へと回帰しようとしているようにすら見える。佐佐木幸綱は、古典和歌の特徴を抽象性・観念性・普遍性だとしているが、若い歌人たちが作る歌はこれらの特徴のいくばくかを備えているように見えるからである。
 このような作歌態度を採るとき、「言葉の連接」において陳腐を避けようとすれば飛躍を産む。それが度を超すと読者の理解を超えることがある。
しまうまが右の涙腺通過して青信号に眠ってしまう
完璧にならないようにいくつもの鳩を冷凍する昼さがり
あの枝に湯のみ茶碗が実ります 耳を磨いてお越しください
くわがたを折り曲げている寝室に近い将来猫が産まれる
 このイメージの飛躍は余りに大きすぎて、正直言って読者は付いて行けないだろう。そこから生まれるはずのポエジーにも手が届かない。このような歌が集中に少なからずある。笹井は『新彗星』所収の「私たちの向かう場所」と題された柳澤美晴・野口あや子との鼎談で、「読者は歌人以外」と強く思っていると発言しており、読者を意識せずに歌を作っている訳ではないことがわかる。ならば一層のこと、上のように言葉のイメージの飛躍が大きすぎる歌は瑕疵と見るべきだろう。
 意味を拒んで言葉の連接に賭けるとおもしろい現象が起きる。体言止めの歌が多くなるのである。
緩急を自在につけて恋文を綴るフリース姿の老師
南極のとけなくなった雪たちへ捧ぐトロイメライの連弾
つけものの真空パックをあけるとき祖母とはげしく抱きあうひつじ
 特集「笹井宏之歌集『ひとさらい』を批評する」には念力短歌の笹公人との類似を指摘する意見もあるが、むしろ私がよく似ていると思ったのは高柳蕗子の歌である。
世は白雨 走り込んでは牛たちのおなかに楽譜書く暗号員 
                   『潮汐性母斑通信』
走り出す車窓からおまえはこれと授与された鯨医の聴診器
高柳の歌は端的な「意味の脱臼」であり、その点において軽々と脱近代を遂げている。そして高柳は体言止めの歌を偏愛しており、できればすべての歌を体言止めにしたいとすら公言しているのである。結句に用言を置くと、そこに陳述の力が生じ、歌をある世界に着地させ係留することになる。歌が世界と触れると、その接触を触媒として意味が生じる。だから高柳は結句の用言を嫌い、陳述の力を欠く体言止めにすることで意味を宙づりにするのだろう。笹井の歌に体言止めが多いのも、同じ理由によると思われる。また用言を用いた結句も「靴をそろえる」「やさしいひとだったっけ」「いただきました」「なるのでしょうね」のように、断定を避けた言語形式をとっているものが多い。これもまた歌を着地させることなく、意味の未決定の空間に浮遊させる工夫だろう。
 第4回歌葉新人賞の受賞の言葉で笹井は「ことばは、雨のようだ」と言い、「誰も立ち入ることのできない場所に、ひっそりと降ってくる、ひとしずくを待つ」と続けている。笹井の歌の言葉たちは声高に主張することなく、ひっそりと歌の中に佇んでいるようだ。そこから醸し出されるうっすらとした透明な悲しみは、特に若い読者たちに支持されるだろう。例えば次のような歌に笹井の美質を見ることができる。
「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい
真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ
内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす
水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどの明るさでした
ひとたびのひかりのなかでわたくしはいたみをわけるステーキナイフ
 こんな歌を生み出した歌人がこの世を去ってしまったことは残念でならない。それと同時に、笹井が紡ぎ出す言葉たちと私たちが住む世界との繋がりも、氷柱に閉じこめられた花のように永遠に凍結されてしまったのである。