第69回 山田航「夏の曲馬団」その他

ああ檸檬やさしくナイフあてるたび飛沫けり酸ゆき線香花火
                          山田航「夏の曲馬団」 
 平成21年(2009年)に第55回角川短歌賞を受賞した連作「夏の曲馬団」冒頭の歌である。レモンを切ったときに切断面から飛び散る果汁の飛沫を線香花火に喩えたもので、特に難解な所はない。しかし初句が「ああ檸檬」である。現代短歌で「ああ」で始まる歌はそう多くない。
ああ夕陽 明日のジョーの明日さえすでにはるけき昨日とならば
                        藤原龍一郎
ああこんな処に椿 十年を気づかずにこの坂を通いぬ  佐佐木幸綱
ああかくも物の如くに犀は立ち疾走の衝動を踏んでいるのか
                      花山多佳子
 「ああ」は感動を表す間投詞としては、今では大仰に過ぎると感じられる。だから山田が掲出歌で初句に用いているのは意図的なのである。さらに「飛沫しぶけり」「酸ゆき」と古めかしい文語が続き、結句は昔懐かしい線香花火と来ればもうその意図性は明らかだろう。北海道の同人誌「アーク・レポート」3号のインタヴューで山田は、「寺山修司さん風にしようというコンセプトがありましたね」と率直に語っている。山田はやや古風でノスタルジーを感じさせる抒情の世界をコトバで構築することを狙ったのだ。「ああ檸檬」に始まる入り方といい「飛沫けり」の倒置法といい、現代短歌を十分に研究した跡が見られる筆の達者さである。
 山田航やまだわたるは1983年生まれ。角川短歌賞受賞のことばによれば、21歳の時に突然短歌が読みたくなって、書店で『寺山修司青春歌集』を買ったのだという。なぜ突然短歌が読みたくなったのか、興味あるところだが、たぶん自分でもうまく答えられまい。青春期特有の鬱屈が山田を寺山に向かわせたのだと思われる。続いて『一握の砂』と穂村弘『ラインマーカーズ』を買ったそうだ。書店に置いてある歌集を安い方から買っただけだということだが、『一握の砂』は除くとして、札幌の書店の品揃えがその後の山田の辿る道筋を決めたようだ。その道筋とは抒情とニューウェーブ短歌である。
 山田はその後、極めてユニークなことを始める。図書館に通って過去の短歌作品を大量に読み、ブログで短歌評論を始めたのである。短歌実作の前に短歌評論を手がけるのは珍しい。この評論は「トナカイ語研究日誌」として現在も続いているが、この評論活動が山田の短歌実作の糧となり、また過去の短歌に学ぶ姿勢を形成したことは疑いない。その後、2008年に同人誌「かばん」に入会。「アークの会」と「pool」でも活動している。特筆すべきは角川短歌賞を受賞したのと同じ2009年に、「樹木を詠むという思想」で第27回現代短歌評論賞を受賞したことである。角川短歌賞と現代短歌評論賞の同年ダブル受賞は前例がない。短歌界が山田の今後に大いに期待する所以である。
 さて、山田短歌の特質は何かということになると、まだ作風が固まっていない若い歌人の場合、これを見定めるのはなかなか難しい。次席の紅月みゆき「シュレディンガーの猫」と競り合った角川短歌賞の選考座談会では、「心の凹凸のようなものが自然な言葉で歌われている」(小島)、「あまりにも健康的過ぎずかつ神経質過ぎない (…)非常にナチュラル」(三枝)、「誰もが見ているけれど普段気がつかないようなことで、確かな目があってそれが抒情のふくらみになっている」(永田)などと評されている。何首か引いてみよう。
知らぬ間に解けてしまつた靴紐がぴちぴち跳ねて夏がはじまる
調律師のゆたかなる髪ふるへをり白鍵が鳴りやみてもしばし
楽器庫の隅に打ち捨てられてゐるタクトが沈む陽の方を指す
停車場にとんぼは浮かび夕焼けに鈍くきらめくあかがねの屋根
百葉箱のぞく仕事を半世紀続けたといふ母方の祖父
 こうして改めて眺めてみると、応募作品をまとめるに当たって山田が極めて意識的に戦略を練っていることがわかる。「どのあたりを狙うか」をうまく考えているのである。題名にもある「曲馬団」や、「調律師」「停車場」「百葉箱」「標本室」「路面電車」「映写技師」など、セピア色を帯びた言葉が並ぶ。その他にも絶滅しつつある洋書店や喫茶店が登場し、祖父や父の名も出る。しかし、上に引いた五首目の「母方の祖父」が実在するとか、四首目の夕焼けの停車場を山田が実際に見たなどとは思えない。これは山田が選び抜いた言葉たちによって作り上げた、コトバで出来た世界である。その手つきがあまりに巧みなので、まるでほんとうの世界のように見えているのである。短歌製作のこの手法において、山田は同じく若手でも野口あや子などのように、自分の感性の井戸からコトバを汲み上げるタイプとは明らかに異なる。
 「ああ檸檬」の歌で始まる連作「夏の曲馬団」は、次の歌で終わっている。
掌のうへに熟れざる林檎投げ上げてまた掌にもどす木漏れ日のなか
 林檎が優れて寺山的アイテムであることは言うまでもないが、冒頭の「ああ檸檬」で醸し出した青春性と心の翳りを、連作の掉尾を飾る林檎の歌で受けて締めくくる構成の巧みさも際だっている。「アーク・レポート」3号のインタヴューで山田は、以前は連作を作るときにはドラマ的な物語を構築しようとしていたが、ドラマ性を曖昧にして意図的に弛めた方がよいと考えるようになり、その実験として誕生したのが「夏の曲馬団」だと述べている。この連作観は卓見と言ってよかろう。たしかにあまりに物語的に構成された短歌連作は、虚構性が前面に出て、わざとらしさが目についてしまう。不思議なことだが、連作の中に他の歌とは調子のちがう歌やヘタな歌が混じっていたほうが、作者の肉声と息遣いが感じられてリアリティーが増す。「夏の曲馬団」にも、「人はみな空が恋しく壁面に空を映したビルを見上げる」のように、お世辞にも上手いとは言えない歌があり、選評で永田に「これじゃまるで中島みゆきだよ」と評されているが、こういう歌も混じっていた方がよいのである。
 今年(2011年)に入って同人誌「かばん」がぶ厚い新人特集号を出した。この号に山田は30首を寄稿し、荻原裕幸と東直子が評を書いている。「珈琲牛乳奇譚(ミルク増量ver.)」がその題名である。ちなみにver.はversionの略で、「珈琲牛乳奇譚」はすでに「pool」7号に発表しており、その改作版なので「ミルク増量ver.」となっているのだ。この連作を見ると「夏の曲馬団」の歌人とはまるで別人のようである。
カフェオレじやなくてコーヒー牛乳といふんだきみのそのやり方は
たばこ吸うまねしてぷうつと息を吐く望郷なんてぼくたちにはない
祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも
でもぼくはきみが好きだよ焼け焦げたミルク鍋の底撫でてゐるけど
水飲み場の蛇口をすべて上向きにしたまま空が濡れるのを待つ
酔つ払へるカフェオレ「カルアミルク」なるものの噂で街はもちきり
 旧仮名による定型という作りは同じでも、ずっと口語的でポップ感が増している。評のなかで荻原は二点を指摘している。まず山田は西田政史のニューウェーブ短歌から多くを摂取しているということ、次に荻原が最も注目する五首目の歌によって、山田はニューウェーブの方法論と従来の秀歌観との間に何らかのつながりを見つけようとしているということである。第二の点について私はよくわからないのだが、「アーク・レポート」3号のインタヴューで山田は、荻原裕幸や西田政史らが好きだったので「玲瓏」に入会することも考えたと述べているのを見ると、確かに山田は西田政史の唯一の歌集『ストロベリー・カレンダー』を読んでいるのである。西田の歌を引いてみよう。
ヴォネガット二冊と猫を左手にTシャツのきみ暮らす部屋まで
レアチーズケーキに向かふくれなゐの火星を食べてきたやうな口
珈琲にミルク注ぎて「毎日がモカとキリマンジャロのほどの差ね」
 バブル経済の好景気を背景に豊かな生活を享受した時代の若者が、それでも感じざるを得ない虚無感がどこまでも明るくポップに表現されているのが西田の短歌である。山田はポスト・ニューウェーブ世代に属するのだが、ひとつ上の世代のニューウェーブ短歌が行ったことをその跡をたどるようにして咀嚼し、その成果を自分の抽斗に加えようとしているのだろう。上に引用した山田の「祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも」という歌に注目すると、評で東が指摘しているように、従来の近代短歌では無意識の動作のなかに潜在的な祈りを読み取ろうとする傾向があったのに対して、山田は「祈りではないんだらうな」と否定的態度を取りながらも、断定はせずに含みを残しているところに、近代短歌と完全に切れた位置で作歌をしているのではない山田の微妙なスタンスが感じられる。
 山田の強みは過去の膨大な短歌の資産を渉猟して学んでいることにある。まだ作風が固まっているとは言えない歌人だが、いずれ短歌の鉱脈のなかから自分に繋がる言葉を発見するだろう。