第74回 長谷川櫂『震災歌集』

人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線
               長谷川櫂『震災歌集』
 東日本を襲った大震災の直後から、新聞歌壇やインターネットには震災短歌が多く寄せられた。大きな出来事は人の心を動かし、心の動きが歌を生み出す。関東大震災の時にも震災短歌が生まれ、先の大戦の後にも戦争短歌や原爆短歌が生まれた。それは歌の生理からして自然な成り行きだろう。
 俳人の長谷川櫂が歌集『震災歌集』を緊急出版した。俳句と短歌の境界を越えて行き来する人はいなくはないが、今まで短歌を発表してこなかった俳人がいきなり歌集を出すのは異例だろう。震災の夜から荒々しいリズムで短歌が次々と湧き上がってきた、という述懐がまえがきに見える。なぜ俳句ではなく短歌だったのだろう。本書は慟哭と憤怒の書である。大きな出来事に遭遇して嘆き悲しみ、事に当たった指導者たちの不手際や無能を目の当たりにした著者は、体温が上がったのだ。体温が上昇したときに俳句は作れない。俳句は低体温の文芸だからである。普段より赤みを増した血液が動脈をドクドクと打つときには、短歌という詩型が召喚される。俳句は言葉を手裏剣のように的に当てる片道通行の文芸だが、短歌は虚空に投げ出した言葉がブーメランのように弧を描き、手許に戻って自分の心を反照する文芸である。震災の夜に長谷川のなかに短歌が溢れ出たのは、このような経緯によるものではないだろうか。
津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布
夢ならず大き津波の襲ひきて泣き叫ぶもの波のまにまに
乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつに
かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを
夥しき死者を焼くべき焼き場さへ流されてしまひぬといふ町長の嘆き
 歌集冒頭から引いた。日本人のみならず世界の人が息を呑み、涙に打ち震えたあの光景を、長谷川は雅語を交えた文語定型のなかに定着している。長谷川は単に自らの嘆きと怒りを歌にぶつけたのではあるまい。ここには未曾有の惨事を記録して後世に伝えようという意思が感じられる。そのことは著者が、「死ねる子を箱におさめて親の名をねんごろに書きて路に捨ててあり」という窪田空穂の震災短歌を集中で引用していることからも推察される。このことは『震災歌集』という直截なネーミングを見てもわかるだろう。
 出来事が余りに大きすぎると、それを三十一字に納めることが困難となる。だから引用した一首目のように、集中には字余りの歌が数多い。ところが読んでいて、字余りがまったく歌の瑕疵とは映らない。それは読者の私が震災の悲嘆に感応して言葉の向こう側に行ってしまったからではなく、字余りが作者の心から溢れ出たものの様をそのままに表しているからだろう。いや、というよりも、三十一字に納められなかったという事実そのものが、大きな重みを持って迫って来るからだと言うべきかもしれない。ここには形式の持つもう一つの意味が潜んでいるようにも思われる。
ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち
ゲーセンに子どもがあふれてゐることの平安を思ふ大津波ののち
かかる瑣事に今までかまけてゐたるかとはたと驚く大津波ののち
 短歌連作では引用歌のように同じ結句を持つ歌を並べることがある。その機能を詮索することは他日に期するとして、私は読んで「ああ、これは連祷 (litanie)なのだ」と感じた。連祷とはキリスト教のミサ聖祭で、司祭の唱える祈りに詠隊が決まった文句を繰り返す祈りの形式である。同じ結句の反復は寺院の堂宇に響く声明のごとき鎮魂の祈りなのである。これもまた短歌という言葉の有り様が可能にする重みとして受け取るべきだろう。
 長谷川は言葉のプロなので、震災と津波に接した個人的な慨嘆には終わらない。
その母を焼き死なしめし迦具土の禍々つ火の裔ぞ原発
火の神を生みしばかりにみほと焼かれ病み臥せるか大和島根は
新年をかかる年とは知らざりきあはれ廃墟に春の雪ふる
たれもかも津波のあとをオロオロと歩くほかなきか宮沢賢治
鶴となり白鳥となりはるかなる東国へ還れ防人の魂
 最初の二首は、現代科学の粋を集めたはずの原発の惨状を、古事記にこと寄せて詠んだもの。三首目は大伴家持の歌を本歌とし、四首目は宮沢賢治、五首目は柿本人麻呂が下敷きになっている。原発は果たしてプロメテウスの火かと自問するとき、時空を超えて古事記の神話的世界が現代に甦る。また東国に思いを馳せれば、宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』が脳裏をよぎり、奥の細道を歩いた芭蕉や、万葉集の防人の古事が思われるのである。私たちは言葉の世界に生きているが、その言葉は当然ながら現代の言葉だけではなく、過去に放たれた膨大な言葉でもあるのだ。
 歌集には慟哭だけでなく、憤怒もまた満ちている。
原発をかかる人らに任せてゐたのかしどろもどろの東電の会見
おどおどと首相出てきておどおどと何事かいひて画面より消ゆ
国ぢゆうに嘆きの声はみつといへど政争をやめぬ牛頭馬頭のやから
大津波襲ひしあとのどさくさに円買ひあさる餓鬼道のやから
 このような歌が優れた歌となり得ないことは、著者も百も承知の上である。「そんなこと、お前に言われたくない」と言うだろう。しかし長谷川はそれを承知で作っているので、そこにはやむにやまれずということに加えて、「この醜態を記録しておきたい」という願いがこもっているのである。
 このように本歌集は時事詠に分類できるのだが、時事詠に収まらない心打つ歌も少なくない。いくつか引いておこう。
みちのくのとある海辺の老松は棺とすべく伐られきといふ
被爆しつつ放水をせし自衛官その名はしらず記憶にとどめよ
如何せんヨウ素セシウムさくさくの水菜のサラダ水菜よさらば
日本列島あはれ余震にゆらぐたび幾千万の喪の灯さゆらぐ
みちみてる嘆きの声のその中に今生まれたる赤子の声きこゆ
 最後に不思議な歌を一首引く。
嘆き疲れ人々眠る暁に地に降り立ちてたたずむ者あり
 このたたずむ者とは誰か。人の悲惨を哀れんだ神だろうか。それはわからないが妙に心に残る歌である。