第75回 小池民男『時の墓碑銘』とジョゼフ・コーネルについて

美しき脚折るときに哲学は流れいでたり 劫初馬より
                  水原紫苑
 最近、心に残った二冊の本がある。その一冊は、小池民男『時の墓碑銘(エピタフ)』(朝日新聞社 2006)という。小池は朝日新聞の記者・論説委員で、一時期天声人語も担当していたことがある。この本は2005年から06年にかけて朝日新聞の断続的に連載された文章を一冊にまとめたもの。私は小池の書くものを新聞連載時から愛読していた。そのスタイルは、現代史のなかで発せられた警句や詩の一節を冒頭に掲げ、それにまつわるエピソードやその句が私たちに問いかける意味などを、新聞記者として世界中を駆け回った体験と、古今東西の書物の渉猟によって浮き彫りにするというものである。ひとつひとつは決して長い文章ではなく、単行本にして2頁半程度、字数にして約1500字にすぎない。やってみればわかるが、1500字で読む人の心に何かを残す内容の文章を書くというのは、並大抵のことではない。文章は短ければ短いほど書くのが難しい。全人格と全教養を傾注して呻吟することなしに書けるものではない。
 本書で小池が引く句はさまざまなジャンルに及ぶ。「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(アドルノ)、「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように」(魯迅)、「此人等信念もなく理想なし」(東郷茂徳)などの思想家・政治家の残した言葉が多いのは、著者が新聞記者なので当然と言える。だがそれと並んで詩歌・文芸からの引用も多く、詩歌をめぐる随想にも味わい深いものがある。例えば「幾時代かがありまして、茶色い戦争ありました」(中原中也)の「茶色い戦争」の意味がはじめて分かったというエピソードが書かれている。ある酒の席での音楽評論家・吉田秀和の「それは中国大陸の大地や砂塵のことです」という指摘によるのだが、吉田はこれを中原の下宿に泊まった時に本人の口から聞いたという。中原中也といえば、作品が国語の教科書にも載る歴史上の人物とつい考えてしまうが、生身の本人を知る人がまだ生きていることに軽い驚きを覚え、自分と歴史が繋がっていると少し感じる瞬間である。
 なかには「テレビカメラはどこかね」(佐藤栄作)のように、その愚かさによって人の記憶に残った句もあるが、引用された言葉のほとんどは天空に輝く星辰のようだ。なかでも私の心に残ったのは、北米最後のインディアン(ネイティブ・アメリカン)のイシが死の間際にささやいた言葉「あなたは居なさい、ぼくは行く」である。イシはヤヒ族の最後の生き残りで、ある日人前に現れて保護され、サンフランシスコの人類学博物館の中で5年間の残りの人生を生きた。その記録は人類学者D・クローバーの妻T・クローバーの著書『イシ 北米最後の野生インディアン』(岩波書店)に詳しい。ちなみにクローバー夫妻の娘が長じてSF作家のアーシュラ・ル・グィンになったことにも、そこになにがしかの因縁を感じてしまうのである。
 小池の文章の主題の多くは、世界を覆う暴力と死と人間の愚かさに関するものだ。決して心躍るものではないが、深夜に一節ずつ読むと心に食い込む。小池が最後の連載を書いたわずか22日後に食道ガンで死去したことも、本書に異様な重みを与えている。まさに一冊の書物が著者の墓碑銘となったわけだ。記者たるもの、以って瞑すべしと言うべきか。
 ちなみに冒頭に掲げた水原の歌が引かれているのは、テンポイントやキーストンなど悲劇の競馬馬を回想した味わい深い文章の中である。
 もう一冊は一年も前なので最近のものではなく、展覧会の図録だから本ですらない。昨年(2010年)の4月から7月まで千葉県の川村記念美術館で開催されていた「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」という展覧会の図録である。ジョゼフ・コーネル(1903-1972)は、裕福な商人の家庭に生まれるも父親が破産して一家は没落、ニューヨークのクイーンズにある小さな木造家屋に住んで、織物会社に勤務しながら自宅の地下室で作品を作った芸術家である。いや、芸術家と呼べるのかどうかもよくわからない。町を歩いては古道具屋や古書店に入り浸り、そこで買い集めた写真の切り抜きや、浜辺で拾った貝殻などを、手製の小さな木箱に入れたのがコーネルの作品だからである。アメリカのシュルレアリスムの元祖とされることもあるが、実際の作品は中学生の図画工作レベルのものだ。しかしそこには不思議な魅力があり、人を惹き付けるものがある。川村記念美術館2Fの展示会場に上がると、「この世あるいは箱の人」と題された高橋睦郎のコーネル讃が壁一面に書かれている。展示作品にもひとつひとつ高橋睦郎の詩が添えてあり、観覧者はそれを手に取って見ることができるという趣向。薄暗い会場には「ピアノ」というコーネル作品に仕込まれたオルゴールの音楽が低く流れていた。
 展示設計と図録を手がけたのは高橋睦郎と縁の深い半澤潤という人である。文字は活版印刷で、8頁の折ごとに小口を切らず袋とじにするフランス装。紙は手触りのある厚手の紙で、活字もやや不揃いで掠れがあり、全体に古書のようなレトロな雰囲気が充満している凝った装丁である。ショップには小口を切るペーパーナイフまで販売されていて、私も必要ないのについ買ってしまった。展覧会を紹介する単なる図録ではなく、それ自体がジョゼフ・コーネル×高橋睦郎のひとつの作品であり、物としての存在感が強烈に漂うところが只者ではない。ひとつひとつ手作りなので多く作ることができず、展覧会の会期半ばで完売したらしい。知り合いの編集者でコーネル愛好家の人が会期の後半に行って買えず、悔しがっていた。
 展覧会を見終わり、バスとJRを乗り継いで本郷の定宿に戻って間もなく、かねてより療養中の母が亡くなったと連絡が入り、急ぎ京都に戻った。そのため私にとって忘れられない展覧会となったのである。