しろき円をたもちて皿は暮れなづみ卓は卓として四方へとがる
菊池孝彦『声霜』
菊池孝彦『声霜』
夕暮れの室内の風景だろう。皿と卓があるので、家族が食事を摂るダイニング・キッチンと思われる。卓の上に置かれた白い丸皿は、その円形を保っているという。当然だろう。見ているうちに丸い皿が四角くなるなどということはないからである。テーブルは四角形で四隅が尖っている。それはよい。しかし「卓は卓として」とは何か。卓が卓ではないものとして在るということがありうるのか。
どうも「あるかもしれぬ」と作者は考えているふしがある。それは作者が「存在の偶然性」という考えに捕らわれているからである。世界が現在在る姿で在ることに、どれくらいの必然性があるのだろうか。「もし恐竜が絶滅していなかったら」とか、「もし織田信長が本能寺で暗殺されなかったら」という歴史上のifもその中に含まれはするが、ここで言う必然性とはもう少し根源的なレベルのものを言う。
目の前に湯飲み茶碗があるとする。使い込まれた茶碗は手に馴染み、内側には茶渋が付き、その形は見慣れた日常である。しかし茶碗をじっと見つめていると、だんだん奇妙な物に思えてくることがないだろうか。なぜこいつはこんな変な形をしているのだ、とふと思うと、茶碗の存在が異質なものとして迫ってくる。この茶碗は私とは関係なくこの世に絶対的に存在する。そう考えると突然奈落に突き落とされたように感じる。次の歌はそのような印象を詠ったものと思われる。
菊池孝彦は1962年生まれで、1989年より「短歌人会」所属。巻末の略歴にはこれだけが記されている。これ以上略すことができないほど短い略歴で、作者が自己を語ることを好まないことをよく示している。『声霜』は2010年刊行の第一歌集。栞文は香川ヒサ、米川千嘉子、小池光。栞文を香川に依頼しているのは、作者が自分の作風をよく認識していることを示していよう。香川もまた「テーブルのグラスがグラスであることの証人としてわれ在りたぶん」のように自己を排した哲学的な歌を作るからである。「声霜」は作者の造語で、この世に産み落とされた自分の精神のスイッチを入れたのは母の声であったろうとの思いを、「星霜」すなわち時間の流れと組み合わせたものである。
自己を語らぬはずの作者があとがきではずいぶん多くを語っているが、師と仰ぐ高瀬一誌への思いと並んで次のように述べている。小池は『バルサの翼』のあとがきに、「ぼくは歌を〈作って〉来たのである。歌をうたったのでも、詠んだのでもなく、歌を作ったのである」と書いたが、自分はそれに倣って「私は歌を〈書いて〉来たのである。歌をうたったのでも、詠んだのでもなく、歌を書いたのである」と明記したいと。
これはどういう意味だろうか。ふつう短歌の世界では「歌を詠む」と言う。「うたう」と言うこともある。それは短歌の先祖の和歌が韻律詩であり、声に出して詠じられたからである。またそれは短歌に自分の感情の揺れを表現するからでもある。感情は歌として声となって表出する。菊池が「歌を書く」と明記するのは、このすべてを否定する立ち位置から短歌を作ろうとしているからである。簡潔に言えば「自己の感情を詠わない」ということであり、自己表現としての短歌から遠く離れるということでもある。
だから次のような歌が最も菊池的な歌だということになる。
菊池の眼が〈私〉に向いたとき、先の五首目のような純粋な存在論的問いかけを押し上げることもあるが、ときに菊池は存在論的呪詛に傾くようだ。自分の出生を呪う気持ちのことである。
しかしながら菊池の眼が〈私〉を志向するとき、最も鋭く前景化するのは〈私〉の捉え難さだろう。次のような歌がそれをよく示している。
短歌に対してこのような立ち位置を選択すると、必然的に名歌・秀歌・絶唱から遠く離れてしまうことに注意しておこう。明治以来の近代短歌は、古典和歌の共同性と抽象性を捨てて、自我を具体的に詠う文芸となった。これは明治期における〈個〉の確立という国家レベルの目標と軌を一にする。しかし「自我の文芸」は「自我」の存在を前提とする。〈私〉がなければ〈私〉を詠うことができないのは自明である。〈私〉の存在に疑念を射かける菊池には、従って〈私〉の絶唱はあらかじめ禁じられているのである。くぐもった声でつぶやくような歌が多いのはこのためだと思われる。
このように菊池の主題は〈物自体〉と〈私〉と〈時間〉なのだが、これらをない交ぜにすると必然的に私たちの前に立ちはだかる最大の謎である〈生〉と〈死〉へと辿り着く。これらはまた近代短歌の王道といえる主題でもある。
最後に歌を「書く」ことにこだわる菊池の述志の歌を引いて終わるとしよう。「短歌人会」には小池光や藤原龍一郎や生沼義朗のような男歌の伝統が脈々と流れているが、どうやら菊池ものその一端に連なる歌人のようだ。
どうも「あるかもしれぬ」と作者は考えているふしがある。それは作者が「存在の偶然性」という考えに捕らわれているからである。世界が現在在る姿で在ることに、どれくらいの必然性があるのだろうか。「もし恐竜が絶滅していなかったら」とか、「もし織田信長が本能寺で暗殺されなかったら」という歴史上のifもその中に含まれはするが、ここで言う必然性とはもう少し根源的なレベルのものを言う。
目の前に湯飲み茶碗があるとする。使い込まれた茶碗は手に馴染み、内側には茶渋が付き、その形は見慣れた日常である。しかし茶碗をじっと見つめていると、だんだん奇妙な物に思えてくることがないだろうか。なぜこいつはこんな変な形をしているのだ、とふと思うと、茶碗の存在が異質なものとして迫ってくる。この茶碗は私とは関係なくこの世に絶対的に存在する。そう考えると突然奈落に突き落とされたように感じる。次の歌はそのような印象を詠ったものと思われる。
午睡より覚めきらぬわが網膜に映ず 部屋中の「物自体」半覚半睡のぼんやりした頭も手伝って、見慣れた物が絶対的存在として迫ってくる瞬間である。これはとても哲学的な歌なのだ。菊池はサルトルの小説『嘔吐』の主人公アントワーヌ・ロカンタンと近いところにいるのである。
菊池孝彦は1962年生まれで、1989年より「短歌人会」所属。巻末の略歴にはこれだけが記されている。これ以上略すことができないほど短い略歴で、作者が自己を語ることを好まないことをよく示している。『声霜』は2010年刊行の第一歌集。栞文は香川ヒサ、米川千嘉子、小池光。栞文を香川に依頼しているのは、作者が自分の作風をよく認識していることを示していよう。香川もまた「テーブルのグラスがグラスであることの証人としてわれ在りたぶん」のように自己を排した哲学的な歌を作るからである。「声霜」は作者の造語で、この世に産み落とされた自分の精神のスイッチを入れたのは母の声であったろうとの思いを、「星霜」すなわち時間の流れと組み合わせたものである。
自己を語らぬはずの作者があとがきではずいぶん多くを語っているが、師と仰ぐ高瀬一誌への思いと並んで次のように述べている。小池は『バルサの翼』のあとがきに、「ぼくは歌を〈作って〉来たのである。歌をうたったのでも、詠んだのでもなく、歌を作ったのである」と書いたが、自分はそれに倣って「私は歌を〈書いて〉来たのである。歌をうたったのでも、詠んだのでもなく、歌を書いたのである」と明記したいと。
これはどういう意味だろうか。ふつう短歌の世界では「歌を詠む」と言う。「うたう」と言うこともある。それは短歌の先祖の和歌が韻律詩であり、声に出して詠じられたからである。またそれは短歌に自分の感情の揺れを表現するからでもある。感情は歌として声となって表出する。菊池が「歌を書く」と明記するのは、このすべてを否定する立ち位置から短歌を作ろうとしているからである。簡潔に言えば「自己の感情を詠わない」ということであり、自己表現としての短歌から遠く離れるということでもある。
だから次のような歌が最も菊池的な歌だということになる。
宇宙塵も地球の塵もなひまぜに吹かれをり風つよき西より一首目はただ西風が吹いているというだけの歌である。しかしその風には宇宙塵も地球の塵も混じっているとするところが、認識の歌を成立させる。二首目、私たちはよく「たった一人」言うが、一人と判定する基準はどこにあるか。私は一人でいるとき〈私〉といるのではないか。私は〈私〉から決して逃れることはできない。〈私〉とは自己意識である。だから「たった一人」とはまるでからかわれているようだという歌である。三首目、山のように積まれた本に挟まれた薄っぺらい下敷きのようなものが現在だという歌。菊池の認識の眼差しは主に三方向に向いている。〈物自体〉と〈私〉と〈時間〉である。そのいずれもが哲学上の深遠な謎を構成する。この歌は時間の歌で、私たちは現在に生きているが、決して現在を捉えることはできないという趣旨だろう。四首目は、夜明けの路地の霜に人の足跡がついているというだけの叙景歌だが、こうして並べてみると、どうしても深読みしたくなってしまう。事物の描写の背後に闇のごとき謎があると読めてしまうのである。菊池の意図がそうなら話は別だが、これはいささか困ったことかもしれない。五首目は三方向のうち〈私〉に眼差しが向いた歌。窓ガラスに映った私が私に対して「おまえは何ものだ」と問いかけるという設定はありふれているが、作者の興味をよく示してはいる。
存在の基準はどこにもあらざれば「たった一人」は揶揄のごとしも
堆き過去と未来に挟まれてセルロイド製下敷きのごとき現在
足跡はすでにいくつもしるされぬ曙光にひかりゐる路地の霜
ぽつねんと窓に映りし「われ」といふ者のまなざしわれを問ひかく
菊池の眼が〈私〉に向いたとき、先の五首目のような純粋な存在論的問いかけを押し上げることもあるが、ときに菊池は存在論的呪詛に傾くようだ。自分の出生を呪う気持ちのことである。
あかあかと夜は明けそめて日日にわが賜る生といふ災厄「私たちは故なくこの生に投げ出されている」いうのは、極めて実存主義的な考え方である。その悔しさが一首目や二首目に色濃く投影されている。三首目の豆腐は「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」という久保田万太郎の名句を思わせる。四首目の「天眼」は仏教用語で、すべてを見通す仏の眼をいうらしい。
世界にたった一人といふもこの街の破片のごとく歩みゆきたり
味噌汁に豆腐ぷかぷか生と死の虚実皮膜に照るゆふあかり
わたくしの出生届受理されしその時天眼は緑暗せり
微熱はらみてうすらさむきを机に向かふわれに生きたがらぬ部分見ゆ
しかしながら菊池の眼が〈私〉を志向するとき、最も鋭く前景化するのは〈私〉の捉え難さだろう。次のような歌がそれをよく示している。
橋わたり来し白昼やわたくしを怪訝におもふそれも「わたくし」〈私〉と〈私という意識〉の二重性は一首目や二首目に明らかである。橋を渡っているのが私なのか、それともそれを怪訝に思っているのが私なのか、禅問答のようであり、深い哲学的主題でもある。獣が美しいのはこの二重性を持たないからだ。三首目のゆらぎにすぎない私や、否定すべき自己がないという認識も、同じ問題意識から来ていることは言うまでもない。四首目は時間軸に投影したときの〈私〉の多重性を詠ったもの。
このわれに従きくる影よをりあらばわれをこそ引き摺って行かれよ
盗人のごとく我が家に入り来ぬ寝息の傍をゆらめきながら
自己否定 否定さるべき自己が在るといふ誤謬もうつくしきかな
炎天の路上 過去形・現在形・未来形のボクらかぎろふ
短歌に対してこのような立ち位置を選択すると、必然的に名歌・秀歌・絶唱から遠く離れてしまうことに注意しておこう。明治以来の近代短歌は、古典和歌の共同性と抽象性を捨てて、自我を具体的に詠う文芸となった。これは明治期における〈個〉の確立という国家レベルの目標と軌を一にする。しかし「自我の文芸」は「自我」の存在を前提とする。〈私〉がなければ〈私〉を詠うことができないのは自明である。〈私〉の存在に疑念を射かける菊池には、従って〈私〉の絶唱はあらかじめ禁じられているのである。くぐもった声でつぶやくような歌が多いのはこのためだと思われる。
このように菊池の主題は〈物自体〉と〈私〉と〈時間〉なのだが、これらをない交ぜにすると必然的に私たちの前に立ちはだかる最大の謎である〈生〉と〈死〉へと辿り着く。これらはまた近代短歌の王道といえる主題でもある。
ひとりづつせんぐりせんぐり欠けてゆくその「順番」といふを思へり先ほど菊池には絶唱は禁じられていると書いたばかりだが、多少訂正しなくてはならないかもしれない。上に引いた三首目など、語の斡旋といい韻律といい、十分絶唱と呼ぶ資格があるからである。しかしその拠って来るところは感情ではなく認識である。
体内といふなべて暗闇死してのちほの明るめり四肢の尖端より
あかときに誰がための流星生といひ未生といへる夢のあはひに
暗き通路の出口は知らず終端のほの明るきは出口にあらず
最後に歌を「書く」ことにこだわる菊池の述志の歌を引いて終わるとしよう。「短歌人会」には小池光や藤原龍一郎や生沼義朗のような男歌の伝統が脈々と流れているが、どうやら菊池ものその一端に連なる歌人のようだ。
びつしりと結露せる窓 短歌てふ「こころざし」朝のきららに翳す