178:2006年11月 第2週 松平修文
または、鳥は近代の主客二元論から遠く離れて

波がしらにとまらむとして晩夏の蛾
       黄金の鱗粉をこぼせり
           松平修文『水村』

 かねてより『水村』は私にとって幻のかなたにある歌集であり、松平の歌に焦れつつもいかにしても入手かなわぬ有り様にほとんど諦念すら抱いていたのだが、このたび幸運にも手に入り今私の机上にある。古書店ネットという現代文明の利器のお陰である。私が今まで購った歌集古書のなかで最も高価であったが、拙著『文科系必修研究生活術』(夏目書房)の中で、「出会ったときに買う」「迷ったら買う」「価格を見ずに買う」といういささか乱暴な図書購入の三原則を人様に吹聴した手前、ここで臆する訳にはいかないのである。届いた歌集は箱入りで、画家でもある著者の自装、表紙絵も自作。うす暗い沼のほとりに白い小花が咲き上から柳の葉が垂れ、中央に花を活けた花瓶と水に沈んだ輪郭だけの鳥を配した夢幻的な絵である。挟まれた謹呈の栞には墨痕鮮やかに署名がある。1979年冨士田元彦の雁書館から刊行、巻末には福島泰樹の長い解説がある。松平の短歌が世に出た経緯を語って詳しい。

 松平は東京芸術大学で学んだ日本画家である。この経歴は作歌の特徴と密接に結びついており、それは掲出歌を瞥見しただけで明らかであろう。「晩夏の蛾」は俳味のある主題だが、事実松平は若い頃に俳句も作っている。その晩夏の蛾が波がしらに止まろうとしているという有り得ない非現実的光景を詠んでいるのだが、白く砕ける波頭と蛾が零す金色の鱗粉の取り合わせは極めて絵画的で、どこか葛飾北斎のデフォルメされた遠近の構図を思わせる。視覚的インパクトの強さは衝撃的ですらあるが、その幻想性と絵画性の背後に近代短歌の〈私〉が消去されていることに注意しよう。全体として一幅の絵のようで視点が特定されていないことがそれを示している。

 『水村』は逆編年順で構成されており、世に喧伝されている松平作品とは異なって引かれることの少ない初期作品をこのたび初めて目にして驚いた。次のような歌が並んでいるのである。

 花を彫(ゑ)りしグラスに水を充たすとき死のみ明るき未来と思ふ

 果敢事(はかなごと)ひとつ果さむ雨の街に今宵ともすべく蝋燭を購う

 谷のみづ濃きゆふまぐれ身をぬけて魂ひとり汝に逢ひにゆけ

 夜の空に池あれば亡父(ちち)が釣人となりてさかさに立つそのほとり

 末黒野(すぐろの)に立つつむじかぜ針さしに針刺してゐる母には告げず

 少女らに売りつけられし雛菊の花をにぎりて焦がすてのひら

 巻末から遡って制作順に拾ってみた。解説を書いた福島泰樹はこれらの歌を松平の「習作」と呼んでいるが、歌の造りの確かさはすでに習作を脱していよう。松平は大野誠夫に師事しており、二首目あたりに師譲りの物語性も感じられるが、全体としては青年期の自己を凝視する硬質の抒情を湛えた歌群であるといってよい。六首目などは村木道彦を彷彿とさせる含羞に富む青春性に満ちている。福島は五首目の「末黒野に」の登場以前を松平の習作期とするという見解を示した。

 これら初期作品の完成度も相当なものだが、松平の個性が光る歌は主に歌集前半に登場する次のような歌であることは衆目の一致するところである。一首目の「自動車」は歌集では「自転車」となっているが誤植であり、『現代短歌100人20首』(邑書林)では訂正されている。

 水の辺にからくれなゐの自動車(くるま)きて烟のやうな少女を降ろす

 水につばき椿にみづのうすあかり死にたくあらばかかるゆふぐれ

 少女らに雨の水門閉ざされてかさ増すみづに菖蒲(あやめ)溺るる

 自転車を草にうづめて漕ぎ出でしあかとききみは舟にねむりぬ

 霙降る朝みづのべの番小屋に病む白鳥のくびを抱きしめ

 花のやうな口がわかれを告げてゐて世界ぐらぐらするゆふまぐれ

 廃屋に向きてうちよせくるさむき波をみているかがみ一面

 まよひどりここに憩ふとこひびとがさし出だすてのひらのいれずみ

 あなたからきたるはがきのかきだしの「雨ですね」さう、けふもさみだれ

 先にに引用した初期歌群と比較して、ぐっと幻想性が増している。福島泰樹は解説のなかで、「水村」20首が掲載された『現代短歌 ’74』に収録された他の若い歌人たちの歌が、70年を中心とする政治的闘争が終息した時代にあって、これから俺達は「何処へゆく」かべきを自己に問う歌であったなかで、松平の歌は内面の鬱屈とはひとり無縁であり、その点において異彩を放っていたと状況論的分析を行なっている。松平の歌は懐かしい「家郷」を描いているように見えながら、そのような「家郷」は非在であり、松平の未来は未来にではなく過去にあるのだと断じている。もしそうだとするならば、「病む母のきぬをあらふと林中のながれに来れば螢すだくも」と松平が詠んだあまりに鮮やかな「家郷」も現実のものではなく、作者の心の中に紡ぎ出されたものと解してよいのだろう。

 過去に遡行する「家郷」を描いたという点において、松平の基本的精神は「反近代」である。この点において松平は、「〈私〉の滲み出し」を基調としてきた近現代短歌と一線を画しているのだ。その意味するところを今少し考察してみよう。

 水薬がぶがぶのみぬ樹や魚や雁となりやみの奥を視るため

 溜池(いけ)に飼ふ魚を盗みにくる猫や水禽を夜ごと待ちてときめく

 うすぐらくなりたる波のうへを来し小禽は桃の花をくはへをり

 鳥たちの寒がる森をふきぬけてゆふぞらに風ひろがりゆけり

 洪水の都市の眺めのすばらしさをつたへて受話器よりわらふこゑ

 松平の歌には夥しい動植物が登場するが、そのどれひとつとして「〈私〉の喩」になっていない。近代短歌のセオリーは、歌に詠われたあらゆる事物・景物が〈私〉を照らし出すというものであり、〈視る主体〉と〈視られる客体〉とが截然と分離された主客二元論的世界観がその前提としてあることは言うまでもない。近代短歌を特徴づけるのは、鋭敏な内的自己意識を抱えた〈私〉が、私を取り巻く世界を視るという構図であり、視られた世界は〈私〉の意識を必然的に反照する。なぜなら〈自己の知覚〉と〈世界の知覚〉とは相補的だからである。「水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中」という近藤芳美の歌が戦後を代表する歌と見なされたのは、喩の斬新さもさることながら、この主客の構図を端的に表現したからに他ならない。歌に登場する動植物もこの主客二元論の例外ではない。

 孤独なるさまに水浴びいる鳥を盗むごと見て家に帰り来  石田比呂志

 選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て  大塚寅彦

 石田の歌の鳥は作者の内的孤独の正確な相関物であり、この歌は〈視る主体〉と〈視られる客体〉の構図をそのまま詠み込んでいるという点において近代短歌そのものと言える。大塚の歌に登場する鴉にもまた作者の自己が色濃く投影されていることは明らかである。近代短歌はこのように、一首の裡に〈視る主体〉と〈視られる客体〉の反照関係を構築することで、〈私〉の自己意識という近代の産物を歌の内部に導入することに成功したのである。

 しかるに松平の歌はこの近代の擬制から自由である。上に引用した歌をもう一度見てみよう。水薬をがぶ飲みするのは自ら樹や魚や雁に変じて闇の奥を凝視せんがためである。人間と動物の境界を跳び越えているわけだが、これは二首目「溜池に飼ふ」にも見て取れる。魚を盗みに来る猫や鳥を待ち伏せる〈私〉は、まるで鳥獣戯画の世界のように動物のあいだに立ち混じって息づいている気配がする。ここには主客の対立はなく、むしろ客体である動物の世界へと自ら参入せんとする意志がある。三首目や四首目に登場する鳥がいかなる〈私〉も反照しないことに注意しよう。〈私〉はいわば一幅の絵の中に溶解している。五首目「洪水の」の残酷な哄笑はいささかの悪意を含みながらも、松平が短歌の世界を作り上げるときのスタンスをよく示している。それは南画のごとくに一幅の絵の中に理想的な構図で岩や滝や家屋や人物を配し、画家自らがその絵の中に入り込んで風景の中で遊ぶという精神である。富岡鉄斎あたりの絵を思い浮かべればよい。松平のこのような傾向が画家としての資質に由来することはまちがいあるまい。

 難破すと知らせのありし海域に入れば数しれぬ林檎もみあふ

 みづうみのなみの入りくる床下に魚むれてをり漁夫ねむるころ

 水草の花挿せば沼となる甕をゆふぐれのまちがどで買はされ

 なみにぬれしスカートのすそをしぼるとき沖あひで海猫なきさわぐ

 松平のどこか幻想性の漂う物語の香りのするこれらの歌に、近代の産物である主客二元論の入り込む余地はない。読者である私たちは松平の歌を、そのなかに〈私〉を捜すことなく、一幅の絵として、あるいはひとつの短い物語として享受しなくてはならない。そうして接するとき、一首から立ち昇る詩情の香気は他に類を見ないものであり、オピウムの如く離れ難い魔力を発するのである。

 しかしながら松平の歌は、近代短歌のセオリーである主客二元論から自由であるというまさにそのことによって、近代短歌の永遠の傍流に留まるだろう。それもまたひとつのあり方である。ボッティチェリがその後の西洋絵画の流れの中では傍流に位置しながら、その儚げな美によってあれほど多くの人を惹き付けるのを見れば、そのように思えてならないのである。