179:2006年11月 第3週 吉野裕之
または、縮小する世界で我に返る歌

腐りたるトマトを捨てし昨日のこと
     ふと思い出す地下鉄に乗り
         吉野裕之『空間和音』

 昨日腐っていたトマトを捨てた。日常よくあることだ。それを今日地下鉄に乗っているときふと思い出したという歌である。「だからどうした」と思わずツッコミを入れたくならないだろうか。「冷蔵庫の上に一昨日(おととい)求めたるバナナがバナナの匂いを放つ」という歌にも同じことが言える。バナナからリンゴの匂いがしたらおかしいが、バナナからバナナの匂いがするのは当たり前だ。吉野裕之の『空間和音』にはこのような歌がたくさんある。どうしてもツッコミを入れてしまう関西人なら、ツッコミどころが多すぎて頭を掻きむしりそうだ。

 これは「ただごと歌」なのだろうか。奥村晃作の「次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」というよく知られた歌と同じように、当たり前のことを当たり前に詠んだ歌なのだろうか。どうもそうではないようだ。それは掲出歌には「ふと我に返る瞬間」が感じられるからである。「我に返る」というのは、夢想していて現実に引き戻されるとか、激しく興奮していた状態から冷静な状態に戻るというのが辞書的意味だが、ここでは「世界に触手や視線を投げかけていた状態から、触手や視線を引っ込めて、自分だけを見つめる状態に移行すること」という意味で使ってみたい。亀が首や手足を甲羅の中に引っ込める様子を思い描いていただければよい。世界に触手や視線を投げかけるのは、世界を認識したり他者と交流したりするためである。私たちは常日頃、外界や他者との交わりのなかで暮している。だから私たちの体からは触手や視線が常に外に出ているのであり、これを〈拡大された自己〉と呼んでもよい。眼が外を向いている自己である。これにたいして触手や視線を引っ込めた自己は〈縮小された自己〉であり、眼が内側を向いている自己である。掲出歌にはこの拡大から縮小へと転じる瞬間が詠まれている。この意味で掲出歌は「ただごと歌」ではないのであり、吉野の作歌の基本的スタンスにこの〈自己の転調の瞬間〉が置かれていることはまちがいない。

 吉野裕之は昭和36年(1961年)生まれで、「個性」「桜狩」に所属し加藤克巳に師事している。『空間和音』は1991年に出版された第一歌集で、作者の24歳から28歳にかけての歌が収録されている。序文のなかで加藤は、吉野のことを自由でくったくがなく健康な青年と紹介し、歌ののびやかさや自然さを称揚する一方で、「しらけの時代の、いささか無抵抗感に過ぎるところに腹を立てる人がいるかもしれない」と懸念を表明している。「しらけの時代の、いささか無抵抗感に過ぎるところ」というのは、吉野の歌をライトヴァースと見なす人がいるという判断があるからである。確かに次のような歌もあるので、加藤の懸念はもっともだといえるかもしれない。

 ほくほくはやきいも ぽくぽくは木魚 ああ、ぼくたちは啄木が好き

 他人事のような相づち打つなんてもう肉まんを分けてあげない

 一月の首都は快晴 ほろほろとみずほちゃんたらこけてしまえり

 歯磨きのチューブの残り少なくてあしたの用事ひとつ見つけた

 ちょうど宗教学者の山折哲雄の『「歌」の精神史』(中公叢書)という本を読んだところなのだが、この本のなかで著者は現代短歌のなかから「身をよじるような感情の表出」が消えてしまいカサカサに乾いていることに警鐘を鳴らしている。著者は演歌ファンで、演歌のような泣き節・嘆き節を低俗と見なすのはまちがいで、そこに歌の根源があるとしているのである。そんな山折が吉野の歌を見たら、きっとお子様向けのソーダ水のようなライトさと不満を述べるにちがいない。

 しかし上にも少し述べたように、吉野の歌はただライトであるのではなく、一見抵抗感のない若者風の語法の裏側に、近代短歌の核心となってきた〈私〉が確かに存在しているのであり、表面的な抵抗のなさにだまされてはいけないのである。いくつか歌を引いてみよう。

 理解されなかったこともパン屋にて迷えることも秋の夕暮れ

 さっきまで諍っていしテーブルにポテト・サラダはぽっこりとある

 今世紀最大のピアニスト死んでわが母は食う太きバナナを

 眠りから覚めたるわれの背後にはアジアへ向かう電話ボックス

 自らの重さを思う目覚ましの鳴る十分前にめざめたる時

 ぼくの目の高さ、コップに注ぎたる水の高さ そろり揃える

 たとえば三首目を見てみると、「今世紀最大のピアニスト」たぶんホロヴィッツの死去は新聞やTVで世界に報道される大事件であり、目の前で母親が太いバナナを食べているというのは日常の瑣事であり小事件である。このように大事件と小事件を上句と下句に取り合わせることで、否応なしにあぶり出されるのは〈縮小した私〉であり、このベクトルを逆向きにしたのが四首目だといえる。特におもしろいのは最後の歌で、目の高さとコップの水の高さを揃えるというところに、吉野の方法論がよく示されている。また一首目の「秋の夕暮れ」のように古歌でさんざん使われた語句を配する手法にも同じ効果があり、古典和歌の巨大な美の世界に〈私〉が生活する陳腐な日常を対置することで、あぶり出されるものがあるのである。

 吉野の歌にはよく固有名詞、それも有名人ではなく身の回りにいる人の名前が出てくる。

 看護婦の美奈子さんまた有線にTELしてる〈夢おんな〉お願い

 大いなる松崎さんの背後よりビルたちの群れ騒ぎはじめる

 〈柳橋〉バス停に祐子さんを見つけてちょっと足早になる

 著名人の固有名は読者の共有知識にもあるため、その知識を利用して歌の意味作用を増幅し、歌意を普遍的地平へと送り届けることができる、いわゆる歌枕はそのような作用を持つゆえに古典和歌では重用され、近代短歌では忌避されてきた。これを歌の世界の拡大と呼ぶとすると、吉野の歌における固有名はまったく逆の作用を持っている。「看護婦の美奈子さん」のようなどこにでもいそうな人の名前を使うことで、歌の世界は逆に縮小し、限りなく個別化されてゆく。これが冒頭に述べた意味において「我に返る」ことを強力に支援していることは明らかだろう。

 この歌集には上に引いたような傾向の歌だけではなく、次のような抒情に満ちた美しい歌もたくさん収録されている。

 海という少女の秘密知りたくて地階の書庫にいる夏休み

 真っ白き部屋はゆっくり夏果てぬティッシュの箱をひとつ残して

 夏の空に雲湧きいたり繋がれて馬はしずかにわれを見ており

 伸びひとつして去りゆけりレントゲン技師屋上に風を呼びつつ

 ゆく夏のひかりに腕を伸ばしつつ彫像はある草叢のなか

 しかしながらこの歌集を特徴づけるのは、「我に返る」ことを基調に置いた〈縮小する世界〉の歌であることはまちがいない。そしてこの〈縮小する世界〉の歌を読んでいると、どこか『日々の思い出』以後の小池光の短歌、たとえば「ガスボンベ横たへられて在りふれば冬草はらにわづかなる風」のような歌を思い出してしまうのである。

 荻原裕幸は『短歌ヴァーサス』第3号の特集「現代短歌のゆくえ」の加藤治郎との対談のなかで、現代の若い男性歌人の歌はモチーフ的にあまり変化がないので、どうしても「不景気」に見えてしまうと述べている。吉野の限りなく〈縮小する世界〉の歌も、もしかしたら「不景気な現実」を「不景気な手法」で詠う歌との批判を受けるかもしれないが、そのような見方はまちがっているだろう。吉野の歌は「現代においていかなる短歌が自分に可能か」という課題にたいする答であり、ひとつの優れた解答なのである。山折哲雄の「天翔けるような抒情はどこへ行ってしまったのか」という嘆きを傍らに置きつつ吉野の歌集を読むと、そこに現代短歌が置かれている状況のひとつが見えてくるのである。