リバノールにじんだガーゼのようだから
糸瓜の花をあなたの頬に
入谷いずみ『海の人形』
糸瓜の花をあなたの頬に
入谷いずみ『海の人形』
入谷はずっと「いりや」と読むのだとばかり思っていたが、奥付を見直したら「いりたに」と読み仮名が振ってあった。1967年生まれ、「かばん」会員。『海の人形』は入谷の第一歌集で、題名は吉田一穂の童話集から取ったと後書にある。栞には、入谷の大学時代の恩師である鉄野昌弘、高柳蕗子、萩原裕幸が文章を寄せている。
どこかで名前を見たような気がすると思っていたら、『短歌研究』が募集した第21回現代短歌評論賞の候補作品にノミネートされていた。「近代における『青空』の発見」という評論である。『短歌研究』2003年10月号に抜粋が掲載されている。選評で岡井隆が、候補作の評論と歌集の「かばん」風の歌とのあいだにあまりに懸隔があるので驚いた(笑)と述べている。
『海の人形』は第一歌集だけあって、作者の人生の歩みがそのまま反映された構成となっている。徳島の自然溢れる田園地帯に生まれ、大学入学とともに上京し、東京女子大学で国文学を学び、大学院を出て高校教師になる。その間に出会いがあり、失恋があり、結婚する。そのような軌跡が折々に詠んだ短歌として配列されている。読者はまるで作者入谷の人生の歩みを追体験するように読み進むことができる。
「かばん」は穂村弘・東直子・井辻朱美などが拠る同人誌で、基本的には口語短歌路線だが、実際にはいろいろな傾向の歌人が混在している。同誌では短歌作品はすべてゴチック体活字で印刷されているのだが、これはけっこう痛い(*追記参照)。穂村の『短歌という爆弾』(小学館)に至っては、短歌作品だけでなく、本文も含めて全部ゴチック体で、読んでいると目がくらくらしてくる。字体は短歌の印象を左右する。私は字体が気になる方で、ワープロ専用機からパソコンに移行したとき、いちばん嬉しかったのは様々な書体のフォントが使えることだった。中山明の短歌をいくつかホームページから取得して印刷したときには、縦書きにして正楷書体で印字した。中山の短歌には楷書体か教科書体がよく似合う。入谷の歌もゴチック体が似合う歌とは思えない。『海の人形』はもちろん明朝体で印刷してある。
入谷が「かばん」に寄せているのは次のような歌である。おおむね「かばん」風と言えるだろう。
ため息をつけば緋色の魚散る水の向こうにあなたを探す
あめ色のまねき猫なり傾いて東京の空を招いていたり
隅田川ひしひしと潮満ちてきて「昔男」が見た都鳥
夕映えのホテルの「ル」だけ灯されて遠吠えのようにやさしいサイレン
しかし『海の人形』に収録された作品はもう少し多様であり、作者の多面性を垣間見せている。歌集前半は故郷徳島で過ごした子供時代の思い出であり、純然たる口語で詠われている。
わたしたち寝てもさめてもカブトムシみたいに西瓜ばかり食べていた夏
廃校舎ひらきっぱなしの蛇口からなにも流れず夕焼けている
早稲の香は車両を満たし単線の列車が海に近づいてゆく
しかし、歌集なかほどになると突然文語旧仮名短歌に移行する。入谷は大学で古事記を研究した国文学徒であり、古語と古文の知識はもともと豊富なのだ。
すつぽんの骨をかちりと皿に吐きゑゑなまぐさき我が鬼女
黄泉比良坂(よもつひらさか)越えさりゆけばあるらむか男子(おのこご)住まぬ国の恋ほしき
エビカヅラ食めば思ほゆタカムナにまして偲はゆ返されし黄泉醜女(よもつしこめ)らその後のこと
したがって『海の人形』の大部分が口語で作られているのは、作者入谷の意図的選択である。ではなぜ一部分だけ文語で作られているのだろうか。
文語になっているのは「蛇苺」と「葦原醜女」と題された連作である。こんな歌がある。
細き鼻つぶらな瞳わが持たぬうつくしき顔描き飽かぬかな
不思議なり醜女の話美女よりもくはしく今に残せる『古事記』
夢見る頃を過ぎても自意識は解けず 空をしばつてゐるエビカヅラ
途中に挿入された散文がこの歌の背景を語っている。作者は自分の容姿に自信がないらしく、コンプレックスを抱いているのである。幼いころ鏡を見ていると、ご尊父に「女の子は鏡を見るんでのうて、本を見て、きれいになるんぞ」と言われて叱られたという。偉いご尊父である。ご自身も教師だったのだ。しかし、女の子はそれでも鏡を見ることを止めない。入谷が自分の抱えるコンプレックスを詠うときにだけ、口語を捨てて文語短歌を作っていることは、なかなかに意味深長だと思えるのである。
それは〈短歌と思いの距離〉に関係しているのではなかろうか。穂村は「八〇年代の終焉とともに若者たちは非日常的な言語にリアルな想いを載せるということが出来なくなったようだ」(『短歌ヴァーサス』2号)と指摘している。つまり、文語定型は80年代以後の若者にとって、日常的な等身大の〈思い〉を盛る器としては相応しくないものになってしまったということなのだ。〈短歌と思いの距離〉が大きすぎるのである。入谷が自分のコンプレックスを詠うときだけ文語にシフトするのは、その裏返しである。つまり〈短歌と思いの距離〉が大きいために、自分のコンプレックスを生々しくなく歌にすることができ、それによってコンプレックスを悪魔祓いしたいという密かな願望が隠されているのである。歌集の帯文には「古代と現代を往還する歌集」と書かれているが、誤解もはなはだしい。入谷は古代と現代を往還しているのではない。文語文体と口語文体を意識的に乗り換えているのである。そしてこの乗り換えは、短歌という器に盛り込む内容と自分の距離に相関しているのである。
『海の人形』所収の口語短歌は、現代の他の若い女性歌人の短歌と同じく、日常の折々にフッと皮膚感覚として捉えられたささやかな印象を歌にしたものが多い。しかし、中には異色の歌がある。
銀色のトレーに盛られみずみずと母の子宮は無花果に似る
ひらかれし母の子宮に弟と私のいた痕(あと)が残れり
傷痕がたしかに二つであることをふと確かめて後ろめたい
もうひとりいたような気がしたけれど 窓をくぐってくる草いきれ
誰でも子供時代に、自分は本当にこの家の子なのだろうかという不安を抱いたことがあるだろう。作者はたまたま、外科手術を受けた母親の摘出された子宮に自分の出自を確認し、疑ったことに後ろめたい気持ちになった。「もうひとりいたような気がしたけれど」とは、幻影の兄弟であるが、この歌にはもう少しで『顔をあげる』時代の平井弘の短歌を思わせるようなトーンがある。誰もが自分の母親の子宮を目の当たりにするわけではないので、素材の珍しさだと言われればそれまでなのだが、集中特に印象に残った歌群である。ちなみに無花果は聖書ではキリストの呪いにより不毛性のシンボルなのだが、入谷はそこまで意識していただろうか。
他に印象に残った歌をあげてみよう。
防空壕草いきれしてえごの花空より降りぬ犬と我とに
つぎつぎに白粉花の咲くように人を愛せりなつの百夜を
わが影に燕入りたり夕光(ゆうかげ)に折れ曲がるわが胸のあたりに
このカーブ曲がれば夏は終るのかGがかかっている胸のうえ
溶け出した目を押さえつつまた一人岡部眼科にくる雪だるま
三人官女のみの雛(ひいな)飾られる夕暮れだれも人形めいて
それぞれに読みどころのあるよい歌だと思う。しかし、歌集全体としては、軽く触れればほろほろと崩れるケーキのように、淡泊な印象であることは否めない。甘さを抑えた軽いシフォン・ケーキであり、みっちりと生地の詰まった味の濃い、たとえばザッハ・トルテのようではない。塚本邦雄の呪詛と諧謔、福島泰樹の慟哭と悔恨、寺山修司の演技と逃走といった、過去の歌人たちが示してきた胸ぐらを掴むような強い印象がない。下手に服用すると中毒を起こすような毒がないのである。
よく短歌は〈私(わたくし)性の文学〉であると言われることがある。もしそうならば短歌のちがいは端的にそこに盛り込む〈私〉のちがいである。塚本や福島の世代と入谷の世代の差は、塚本や福島の世代が自分の体を被っている皮膚という境界を越えて、自分を取り巻く社会あるいは国家という〈社会的関係性〉までをも詠うべき〈私〉と捉えたところにある。一方、入谷が属する若い世代にとっての〈私〉はずっと縮小していて、体を被う皮膚という境界を余り出ないのである。〈等身大の私〉とはそういうことだ。これが若い世代の感受性なのだが、果たしてそれでよいのだろうかと、ふと感じてしまうのである。
どこかで名前を見たような気がすると思っていたら、『短歌研究』が募集した第21回現代短歌評論賞の候補作品にノミネートされていた。「近代における『青空』の発見」という評論である。『短歌研究』2003年10月号に抜粋が掲載されている。選評で岡井隆が、候補作の評論と歌集の「かばん」風の歌とのあいだにあまりに懸隔があるので驚いた(笑)と述べている。
『海の人形』は第一歌集だけあって、作者の人生の歩みがそのまま反映された構成となっている。徳島の自然溢れる田園地帯に生まれ、大学入学とともに上京し、東京女子大学で国文学を学び、大学院を出て高校教師になる。その間に出会いがあり、失恋があり、結婚する。そのような軌跡が折々に詠んだ短歌として配列されている。読者はまるで作者入谷の人生の歩みを追体験するように読み進むことができる。
「かばん」は穂村弘・東直子・井辻朱美などが拠る同人誌で、基本的には口語短歌路線だが、実際にはいろいろな傾向の歌人が混在している。同誌では短歌作品はすべてゴチック体活字で印刷されているのだが、これはけっこう痛い(*追記参照)。穂村の『短歌という爆弾』(小学館)に至っては、短歌作品だけでなく、本文も含めて全部ゴチック体で、読んでいると目がくらくらしてくる。字体は短歌の印象を左右する。私は字体が気になる方で、ワープロ専用機からパソコンに移行したとき、いちばん嬉しかったのは様々な書体のフォントが使えることだった。中山明の短歌をいくつかホームページから取得して印刷したときには、縦書きにして正楷書体で印字した。中山の短歌には楷書体か教科書体がよく似合う。入谷の歌もゴチック体が似合う歌とは思えない。『海の人形』はもちろん明朝体で印刷してある。
入谷が「かばん」に寄せているのは次のような歌である。おおむね「かばん」風と言えるだろう。
ため息をつけば緋色の魚散る水の向こうにあなたを探す
あめ色のまねき猫なり傾いて東京の空を招いていたり
隅田川ひしひしと潮満ちてきて「昔男」が見た都鳥
夕映えのホテルの「ル」だけ灯されて遠吠えのようにやさしいサイレン
しかし『海の人形』に収録された作品はもう少し多様であり、作者の多面性を垣間見せている。歌集前半は故郷徳島で過ごした子供時代の思い出であり、純然たる口語で詠われている。
わたしたち寝てもさめてもカブトムシみたいに西瓜ばかり食べていた夏
廃校舎ひらきっぱなしの蛇口からなにも流れず夕焼けている
早稲の香は車両を満たし単線の列車が海に近づいてゆく
しかし、歌集なかほどになると突然文語旧仮名短歌に移行する。入谷は大学で古事記を研究した国文学徒であり、古語と古文の知識はもともと豊富なのだ。
すつぽんの骨をかちりと皿に吐きゑゑなまぐさき我が鬼女
黄泉比良坂(よもつひらさか)越えさりゆけばあるらむか男子(おのこご)住まぬ国の恋ほしき
エビカヅラ食めば思ほゆタカムナにまして偲はゆ返されし黄泉醜女(よもつしこめ)らその後のこと
したがって『海の人形』の大部分が口語で作られているのは、作者入谷の意図的選択である。ではなぜ一部分だけ文語で作られているのだろうか。
文語になっているのは「蛇苺」と「葦原醜女」と題された連作である。こんな歌がある。
細き鼻つぶらな瞳わが持たぬうつくしき顔描き飽かぬかな
不思議なり醜女の話美女よりもくはしく今に残せる『古事記』
夢見る頃を過ぎても自意識は解けず 空をしばつてゐるエビカヅラ
途中に挿入された散文がこの歌の背景を語っている。作者は自分の容姿に自信がないらしく、コンプレックスを抱いているのである。幼いころ鏡を見ていると、ご尊父に「女の子は鏡を見るんでのうて、本を見て、きれいになるんぞ」と言われて叱られたという。偉いご尊父である。ご自身も教師だったのだ。しかし、女の子はそれでも鏡を見ることを止めない。入谷が自分の抱えるコンプレックスを詠うときにだけ、口語を捨てて文語短歌を作っていることは、なかなかに意味深長だと思えるのである。
それは〈短歌と思いの距離〉に関係しているのではなかろうか。穂村は「八〇年代の終焉とともに若者たちは非日常的な言語にリアルな想いを載せるということが出来なくなったようだ」(『短歌ヴァーサス』2号)と指摘している。つまり、文語定型は80年代以後の若者にとって、日常的な等身大の〈思い〉を盛る器としては相応しくないものになってしまったということなのだ。〈短歌と思いの距離〉が大きすぎるのである。入谷が自分のコンプレックスを詠うときだけ文語にシフトするのは、その裏返しである。つまり〈短歌と思いの距離〉が大きいために、自分のコンプレックスを生々しくなく歌にすることができ、それによってコンプレックスを悪魔祓いしたいという密かな願望が隠されているのである。歌集の帯文には「古代と現代を往還する歌集」と書かれているが、誤解もはなはだしい。入谷は古代と現代を往還しているのではない。文語文体と口語文体を意識的に乗り換えているのである。そしてこの乗り換えは、短歌という器に盛り込む内容と自分の距離に相関しているのである。
『海の人形』所収の口語短歌は、現代の他の若い女性歌人の短歌と同じく、日常の折々にフッと皮膚感覚として捉えられたささやかな印象を歌にしたものが多い。しかし、中には異色の歌がある。
銀色のトレーに盛られみずみずと母の子宮は無花果に似る
ひらかれし母の子宮に弟と私のいた痕(あと)が残れり
傷痕がたしかに二つであることをふと確かめて後ろめたい
もうひとりいたような気がしたけれど 窓をくぐってくる草いきれ
誰でも子供時代に、自分は本当にこの家の子なのだろうかという不安を抱いたことがあるだろう。作者はたまたま、外科手術を受けた母親の摘出された子宮に自分の出自を確認し、疑ったことに後ろめたい気持ちになった。「もうひとりいたような気がしたけれど」とは、幻影の兄弟であるが、この歌にはもう少しで『顔をあげる』時代の平井弘の短歌を思わせるようなトーンがある。誰もが自分の母親の子宮を目の当たりにするわけではないので、素材の珍しさだと言われればそれまでなのだが、集中特に印象に残った歌群である。ちなみに無花果は聖書ではキリストの呪いにより不毛性のシンボルなのだが、入谷はそこまで意識していただろうか。
他に印象に残った歌をあげてみよう。
防空壕草いきれしてえごの花空より降りぬ犬と我とに
つぎつぎに白粉花の咲くように人を愛せりなつの百夜を
わが影に燕入りたり夕光(ゆうかげ)に折れ曲がるわが胸のあたりに
このカーブ曲がれば夏は終るのかGがかかっている胸のうえ
溶け出した目を押さえつつまた一人岡部眼科にくる雪だるま
三人官女のみの雛(ひいな)飾られる夕暮れだれも人形めいて
それぞれに読みどころのあるよい歌だと思う。しかし、歌集全体としては、軽く触れればほろほろと崩れるケーキのように、淡泊な印象であることは否めない。甘さを抑えた軽いシフォン・ケーキであり、みっちりと生地の詰まった味の濃い、たとえばザッハ・トルテのようではない。塚本邦雄の呪詛と諧謔、福島泰樹の慟哭と悔恨、寺山修司の演技と逃走といった、過去の歌人たちが示してきた胸ぐらを掴むような強い印象がない。下手に服用すると中毒を起こすような毒がないのである。
よく短歌は〈私(わたくし)性の文学〉であると言われることがある。もしそうならば短歌のちがいは端的にそこに盛り込む〈私〉のちがいである。塚本や福島の世代と入谷の世代の差は、塚本や福島の世代が自分の体を被っている皮膚という境界を越えて、自分を取り巻く社会あるいは国家という〈社会的関係性〉までをも詠うべき〈私〉と捉えたところにある。一方、入谷が属する若い世代にとっての〈私〉はずっと縮小していて、体を被う皮膚という境界を余り出ないのである。〈等身大の私〉とはそういうことだ。これが若い世代の感受性なのだが、果たしてそれでよいのだろうかと、ふと感じてしまうのである。
追記
こう書いたのが聞こえたのかどうか、「かばん」は2004年4月号からゴチック体表記をやめて、明朝体になった。