048:2004年4月 第3週 佐々木六戈
または、立ったまま逝く燃える椿の覚悟かな

一輪の直情として切花は
    立ち盡くすなり莖を焼かれて

               佐々木六戈
 本を手に取って、何の気なく読み始めたら止まらない、そんな経験は誰にでもある。しかし歌集でそのような経験は珍しい。邑書林から刊行が始まった「セレクション歌人」シリーズの『佐々木六戈集』を読み始めて、私は読み止めることができなかった。家で読み、研究会に出かける阪急電車のなかで読み、ホームのベンチで読んだ。騒音も話し声も気にならなかった。読了し、名醸ペトリュスの赤ワインの古酒を飲んだ後のようにぼうっとし、そして飲み過ぎると肝臓だけでなく脳にまでも副作用を及ぼす遅効性の毒薬を飲んだような気分になった。佐々木の歌の世界から立ち上る空前絶後の苦み、時空を越えた衒学、肺腑を剔る挽歌、ゆらめく鮮やかな色彩に、私は酔ってしまったのである。

 歌人としての佐々木は異色づくめだ。巻末の自筆略歴と藤原龍一郎の解説によれば、佐々木は1955年(昭和30年)北海道生まれ。1982年頃、詩人鷲巣繁男の歌集『蝦夷のわかれ』を読んで作歌を開始、92年俳句結社「童子」入門、現在同誌編集長とある。つまり、詩人の歌集を読んで俳句結社に入り、その編集長が2000年第46回角川短歌賞を受賞したのである。何という曲折に満ちた道程だろうか。だから佐々木は短歌結社には無所属で短歌の師もいない。にもかかわらず、佐々木は最初から完成された歌人として希有な登場をしたのである。

 佐々木は1997年 (平成9年)5月30日の深更、「紙魚の楽園」50首を一気に書き上げ角川短歌賞に応募、佳作に入選している。本人の弁によれば、「歌人佐々木六戈は一晩で誕生した」のである。それを読んだ選者の一人馬場あき子は、「この人は新人としてではなく歌人として遇しなきゃいけない」とまで述べたという。私はかねてより黒瀬珂瀾氏から、「佐々木六戈というおもしろい短歌を作る人がいますよ」とのご教示を受けていた。その佐々木の第一歌集が基本的にはアンソロジーである「セレクション歌人」シリーズの一巻というのは、これまた異色のデビューということになるだろう。

 佐々木の織り上げる短歌世界に頻繁に登場するのは、草木、特に花、そして死者である。

 昭和史を花のごとくにおもふとき衰へはいつも花の奥から

 伏してなほ流るる花の矜持とも水底を向く反面も花

 たなごころ寒の椿の火の玉をふたたびは遭はぬ餞として

 わたしではなく一木の緘黙を花にもまして歌とおもふぞ

 ここに詠われているのは静謐な花鳥風月ではない。火の玉のように燃え上がる花であり、その閉ざされた奥底に昭和史を幻視する花である。この心像の重層性と象徴性は、塚本邦雄や岡井隆らの前衛短歌が開拓した技法である。いや、技法ではなく思想である。それは〈思想の感性化〉(三枝昴之)であり、また〈人型をなして来る思想〉(馬場あき子)とも言えよう。だから佐々木の短歌には日常詠も職場詠もまったく見られない。この徹底した選択は佐々木の次のような認識に基づいている。

 「それは現代短歌の作者が作中の〈われ〉にどんなドライブをかけても、もはや〈かれ〉の読者に届くとは限らないのに似ている。歌人が思うほど、読者は作者のつまらない起居に興味など持たない。そんな時代だ。(中略)〈われ〉は遠くまで来たのだ」

 これはある意味で、かつてロラン・バルトが軽やかに言い放ったのとは異なる意味での〈作者の死〉である。集中に「私が死んでいる」という歌がよく見られるのはこのためだと思われる。

  〈私〉(わたくし)が死んでゐるから畦道を運ばれて行く小さき早桶

  私とは他人(ひと)の柩に外ならず或いはわれが死してよむうた

 ではなぜ佐々木は死者にこだわるのだろうか。

 偉大だった父たちの死よ掌(て)の上の硝子の球の中に雪降る

 樹下にして顯(た)つ死者たちの俤を冬の蕨の花に比(たと)へて

 國男忌の空は涯無し わたしにも神戸に叔母がゐる心地する

 ジャン-ポール・さるとりいばらえにしだのジャン・ジュネが同じ命日

 忘れをる人の名前は無か夢か憶ひ出せない虫明亜呂□

 しつかりと操縦桿を握り締め平家螢に跨がつて来よ

 セブンティーン愛機を降りてけふの日の澁谷の街の若きに雑じれ


 かつて平井弘は歌集『前線』のなかで、太平洋戦争に散華した若者たちを「兄たち」と呼び、「子をなさず逝きたるもののかず限りなき欠落の 花いちもんめ」と哀悼した。時は移り1955年生まれの佐々木にとって、それは「父たちの世代」である。しかし時間の経過は関係がない。佐々木は次のように述べている。

「『時』というものは過ぎ去ることがないものである。いうなれば、それは降り積もる。『今』の檻の下に」

 時は過ぎ去るものではなく降り積もるものであるということは、「現在という時点が帯びている歴史性」の認識と言い換えることができよう。佐々木の歌に夥しい過去の死者の固有名が登場するのはこのためなのである。ややもすれば佐々木はこの固有名の羅列のために、衒学・韜晦の誹りを受けることがあるようだが、それは誤った見方と言えよう。佐々木にとって死者の固有名の行列は、自らの思想の過去帳であり、現在という視座の不確定性を何とかして確かめるためのランドマークなのだ。

 同じく固有名だらけの短歌を作る藤原龍一郎が解説を書いているのは偶然というには出来すぎの感もあるが、佐々木と藤原とでは短歌の中の固有名が持つ意味合いが微妙に異なることに注意すべきだろう。藤原において固有名は、マッチポンプのようにせわしない抒情を作り出す手段であり、マスコミ業界の最前線にいる作者が詠う現代を醸し出すのに必須の構成素である。それはメトロポリスの高層ビルの壁面をスクリーンとして映し出されるホログラムとしての現代の抒情である。だから藤原の視点はあくまで現代を詠うことにある。ところが佐々木にあっては、現在はそれほどまでの重要性を持たない。現在とは過去の時間が降り積もった結果であり、現在の根方を掘るとそこには土のなかから過去が顔を出すからである。上にあげた「セブンティーン」の歌は、かつて太平洋戦争末期に特攻基地があった知覧を訪れて作られたもので、「愛機を降りるセブンティーン」とは特攻に散華した少年兵である。少年兵が渋谷センター街の色とりどりのファッションに身を飾った少女たちに入り交じるという幻視が示すように、佐々木の視座においては過去と現在が交錯するのであり、言ってみれば過去と現在とは等価交換の関係にある。「過去はお前の隣に座っている」と耳元で囁かれているようだ。そこに藤原とはまた異なる鋭い批評性があることは言うまでもない。

 佐々木の短歌において特筆すべきは、練達の奇術師を思わせる自在な言葉の駆使である。その指からは水晶玉演技のように次々と言葉が繰り出される。圧巻は「アードルフ・アイヒマンの為の頭韻」と題された連作で、短歌の五句すべてが「あ」から始まる五十音の頭韻を踏むというアクロバットを実現している。

 あ行から「あ」
  あのときはあらんかぎりの愛をもてあんなことをあくせくとアイヒマン

 か行から「く」
  口惜しく蛇(くちなは)喰らふ暗闇の草迷ふ屈葬の硝子の夜(クリスタル・ナイト)

 さ行から「そ」
  その髭をゾーリンゲンで剃りながら総統をこそそれと信じた

 歌集の帯の背には誰が書いたか「大人の気迫が醸す風韻」の文字が見える。私には「風韻」というより「覚悟」という文字が見えた。添えられた歌人の写真を見ると、髪をダックテールに纏めた風貌はまるで古武士を思わせる。短歌に漂う裂帛の気合いは、おそらく俳句の修練によって会得されたものだろう。同じ邑書林から「セレクション俳人」シリーズで『佐々木六戈集』が刊行されている。藤原も解説に書いているように、「セレクション歌人」を読んだら「セレクション俳人」の方も読まずにはいられない。

 最後に私がいちばん気に入った歌をあげよう。佐々木の覚悟をよく示す花の歌であり、読者諸賢はその毒がゆっくりと脳血管に回るのを味わわれるがよい。

 完璧の珠玉ぞ燃ゆる椿ゆゑ立つたまま逝け水のおもてを