049:2004年4月 第4週 佐藤りえ
または、壊れ物としての世界に生まれた午後4時の世代

わたしたちはなんて遠くへきたのだろう
        四季の水辺に素足を浸し

           佐藤りえ『フラジャイル』
 佐藤りえは1973年生まれ、短歌人同人。『フラジャイル』(風媒社)は2003年暮れに刊行された第一歌集である。1987年の『サラダ記念日』以後、短歌を作る女性が急激に増加したが、プロフィールによると佐藤は10代の頃から短歌・俳句・詩を書き始めたとある。『サラダ記念日』が出版されたとき佐藤は14歳だったわけだから、影響を受けなかったはずはない。しかし、俵の口語定型短歌とはまた異なる独自の世界を作り上げることに成功した歌人である。『フラジャイル』はとてもよい歌集である。

 批評には対象に即した言葉があるはずだ。どんな対象でも自由自在に料理することができる批評の言葉というものはない。もしそのように振る舞う言葉があるとすれば、それは批評の皮を被った教条主義でありドグマチズムである。批評の言葉というものは、ある基準を外から作品に当てはめて批判し評定するものではなく、鍾乳洞を懐中電灯ひとつで探検する洞窟学者のように、まず作品世界のなかに手探りで分け入るものでなくてはならない。

 佐藤りえの『フラジャイル』を一読して私が感じたのは、新しい感性と表現が作品として結実したとき、既存の批評の言葉は古くなった通貨のように無力であり、新しい批評の言葉の出現を待たなくてはならないということである。私は佐藤の短歌を強い共感を持って読んだが、その共感の質を表現するのに適切な言葉を捜しあぐねている。

 永田和宏は『表現の吃水』(而立書房)所収の「『問』と『答』の合わせ鏡 I」(初出『短歌』昭和52年10月号)のなかで、後によく知られることになる次のような短歌の性格づけを述べた。問題にされているのは、短歌のなかで詠まれた対象とそれを詠む主体との「関係性の定理にあたるもの」である。言い換えれば、主体と対象がどのような関係に立てば、短歌として成立すると言えるのかだ。題材にされているのは「退くことももはやならざる風の中鳥ながされて森越えゆけり」という志垣澄幸の歌である。

「『退くことももはやならざる』という上句は、その時点で作者を表現行為へと促した自己認識、つまり問題意識である。それを内部状態と言ってもよいが、広い意味でここでは『問』と言い換えて差しつかえなかろう。即ち作者は『退くことも…』という『問』をもって、その『問』を支える対象を外界に求めたのであり、下句は言わば上句に対する『答』であるとも言い得る」
 つまり、一首のなかに「問」と「答」が併存しているということである。例歌では上句が問、下句が答だが、その順番は逆でもよい。作者は短歌のなかで、自分で問いかけ自分で答えるというふたつの役目を果たすことになる。永田が注意を喚起するのは、問に対してあまりに安直な答を与える危険性である。同じく志垣澄幸から「硝子越しに五月の海を磨きつつ遠くなりたる青春おもふ」という歌を引き、上句による対象の問にあまりにつじつまの合いすぎた答を与えたため凡歌になったと断じている。永田は続けて次のように言う。

「一首における『問』と『答』のこのような合わせ鏡構造こそ、この詩型発生以来の基本的構造なのであり、『問』の拡散性をいかに『答』の求心力によって支え得るか、『答』の凝集性をいかに『問』の遠心性によって膨らませ得るか、という点にこの定型詩の生命があると言い得よう」
 私たちがよく知っている短歌らしい短歌には、確かにこのような合わせ鏡の構造が見てとれることが多い。

 殷殷と鬱金桜は咲きしづみ今生の歌は一首にて足る 塚本邦雄

 生きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子

 塚本の歌では、「殷殷と鬱金桜は咲きしづみ」が外界の対象の提起する問であり、「今生の歌は一首にて足る」はそれに触発された主体の側からの答である。答を「ブーメランのように」(永田和宏)できる限り遠くへと飛ばし遠心性を付与することで、歌が安易に着地することなく、読者の心に飛び込むものとなる。山中の歌では、「ここ鳥髪に雪降る」が対象の投げかける問であり、残りが主体の提示する答という構造と言ってよいかと思う。

 確かにこのような構造を持つ歌は、短歌としての姿がびしっと決まっており、また問に対して答を提示しているから、読者の心に不全感を引き起こすことが少ない。背筋のピンと伸びた日舞のお師匠さんの舞いを見ているようだ。

 しかしながら、永田がもはや四半世紀前に提唱した「主体と対象の関係性の定理」を、「決まり過ぎている」と感じる歌の作り手が増えてきたのではないだろうか。その証拠に河野裕子は、「完結性のある格調高い歌が気恥ずかしくなってきた」(『体あたり現代短歌』)と述懐している。また村上きわみは、私がご本人からいただいた電子メールのなかで、「大きな物語を腐葉土のように踏みしめて立つ歌に惹かれながらも、一方ではそれをどこか疑わしく思っている」と、自分が抱くアンビバレントな感覚を表現し、「自分のなかで80年代から90年代にかけて大きな物語が失効したように感じている」と続けている。これはなかなか考えさせられる言葉である。確かにもし「大きな物語」が失効したのなら、永田が提唱した「問と答の合わせ鏡」を基本構造とする「決まり過ぎた」定型詩としての短歌という性格付けもまた、ハイパーインフレ経済下の紙幣のようにその効力を失う可能性があるからである。

 長々と上のようなことを書き付けてきたのは、佐藤りえの作る短歌のなかにもまた、この点をめぐるブレあるいは逡巡が見られるからだ。

 廃屋のアップライトを叩く雨すべてはほろぶのぞみのままに

 夜の卓をなにかの虫がいっしんに渡るわれなどあらざるごとく

 青空のどこか壊れているらしく今日三度目の虹をくぐれり

 永田の図式を適用するならば、「廃屋のアップライトを叩く雨」は外界の対象が提示する問で、「すべてはほろぶのぞみのままに」はその問を基点として主体が引き出した答である。一首の詩としての成立は、ひとえにこの問と答の取り結ぶ緊張関係に存する。「夜の卓をなにかの虫がいっしんに渡る」と「われなどあらざるごとく」の間にも同じ関係がある。「今日三度目の虹をくぐれり」は事実の提示で、「青空のどこか壊れているらしく」はそれを踏まえた主体の答である。このような歌群は永田の図式にすんなり収まる。オジサンにもわかりやすく共感しやすい歌である。佐藤は現代の歌人の例に漏れず、文語・口語混在文体の作家だが、「永田の定理」の成立する短歌は文語で作られていることにも注意しておくべきだろう。佐藤は意識的に文体と方法論を選択的に用いているのである。

 しかし、次のような完全口語歌はどうだろうか。

 北東にほろびを知らせる星が降るなんて予報じゃ言ってなかった

 こなごなになってしまったいいことも嫌な思いも綺麗な粒ね

 一人でも生きられるけどトーストにおそろしいほど塗るマーガリン

 春の河なまあたたかき光満ち占いなんて当たらないよね

 傷つけることを言いたいセロファンをくっつけたままねぶるキャンディ

これらの歌に「問と答の合わせ鏡」を見いだすことは難しい。例えば4首目の、「春の河なまあたたかき光満ち」(ここだけ文語でブレがある)を外界の対象の提示する問だと一応仮定しても、そこから「占いなんて当たらないよね」という答がどのようにして導かれるのかわからない。また問と答の間にどのような緊張関係があるのか答えることは難しいだろう。

 新しい感性と表現が作品化されたとき、既存の批評の言葉が効力を失うと感じるのはこのような時である。ここには永田が提唱した「問と答の合わせ鏡」の緊張関係はないとかんたんに考える方がよい。もしも永田の図式がほんとうに定型短歌発生以来の「定理」だとすると、佐藤のような歌人はそのような定理から自由な地平で歌を作ることを選択したのである。

 では佐藤の作る上のような歌で読者に求められていることは何か。それは短歌に込められた感情に対する理屈抜きの「全的共感」ではないだろうか。「一人でも生きられるけどトーストにおそろしいほど塗るマーガリン」を例に取ると、「一人でも生きられるけど」はおそらく失恋を意味する。だが失恋するとなぜトーストに恐ろしいほどのマーガリンを塗るのか、関連づけの手掛かりとなるものは一切提示されていない。それでも「ああ、そうそう、そういうことってあるよね」と共感する読者がいれば、この歌は向こう岸に何かを伝えることに成功したと言える、そのようなスタンスがこのような歌の前提にあるのではないだろうか。

 やや大上段に振りかぶって論じれば、「大きな物語」が失効した現代にあって、私たちに残されているのは「小さな日常」である。しかし小さな日常は、限りなく細分化し断片化し個化する。だから共有化することが難しい資源なのだ。そのような状況にあって、歌で掬い取ることができるものが呼び起こす共感もまた、自分を中心する狭い範囲を出ることがない。「問と答」の緊張関係を推力として、答を「ブーメランのように」遠くに飛ばすことを頭から方法として否定している。そのように思えるのである。

 佐藤の歌集を批評しようとして、方法論についての議論に終始してしまった。歌に詠われた内容・感覚に目を転じると、私が特に目についたのは「キラキラ感」である。佐藤の歌には光に関係するものがよく出て来る。

 ピンボール月の光をはじきつつ出口はないけれど待っている

 キラキラに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる

 偽物の光であれば包まれるアミューズメントパーク、夕凪

 できたての舗装の上にきらきらと弔いの硝子屑は光れり

 暗闇に天つ光が動いたらそこは世界の夜の海辺よ

 これらの歌に充満する「出口なし」感覚、郊外ベッドタウン美しが丘、アミューズメントパークを彩る偽物の光、舗装したての道路に散乱する弔いの予兆の光は、キラキラ感の背後に横たわる闇をいやおうなく思わせ、佐藤の世代が抱え込んだ絶望の深さを思ってしまう。「絶望」というのは言葉としてちょっと重すぎるのだが、他にどう言えばいいのかわからない。岡崎京子の『リバーズ・エッジ』で河原の死体を眺める吉川こずえさんや、『pink』の自宅でワニを買うOLユミちゃんと、どこかで共通する「気分」と言ったほうがよいだろうか。

 社会学者・小倉千加子が少し前の朝日新聞の記事に書いていた言葉が忘れられない。小倉がインタヴューした女子高校生は、「あたしたち、ずっと午後4時の気分なんですよう」と言ったというのである。佐藤はもちろんもう女子高校生ではないが、この「午後4時の気分」は、バブル経済が崩壊し、大きな物語が失効した佐藤の世代にも共有されているのではないだろうか。『フラジャイル』は「壊れもの」という意味であり、郵便小包の表に押すスタンプだが、「壊れもの」なのは生身の人間であると同時に、私たちが暮している「世界」でもあるのだ。

佐藤りえのホームページ