撃ち堕とすべきもろもろを見据ゑつつ
今朝くれなゐの橋をわたらな
高島裕『旧制度(アンシャン・レジーム)』
今朝くれなゐの橋をわたらな
高島裕『旧制度(アンシャン・レジーム)』
高島は1967年生まれで、「未来」に所属して岡井隆に師事している。富山から京都に出て、立命館大学で哲学を学ぶ。東京に住んでからは職を転々として短歌を書き続けているらしい。『旧制度(アンシャン・レジーム)』は第一歌集。既に第二歌集『嬬問ひ』、第三歌集『雨を聴く』を上梓している。
この歌集に収録されている連作「首都赤変」は、1998年の短歌研究新人賞選考会で候補となったのだが、その時推したのは塚本邦雄で、後に藤原龍一郎が時評で好意的に取り上げたという。岡井隆、塚本邦雄、藤原龍一郎と名前を並べてみれば、どのような歌風の歌人か伺い知れるというものである。ここに福島泰樹の名前を加えてもよい。高島はその期待を裏切らない、現代には珍しい「思想歌人」なのである。
話題になった「首都赤変」から引いてみよう。
蔑 (なみ)されて来し神神を迎えへむとわれは火を撃つくれなゐの火を
空ふいに赤変したり神神はなほ黙しつつ中天に佇ち
銃声の繁くなりゆくパルコ前間諜ひとり撃たれて死にき
森の上 (へ)にふと先帝の顕ち給ふ苦悶のごとく微笑のごとく
飢ゑはつのり指揮はみだれつつコミューンは己が内よりくづれ初めにき
断片的な言葉を拾ってつなげて見れば、どうやら近未来の首都東京に勃発するアナキストの武装蜂起からその崩壊までを描いたものらしいと読みとれる。しかし、「先帝」が森の上に現われたり、神が登場したり、その提示するイメージは重層的で単純ではない。首都が炎に包まれて破壊される様子は、どことなく『新世紀エヴァンゲリオン』や大友克洋の『AKIRA』を思わせるところもある。
巻末に置かれた岡井隆の解説には、高島は「暗い眸をして、わたしの前にあらはれた」とある。暗い目をしているのは、身内に出口のない情念を秘めているからである。その情念は高島の歩んで来た思想的来歴と無縁ではなかろう。次のような歌がある。
代々木駅過ぎて一瞬くれなゐの旗なびく見ゆ涙ぐましも
つづまりはわが望みたる冬なれば気高く靡け不可能の旗
かくして、高島は自らの思想の果てに、蜂起と破壊を待望し幻視する。集中に頻出する単語は、「地震」と「火の雨」である。若者は災厄による破壊を熱望するのである。
いなむしろ獅子のごとくに少女らが踏み住く首都に地震(なゐ)、地震を待て
斃 (たふ)れてなほ機銃掃射は君に降る臓腑を穿つ雨よ火の雨
熱く激しく思想を詠う短歌は、60年安保闘争と70年代の大学紛争を契機として多く作られた。岸上大作、岡井隆、福島泰樹、三枝昴之、道浦母都子ら思想を詠った歌人は、政治的闘争の渦中に身を置いていた。そこには確かに短歌の「同時代性」があった。これに対して1967年生まれの高島は、〈はるかに遅れて来た思想歌人〉である。だから高島は蜂起と体制転覆をヴァーチャルに幻視することしかできない。高島の短歌が、革命を夢見る青年の熱い血潮をまっすぐに詠うものではなく、終末感の漂う苦く屈折したものになるのはこのためである。また『新世紀エヴァンゲリオン』や『Akira』の世界とどことなく似ているのも、高島の描く世界が現実の体験から構成されたものではく、あくまで想像力が生みだしたヴァーチャルなものであるためなのだろう。
高島の短歌に日常性は希薄であり、自らの思想と情念を詠うことが主眼なのだから、写実的要素は少ない。とはいえ短歌は〈私性の文学〉である以上、自己が投影されないということはない。
屈まりてガム剥がしゐるときのまをやさしき脚のあまた行き交ふ
洗剤といへどブルーの清しきををりをりは見つ棚を仰ぎて
夏刈りし坊主頭の伸びゆくは刑期満ちゆくごとし、触(さや) りて
母上は萎みたまひぬ厨着の白おほらかに遠き日はあり
最初の三首は清掃作業員として労働している日々を詠ったものであり、最後の一首は故郷に帰った時の歌である。いずれも姿の美しく破調の少ない歌となっている。高島の短歌は、モチーフの特異性に比較して、短歌技法としては文語定型で古典的といってもよい作りである。
巻末の解説で岡井隆は高島に直接語りかけるように、三つの注文をつけている。そのうちのひとつ、「思想は、必ずしも、思想用語や散文的なメッセージによつて言ひ表はされはしない」という苦言は、岡井の口から出たものだけに重いものがあると言えよう。三枝昴之『うたの水脈』によれば、岡井が短歌においてめざしたのは、「高次の認識次元から、逆過程をたどって感性的な認識次元に下降し、感性言語を一つ高い次元から新しい秩序にまで再組織することによる、感性的な表現方法」だからである。難解な表現になっているが、誤解を恐れずに解説すれば、「思想を思想の生硬な言葉で詠うのではなく、感性の言葉に置き換えて詠うのが短歌としての行き方だ」ということだろう。このような方法論から産み出されるのは短歌史に名高い岡井の次のような歌である。
海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ 『朝狩』
岡井のこのような方法を三枝は「思想の感性化」と呼び、これによって「一国の政治に関する大テーマも、眼前のありふれた一本の樹のたたずまいも、台所に沸き上がる牛乳の表情も、すべて地続きの修辞学」にすることが可能になり、第二芸術論も戦後も踏み越えて現代短歌になったと断じている。岡井が高島に注文をつけたのは、高島の歌の多くがまだ〈思想の歌〉の次元にとどまっており、十分に短歌的感性の地平に降りていないことを指摘したのだろう。私は、高島の第二歌集『嬬問ひ』、第三歌集『雨を聴く』はまだ未読なのだが、高島は岡井のこの助言を自らの作歌に取り入れ、さらなる成長を見せたのだろうか。
最後に高島にとって短歌とは何かを垣間見せてくれる歌をあげよう。
どこまでも追ひかけてくるヨノナカに擲つ桃の甘き炸裂
古来、桃には呪力があるとされ、記紀にはイザナギノミコトが黄泉の国から逃げ帰ったときに、追ってきた黄泉軍に桃の実を投げつけて撃退したというエピソードがある。高島にとって短歌とは、ヨノナカに向かって投げつける呪術性を帯びた手榴弾なのであり、高島はそれがいつか炸裂することを夢想するのである。ここでは桃に高い象徴性が付与されている。桃の連想が働いて、加藤治郎の秀歌を思い出した。
フロアまで桃のかおりが浸しゆく世界は小さな病室だろう
世界についてこのように語り得る文学形式は、短歌を措いては他にはあるまい。それは思想を語りつつも、第一義的には読む人の感性に訴えかけるからである。高島が投げた桃の実が、多くの人の心のなかで炸裂することを願うとしよう。
この歌集に収録されている連作「首都赤変」は、1998年の短歌研究新人賞選考会で候補となったのだが、その時推したのは塚本邦雄で、後に藤原龍一郎が時評で好意的に取り上げたという。岡井隆、塚本邦雄、藤原龍一郎と名前を並べてみれば、どのような歌風の歌人か伺い知れるというものである。ここに福島泰樹の名前を加えてもよい。高島はその期待を裏切らない、現代には珍しい「思想歌人」なのである。
話題になった「首都赤変」から引いてみよう。
蔑 (なみ)されて来し神神を迎えへむとわれは火を撃つくれなゐの火を
空ふいに赤変したり神神はなほ黙しつつ中天に佇ち
銃声の繁くなりゆくパルコ前間諜ひとり撃たれて死にき
森の上 (へ)にふと先帝の顕ち給ふ苦悶のごとく微笑のごとく
飢ゑはつのり指揮はみだれつつコミューンは己が内よりくづれ初めにき
断片的な言葉を拾ってつなげて見れば、どうやら近未来の首都東京に勃発するアナキストの武装蜂起からその崩壊までを描いたものらしいと読みとれる。しかし、「先帝」が森の上に現われたり、神が登場したり、その提示するイメージは重層的で単純ではない。首都が炎に包まれて破壊される様子は、どことなく『新世紀エヴァンゲリオン』や大友克洋の『AKIRA』を思わせるところもある。
巻末に置かれた岡井隆の解説には、高島は「暗い眸をして、わたしの前にあらはれた」とある。暗い目をしているのは、身内に出口のない情念を秘めているからである。その情念は高島の歩んで来た思想的来歴と無縁ではなかろう。次のような歌がある。
代々木駅過ぎて一瞬くれなゐの旗なびく見ゆ涙ぐましも
つづまりはわが望みたる冬なれば気高く靡け不可能の旗
かくして、高島は自らの思想の果てに、蜂起と破壊を待望し幻視する。集中に頻出する単語は、「地震」と「火の雨」である。若者は災厄による破壊を熱望するのである。
いなむしろ獅子のごとくに少女らが踏み住く首都に地震(なゐ)、地震を待て
斃 (たふ)れてなほ機銃掃射は君に降る臓腑を穿つ雨よ火の雨
熱く激しく思想を詠う短歌は、60年安保闘争と70年代の大学紛争を契機として多く作られた。岸上大作、岡井隆、福島泰樹、三枝昴之、道浦母都子ら思想を詠った歌人は、政治的闘争の渦中に身を置いていた。そこには確かに短歌の「同時代性」があった。これに対して1967年生まれの高島は、〈はるかに遅れて来た思想歌人〉である。だから高島は蜂起と体制転覆をヴァーチャルに幻視することしかできない。高島の短歌が、革命を夢見る青年の熱い血潮をまっすぐに詠うものではなく、終末感の漂う苦く屈折したものになるのはこのためである。また『新世紀エヴァンゲリオン』や『Akira』の世界とどことなく似ているのも、高島の描く世界が現実の体験から構成されたものではく、あくまで想像力が生みだしたヴァーチャルなものであるためなのだろう。
高島の短歌に日常性は希薄であり、自らの思想と情念を詠うことが主眼なのだから、写実的要素は少ない。とはいえ短歌は〈私性の文学〉である以上、自己が投影されないということはない。
屈まりてガム剥がしゐるときのまをやさしき脚のあまた行き交ふ
洗剤といへどブルーの清しきををりをりは見つ棚を仰ぎて
夏刈りし坊主頭の伸びゆくは刑期満ちゆくごとし、触(さや) りて
母上は萎みたまひぬ厨着の白おほらかに遠き日はあり
最初の三首は清掃作業員として労働している日々を詠ったものであり、最後の一首は故郷に帰った時の歌である。いずれも姿の美しく破調の少ない歌となっている。高島の短歌は、モチーフの特異性に比較して、短歌技法としては文語定型で古典的といってもよい作りである。
巻末の解説で岡井隆は高島に直接語りかけるように、三つの注文をつけている。そのうちのひとつ、「思想は、必ずしも、思想用語や散文的なメッセージによつて言ひ表はされはしない」という苦言は、岡井の口から出たものだけに重いものがあると言えよう。三枝昴之『うたの水脈』によれば、岡井が短歌においてめざしたのは、「高次の認識次元から、逆過程をたどって感性的な認識次元に下降し、感性言語を一つ高い次元から新しい秩序にまで再組織することによる、感性的な表現方法」だからである。難解な表現になっているが、誤解を恐れずに解説すれば、「思想を思想の生硬な言葉で詠うのではなく、感性の言葉に置き換えて詠うのが短歌としての行き方だ」ということだろう。このような方法論から産み出されるのは短歌史に名高い岡井の次のような歌である。
海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ 『朝狩』
岡井のこのような方法を三枝は「思想の感性化」と呼び、これによって「一国の政治に関する大テーマも、眼前のありふれた一本の樹のたたずまいも、台所に沸き上がる牛乳の表情も、すべて地続きの修辞学」にすることが可能になり、第二芸術論も戦後も踏み越えて現代短歌になったと断じている。岡井が高島に注文をつけたのは、高島の歌の多くがまだ〈思想の歌〉の次元にとどまっており、十分に短歌的感性の地平に降りていないことを指摘したのだろう。私は、高島の第二歌集『嬬問ひ』、第三歌集『雨を聴く』はまだ未読なのだが、高島は岡井のこの助言を自らの作歌に取り入れ、さらなる成長を見せたのだろうか。
最後に高島にとって短歌とは何かを垣間見せてくれる歌をあげよう。
どこまでも追ひかけてくるヨノナカに擲つ桃の甘き炸裂
古来、桃には呪力があるとされ、記紀にはイザナギノミコトが黄泉の国から逃げ帰ったときに、追ってきた黄泉軍に桃の実を投げつけて撃退したというエピソードがある。高島にとって短歌とは、ヨノナカに向かって投げつける呪術性を帯びた手榴弾なのであり、高島はそれがいつか炸裂することを夢想するのである。ここでは桃に高い象徴性が付与されている。桃の連想が働いて、加藤治郎の秀歌を思い出した。
フロアまで桃のかおりが浸しゆく世界は小さな病室だろう
世界についてこのように語り得る文学形式は、短歌を措いては他にはあるまい。それは思想を語りつつも、第一義的には読む人の感性に訴えかけるからである。高島が投げた桃の実が、多くの人の心のなかで炸裂することを願うとしよう。
追記
高島は現在は「未来」を脱会して、故郷に戻り個人誌を拠点に活動しているということだ。