ペリカンの死を見届ける予感して
水禽園にひとり来ていつ
生沼義朗『水は襤褸に』(ながらみ書房)
水禽園にひとり来ていつ
生沼義朗『水は襤褸に』(ながらみ書房)
なぜ私はペリカンの死を見届ける予感がするのだろうか。それはわからない。またなぜペリカンなのかも不明だが、ペリカンが大型の鳥だということはこの歌には重要なポイントで、これがもっと小型の鳥だったら歌の意味は変わるだろう。鳥が大型だということはより悲劇性を増すからである。一人で人気のない水禽園に来て、ぼんやりとペリカンの死を待っているという場面には、漠然とした終末感と状況にたいする無力感が漂っていて、このトーンは生沼の歌集を貫く階調のひとつとなっている。
生沼は1975年生まれで短歌人同人。「ラエティティア」にも参加しており、『水は襤褸に』は第一歌集である。20歳から26歳までのあいだに作った短歌が逆年順に収録されている。20歳というと1995年だから、世はバブル経済が崩壊して「失われた10年」と呼ばれることになる期間が始まって間もなくということになる。地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災の年として記憶されており、その年を代表する漢字は「壊」だったはずだ。生沼が短歌を作り始めたのがこんな時代だったということは記憶しておいてよい。
『短歌ヴァーサス』に穂村弘が連載している「80年代の歌」は、短歌の世代論の試みなのだが、穂村はその中で80年代がいかに過剰の時代であったかをつぶさに論じている。
空からはゆめがしぶいてくるでせう手にはきいろの傘のしんじつ
山崎郁子『麒麟の休日』
わたくしが生まれてきたるもろもろの世のありやうもゆるしてあげる
これらの歌にみられる「甘美でキッチュな傲慢さ」(穂村)は、80年代特有のものだ。今の若者が作った歌ならば、「世のありやうもゆるしてあげる」などと書くことができるだろうか。「空から夢がしぶいてくる」などと素朴に信じることができるだろうか。穂村は干場しおりの『そんな感じ』(1989)のあとがきも引用している。
「銀の鎖をたぐるようにして、ブラインドを開く。窓鏡に映った自分から素早く目をそらせば、東京湾はまだ朝もやの中。
〈まぶしい〉
静まりかえったオフィスで、微かなつぶやきがきらきらと結晶になって響き渡っていった」
ベイエリアと呼ばれて開発されていく東京湾岸を見下ろすオフィスは、一時期TVで流行ったトレンディー・ドラマのようだ。 若い人のために注釈しておくと、トレンディー・ドラマとは、おしゃれなオフィスを舞台に、登場人物が仕事そっちのけで恋愛ゲームに興じるという、バブル期を代表するドラマのことであり、石田純一あたりがよく出演していた。干場しおりの文章に充満する「キラキラ感」は、今振り返るとまぶしいほどである。思い出せば、80年代には渋谷のパルコと公園通りが話題になり、「消費の劇場性」が脚光を浴びた。時代のキーワードは糸井重里の「おいしい生活」という西武のコピーで、石岡瑛子は女性ボディービルダーのリサ・ライオンを起用した広告で注目されていた。強い女が強調され、女性用スーツに肩パッドが入っていた時代である。みんな肩で風を切っていた。私は当時大阪の電通に依頼されて、消費の記号学なんぞというやくざな講演をしていた。こんななかで俵万智の『サラダ記念日』は1987年に出版され、ライト・ヴァース論争が巻き起こったのである。
ながながと回顧にふけったのは、生沼の短歌がバブル崩壊とともに始まった失われた10年世代の刻印をまともに受けているからにほかならない。生沼の歌集に溢れているのはまず、掲載歌にも色濃く滲み出ている終末感である。
盛塩が地震(ない)に崩れる。神々ももはや時間を使い果たした
日の丸は廃止にします。代案は落暉のなかにのたうつ蛇(くちなわ)
ほろびゆく世界のために降りしきれ 墓地いっぱいのあんずのはなびら
神々は時間を使い果たしたという感覚は終末感そのものであろう。生沼の目に日本という国は、落日のなかにのたうつ蛇として形象される。またほろびゆくこの世界は一面の墓地の様相を呈している。わかりやすいといえばそうなのだが、このような強い終末感は生沼の世代から顕著になり、現在20歳前後のエヴァンゲリオン世代までずっと継承されているのである。
このような終末感と並んで、生沼の歌集に滲み出ているのは、東京というメガロポリスに暮す都市生活者の倦怠である。
錆ついた銅貨のごとく太陽は曇天の空に吊り下がりおり
都市に生(あ)れ都市に死すこと嫌になり枯れてしまった鉄線花あり
弁当の烏賊食むほどに無力感増してゆきたり詰所まひるま
東京をTOKIOと表記するときに残像のみの東京がある
ここにはかつてトレンディー・ドラマに描かれたキラキラする都市、劇場として消費を刺激してやまない東京の姿は微塵も感じられないのである。
生沼の短歌にはまた、「何かが汚れてゆく」という感覚を詠ったものも多い。
少しずつ垢じみてゆく青春の象徴としてジェノサイド・コミケ
ナウシカがかつて纏いし衣服さえ思想のなかにはつかよごれて
指先に染みたる檸檬の香を嗅ぎて感傷ももはや思わざりしかど
コミケとは、コミック・マーケットの略で、やおいマンガ同人誌を販売したり、愛好者がコスプレしたりするオタク文化の文化祭のような祭典である。ナウシカはもちろん宮崎駿のアニメ『風の谷のナウシカ』で、檸檬はやはり梶井基次郎だろう。生沼はその世代の青年らしく、アニメに代表されるサブカルチャーも、梶井基次郎のようなかつてのハイカルチャーも、同じ地平で短歌に詠う。村上隆の提唱する「スーパーフラット」はもうすでに目の前に実現しているのだ。村上らの仮説は、「おたく世代以降は世界の認識のしかたがちがう」「世界はおたく世代以降にとって、全共闘世代とは違ったふうに見える」というものである(永江朗『平らな時代』原書房)。ナウシカの思想もいつかは汚れ、レモンに仮託された青年の熱情も遠くなったというのは、生沼の年齢にしては老人じみているが、生沼の世代に蓄積された疲労感はそれほど深いということなのだろう。
この歌集にはもうひとつ目立つトーンがある。都市生活者の神経症的現実と、それが高じて精神を病むことへの怖れである。
金属音重くしずかに響くとき内在律は狂いはじめて
過ぐる日々に神経叢は磨り減ってまぶたの裏に白き靄立つ
躁鬱の境目に居る 脳幹に白黴びっしり貼り付くごとし
地中へと埋めてやれば何か出てくるかも知れぬ千のハルシオン
ハルシオンとは睡眠導入剤の商品名である。蛇足ながら、前まえからハルシオンという薬の名前は美しいと思っていた。ここまで書いて来て、これは何かに似ていると思い始めたが、藤原龍一郎の短歌の描く世界と似たところがあるのだ。藤原の短歌も徹頭徹尾都市生活者の歌である。また、藤原の短歌の世界には、リドリー・スコット監督の映画『ブレード・ランナー』の描く近未来のようにいつも雨が降っているのだが、生沼の短歌にも雨と水がよく詠われているのはおもしろい共通点だ。
初夏の東京の空切り裂かれ襤褸となって水は落ちくる
砂と血と汗に汚れたアポリアを洗い流せる水はあらぬか
あまりにもあからさまゆえ怖れたり雨に濡れたる路上の石榴
雨というアイテムばかりに頼りいる自分を捨てよと声が聞こえる
ヒートアイランド化したメトロポリスに暮して、汚れを洗い流してくれる雨と水を待望する。余りにわかりやすい謎解きのような気もするが、まあそういうことなのだろう。「路上の石榴」は現代版の檸檬に他ならない。フランス語では石榴と手榴弾は同じ単語である。疲労感に苛まれる現代の青年にも、手榴弾の爆発を夢見ることがあるということだ。ただし、梶井の描いた青年のように爆発を夢想して丸善の店先にそっとレモンを置くのではなく、路上に不意打ちのようにころがっている石榴を怖れるというところに時代の差が感じられる。
ただし生沼の短歌が全部、上に解析したような座標に回収されるというわけではない。こんな現実を抱えつつも、生沼が短歌に託しているものは抜き差しならぬものに思える。次のような歌に注目しよう。
泡立ちし緑茶のごときせつなさは晩夏の午後に不意に兆せり
浅きから深きへ睡りがうつるとき夜の汀のにおいが籠る
晩秋のみどりの部屋に天球儀を回しているは女男(めお)にあらぬ手
人の死が人語の死へとなるときに礼服のごとく飛ぶ揚羽蝶
生沼の短歌の言葉遣いは時に生硬で、「あまりにもあからさま」なことがあるが、上にあげた歌などは、「あからさま」の地平を脱して普遍的な象徴の領域へと昇華されているように思う。よい歌である。ただし、それがいかなる方法論によっているのか、たぶん生沼自身もまだ気づいていないのではなかろうか。栞に文章を寄せた小池光は、「生沼義朗はとりわけ平たさにあらがって相当もがいている、という印象を持ってきた」と述べている。スーパーフラットと化したこの世界のなかで、いかにして短歌の言葉を突出させるか。これはなかなかむずかしい課題である。生沼がこの第一歌集でその答に到達したとは思えないが、答を模索して呻吟しているのだろう。栞文で花山多佳子も小池光も、異口同音に「出発の歌集」と評しているのは、そのあたりに理由があると思えるのである。
生沼義朗のホームページ
生沼は1975年生まれで短歌人同人。「ラエティティア」にも参加しており、『水は襤褸に』は第一歌集である。20歳から26歳までのあいだに作った短歌が逆年順に収録されている。20歳というと1995年だから、世はバブル経済が崩壊して「失われた10年」と呼ばれることになる期間が始まって間もなくということになる。地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災の年として記憶されており、その年を代表する漢字は「壊」だったはずだ。生沼が短歌を作り始めたのがこんな時代だったということは記憶しておいてよい。
『短歌ヴァーサス』に穂村弘が連載している「80年代の歌」は、短歌の世代論の試みなのだが、穂村はその中で80年代がいかに過剰の時代であったかをつぶさに論じている。
空からはゆめがしぶいてくるでせう手にはきいろの傘のしんじつ
山崎郁子『麒麟の休日』
わたくしが生まれてきたるもろもろの世のありやうもゆるしてあげる
これらの歌にみられる「甘美でキッチュな傲慢さ」(穂村)は、80年代特有のものだ。今の若者が作った歌ならば、「世のありやうもゆるしてあげる」などと書くことができるだろうか。「空から夢がしぶいてくる」などと素朴に信じることができるだろうか。穂村は干場しおりの『そんな感じ』(1989)のあとがきも引用している。
「銀の鎖をたぐるようにして、ブラインドを開く。窓鏡に映った自分から素早く目をそらせば、東京湾はまだ朝もやの中。
〈まぶしい〉
静まりかえったオフィスで、微かなつぶやきがきらきらと結晶になって響き渡っていった」
ベイエリアと呼ばれて開発されていく東京湾岸を見下ろすオフィスは、一時期TVで流行ったトレンディー・ドラマのようだ。 若い人のために注釈しておくと、トレンディー・ドラマとは、おしゃれなオフィスを舞台に、登場人物が仕事そっちのけで恋愛ゲームに興じるという、バブル期を代表するドラマのことであり、石田純一あたりがよく出演していた。干場しおりの文章に充満する「キラキラ感」は、今振り返るとまぶしいほどである。思い出せば、80年代には渋谷のパルコと公園通りが話題になり、「消費の劇場性」が脚光を浴びた。時代のキーワードは糸井重里の「おいしい生活」という西武のコピーで、石岡瑛子は女性ボディービルダーのリサ・ライオンを起用した広告で注目されていた。強い女が強調され、女性用スーツに肩パッドが入っていた時代である。みんな肩で風を切っていた。私は当時大阪の電通に依頼されて、消費の記号学なんぞというやくざな講演をしていた。こんななかで俵万智の『サラダ記念日』は1987年に出版され、ライト・ヴァース論争が巻き起こったのである。
ながながと回顧にふけったのは、生沼の短歌がバブル崩壊とともに始まった失われた10年世代の刻印をまともに受けているからにほかならない。生沼の歌集に溢れているのはまず、掲載歌にも色濃く滲み出ている終末感である。
盛塩が地震(ない)に崩れる。神々ももはや時間を使い果たした
日の丸は廃止にします。代案は落暉のなかにのたうつ蛇(くちなわ)
ほろびゆく世界のために降りしきれ 墓地いっぱいのあんずのはなびら
神々は時間を使い果たしたという感覚は終末感そのものであろう。生沼の目に日本という国は、落日のなかにのたうつ蛇として形象される。またほろびゆくこの世界は一面の墓地の様相を呈している。わかりやすいといえばそうなのだが、このような強い終末感は生沼の世代から顕著になり、現在20歳前後のエヴァンゲリオン世代までずっと継承されているのである。
このような終末感と並んで、生沼の歌集に滲み出ているのは、東京というメガロポリスに暮す都市生活者の倦怠である。
錆ついた銅貨のごとく太陽は曇天の空に吊り下がりおり
都市に生(あ)れ都市に死すこと嫌になり枯れてしまった鉄線花あり
弁当の烏賊食むほどに無力感増してゆきたり詰所まひるま
東京をTOKIOと表記するときに残像のみの東京がある
ここにはかつてトレンディー・ドラマに描かれたキラキラする都市、劇場として消費を刺激してやまない東京の姿は微塵も感じられないのである。
生沼の短歌にはまた、「何かが汚れてゆく」という感覚を詠ったものも多い。
少しずつ垢じみてゆく青春の象徴としてジェノサイド・コミケ
ナウシカがかつて纏いし衣服さえ思想のなかにはつかよごれて
指先に染みたる檸檬の香を嗅ぎて感傷ももはや思わざりしかど
コミケとは、コミック・マーケットの略で、やおいマンガ同人誌を販売したり、愛好者がコスプレしたりするオタク文化の文化祭のような祭典である。ナウシカはもちろん宮崎駿のアニメ『風の谷のナウシカ』で、檸檬はやはり梶井基次郎だろう。生沼はその世代の青年らしく、アニメに代表されるサブカルチャーも、梶井基次郎のようなかつてのハイカルチャーも、同じ地平で短歌に詠う。村上隆の提唱する「スーパーフラット」はもうすでに目の前に実現しているのだ。村上らの仮説は、「おたく世代以降は世界の認識のしかたがちがう」「世界はおたく世代以降にとって、全共闘世代とは違ったふうに見える」というものである(永江朗『平らな時代』原書房)。ナウシカの思想もいつかは汚れ、レモンに仮託された青年の熱情も遠くなったというのは、生沼の年齢にしては老人じみているが、生沼の世代に蓄積された疲労感はそれほど深いということなのだろう。
この歌集にはもうひとつ目立つトーンがある。都市生活者の神経症的現実と、それが高じて精神を病むことへの怖れである。
金属音重くしずかに響くとき内在律は狂いはじめて
過ぐる日々に神経叢は磨り減ってまぶたの裏に白き靄立つ
躁鬱の境目に居る 脳幹に白黴びっしり貼り付くごとし
地中へと埋めてやれば何か出てくるかも知れぬ千のハルシオン
ハルシオンとは睡眠導入剤の商品名である。蛇足ながら、前まえからハルシオンという薬の名前は美しいと思っていた。ここまで書いて来て、これは何かに似ていると思い始めたが、藤原龍一郎の短歌の描く世界と似たところがあるのだ。藤原の短歌も徹頭徹尾都市生活者の歌である。また、藤原の短歌の世界には、リドリー・スコット監督の映画『ブレード・ランナー』の描く近未来のようにいつも雨が降っているのだが、生沼の短歌にも雨と水がよく詠われているのはおもしろい共通点だ。
初夏の東京の空切り裂かれ襤褸となって水は落ちくる
砂と血と汗に汚れたアポリアを洗い流せる水はあらぬか
あまりにもあからさまゆえ怖れたり雨に濡れたる路上の石榴
雨というアイテムばかりに頼りいる自分を捨てよと声が聞こえる
ヒートアイランド化したメトロポリスに暮して、汚れを洗い流してくれる雨と水を待望する。余りにわかりやすい謎解きのような気もするが、まあそういうことなのだろう。「路上の石榴」は現代版の檸檬に他ならない。フランス語では石榴と手榴弾は同じ単語である。疲労感に苛まれる現代の青年にも、手榴弾の爆発を夢見ることがあるということだ。ただし、梶井の描いた青年のように爆発を夢想して丸善の店先にそっとレモンを置くのではなく、路上に不意打ちのようにころがっている石榴を怖れるというところに時代の差が感じられる。
ただし生沼の短歌が全部、上に解析したような座標に回収されるというわけではない。こんな現実を抱えつつも、生沼が短歌に託しているものは抜き差しならぬものに思える。次のような歌に注目しよう。
泡立ちし緑茶のごときせつなさは晩夏の午後に不意に兆せり
浅きから深きへ睡りがうつるとき夜の汀のにおいが籠る
晩秋のみどりの部屋に天球儀を回しているは女男(めお)にあらぬ手
人の死が人語の死へとなるときに礼服のごとく飛ぶ揚羽蝶
生沼の短歌の言葉遣いは時に生硬で、「あまりにもあからさま」なことがあるが、上にあげた歌などは、「あからさま」の地平を脱して普遍的な象徴の領域へと昇華されているように思う。よい歌である。ただし、それがいかなる方法論によっているのか、たぶん生沼自身もまだ気づいていないのではなかろうか。栞に文章を寄せた小池光は、「生沼義朗はとりわけ平たさにあらがって相当もがいている、という印象を持ってきた」と述べている。スーパーフラットと化したこの世界のなかで、いかにして短歌の言葉を突出させるか。これはなかなかむずかしい課題である。生沼がこの第一歌集でその答に到達したとは思えないが、答を模索して呻吟しているのだろう。栞文で花山多佳子も小池光も、異口同音に「出発の歌集」と評しているのは、そのあたりに理由があると思えるのである。
生沼義朗のホームページ