第102回 生沼義朗『関係について』

リリシズムの行方いつつ烏賊墨に汚れし口を拭う数秒
                生沼義朗『関係について』
 リリシズム(lyricism)は「抒情」の意で、もともとは古代ギリシアでリラという撥弦楽器の奏でる音に合わせて歌う歌に関係する。抒情は短歌の核であり、その行方に思いを馳せているということは、短歌の未来を案じているのである。その思惟は時空間を超え、卑小な〈私〉という殻を超える。ところが下句では一転して、イカ墨パスタを食べて汚れた口を拭うという日常卑近な光景が展開し、その持続時間もほんの数秒にすぎない。上句と下句のあいだに〈公〉と〈私〉、〈離脱〉と〈回帰〉、〈永遠〉と〈一瞬〉の明確な対比がある。短歌巧者の生沼の面目躍如というところだ。しかしそれと同時に、上句と下句の「合わせ鏡」が発条のごときその反発力によって、一首を別の次元へと放り出す力が見られないことにも気づく。抒情が抛物線を描かないという意味で、現代の苦みの滲む歌の造りだとも言えるのである。
 『関係について』(2012年6月30日刊)は、第一歌集『水は襤褸に』(2002年9月13日刊)以来10年振りの生沼の第二歌集である。『水は襤褸に』については本コラムの前身「今週の短歌」を見ていただきたい。人の立ち位置は今いる場所だけからは見えなくとも、前はどこにいたかを視野に入れると見えてくることがある。その差分が立ち位置の変化を表すからである。さて10年は生沼にどのような変化をもたらしたのだろうか。
 まず気づくのは微妙な文体の変容である。文語体を基本にときどき口語が混じるのは変わらないが、『水は襤褸に』には次のような歌が散見された。
大空にゴブラン織を敷きつめよ 魔女の死臭の漂うそれを
ほろびゆく世界のために降りしきれ 墓地いっぱいのあんずのはなびら
 これはこれで美しい歌だが、大きく振りかぶった語法と語彙の選択で、いかにも想像のみで作った歌という感じがする。『関係について』ではこのような歌は影を潜め、ベースラインをなすのは次のような手触りの歌である。
人のせぬ仕事ばかりをせる日をばサルベージとぞ名づけてこなす
中二階のバレエスタジオ見て過ぐるレッスンをするその足のみを
採血をされたる腕を押さえつつ歩む姿はロボットめきぬ
 テンションの上がらない仕事の日常、街角の一角を切り取った描写、健康診断の自虐的自画像を描くこれらの歌からは、とても大きく振りかぶる姿は見えず、地を這うような目線と姿勢の低さが感じられる。
 『水は襤褸に』の栞文のなかで花山多佳子は、ちょうどバブル経済崩壊の時期に成人を迎えた生沼たちの世代論に触れ、この世代の短歌には80年代のようなレトリックやイメージの多様さはみられず、「夢から醒めたのちの澱のように『われ』が残されている」と書いた。私もこの歌集について書いたコラムの中で、生沼の短歌に漂う漠然とした終末感、都市生活者の神経症的倦怠と疲労、日常のなかで汚れてゆくという感覚を指摘した。これらの感覚は青春と背中合わせである。その基調は変わらないのだが、『関係について』で目につくのは、日常の肥大と、地を這うような日常詠からときおり立ち上るユーモアである。
日常が肥大化している。食卓にトマトソースを吸い過ぎのパスタが
年上の恋人のごとき香を立てて無塩バターは室温に溶ける
さまざまな匂い混じりては消えてゆく半年をこの部屋に身を置く
生ごみの臭気を孕み漂いて来たる風にも生活たつきを慣らす
おおむねは以下同文で済まし得る時間の束を重畳という
 一首目はずばりそのもので、肥大化した日常がソースを吸い過ぎて膨れたパスタに喩えられている。この歌集を貫く気分をよく表していよう。残りの歌も歌意は明確で解説は不要と思うが、姿勢を低くして日常を詠うということは、喩を忌避するということにも通じる。事実、上に引いた歌では二首目の「年上の恋人のごとき香」という直喩を除いて、喩に基づくレトリックが使われていない。80年代のニューウェーブ短歌が駆使した修辞はどこに行ったのかと思うほどである。第一歌集刊行時の27歳からの10年間は、生沼にとって日常の肥大化を実感する10年だったようだ。日常の肥大化とは〈私〉が日常に絡め取られてゆく過程に他ならない。それはまた中年の入り口でもある。
 現実を余りに写実的に描いた絵画がときに幻想的雰囲気を纏うことがあるように、これでもかと日常を描くとそこにユーモアが感じられることがある。作者が意図してかどうかはわからないが、次のような歌にはそこはかとないユーモアが漂う。これは『水は襤褸に』には見られなかったことである。
たわむれに飛びたしと思う衝動のおおむねそういうときは曇天
日常は単純なれど難渋で、またも昼食のメニューに悩む
東北線ひたすら下る車窓には〈これでいいのか北上尾〉とある
シーチキンをホワイトソースに入れたれば素性分からぬ食感となる
水平に荷物運ばむとするときにどうして足は差し足となる
 短歌人会の先輩にあたる小池光にもすっとぼけたようなユーモアのある歌があるが、このラインは生沼の方向性のひとつになるかもしれない。もうひとつおもしろいと感じたのは、次のように日常ふと何かに思いを馳せるという歌である。
古びたる布の文様いっせいに乱れはじめるヒトラー/エヴァ忌
草原を飛んでいく声 唐突に思うことありハイジの老後
うちつけに火の匂いする午後ありて薬子の変に連想は飛ぶ
入善とわがつぶやけば硝子戸を開けるはやさに鳥影は過ぐ
 入善は富山県にある日本海に面した町。なぜか生沼は入善に憧れているらしい。このような歌では珍しくベタベタの日常ではなく、往年のTVアニメや平安時代の政変や遠い町に想像を飛ばすことで、フラット化した世界にふと生じた裂け目のようなものを捉えている点が評価できる。
 一読して特に印象に残ったのは次の歌である。
樫のボウルにシーザース・サラダ ほろびたるもの美しく卓上にあり
啓蟄の日の潦 ひかりいるなかには他界の水も混じらむ
トマトの皮を湯剥きしながらチチカカ湖まで行きたしと思うゆうぐれ
透明なひかり満ちいる天空に鳥語圏とはどのあたりまで
五、六本ペットボトルを捨つるため纏めればなかにかろきひかりが
あるいはそれは骨を握れることならむ手を繋ぎつつまだ歩いてる
アメリカの処女地すなわちヴァージニアの地図切り裂けばオリーブこぼれる
 特に三首目のチチカカ湖の歌は、都市に暮らす現代人の焦燥とない交ぜの希求をよく表現していてなかなかの名歌だと思う。定型の韻律をずらしているのも意識的だろう。しかしなかには「永遠に来ぬ革命に焦がれつつわが口ずさむフランス国家」のようなベタな歌もあり、歌の出来は様々である。
 生沼は加藤治郎らから見て干支一回りちょっと下の世代に当たる。ニューウェーブ短歌はその全盛がちょうどバブル経済の時期に重なったことも手伝って、短歌の修辞と表現の拡大においてさまざまなことを試行した。結果的に成長した下の世代が今から見れば「やりたい放題」と見えることだろう。生沼ら次の世代は祝祭が終わった後に登場したので、主題という面でも修辞という面でも確たる方向性を見定めにくいという点で、なかなか辛い立場に置かれた世代である。『関係について』はその辛さがよく現れた賀集だと言えるかもしれない。

第3回 [sai] 歌合始末記

 すべては一通のメールから始まった。
 2005年の暮れも押し詰まった11月のことである。同人誌[sai]で歌合を企画しているので、判者になってくれないかという依頼が黒瀬珂瀾氏から舞い込んだ。[sai]は黒瀬珂瀾氏をはじめとして、石川美南、今橋愛、生沼義朗、島なおみ、高島裕、正岡豊、玲はる名、鈴木暁世らを立ち上げメンバーとして発足した短歌同人誌で、2005年の9月に第1号が出ている。この歌合は第2号に向けての企画なのだという。
 いきなりの依頼に驚いた。「歌合の経験がないのはもちろんのこと、ルールも知らないので、とても判者が務まるとは思えない」ととっさの返事をしたのだが、黒瀬氏からは「参加するメンバーもルールを知らないのは同様で、真剣な遊びと考えてもらえばよい」との答えが返って来た。逡巡の末に受諾したのは、おもしろそうだという単純な好奇心もさることながら、それまで姿を見たことのない歌人という人種に会えるという魅力に抵抗できなかったからである。
 私は2003年から自分のホームページで「今週の短歌」と題して素人短歌批評(のようなもの)を毎週書いていた。しかし純粋読者を目指す私の短歌との付き合いは本を通してのものに限られており、生身の歌人に会ったことは一度もなかったのだ。私にとって歌人とは、言葉の魔術を巧みに操る超人のように思えるので、歌人とじかに会うのは恐ろしいが、会ってみたいという誘惑も抗しがたかったのである。
 そうこうするうち12月11日(日)の歌合当日を迎えることとなった。待ち合わせ場所は京都駅の七条側改札口である。黒子役で黒瀬珂瀾夫人の鈴木暁世さんが目印に[sai]を一冊手に持って待っているという。ホームページに実物そっくりの似顔絵を掲載しているので、先方が私を見つけるのはかんたんだ。少し早めに待ち合わせ場所に到着してあたりを観察するが、私は歌人たちの顔を知らないのできょろきょろするばかりだ。ふと見ると改札口を出た所に、並々ならぬ存在感を発散させている男性がいるなと思っていたら、参加メンバーの一人、北の歌人・高島裕氏であった。やがて参加者が続々と到着し、とりあえず昼食をとることになる。あいにく日曜の時分時で飲食店はどこも混雑している。京都駅を出て向かいにある京都タワービル地階の食堂に入る。こんなとき自然とリーダーとなってみんなを引率するのは黒瀬珂瀾氏で、そのカリスマ性はすごいなと横から観察する。昼食が終わったところで、歌人たちはふたつのチームに分かれて作戦会議に入る。私は判者なので会議には加わらず、手持ちぶさたで所在がない。作戦会議が終了し、地下鉄に乗って会場へ移動する。会場は四条烏丸を少し北上した所にあるウィングス京都である。楽屋裏のような場所を通って予約した会議室にたどり着き、いよいよ歌合わせの幕が切って落とされた。
 今回の歌合のルールはこうである。方人(かたうど)は東方が生沼義朗、高島裕、光森裕樹、玲はる名、西方が石川美南、今橋愛、黒瀬珂瀾、土岐友浩、司会は鈴木暁世、判者は不肖私。東方には「ゆりかもめ」、西方には「チーム赤猫」というニックネームがつく。参加者にはあらかじめお題が出ており、「パパイヤ」「たんす」「半島」「姉」の4つを詠み込んだ歌を準備している。方人は一首ずつを出して一騎打ちの対戦をする。残りのメンバーは念人(おもいびと)となって、自軍の歌を弁護し敵軍の歌を攻撃する。ひとしきりの議論の後で、判者の私が判辞(裁定理由)とともに勝ち負けを宣告するという手順で、小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)のルールにほぼ則っている。『短歌パラダイス』では高橋睦郎が判者として見事な裁定を下しているが、もとより私にはそんな能力も権威もないので、心臓に汗をかく思いである。
 最初のお題は「パパイヤ」で、対戦者は「ゆりかもめ」から光森裕樹、「チーム赤猫」から石川美南。
 光森裕樹は「京大短歌会」OBで、現在は東京でIT関係の仕事をしており所属結社なし。2005年に「水と付箋紙」50首で角川短歌賞の次席に選ばれている。何首か引いてみよう。
 しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年
 てのひらは繋がるかたちと知るゆふべ新京極に影をうしなふ
 はさまれし付箋にはつかふくらみて歌集は歌人の死をもて終はる
 80年代後半からの修辞全盛を通過した目で見れば、古典的とも言える端正な作りで、手堅い骨格のなかに清新な抒情を漂わせる作風である。しかし欲を言えば、歌の中にひっかかりが少なく、すらすらと結句まで読めてしまう。そんなところが、選考委員の河野裕子の「感じのいい歌ですが、迫力がないのね」という発言に繋がるのだろう。日本語にもっと負荷をかけて、言葉を撓ませることもときには必要ではなかろうか。
 かたや「チーム赤猫」の石川美南は『砂の降る教室』(2003年)でデビューした若手の注目株である。最近東京で「さまよえる歌人の会」なる組織を結成したらしい。水原紫苑に「口語とも文語とも判別がつかない文体」と評された石川の歌も引用しておこう。
 窓がみなこんなに暗くなつたのにエミールはまだ庭にゐるのよ
 いづれ来る悲しみのため胸のまへに暗き画板を抱へてゐたり
 カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋
 さて、お題「パパイヤ」の出詠歌である。
  タイ内陸部、チェンマイ
 パパイヤを提げて見てをり瞑想のまへに僧侶がはづす眼鏡を  光森裕樹

 うるはしきルーティンワーク犇めけるパパイヤのたね身に飼ひながら  石川美南
 光森の歌はタイ旅行に取材したもので、一見すると単なる叙景歌に見える。歌合参加者がこの歌についてどのような発言をしたかは[sai]第2号の記録に譲るとして、私には高島裕の示した解釈が印象深かった。眼鏡は近視の人がこの世の事物を見るために必要なものであり、この世を暫時離脱する瞑想に入る僧侶には必要のないものである。眼鏡を外す行為は、見える世界から見えない世界への移行の喩であり、この歌にはそのような仏教的世界観が表現されているというのである。高島が自軍の念人であることを差し引いても優れた読みと言えよう。
 一方の石川の歌は働く日常がテーマである。この歌のポイントは「犇めける」という表現で密集する種の様子を描写した点と、パパイヤの種を外在的事物として詠むのではなく、体内の感覚の喩として提示した点にある。その感覚はルーティンワークに象徴される卑小な日常性に対する焦燥だろう。
 題詠では「パバイヤ」という題が十分生かされているか、「パパイヤ」でなくても成立する歌ではないかといった点が、歌の優劣を判定するポイントとして重視される。光森の歌をめぐっても、ひとしきりそのような議論が続いた。私は議論に参加する立場にないので黙って聞いていたが、後日思いついたのは、パパイヤの形状と、黄色い果肉の中に黒い種がぎっしり詰まっている内部構造が重要ではないかということだ。パパイヤの外見はやや括れた卵形をしているが、卵はしばしば宇宙や再生のシンボルとされる。また内部に詰まった種はビッグバンのごとき爆発的な生産力を暗示する。するとパパイヤ自体を転成を繰り返す宇宙の暗喩とみなせるのではないか。ならば僧侶が眼鏡を外す行為が象徴するこの世からの離脱と、パパイヤが体現する宇宙的次元はよくマッチするのである。
 判定は東方の光森を勝ちとした。僧侶が眼鏡を外すという何気ない情景に精神性を詠み込んだ光森の手腕と、倒置法による手堅い措辞を多としたのである。石川の歌もおもしろいが、二句切れなのか三句切れなのか判然とせず、上句の調子があまりよくない。これで東方「ゆりかもめ」チームが一勝となる。
 次のお題は「たんす」。方人は東方が生沼義朗、西方が今橋愛である。生沼は短歌人会所属。『水は襤褸に』(2002年)で日本歌人クラブ新人賞を受賞して注目を浴びた歌人であり、荒廃を抱え込む現代都市東京を背景とする神経症的な抒情に持ち味がある。
 ペリカンの死を見届ける予感して水禽園にひとり来ていつ
 塩辛き血の腸詰を喰いながらわがむらぎものさゆらぎはじむ
 嚥下するピリン錠剤 精神の斜面(なだり)にしろき花咲かすため
短歌人会には現代では珍しく「男歌」の系譜が脈打っているように感じるが、生沼も確実にその衣鉢を継ぐ一人だろう。
 一方の今橋は『O脚の膝』(2003年)で北溟短歌賞を受賞した若手で、『短歌研究』800号記念臨時増刊の「うたう作品賞」には赤本舞の名前で投稿していた。多行書きで場所を取るので『O脚の膝』から1首だけ引用する。
 「水菜買いにきた」
 三時間高速をとばしてこのへやに
 みずな
 かいに。
 独特な言葉の浮遊感と、現代詩と淡く接続した詩想は、明治以来の近代短歌の作歌原理と完全に切れている印象が強い。その個性はとうてい他人が真似できるものではなく、ヘタに短歌のお勉強などしないよう切に願いたくなる作風である。
 さて、生沼と今橋のタンスの歌に移ろう。
 人生の荷物を背負うこと思い、タンスかつげばタンスは重い  生沼義朗

 うかがって うすくわらっておりました
 たんす ながもち どの子がほしい?  今橋 愛
 生沼の歌は今回のお題と波長が合わなかったのか、いつもの調子が出ないようで、敵軍からは人生の荷物をたんすで象徴するのは陳腐だとか、「思い」「重い」の脚韻もうさんくさいだとかさんざん攻撃されていた。ちょっと反論しにくいのが気の毒である。自軍の東方の念人もほめあぐねている感があった。また「本当にたんすをかつげるのか」という話題にも花が咲いたが、その昔、TBSの「ベストテン」で演歌歌手の大川栄策がかついでいるのを見たことがあるのでその点は心配ない。
 今橋のたんすの歌は、上句の主語が意図的に消去され、下句にわらべ歌を引用して、人気のない大きな日本家屋で座敷童が白昼に戯れているような不思議な印象を生み出している。初句「うかがって」が「伺って」なのか「窺って」なのかひとしきり議論があったが、これは「窺って」だろう。
 題詠で重要なのは、題の持つ意味場の潜在力をいかに引き出すかという点と、日常的文脈に回収されていない意味や結合をいかに発見できるかという点である。今回の対決では、生沼の歌の「人生の荷物」と「たんす」の取り合わせはいささか平凡に堕した感が否めない。今橋の歌は、日常的什器であるたんすから滲み出る不気味さの感覚をよく捉えている。実力派の生沼には気の毒な結果となったが、判定は西方の今橋の勝ちとした。ここでコーヒーが運ばれてきて、いったん休憩となる。
 次のお題は「半島」。なかなか手強いお題だが、今回の歌合わせ白眉の勝負となった。お題から放散される意味場の強度が歌人の創作意欲を刺激したと見える。東方は玲はる名、西方は黒瀬珂瀾である。
 東方の玲はる名は「短歌21世紀」所属。歌集に『たった今覚えたものを』(2001年)があり、印刷媒体よりもインターネット上で活躍している歌人である。今回の歌合でもずっと膝の上にノートパソコンを置いて何か打ち込んでいた。何首か引いておく。
 便器から赤ペン拾う。たった今覚えたものを手に記すため
 冬の間は忘れ去られる冷蔵庫の製氷皿のごときかわれは
 体には傷の残らぬ恋終わるノンシュガーレスガム噛みながら
 かたや黒瀬珂瀾は『黒耀宮』(2002年、ながらみ書房出版賞)の耽美的世界で注目された歌人で、「中部短歌」を経て現在は「未来」所属。批評会やシンポジウムなどの常連と言ってよいほど短歌シーンで活躍している。短歌の未来を担う逸材であることはまちがいない。得度したとも聞いているので、私が万一のときには一面識もない坊さんより、黒瀬氏に経をあげてもらいたいものだ。
 咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり 『黒耀宮』
 世界かく美しくある朝焼けを恐れつつわが百合をなげうつ
 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく
 さて両者の「半島」の出詠歌である。
 半島に夕暮れどきを 半熟の卵で汚れたスカートに銃を  玲はる名

 ひとづまのごと国を恋ふ少年にしなやかに勃つ半島のあれ  黒瀬珂瀾
   ふたりが詠んだ歌は期せずして強いエロスの磁場を発散するものとなった。玲の歌は「夕暮れどきを」と「スカートに銃を」と、二重の希求体を並置して高いテンションを付与し、「スカート」の女性性に「銃」という男性性を対置することで、歌の内部に緊張感を演出している。また「夕暮れ時」を権力の凋落、「半熟の卵で汚れた」を抑圧・陵辱、「銃」を闘争の喩と読むならば、政治的な解釈も可能な歌である。歌合では実際にそのような解釈を示す人もいた。二句切れの不安定さもここでは歌にこめられた切迫した希求感を強める効果がある。
 一方黒瀬の歌は、「人妻」と「少年」の対置が醸し出す「禁忌」と「隔たり」を、「少年」と「国」の関係へ投影し、「勃つ」と「半島」の連接が性的暗喩を生む構造になっている。直喩と暗喩を駆使した技巧的な歌であり、黒瀬の得意とする同性愛的世界である。
 「半島」というお題が二人の歌でこれほどの物語性を押し上げるのには驚く。海に向かって突き出しているという形状もさることながら、半島がしばしば政治的軋轢や戦闘の舞台となったという歴史的経緯も、この語に強い意味的磁場を付与しているのだろう。  さて判定である。事前になるべく「持ち」(引き分け)は出さないようにと言われていたのだが、こういう秀歌が出そろうと判者の心は千々に乱れる。考えた末、この対決ばかりは甲乙付けがたく、よって持ちとすることとした。
 歌合もいよいよ大詰めを迎え、最後のお題は「姉」である。東方「ゆりかもめ」チームからは高島裕、西方「チーム赤猫」からは土岐友浩。労働で鍛えた頑丈そうな高島の体格と、神経質そうな痩せた土岐の体格が対照的な対戦である。別に体格で勝負するわけではないけれど。
 高島は「首都赤変」で1998年の短歌研究新人賞候補に選ばれて注目された歌人で、「未来」に所属していたが現在は無所属。歌集に『旧制度(アンシャン・レジーム)』、『嬬問ひ』、『雨を聴く』、『薄明薄暮集』がある。最近は故郷の富山の風土に沈潜するような歌を作っているらしい。北国の人らしく寡黙だが、歌の解釈を述べるときの冷静にして的確な意見は印象に残った。
 蔑 (なみ) されて来し神神を迎えへむとわれは火を撃つくれなゐの火を
                『旧制度(アンシャン・レジーム)』
 森の上 (へ) にふと先帝の顕ち給ふ苦悶のごとく微笑のごとく
 雪の野に横たふわれの掌のなかで灯る青あり青はいもうと 『嬬問ひ』
 一方の土岐友浩は京大短歌会所属の現役大学生。2005年の第3回歌葉新人賞では「Cellphone Constellations」で、2006年の第4回歌葉新人賞では「Freedom Form」で最終候補作品に選ばれている。最近、Web歌集「Blueberry Field」を上梓したので、何首か引用しておこう。
 首もとのうすいボタンをはずしたらゆびさきにのりうつったひかり
 ウエハースいちまい挟み東京の雑誌をよむおとうとのこいびと
 こいびとの黄色い傘をもったままイルミネーションへ移る心は
 土岐の世代にとってはニューウェーブ短歌はすでに歴史であり、その資産は組み込み済みのものとして作歌を始めるのだろう。
 ふたりの「姉」の出詠歌は対照的な歌となった。
 姉歯、とふ罪人の名を愛でながら夕餉の魚を咀嚼してをり  高島 裕

 かろうじてきれいな川をふたりして見る 姉にしてお茶をくむひと  土岐友浩
 高島の歌には今となってはいささか解説が必要である。歌合の少し前、姉歯一級建築士による建築強度偽装問題が発覚して大騒ぎになったので、これは時事的な歌なのである。お題の「姉」が姉歯という固有名として詠み込まれている。題詠ではお題をストレートに詠み込まず、少しずらして詠むというやり方もあって、これもアリなのだ。描かれているのは男の孤独な夕食の場面で、「罪人の名を愛でながら」にどこか屈折した心理が読み取れる。また「咀嚼してをり」には、世の出来事に対して距離を置いた即物的な反応が暗示されている。全体として静かな中に鬱屈した心情を体臭のように発散させるよい歌だと思う。また「姉歯」の「歯」と「咀嚼」とが遠く呼応しているという指摘もあった。
 土岐の姉の歌は解釈をめぐっていろいろな議論があった。なかなか読みにくい歌である。「ふたりして見る」とあるので、女性と「私」が川を見ているのだろう。「お茶をくむひと」は死語となった感のある「お茶汲みOL」か。「姉にして」も本当の姉か、姉のような人か解釈が分かれる。私など最初は、川を見下ろす旅館の二階で女性がお茶を淹れている場面を想像してしまったが、みんなの読みはそうではないらしい。テーマは年上の女性に対する淡い恋情と、まもなく関係が壊れるという予感あたりだろうと推測される。
 歌合では一首ずつで勝負を決めるので、一首の屹立性が弱くまた結像力に欠ける口語短歌は不利である。「決まった」という感じが薄いからだ。口語短歌における連作の重要性とも関係する問題だろう。
 判定は高島の勝ちとした。土岐の若さも高島の作歌経験のぶ厚さを突破するには少し勢いが不足したようだ。
 都合四番の勝負の結果、東方「ゆりかもめ」チームが2勝1引き分け、西方「チーム赤猫」が1勝1引き分けで、東方の勝ちである。「ゆりかもめ」チームは快哉を叫び、[sai]歌合はお開きとなった。
 開始が予定時間より遅れたので、会場を出ると京都の町はもう暮れ方である。これから喫茶店に行くという歌人たちと別れて、疲労困憊した私は一人家路についたのであった。

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054:2004年6月 第1週 生沼義朗
または、失われた10年を生きる都市生活者に短歌的突出は可能か

ペリカンの死を見届ける予感して
      水禽園にひとり来ていつ

         生沼義朗『水は襤褸に』(ながらみ書房)
 なぜ私はペリカンの死を見届ける予感がするのだろうか。それはわからない。またなぜペリカンなのかも不明だが、ペリカンが大型の鳥だということはこの歌には重要なポイントで、これがもっと小型の鳥だったら歌の意味は変わるだろう。鳥が大型だということはより悲劇性を増すからである。一人で人気のない水禽園に来て、ぼんやりとペリカンの死を待っているという場面には、漠然とした終末感と状況にたいする無力感が漂っていて、このトーンは生沼の歌集を貫く階調のひとつとなっている。

 生沼は1975年生まれで短歌人同人。「ラエティティア」にも参加しており、『水は襤褸に』は第一歌集である。20歳から26歳までのあいだに作った短歌が逆年順に収録されている。20歳というと1995年だから、世はバブル経済が崩壊して「失われた10年」と呼ばれることになる期間が始まって間もなくということになる。地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災の年として記憶されており、その年を代表する漢字は「壊」だったはずだ。生沼が短歌を作り始めたのがこんな時代だったということは記憶しておいてよい。

 『短歌ヴァーサス』に穂村弘が連載している「80年代の歌」は、短歌の世代論の試みなのだが、穂村はその中で80年代がいかに過剰の時代であったかをつぶさに論じている。

 空からはゆめがしぶいてくるでせう手にはきいろの傘のしんじつ
                   山崎郁子『麒麟の休日』

 わたくしが生まれてきたるもろもろの世のありやうもゆるしてあげる

 これらの歌にみられる「甘美でキッチュな傲慢さ」(穂村)は、80年代特有のものだ。今の若者が作った歌ならば、「世のありやうもゆるしてあげる」などと書くことができるだろうか。「空から夢がしぶいてくる」などと素朴に信じることができるだろうか。穂村は干場しおりの『そんな感じ』(1989)のあとがきも引用している。

 「銀の鎖をたぐるようにして、ブラインドを開く。窓鏡に映った自分から素早く目をそらせば、東京湾はまだ朝もやの中。
〈まぶしい〉
静まりかえったオフィスで、微かなつぶやきがきらきらと結晶になって響き渡っていった」

 ベイエリアと呼ばれて開発されていく東京湾岸を見下ろすオフィスは、一時期TVで流行ったトレンディー・ドラマのようだ。 若い人のために注釈しておくと、トレンディー・ドラマとは、おしゃれなオフィスを舞台に、登場人物が仕事そっちのけで恋愛ゲームに興じるという、バブル期を代表するドラマのことであり、石田純一あたりがよく出演していた。干場しおりの文章に充満する「キラキラ感」は、今振り返るとまぶしいほどである。思い出せば、80年代には渋谷のパルコと公園通りが話題になり、「消費の劇場性」が脚光を浴びた。時代のキーワードは糸井重里の「おいしい生活」という西武のコピーで、石岡瑛子は女性ボディービルダーのリサ・ライオンを起用した広告で注目されていた。強い女が強調され、女性用スーツに肩パッドが入っていた時代である。みんな肩で風を切っていた。私は当時大阪の電通に依頼されて、消費の記号学なんぞというやくざな講演をしていた。こんななかで俵万智の『サラダ記念日』は1987年に出版され、ライト・ヴァース論争が巻き起こったのである。

 ながながと回顧にふけったのは、生沼の短歌がバブル崩壊とともに始まった失われた10年世代の刻印をまともに受けているからにほかならない。生沼の歌集に溢れているのはまず、掲載歌にも色濃く滲み出ている終末感である。

 盛塩が地震(ない)に崩れる。神々ももはや時間を使い果たした

 日の丸は廃止にします。代案は落暉のなかにのたうつ蛇(くちなわ)

 ほろびゆく世界のために降りしきれ 墓地いっぱいのあんずのはなびら

 神々は時間を使い果たしたという感覚は終末感そのものであろう。生沼の目に日本という国は、落日のなかにのたうつ蛇として形象される。またほろびゆくこの世界は一面の墓地の様相を呈している。わかりやすいといえばそうなのだが、このような強い終末感は生沼の世代から顕著になり、現在20歳前後のエヴァンゲリオン世代までずっと継承されているのである。

 このような終末感と並んで、生沼の歌集に滲み出ているのは、東京というメガロポリスに暮す都市生活者の倦怠である。

 錆ついた銅貨のごとく太陽は曇天の空に吊り下がりおり

 都市に生(あ)れ都市に死すこと嫌になり枯れてしまった鉄線花あり

 弁当の烏賊食むほどに無力感増してゆきたり詰所まひるま

 東京をTOKIOと表記するときに残像のみの東京がある

 ここにはかつてトレンディー・ドラマに描かれたキラキラする都市、劇場として消費を刺激してやまない東京の姿は微塵も感じられないのである。

 生沼の短歌にはまた、「何かが汚れてゆく」という感覚を詠ったものも多い。

 少しずつ垢じみてゆく青春の象徴としてジェノサイド・コミケ

 ナウシカがかつて纏いし衣服さえ思想のなかにはつかよごれて

 指先に染みたる檸檬の香を嗅ぎて感傷ももはや思わざりしかど

 コミケとは、コミック・マーケットの略で、やおいマンガ同人誌を販売したり、愛好者がコスプレしたりするオタク文化の文化祭のような祭典である。ナウシカはもちろん宮崎駿のアニメ『風の谷のナウシカ』で、檸檬はやはり梶井基次郎だろう。生沼はその世代の青年らしく、アニメに代表されるサブカルチャーも、梶井基次郎のようなかつてのハイカルチャーも、同じ地平で短歌に詠う。村上隆の提唱する「スーパーフラット」はもうすでに目の前に実現しているのだ。村上らの仮説は、「おたく世代以降は世界の認識のしかたがちがう」「世界はおたく世代以降にとって、全共闘世代とは違ったふうに見える」というものである(永江朗『平らな時代』原書房)。ナウシカの思想もいつかは汚れ、レモンに仮託された青年の熱情も遠くなったというのは、生沼の年齢にしては老人じみているが、生沼の世代に蓄積された疲労感はそれほど深いということなのだろう。

 この歌集にはもうひとつ目立つトーンがある。都市生活者の神経症的現実と、それが高じて精神を病むことへの怖れである。

 金属音重くしずかに響くとき内在律は狂いはじめて

 過ぐる日々に神経叢は磨り減ってまぶたの裏に白き靄立つ

 躁鬱の境目に居る 脳幹に白黴びっしり貼り付くごとし

 地中へと埋めてやれば何か出てくるかも知れぬ千のハルシオン

 ハルシオンとは睡眠導入剤の商品名である。蛇足ながら、前まえからハルシオンという薬の名前は美しいと思っていた。ここまで書いて来て、これは何かに似ていると思い始めたが、藤原龍一郎の短歌の描く世界と似たところがあるのだ。藤原の短歌も徹頭徹尾都市生活者の歌である。また、藤原の短歌の世界には、リドリー・スコット監督の映画『ブレード・ランナー』の描く近未来のようにいつも雨が降っているのだが、生沼の短歌にも雨と水がよく詠われているのはおもしろい共通点だ。

 初夏の東京の空切り裂かれ襤褸となって水は落ちくる

 砂と血と汗に汚れたアポリアを洗い流せる水はあらぬか

 あまりにもあからさまゆえ怖れたり雨に濡れたる路上の石榴

 雨というアイテムばかりに頼りいる自分を捨てよと声が聞こえる

 ヒートアイランド化したメトロポリスに暮して、汚れを洗い流してくれる雨と水を待望する。余りにわかりやすい謎解きのような気もするが、まあそういうことなのだろう。「路上の石榴」は現代版の檸檬に他ならない。フランス語では石榴と手榴弾は同じ単語である。疲労感に苛まれる現代の青年にも、手榴弾の爆発を夢見ることがあるということだ。ただし、梶井の描いた青年のように爆発を夢想して丸善の店先にそっとレモンを置くのではなく、路上に不意打ちのようにころがっている石榴を怖れるというところに時代の差が感じられる。

 ただし生沼の短歌が全部、上に解析したような座標に回収されるというわけではない。こんな現実を抱えつつも、生沼が短歌に託しているものは抜き差しならぬものに思える。次のような歌に注目しよう。

 泡立ちし緑茶のごときせつなさは晩夏の午後に不意に兆せり

 浅きから深きへ睡りがうつるとき夜の汀のにおいが籠る

 晩秋のみどりの部屋に天球儀を回しているは女男(めお)にあらぬ手

 人の死が人語の死へとなるときに礼服のごとく飛ぶ揚羽蝶

 生沼の短歌の言葉遣いは時に生硬で、「あまりにもあからさま」なことがあるが、上にあげた歌などは、「あからさま」の地平を脱して普遍的な象徴の領域へと昇華されているように思う。よい歌である。ただし、それがいかなる方法論によっているのか、たぶん生沼自身もまだ気づいていないのではなかろうか。栞に文章を寄せた小池光は、「生沼義朗はとりわけ平たさにあらがって相当もがいている、という印象を持ってきた」と述べている。スーパーフラットと化したこの世界のなかで、いかにして短歌の言葉を突出させるか。これはなかなかむずかしい課題である。生沼がこの第一歌集でその答に到達したとは思えないが、答を模索して呻吟しているのだろう。栞文で花山多佳子も小池光も、異口同音に「出発の歌集」と評しているのは、そのあたりに理由があると思えるのである。

生沼義朗のホームページ