073:2004年10月 第2週 伴 風花
または、〈私〉と三十一文字が向き合う原理主義者はせつなさが好き

なんどでもひかりはうまれもういちど
     春の横断歩道で出会う

          伴風花『イチゴフェア』〔風媒社〕
 伴風花は1978年(昭和53年)生まれ。履歴によると97年から作歌を始めたとある。結社には属さず、歌誌「かぱん」とラエティティアを活動の場とするニュータイプの歌人である。私はかねてより「かばん」のなかでは伴風花に注目していた。『イチゴフェア』は今年 (2004年) 5月に出たばかりの第一歌集であり、第一回歌葉新人賞で上位入選した連作「 Fairly Light」を巻頭に収録している。歌集を飾る写真には西崎憲のクレジットがついている。西崎といえば名作『世界の果ての庭』の作者ではないか。多能の人である。

 伴が作歌を始めたのはどういう時代だろうか。97年(平成9年)は、神戸で小学生殺人事件(酒鬼薔薇聖斗事件)が起きて世間を騒がせ、パリではダイアナ妃が事故死し、山一証券が破綻した年である。短歌の世界では「アララギ」が終刊し、パソコン通信のニフティーサーブで短歌フォーラムが開設された。このキーワードをつないで行くと、だいたい時代の雰囲気がわかる。91年頃に始まったバブル経済崩壊が大手証券会社の破綻という戦後初の事件を出来させ、不可解な猟奇的殺人が人々を震撼させるという不透明な時代にさらに暗雲が立ちこめたような気分である。「アララギ」の終刊は、戦前から戦後へと続いた近代短歌の終焉を象徴する。それに代わって台頭するのは、パソコン通信とその発展形としてのインターネット短歌である。口語ライトヴァースは、俵万智の『サラダ記念日』(87年)以後10年を経て、議論を巻き起こしつつもすでに短歌の世界に定着済みだ。このような時代に短歌を作り始める人は、何を / 誰をロールモデルとして歩み始めるのだろうか。もはや近代短歌の遺産との接続は完全に切れている。かといって、80年代に出現した山崎郁子『麒麟の休日』や干場しおり『天使がきらり』ら新世代の、バブル経済の明るさと都市的ポップさを背景とした気分と語法もまた過去のものとなっている。おそらく伴が短歌を作り始めるとき、手本となるロールモデルは存在しなかったのではないだろうか。

 川野里子は『短歌ヴァーサス』第5号で「歌論なき時代の祈りの群像」と題して若手歌人を論じ、その特徴として歌論の不在をあげている。それは、短歌をめぐる論戦や評論が歌壇に不在だという意味ではなく、実作としての短歌の中に内包される、もしくは作歌に前提とされる、歌人一人一人のなかで短歌形式を問い直すという沈黙の対話行為の不在をさしている。そして現代の若手歌人は、「古典から現代までの短歌に流れる縦の時間、そのさまざまな試みや議論を捨象した最もスリムな形をして」(川野)おり、「三十一文字と『私』だけが居る」(同)シンプルな形をしていると指摘している。

 川野の指摘はおそらく的を射たものだろう。伴の短歌を見ても、そこには「古典から現代までの短歌に流れる縦の時間」を感じさせるものはまったくない。まるで〈私〉が短歌という三十一文字の短詩形式を発見したかのようである。そして、おそらく伴自身も実感としてそのように感じているのではないか。裸の〈私〉と三十一文字だけが向き合うというシンプルな対峙の場からは、どのような歌が生まれるのだろうか。

 それはまず過ぎ去った少女時代を回想する歌と、思いの届かない恋人への相聞という形式を採る。そしてこのふたつはほとんど同じ性質のものである。

 三度目の夏をむかえて部員別「あれ」のなかみもだいたいわかる

 うらやましがられるけれど「南ちゃん」みたいに扱われたりはしない

 まっくろい靴下カバンに押しこんでむれたってはくルーズソックス

 空色のクレヨンばかり減っていた好きがあんなに見えていた頃

 もう二度と触れることなききみの髪 手をのばしたら届く距離でも

 初めの2首で〈私〉は野球部の女子マネージャーをしているのだろう。あだち充の名作『タッチ』のヒロイン南ちゃんと自分を較べている。最後の2首は恋人または憧れの人への相聞である。しかしこの相聞もまた、少女時代の回想と同じように、「もはや手の届かない所」への愛着と惜別という色に染まっていることに注意しよう。確かになかには現在形の恋愛を詠ったものもある。

 「うごく」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る

 しかし集中の初めの方に置かれているこの歌には、巻末近くの次の喪失の歌が呼応するのである。まるであらかじめ喪失が運命づけられているかのように。

 あの日から一年二ヶ月十二日まりもは一度もうごかなかった、と

 このように〈私〉はひたすら自分の思いを三十一文字に盛ろうとする。あとがきにあるように、伴にとって短歌とは「時々、一瞬、流れ星のようによぎってゆくきらきらした気持ちやできごと」を、「閉じこめておく」器なのである。このような短歌観から何が出て来るだろうか。自分の思いを閉じこめておく形式としての短歌と対をなすのは、感じたことを短歌に閉じこめようとする〈私〉である。短歌という鏡の前に、裸の〈私〉が立っている。〈私〉は素直でピュアであればあるほど、鏡に映った姿もピュアになる道理だ。これは短歌におけるプロテスタンティズムであり、一種の原理主義である。

 しかしここには重大な陥穽があることに気づかなくてはならない。それは鏡に映った〈私〉を素直でピュアな姿にしようとすればするほど、〈私〉は傷つき血を流さなくてはならないということである。〈私〉と三十一文字のあいだに媒介するものが何もなく、直接に向き合うという構図は、ある種の痛ましさを生み出す。川野里子の言うように、今の若手歌人の作る短歌に、「前衛短歌とは全く異なるもっと荒涼とした今」が感じられ、「モノローグの深い寂しさ」があるのは、そのためではないだろうか。煮ても焼いても食えないベテラン歌人は、こういうあまりにも剥き出しのスタンスは採らない。〈私〉と三十一文字のあいだに、第三項として機能すべき何かを注意深く配置する。それは結社であったり、結社の主宰であったり、継承すべき近代短歌の伝統であったり、破壊すべき伝統であったり、私淑する歌人であったりと、性格と実質は様々である。こうしておくと、〈私〉は直にではなく、第三項を媒介として三十一文字と向き合うことになり、〈私〉が皮膚を露出させて血を流すという事態は避けることができる。一種の安全装置と言えなくもない。だからこそ、このような安全装置を嫌う歌人がいても、これまたおかしくはないのである。

 〈私〉と三十一文字とが裸で向き合うという伴のようなスタンスは、実際の作歌にどのように反映されるだろうか。最も重要な帰結は「短歌的喩」の不在だろう。「短歌的喩」とは、吉本隆明が『言語にとって美とは何か』のなかで提唱した概念である。詳しくは、永田和宏『表現の吃水』に収録された「短歌的喩の成立基盤について」や、三枝昂之『現代定型論 気象の帯、夢の地核』のなかの「一回性の〈意味〉の屹立」のような優れた論考を参照していただきたい。話の必要上乱暴に要約すると、短歌はその詩形式としての構造上、原則としてすべてが喩として機能する説である。典型的には上句が下句の喩となったりその逆になったりするように、一種の内部に切れがあり互いに喩的関係を取り結ぶという構造となる。

 めをほそめみるものなべてあやうきか あやうし緋色の一脚の椅子  村木道彦

 暗渠の渦に花揉まれおり識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ  塚本邦雄

 村木の歌で「めをほそめみるものなべてあやうきか」という青年期特有の危機感を一首の中核的意味と見れば、「あやうし緋色の一脚の椅子」はその意味を視覚化し形象化する「像的喩」となる。誰も座っていない緋色の椅子という鮮烈な映像が、青年期の不安定な心理を暗喩することで、歌の印象を深めている。逆に塚本の歌で「暗渠の渦に花揉まれおり」を仮に前景化したい光景であるとすれば、残りの「識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ」はその光景への意味づけとなる「意味的喩」として働く。この場合には、社会主義の聖地モスクワに対する知識人の失望であり、そこに暗渠を流れる花というほの暗いイメージがかぶさる。短歌はその内部に、喩的関係を軸とした対立を孕んでおり、この対立が歌の張りつめた緊張感を生み出す。もっともなかには一首のなかに切れがなく、全体でひとつの光景を詠んでいるものもある。

 はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる  塚本邦雄

 しかしこのような歌の場合にも、一読した後に何か言葉では表現されなかったものが残ると感じられ、吉本はこれを「空白喩」と呼んでいる。このような構造を踏まえて三枝は、「詩形内部にあって、一つの表現を喩的表現に転化させてしまう定型における『詩の形成力』を、いかに逆用してそこに自己の一回性の〈意味〉を屹立させるか、それが (… ) 定型詩短歌にかかわるものの最も普遍的な問題意識なのである」と結論している。

 このことを踏まえて伴の短歌をもう一度見てみよう。

 歯みがきをしている背中だきしめるあかるい春の充電として

 ふと顎をもちあげられてはじめての角度からみたはじめての青

 砂山にたてた小枝の一本をまもるごとくにふれあうふたり

 一読してわかるように、これらの歌のなかにはお互いが喩となる対立的関係を持つ切れがない。例えば一首目は、歯みがきをしている恋人を背中から抱きしめる情景を詠んでいるが、それを春の充電だと感じているのは〈私〉であり、前者が後者の、あるいは後者が前者の喩として働いているわけではない。三首目の「砂山にたてた小枝の一本をまもるごとくに」は直喩であり、確かに「ふれあうふたり」の比喩なのだが、これは一首のなかに対立する緊張関係を生み出す喩ではなく、結句を導く序詞的な比喩である。かといって、歌全体が喩となる空白喩かというと、そうとも考えられない。強いてこれを空白喩と取れば、その喩が照らし出すのはいつも決まって「〈私〉のせつない気持ち」なのだ。だから伴の短歌では、裸の〈私〉が三十一文字の前に無防備に立っているという構図になるのである。

 『イチゴフェア』の栞に文章を寄せた東直子は、ぱさぱさになった心に透明な液体のようにじんわりとしみこんでくる伴の短歌の美点を指摘している。また荻原は、澄んだ声のシンガーがむきになって詠いすぎたため咽をからしているようなぎりぎりな感じと表現した。いずれも得心のいく好意的な批評であり、伴の言葉遣いのしなやかさと歌の姿の可憐さは特筆に値しよう。しかし、「裸の〈私〉が三十一文字の前に無防備に立っている」という構図はあまりにも危うい。今の若手歌人たちを「少し遠目に眺めると多くの個性が一様に同じ色合いの孤独に包まれて見える」という川野の指摘は正しいのである。「遠目に見れば一様な孤独と一様なせつなさ」から脱却するためには、「裸の〈私〉」と三十一文字のあいだに第三項として働く他者を介在させる必要があるのではないか。でないと「〈私〉は〈私〉である」という同語反復に陥ることになる。同語反復の自家中毒の恐ろしさは多くの歌人の知るところであり、これ以上の多言を要すまい。

 最後に特に印象に残った歌をあげておこう。

 このキスはすでに思い出くらくらと夏の野菜が熟れる夕ぐれ

 香りさえ想像されることはなくりんごはxみかんはyに

 信号としての役目を終えてからこぼれるような青、赤、黄色

一首目には集中唯一と言っていい「短歌的喩」がある。二首目は算数の授業でりんごやみかんが変数xやyに変えられてしまうせつなさを取り上げて、対象に寄せるせつなさがうまく表現されている。三首目もまた交通の絶えた交差点の信号機の虚しい明滅に注ぐまなざしが、一首を歌として立ち上げている。

 これからの作歌過程で伴が〈私〉と三十一文字との媒介項となるどのような第三項を発見するのか、注意して見守りたい。