もろこしのおほき國原バーボンに
古(ふ)るあめりかの霜の味はも
松原未知子『戀人(ラバー)のあばら』
古(ふ)るあめりかの霜の味はも
松原未知子『戀人(ラバー)のあばら』
歌集の題名が回文になっているのは珍しいのではないだろうか。「らばあのあばら」は上から読んでも下から読んでも同じなのだ。掲出歌の「もろこし」はふつう中国をさすが、ここではバーボン・ウィスキーの原料となるトウモロコシのことである。「もろこしのおほき國原」とは、トウモロコシが実っているアメリカはテネシーあたりの大草原だろう。「古(ふ)るあめりかの」は有吉佐和子の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」からの本歌取りである。有吉の題名にも「降る雨」と「アメリカ」の掛詞があることは言うまでもないが、松原は「降る霜」の懸かり方も保ちつつ、「降る」を「古る」と読み替えるという捻りを加えている。このように作者松原は、回文・本歌取り・掛詞・換骨奪胎などの短歌における言語操作的側面に徹底的にこだわるのである。
松原は「未来」に所属し、『戀人のあばら』は1997年出版の第一歌集。2004年には第二歌集『潮だまり』を上梓している。『戀人のあばら』は旧仮名・旧字体で統一されており、このホームページでは完全には再現できないが、ご勘弁いただきたい。第二歌集も同じように旧仮名だが、漢字は新字体に変更されている。
松原のコトバへのこだわりがどんなものか、少し歌をあげてみよう。
菫色に染まりし風が英和辞典〈トゥワイライトハウス〉捲つてゆくよ
たたなはる甍の波をるるりるる雨中のつばめ口笛で超ゆ
おこそとのホモサピエンスいつぽんの迷彩色の樹木なり 君
まさこさまはお子さまを生みお母さまにけふ日本語はまろまろ聞こゆ
うまさけの美輪明宏が狂ひ咲く卒塔婆小町のワルツ苦しゑ
塵芥(ちりあくた)浮く大川に身を映し芥川立つアクターとして
えけせデネブ刹那かがよふ白鳥(しらとり)の首のもなかをつらぬきながら
いちしきに氷見は鰯で知られたる寒くさみしい港であらう
一首目、実在の英和辞典は研究社の「ライトハウス」で灯台を意味する。松原がこれを「トゥワイライトハウス」ともじると、その途端に黄昏の気配があたりにたちこめて、菫色の風が吹き抜けてゆくという美しい情景である。「だから何だ」と問うてはいけない。これはコトバを少し脱臼させると目の前に立ち現われる世界であり、そのようなものとして味わうべき歌の世界なのである。二首目、「たたなはる」は「幾重にも折り重なる」の意。瓦屋根の続く古い町で、雨の中をツバメが低く飛ぶ。越冬ツバメは「ヒュルリ、ヒュルリララ」だが、ここでは「るるりるる」というオノマトペが美しい。三首目は五十音を架空の枕詞とした歌で、この歌以外にも「あかさたな」「いきしちに」と色々ある。本来は無意味な枕詞なのだが、ここでは「おこそとの」の中に「おとこ」がエッシャーの騙し絵のようにアナグラムとして隠されていることを見逃してはいけない。四首目、TVの皇室報道は時に過剰敬語になり微笑を誘う。「さま」が連発される耳慣れない日本語を「まろまろ」と形容しているが、ここには公家が自分を呼ぶときの「まろ」も揺曳しているだろう。五首目、「うまさけ」は地名の三輪に懸かる枕詞だが、これを「美輪明宏」に用いている。「卒塔婆小町」は三島由紀夫の近代能楽集のひとつだろう。六首目、「芥」と「芥川」と「アクター」の言葉遊びだが、それに重なるように大川に佇む芥川龍之介の孤独が透けて見える。七首目、冒頭は「えけせてね」の五十音枕詞で始まり、途中から「デネブ」と変化している。デネブは白鳥座のアルファ星であるから、歌の「白鳥」は星座のことである。天空に大きな絵を描くようなスケールの大きな歌ではないか。八首目、五十音で「いきしちに」と来れば続きは「ひみ」だが、ここから鰤と氷見鰯で名高い富山県の「氷見」へと転じ、寒く淋しい漁港へと思いを馳せている。
松原の短歌はこのように、コトバがコトバを誘う言語的連想関係の網の目の上に奔放な想像力を巡らせ、それを端正な古典的短歌の韻律に乗せて表現するという技巧的な歌である。一読し巻を措いて得た私の感想は、「大人の歌」ということに尽きる。〈私〉探しに熱中するあまり視野狭窄を起こしている若者には、松原の歌の味わいは理解できまい。歌にスパイスを利かせる「遊び」があり、広がりを与える「余裕」がある。
松原の歌の言語操作に関わる言葉遊び的側面を見たが、今度は共有された言語空間と文化的教養の存在を前提とした歌を見てみよう。
こゑに寄る縮緬皺を哀しめばうつくしき荒地に立つひとよ
冬の陽を恋へばあまねく匂ひたつパセリ、セージ、ローズマリーの枯野
カンヌにて金の椰子賞(パルム・ドール)にかがよへる日本のうなぎ産みしみづうみ
夕ぐれは109の後方にPARCO三基をしたがへて来る
わけもなく電話口まで呼び出してゐたパッションの花に憑かれて
切り分けしハムのひとひら白犬の舌やはらかくゆらす微風は
CANCERの星座かなしも東海の荒磯(ありそ)の波に蟹のよこばひ
一首目に詠われているのは独特のビブラートの声を持つエデット・ピアフだろう。二首目はサイモンとガーファンクルの名曲「スカボロフェアー」、三首目は1997年に公開された今村昌平監督の映画「うなぎ」である。他にもアラン・ドロン、C. ドヌーヴ、フェリーニ、パゾリーニなどの私の世代の人間に馴染みの深い俳優・監督も登場する。松原は世代の共有する文化的空間を前提とし、それに言及することで意味が十分に伝達されると信じているわけだ。
この態度は本歌取りや過去の歌への言及にも貫かれている。四首目は仙波龍英の代表歌「夕照(せきしょう)はしづかに展(ひら)くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで」を下敷きにしている。五首目は岡井隆の「渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで」と共鳴する。ちなみにパッションは和名を時計草という。ここでは「熱情」との二重の意味だろう。六首目はいささか自信がないが、真鍋美恵子の「壁のタイルが燈を吸はぬ夜ハム切機はひらひらと赤き薄片切れり」をどうしても思い出してしまう。四首目はいうまでもなく啄木であり、かすかな皮肉と諧謔味を味わうべきだろう。
枕詞・掛詞・序詞・本歌取りなど古典和歌の世界で開発された言語技法が近代短歌で排斥されたことはよく知られている。近代短歌は屹立する自我の歌と規定されたため、古典和歌の共同体的な美の世界への接続は自我の溶解を招くものとして排されたのである。これを記号学的に言うと、言語記号は真正の指示対象である〈言語外的現実〉を指示しなくてはならず、シニフィアン (注1)はシニフィエ (注2) へと送り返すのが筋であり、シニフィアンが別のシニフィアンへと横滑りしてはならないということになる。しかしこの禁忌が短歌の言語空間を言語操作的側面において痩せさせたのみならず、真正の指示対象であるべき〈私〉の矮小化をも招いたことは諸家の指摘するところである。
松原がこのような近代短歌の禁忌から徹底的に自由であることは、究極の言語操作短歌である回文短歌を見ればわかる。
はななさの落葉焚きてみしかどなどか凍みてきた中庭(パティオ)のさなかは
然れども漂ふ鳥ふるさとへと去るふりとふよ、ただ戻れかし
ものみなは浮かむ黄泉も室戸までまどろむも見よむかうは波の面
ママ、わたし約束(アポ)とつてぬひぐるみのミルク犬 <テツト> ポアしたわママ
はるちるは かもめのメモか まさこさま さくらいらくさ ながい無為かな
他にも「ダフネのねぶた」「マカオのおかま」など、読んでいて噴き出してしまった回文もある。怖ろしいのは一度回文短歌を読んでしまうと、ふつうの短歌を読むときにも、何か隠されているのではないかとつい上下ひっくり返してしまうことだ。こうして読者である私の言語感覚が惑乱されてゆくのだが、それは遊園地の回転遊具の経験に似た快感と言えなくもない。
『潮だまり』のあとがきで、松原は「言葉には遊ばせる霊力がもともと備はつてゐる」と書いており、歌人を乱暴に「人生派」と「コトバ派」に二分するなら松原は明らかに後者である。とはいえもちろん松原の歌に心に触れる意味内容がないということではない。次のような歌は現実接近のリアリズムという方法を通してでなく、心に沁みる意味を伝える歌だと言えるだろう。
またがれば陰(ほと)を濡らさむ自轉車の鞍(サドル)の奥へ沁み入りし雪
ちはやぶる神なきわれの食卓に雪白(ゆきじろ)の卵(らん)、鹽をかむりて
鶏卵のなかにひとすぢ血がにじむパロールはいま生まれたてなり
地図のなかにガソリンにじむ都市ありてただ雨脚にたたかれている
校庭のさくら暗しもてふてふもてるくはのるは春の苦しみ
魚の目の涼しきひかりおのづから手は選(え)りて捨てつ濁りそめしを
四首目は9.11同時多発テロとそれに続くアフガン戦争に想を得た歌で、五首目は平成11年に起きた京都市伏見区の日野小学校での小学生刺殺事件が素材となっている。しかしこれらが事実に寄りかかり過ぎた時事詠ではなく、自立した意味を発する短歌と成り得ていることに注意すべきだろう。
『戀人のあばら』の解説文で岡井隆は、「技巧派の人は遊び派と見られ、人生的実感にとぼしいと誤解されやすい」として、松原の技巧的側面を擁護する言葉を寄せている。この技巧派の傾向は第二歌集『潮だまり』でますます強まっているようだ。同じくコトバ派の技巧派といえば紀野恵がすぐに思い浮かぶが、松原も紀野も「未来」に所属しているのは果たして偶然なのだろうか。かつて岡井隆は、「紀野恵が先鞭をつけた新古典派の短歌は (…) 現代の奇景と言ってよいだろう」(『現代百人一首』)と評したことがある。多様を極める現代短歌シーンにおいて松原に限らず、沢田英史や江田浩司らのように、枕詞を現代的に復活させたり、古風な語法を織り交ぜる歌の作り方が見られることは興味深い。
(注1) 言語記号の素材的側面 (音、文字など)をさし、シニフィエとともに言語記号を構成する。
(注2) 言語記号の意味的側面をさし、シニフィアンとともに言語記号を構成する。
松原未知子のホームページ「むづかしいデリカシイ」
松原は「未来」に所属し、『戀人のあばら』は1997年出版の第一歌集。2004年には第二歌集『潮だまり』を上梓している。『戀人のあばら』は旧仮名・旧字体で統一されており、このホームページでは完全には再現できないが、ご勘弁いただきたい。第二歌集も同じように旧仮名だが、漢字は新字体に変更されている。
松原のコトバへのこだわりがどんなものか、少し歌をあげてみよう。
菫色に染まりし風が英和辞典〈トゥワイライトハウス〉捲つてゆくよ
たたなはる甍の波をるるりるる雨中のつばめ口笛で超ゆ
おこそとのホモサピエンスいつぽんの迷彩色の樹木なり 君
まさこさまはお子さまを生みお母さまにけふ日本語はまろまろ聞こゆ
うまさけの美輪明宏が狂ひ咲く卒塔婆小町のワルツ苦しゑ
塵芥(ちりあくた)浮く大川に身を映し芥川立つアクターとして
えけせデネブ刹那かがよふ白鳥(しらとり)の首のもなかをつらぬきながら
いちしきに氷見は鰯で知られたる寒くさみしい港であらう
一首目、実在の英和辞典は研究社の「ライトハウス」で灯台を意味する。松原がこれを「トゥワイライトハウス」ともじると、その途端に黄昏の気配があたりにたちこめて、菫色の風が吹き抜けてゆくという美しい情景である。「だから何だ」と問うてはいけない。これはコトバを少し脱臼させると目の前に立ち現われる世界であり、そのようなものとして味わうべき歌の世界なのである。二首目、「たたなはる」は「幾重にも折り重なる」の意。瓦屋根の続く古い町で、雨の中をツバメが低く飛ぶ。越冬ツバメは「ヒュルリ、ヒュルリララ」だが、ここでは「るるりるる」というオノマトペが美しい。三首目は五十音を架空の枕詞とした歌で、この歌以外にも「あかさたな」「いきしちに」と色々ある。本来は無意味な枕詞なのだが、ここでは「おこそとの」の中に「おとこ」がエッシャーの騙し絵のようにアナグラムとして隠されていることを見逃してはいけない。四首目、TVの皇室報道は時に過剰敬語になり微笑を誘う。「さま」が連発される耳慣れない日本語を「まろまろ」と形容しているが、ここには公家が自分を呼ぶときの「まろ」も揺曳しているだろう。五首目、「うまさけ」は地名の三輪に懸かる枕詞だが、これを「美輪明宏」に用いている。「卒塔婆小町」は三島由紀夫の近代能楽集のひとつだろう。六首目、「芥」と「芥川」と「アクター」の言葉遊びだが、それに重なるように大川に佇む芥川龍之介の孤独が透けて見える。七首目、冒頭は「えけせてね」の五十音枕詞で始まり、途中から「デネブ」と変化している。デネブは白鳥座のアルファ星であるから、歌の「白鳥」は星座のことである。天空に大きな絵を描くようなスケールの大きな歌ではないか。八首目、五十音で「いきしちに」と来れば続きは「ひみ」だが、ここから鰤と氷見鰯で名高い富山県の「氷見」へと転じ、寒く淋しい漁港へと思いを馳せている。
松原の短歌はこのように、コトバがコトバを誘う言語的連想関係の網の目の上に奔放な想像力を巡らせ、それを端正な古典的短歌の韻律に乗せて表現するという技巧的な歌である。一読し巻を措いて得た私の感想は、「大人の歌」ということに尽きる。〈私〉探しに熱中するあまり視野狭窄を起こしている若者には、松原の歌の味わいは理解できまい。歌にスパイスを利かせる「遊び」があり、広がりを与える「余裕」がある。
松原の歌の言語操作に関わる言葉遊び的側面を見たが、今度は共有された言語空間と文化的教養の存在を前提とした歌を見てみよう。
こゑに寄る縮緬皺を哀しめばうつくしき荒地に立つひとよ
冬の陽を恋へばあまねく匂ひたつパセリ、セージ、ローズマリーの枯野
カンヌにて金の椰子賞(パルム・ドール)にかがよへる日本のうなぎ産みしみづうみ
夕ぐれは109の後方にPARCO三基をしたがへて来る
わけもなく電話口まで呼び出してゐたパッションの花に憑かれて
切り分けしハムのひとひら白犬の舌やはらかくゆらす微風は
CANCERの星座かなしも東海の荒磯(ありそ)の波に蟹のよこばひ
一首目に詠われているのは独特のビブラートの声を持つエデット・ピアフだろう。二首目はサイモンとガーファンクルの名曲「スカボロフェアー」、三首目は1997年に公開された今村昌平監督の映画「うなぎ」である。他にもアラン・ドロン、C. ドヌーヴ、フェリーニ、パゾリーニなどの私の世代の人間に馴染みの深い俳優・監督も登場する。松原は世代の共有する文化的空間を前提とし、それに言及することで意味が十分に伝達されると信じているわけだ。
この態度は本歌取りや過去の歌への言及にも貫かれている。四首目は仙波龍英の代表歌「夕照(せきしょう)はしづかに展(ひら)くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで」を下敷きにしている。五首目は岡井隆の「渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで」と共鳴する。ちなみにパッションは和名を時計草という。ここでは「熱情」との二重の意味だろう。六首目はいささか自信がないが、真鍋美恵子の「壁のタイルが燈を吸はぬ夜ハム切機はひらひらと赤き薄片切れり」をどうしても思い出してしまう。四首目はいうまでもなく啄木であり、かすかな皮肉と諧謔味を味わうべきだろう。
枕詞・掛詞・序詞・本歌取りなど古典和歌の世界で開発された言語技法が近代短歌で排斥されたことはよく知られている。近代短歌は屹立する自我の歌と規定されたため、古典和歌の共同体的な美の世界への接続は自我の溶解を招くものとして排されたのである。これを記号学的に言うと、言語記号は真正の指示対象である〈言語外的現実〉を指示しなくてはならず、シニフィアン (注1)はシニフィエ (注2) へと送り返すのが筋であり、シニフィアンが別のシニフィアンへと横滑りしてはならないということになる。しかしこの禁忌が短歌の言語空間を言語操作的側面において痩せさせたのみならず、真正の指示対象であるべき〈私〉の矮小化をも招いたことは諸家の指摘するところである。
松原がこのような近代短歌の禁忌から徹底的に自由であることは、究極の言語操作短歌である回文短歌を見ればわかる。
はななさの落葉焚きてみしかどなどか凍みてきた中庭(パティオ)のさなかは
然れども漂ふ鳥ふるさとへと去るふりとふよ、ただ戻れかし
ものみなは浮かむ黄泉も室戸までまどろむも見よむかうは波の面
ママ、わたし約束(アポ)とつてぬひぐるみのミルク犬 <テツト> ポアしたわママ
はるちるは かもめのメモか まさこさま さくらいらくさ ながい無為かな
他にも「ダフネのねぶた」「マカオのおかま」など、読んでいて噴き出してしまった回文もある。怖ろしいのは一度回文短歌を読んでしまうと、ふつうの短歌を読むときにも、何か隠されているのではないかとつい上下ひっくり返してしまうことだ。こうして読者である私の言語感覚が惑乱されてゆくのだが、それは遊園地の回転遊具の経験に似た快感と言えなくもない。
『潮だまり』のあとがきで、松原は「言葉には遊ばせる霊力がもともと備はつてゐる」と書いており、歌人を乱暴に「人生派」と「コトバ派」に二分するなら松原は明らかに後者である。とはいえもちろん松原の歌に心に触れる意味内容がないということではない。次のような歌は現実接近のリアリズムという方法を通してでなく、心に沁みる意味を伝える歌だと言えるだろう。
またがれば陰(ほと)を濡らさむ自轉車の鞍(サドル)の奥へ沁み入りし雪
ちはやぶる神なきわれの食卓に雪白(ゆきじろ)の卵(らん)、鹽をかむりて
鶏卵のなかにひとすぢ血がにじむパロールはいま生まれたてなり
地図のなかにガソリンにじむ都市ありてただ雨脚にたたかれている
校庭のさくら暗しもてふてふもてるくはのるは春の苦しみ
魚の目の涼しきひかりおのづから手は選(え)りて捨てつ濁りそめしを
四首目は9.11同時多発テロとそれに続くアフガン戦争に想を得た歌で、五首目は平成11年に起きた京都市伏見区の日野小学校での小学生刺殺事件が素材となっている。しかしこれらが事実に寄りかかり過ぎた時事詠ではなく、自立した意味を発する短歌と成り得ていることに注意すべきだろう。
『戀人のあばら』の解説文で岡井隆は、「技巧派の人は遊び派と見られ、人生的実感にとぼしいと誤解されやすい」として、松原の技巧的側面を擁護する言葉を寄せている。この技巧派の傾向は第二歌集『潮だまり』でますます強まっているようだ。同じくコトバ派の技巧派といえば紀野恵がすぐに思い浮かぶが、松原も紀野も「未来」に所属しているのは果たして偶然なのだろうか。かつて岡井隆は、「紀野恵が先鞭をつけた新古典派の短歌は (…) 現代の奇景と言ってよいだろう」(『現代百人一首』)と評したことがある。多様を極める現代短歌シーンにおいて松原に限らず、沢田英史や江田浩司らのように、枕詞を現代的に復活させたり、古風な語法を織り交ぜる歌の作り方が見られることは興味深い。
(注1) 言語記号の素材的側面 (音、文字など)をさし、シニフィエとともに言語記号を構成する。
(注2) 言語記号の意味的側面をさし、シニフィアンとともに言語記号を構成する。
松原未知子のホームページ「むづかしいデリカシイ」