角川『短歌』12月号歌壇時評 短歌評論賞と書評賞

 今月の歌壇時評はまずこの話題から始めるのが順当だろう。小野田光が「短歌研究」の現代短歌評論賞と、「現代短歌」のBR賞をダブル受賞したことである。二〇〇九年に山田航が「夏の曲馬団」で角川短歌賞を、「樹木を詠むという思想」で現代短歌評論賞を受賞し、ダブル受賞となって話題になった。山田の場合は、短歌実作と評論という組み合わせだが、小野田は書評と評論のダブルというところがユニークだ。

 小野田は一九七四年生まれで「かばん」に所属しており、『蝶は地下鉄をぬけて』(書肆侃侃房、二〇一八)という歌集がある。歌集からいくつか歌を引いてみよう。

マリリンの巻き毛みたいなかつ節の光に満ちている乾物屋

シリウスに照らされながら裏門の守衛はそっとのど飴とかす 

 まず「短歌研究」の現代短歌評論賞の方から見てみよう。与えられた課題は「私性再論」である。近現代短歌の世界で私性は何度も繰り返し論じられた重要なテーマである。それは明治時代の近代短歌の成立において、短歌が「〈私〉の詩」、つまり一人称の詩型と定められたからに他ならない。このように幾度となく論じられたテーマについて評論を書く場合には、ユニークな視点が求められるだけに難しい課題である。小野田は昨年も「短歌のあたらしい責任」という課題に、「匿名化する二十一世紀の〈私〉たち」という評論で応募して候補作IIに選ばれており、二度目の挑戦で受賞したことになる。

 小野田が受賞した評論は「SNS時代の私性とリアリズム」と題されたものである。小野田はこの評論で、作中の主体を〈私〉、生身の作者と〈私〉がイコールで結ばれる場合を【私】と表記し分けている。私性をめぐる議論では、「私」と書いたとき、それが何を指しているかを明確にする必要があり、適切な配慮だろう。ちなみに大辻隆弘は『近代短歌の範型』(六花書林、二〇一五)所収の「三つの『私』」という文章の中で、「一首の背後に感じられる『私』」、「連作・歌集の背後に感じられる『私』」、「現実の生を生きる生身の『私』」と、「私」を三通りに分けることを提案している(初出は「短歌研究」二〇一四年十一月号)。また福沢将樹『ナラトロジーの言語学』(ひつじ書房、二〇一五)では、実に九層に及ぶ「私」の細かい分類が提唱されている。何通りに区別すべきかはひとまず措くとして、共通しているのは、もはや「私」は一枚岩のようなひとつの存在ではなく、多層化したものとして捉えなくてはならないという認識であることはまちがいない。

 小野田の評論の主旨は、SNSの普及によって「私」のキャラクター化が可視化している現代では、【私】の表現は成立しにくくなり、明治以来の【私】を前提とするリアリズムも変化を余儀なくされているというものである。しかしながら、昔からずっと変わらず作中主体の〈私〉イコール【私】であったわけではなく、『サラダ記念日』のサラダが実は鶏の唐揚げだったというような「演出」は常にあったとしながらも、近年は【私】のキャラクター化が進行しているとする。現代の歌人は演出やキャラクター化を前提として歌を作っているように見えるが、「個人を場に合わせる演出」を施すことによって、新しいリアリズムを志向している人もいる。また【私】を前面に出すことによって、作者個人の情報が露出することを嫌う人も出ている。事実がそこにある限りリアリズム表現は存在し、また【私】も存在し続けることになり、変化しつつも短歌で【私】が滅亡することはないと小野田は締めくくっている。

 次席に選ばれたのは早稲田短歌会の髙良真実の「私性・リアリズムの袋小路を越えて」であった。髙良は昨年の現代短歌評論賞では候補作IIになっており、一昨年は候補作Iに選ばれている。今年の評論では、リアリティへの希求が事実性への希求にすり替わるのはなぜかという問を中心に論じている。髙良は二〇〇〇年代以降の新たなリアリズムもいずれ袋小路に陥るという見通しを最後に示しており、短歌が続く限り【私】が滅亡することはないとする小野田の結論と対照的である。

 候補作に選ばれたのは柴田悠の「〈私〉をめぐる遠近法」であった。柴田はベンヤミンの芸術論を援用して、現代短歌の〈私〉を論じたようだが、抄録のため割愛された部分が多く、論旨を読み取ることができないのが残念だ。

 選考座談会は要約掲載されている。小野田だけが最高評価のAをふたつ取っているので、順当な結果だろう。最終候補に残った栁澤有一郎と桑原憂太郎は昨年も候補作Iに選ばれているので、残念な結果となった。現代短歌評論賞には複数回チャレンジする人が多いようだ。

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 さて、「現代短歌」の主催するBR賞である。BRはBook Reviewの頭文字を取ったもので「書評」を意味する。手許にある「現代短歌」二〇二〇年一月号の裏表紙にBR賞創設の趣意書が手紙の体裁を取って掲載されている。曰く、歌集を読むのは孤独なたましひとの交感のためであり、歌集の価値は作者から読者への、消費されることのない贈与にあるという。しかるに近頃の書評はまるで大売り出しの散らしのコピイのようである。書評欄にもっと紙数を割き、書評が読み捨てられないようにするために、書評に特化した賞を設けるという意味のことが記されている。署名は千歳橋渉となっているが、無論筆名であろう。千歳橋という名の橋は全国にいくつかあり、修学院離宮の庭に架かる橋もこの名である。

 書評を対象とする賞は珍しい。書評とは何か。広辞苑には、書物の内容を批評・紹介する文章とある。日本の新聞にはたいてい読書欄があり、週一度の頻度で掲載される。その内容はおおかた人文書と文学書の新刊案内である。また短歌総合誌にも新刊の歌集・歌書の紹介欄が設けてあり、書評欄と称しているものもある。それなのに、なぜわざわざ新たに書評を対象とする賞を設ける必要があるのだろうか。時評子の私見では、そこにはふたつの理由があるように思われる。

 その第一は、世に流通している書評には「仲間褒め」が多いことである。権威ある大学に在籍する研究者が、同じ大学に所属する友人の書いた本を持ち上げて紹介することがよくある。これでは書評に公平な判断と客観性が欠けることになり、信頼性が失われてしまう。イギリスのTimes Literary Supplement(タイムズ紙文芸付録)のように権威ある書評紙は、そのようなことがないために信頼されているのである。

 その第二は短歌の世界に特有の事情かもしれないが、作者と読者の外延がほぼ一致していることである。時評子のような例外を除くと、歌集を読む人は短歌を作る人に限られる。小説の場合はそうではない。小説を読む読者の大多数は、自分では小説など書かない人である。したがって小説の書評は、読むことによって読書の悦びを享受したいと願っている人を目当てに書かれる。読んだ人を書店に走らせるのがよい書評だと丸谷才一が言ったと伝えられているが、その言はこのような事情を背景としているのである。

 しかるに短歌の世界では作る人イコール読む人という図式が成立しているために、いきおい友人・知人の歌集を書評することになる。結社の先輩歌人が後輩の新人の歌集の書評を書くこともあるかもしれない。閉じられた歌壇の内部でのみ書評が流通することの意味を疑問視する人もいるだろう。

 さらに考えるならば、歌集はほぼ贈呈によって人の手に渡るので、小説のように書評を読んで書店に走るということは考えにくい。ならば書評を対象とする賞を設ける目的が奈辺にあるかは、一考を要する問題である。「現代短歌」のBR賞は、歌集の書評はいかにあるべきかを炙り出した興味深い試みとなっている。

 第一回BR賞の結果は「現代短歌」二〇二〇年十一月号に発表されているが、結果は該当作なしであった。そのため得点の多かった順に上位七本の書評が佳作として全文掲載されている。選考委員の内山晶太、江戸雪、加藤英彦、染野太朗による選考座談会が実に興味深い。四人の選考委員が高得点を与えた書評が、まっぷたつに分かれたのである。内山と江戸が最高得点の五点を入れた書評に、加藤と染野は点を入れなかった。一方、内山と江戸が無得点とした書評に、加藤は最高点を入れ、染野も三点を与えている。

 江戸は自身が推したひとつ目の候補作は、エッセイ風の書きぶりで、自分なりの読みを展開したのがよかったとする。同じ書評について内山は、確かにこの筆者は何も言っていないところがあるが、作品を自分が乗っ取らない距離を保とうとしている点が評価できるとしている。同じ書評について、染野は読者を思考停止に陥らせているとし、加藤は読者が歌集の全体像をまったくイメージすることができないとして低い評価である。

 なぜこのように対照的な評価が生まれるのか。それは銘々の「書評とは何か」という考え方が分散しているためだろう。「現代短歌」の同じ号に、「よい書評とは」という編集部の求めに応じて寄稿した詩人・批評家の添田馨は、書評は読書感想文でもなければ書籍解説文でもないと断じている。読書感想文とは、〝私〟が読書をとおして得たところを主観的に述べたもので、書籍解説文は〝私〟の主観を極力消して本の客観的特徴を述べたものだとする。私を出しすぎることも消しすぎることもなく、主観性と客観性をほどよく担保するのがよい書評だというのが添田の意見である。しかしもしそうだとすると、この「ほどよく」という部分に大いに匙加減の働く余地があり、どのような文章をよい書評と見なすかにぶれと幅が出ることになる。四人の選考委員の評価がまっぷたつに割れたのはそのためだろう。

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 第二回のBR賞の選考結果は、「現代短歌」二〇二一年十一月号に掲載されている。全部で四十七本の応募があり、そのうち十九本が予選を通過して選考に付された。選考の結果、小野田光が北山あさひの『崖にて』を書評した「単純ではない日々にて」が受賞作となった。『崖にて』は、日本歌人クラブ新人賞と現代歌人協会賞をダブル受賞した歌集で、今回の予選通過作にはこの歌集を書評したものが三本あった。

 第一回に引き続き今回も選考会議は難航した様子だ。江戸と加藤は小野田の書評に最高点の五点を入れたが、染野と内山は無得点としたからである。選考会議では丁々発止のやり取りが長時間続いたが、染野と内山が最高点を入れた書評が割れていたこともあって、最終的に小野田が受賞ということで落ち着いた。川野芽生の『Lilith』を書評した岸本瞳の「『非在の森』へ」と、『崖にて』を取り上げた乾遥香の「北・山」が次席に選ばれている。乾は第一回のBR賞でも𠮷田恭大の『光と私語』を論じた書評で最高点を獲得しているので、今回も残念な結果となった。

 BR賞が歌集の書評の質の向上に資するかどうかは今後の同賞の推移を見なくてはならないだろう。特に歌集の新刊紹介と書評がどうちがうかは、同賞に挑戦する人が身をもって示す必要がありそうだ。

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 今年の短歌研究新人賞はまひる野とヘペレの会に所属する塚田千束が「窓も天命」で受賞した。

われらみなさびしき島だ名を知らずたがいにひとみの灯をゆらしつつ

ホーローの容器に蒸し鶏ねむらせて死とはだれかをよこたえること

腕重くはらいのけずに窮屈とつぶやけばひび入る花瓶に

 塚田は旭川の病院に勤務する医師である。患者の死と向き合う仕事の厳しさも歌に詠まれているが、それだけではなく、一人の人間として生きる毎日に覚える違和感や焦燥感などが、よく選ばれた喩や修辞によって表現されている。塚田は第二回のBR賞にも応募して受賞を逃しており、江戸の敵を長崎でという結果となった。

 ちなみに短歌研究新人賞の応募締め切りが次回から一月末日に変更され、受賞作は七月号に発表されることになった。準備期間が短くなって慌てる人もいるかもしれない。「短歌研究」九月号の巻末にひっそりとお知らせが掲載されているだけなので、老婆心ながら見落とす人が出ないか少し心配だ。

 また今年の角川短歌賞は受賞作なしとの結果が発表された。受賞作なしは同賞の歴史では一九七五年以来なので、実に四十六年ぶりのことである。一九七五年といえば、南ベトナムが陥落しベトナム戦争が終結した年だから、もう歴史の彼方と言ってもよい。本稿を書いている時点ではまだ角川『短歌』十一月号は発売されていないので、どのような選考の経緯があったのかはわからない。

 第二回の塚本邦雄賞では、高木佳子の『玄牝』と並んで永井祐の『広い世界と2や8や7』が受賞した。選考会議にオブザーバーとして参加した塚本靑史が、最初の点数集計で一番だったものが落選し、最下位だったものが受賞したと明かしている。おそらく一番だったのは小島なおの第三歌集『展開図』で、最下位だったのが『広い世界と2や8や7』だろう。選考委員会での穂村弘の推薦の弁に、他の委員が耳を傾けた結果である。

 永井の受賞は大きな出来事である。永井が短歌シーンに登場したときには、「トホホな歌」、「ユルい歌」とずいぶん叩かれた。穂村らの援護射撃もあって、永井が短歌で何をめざしているのかが少しずつ理解されるようになったと言える。それより重要なのは、短歌を読む人の脳にある受信機が、永井の歌にチューニングを合わせ始めたことである。歌をめぐる時代の感性は今まさにシフトしつつあるのかもしれない。

 

【訂正とお詫び】

 雑誌版の『短歌』12月号に掲載された歌壇時評では、現代短歌評論賞で候補作に選ばれた柴田悠さんは京都大学人間・環境学研究科の准教授であると書きましたが、これは同姓同名の別の方と取り違えた間違いでした。ここに訂正しお詫びいたします。