文体はどのような〈私〉を押し上げるか──新鋭歌集の現在

 今回本号の特集で取り上げられている歌集を眺め渡すと、平成一六年現在における現代短歌の多様性をギュッと凝縮した感がある。私に与えられた役目は個々の歌集を取り上げて論じることではなく、全体の概観を示すという作業である。短歌の単なる一読者に過ぎない私にはいささか荷が重い役目なのだが,そのためには全体を貫くキーワードが必要だろう。ここでは「文体」をキーワードに選んでみたい。まず永田和宏が一九七九年に書いた『表現の吃水』のなかで提案した定義を見てみよう。

「(短歌における)文体とは、作品中に現われてくる〈私〉が、発話主体と、決して散文的・日常的な水準で重なるものではないということを保証する方程式である。あるいはそれは、日常的行為者としての〈私〉を、詩の構成要因たる〈私〉へと押し上げるための梃子である」

 日常から詩へと〈私〉を押し上げる梃子としての文体は、文体によって押し上げられる〈私〉という概念と不即不離の関係にある。日常から詩の虚空へ押し上げられた〈私〉は、短歌において日常と対立する項として機能する。同時に文体もまた、日常の言葉とは対立するものでなくてはならない。この〈対立項〉としての文体が、かつては定型であり韻律であり文語であった。このような文体の定義は、四半世紀を経た今日でもまだ有効なのだろうか。

 本誌第三号の枡野浩一と穂村弘の対談「ぼくたちのいる場所」で、枡野が強調しているのは既存の短歌のわかりにくさである。枡野は「既存の短歌のほとんどは一般の場所に来たら通じない」と断じ、「渋谷の電光掲示板に映ったときにおもしろい短歌をつくりたい」と発言している。これは短歌の文体を日常の地平に流し込んでやるということであり、ある意味で永田の掲げる〈対立〉のフラット化をめざしているのである。

 一方藤原龍一郎は『短歌の引力』で、短歌にしばしば見られる「わかりにくさ」は、言葉の意味が平板でないことに起因し、そのままの意味をたどろうとすると非日常の壁にはね返されるからだとし、「作者の真意にできるかぎり近づこうとするためには言葉の屈折率を丁寧にたどって、その詩歌としての韻律や結像力や自意識の座標を感受し、それを想像力でみずから内部に構築する」ことが必要だと述べている。的確な分析だと思うが、キャッチーな短歌を目指している枡野なら「そんな態度には愛がない」と言うだろう。

 今回の特集で取り上げられた歌人たちは、永田の〈対立〉という軸と、枡野の〈フラット化〉という軸のあいだで、さまざまに揺れ動いているように見える。

 〈対立〉の文体を最も感じさせるのは、六七年生まれの高島裕だろう。文語定型旧仮名という表現面での完全武装もさることながら、アナキスト蜂起による首都赤変を幻視するという思想レベルでの非日常性が際立っている。

 光体に目を灼かれたる夏なれどゆふぐれ重き前線を越ゆ 『旧制度』

 撃ち堕とすべきもろもろを見据ゑつつ今朝くれなゐの橋をわたらな

 錦見映理子『ガーデニア・ガーデン』、目黒哲朗『CANNABIS』、横山未来子『樹下のひとりの眠りのために』なども、永田的意味での〈対立〉の文体を自らの短歌の基軸としている。これらの歌から文体を通して浮上する〈私〉は、朝起きて歯を磨く日常的行為者の私ではなく、短歌のなかで再構築された詩的主体としての非日常の〈私〉である。

 弥生町四丁目裏 純白の魚のひとたび跳ねるを見たり 錦見映理子

 薔薇の花散る無秩序が美しい町ゆゑわれの消息を問ふな 目黒哲朗 

 冬の水押す櫂おもし目を上げて離るべき岸われにあるなり 横山未来子

 しかしこのような文体を採る歌人は、八十年代の終わりから九十年代の初めくらいに短歌を作り始めた人までのようだ。年代的に言えば、横山未来子は七二年生まれで、玲はる名・佐藤真由美・佐藤りえは七三年生まれだから一歳しかちがわないが、この辺に目に見えないフォッサマグナがあるらしい。文体は急激にフラットな地平に移行している。

 3月に生まれたけれどなにひとつ欠けていないの 拍手しないで
               玲はる名『たった今覚えたものを』

 泣いたぶんキレイになれる星生まれまだ泣き方が足りないらしい
               佐藤真由美『きっと恋のせい』

 食べ終えたお皿持ち去られた後の泣きそうに広いテーブルを見て
               佐藤りえ『フラジャイル』

 この差はどこから来るのだろうか。それはたぶん「言葉にリアルを感じる」感受性が変容しつつあるのだ。文語定型という非日常的文体は、約束事による虚構の文体である。そのような非日常的文体に日常的思いを載せるには、想像力の河を遡上し、比喩という橋を渡らなくてはならない。その遡行の長い距離がもうすでに「リアルでないもの」と感じられてしまうのだろう。またこのような対立的文体によって押し上げられた非日常的〈私〉もまた、これらの歌人には「リアルでないもの」と感じられるのである。

 確かに、口語にしか載らないような思いというものもある。加藤治郎は、「四年前、原っぱだったねとうなずきあう 僕らに特に思いはなくて」という早坂類の歌を引いて、淡い空虚な感じやちょっとさみしい感じのような都市生活者の気分は、文語ガチガチの定型では引き出せないと指摘している(『現代短歌の全景』)。

 しかし、永田的意味での〈対立〉の文体と〈フラットな〉文体は、決して文語と口語の差に還元されるわけではない。口語を用いながらも〈対立〉の文体を実現することはできる。例えば次のような歌人たちはそれを十分に実現していると、私には思えるのだ。

 骨と骨つないでたどるゆるやかにともにこわれてゆく約束を 
             ひぐらしひなつ『きりんのうた。』

 膝がしら並べていたねゆるしあう術もないまま蝶をとばせて

 夕暮れの車道に空から落ちてきてその鳥の名をだれもいえない
                盛田志保子『木曜日』

 人生にあなたが見えず中心に向かって冷えてゆく御影石 

 これらの歌は口語だが、注意深く選ばれた言葉の連奏のかなたから浮上する〈私〉は、日常的行為者としての〈私〉ではなく、文体を梃子として非日常的な詩の水準へと引き上げられた〈私〉である。加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』の、「そんなわけないけどあたし自分だけはずっと16だと思ってた」のような歌と比べれば、その〈私〉の押し上げられた水準の差は明らかだろう。

 一九七三年生まれの人が成人を迎えたのは九三年だから、思春期をバブル経済のただ中で過ごし、バブル崩壊とともに成人したことになる。この世代の歌人に特徴的なのは、短歌のあちこちに漂う「漠然とした終末感」「出口なし感覚」である。

 ピンボール月の光をはじきつつ出口はないけれど待っている 
                佐藤りえ『フラジャイル』

 ペリカンの死を見届ける予感して水禽園にひとり来ていつ 
                生沼義朗『水は襤褸に』

 ソ連邦解体くらいまではかろうじて命脈を保っていた〈大きな物語〉は、九十年代には完全に失効した。私たちの手に残されているのはもはや〈小さな日常〉でしかない。しかし、〈小さな日常〉は際限なく断片化するため、共有することの難しい資源である。今の若い歌人たちが〈対立の文体〉でなく、〈フラット化された文体〉を志向し、〈日常的私〉に「リアルなもの」を探そうとしているのは,ここに理由があるのではなかろうか。

 そんななかで異色と言えるのは、黒瀬珂瀾と石川美南の二人である。

 わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を 
                 黒瀬珂瀾『黒燿宮』

 茸たちの月見の宴に招かれぬほのかに毒を持つものとして 
                 石川美南『砂の降る教室』

 黒瀬の繰り広げるペダンティックな耽美的世界では、〈私〉は日常的地平に矮小化されるどころか時に誇大にすら増幅され、黒瀬の周到な戦略を感じさせる。また石川の短歌を貫く「世界を異化する視線」は、〈大きな物語〉が失効した現代にあって、世界に対して非日常的〈私〉を立ち上げるひとつの方法論を示しているようで、注目されるのである。



『短歌ヴァーサス』5号(風媒社)2004年10月8日発行