たましいの年はいまだおさなくて
ふたり手をふる異国の船に
里見佳保『リカ先生の夏』(角川書店)
ふたり手をふる異国の船に
里見佳保『リカ先生の夏』(角川書店)
作者の名前は「サトミヨシホ」と読むらしいが、人にはよく「サトミカホ」と読まれるようだ。名字の「里」の字を「リ」、名前の「佳」の字を「カ」と読めば「リカ」になるから、リカ先生とは本人のことだろう。中学校で国語を教えている若い先生である。三枝昂之の指導を受けて「りとむ」に所属しており、1999年度角川短歌賞次席に選ばれている。三枝が跋文を寄せており、日頃は精緻な歌論を展開する鋭い論客の三枝も、愛弟子を世に送り出すやや甘い先生の顔をしているのが微笑ましい。
短歌との出会いは人さまざまである。通っていた高校の教師に村木道彦がいたという田中槐のような羨ましい出会いもあれば、もっとひっそりした出会いもある。里見の場合は中学二年のときに友達が読んでいた『サラダ記念日』が短歌との出会いだという。生粋のサラダ世代である。三枝の跋文から推測すると、里見は1973年頃の生まれらしいから、『サラダ記念日』出版の年に14歳でちょうど計算が合う。これが正しければ、里見は玲はるな・佐藤真由美・佐藤りえたちと同年齢ということになる。しかし、里見の短歌はこれら若手歌人たちの作る短歌とは、少し肌合いがちがうのである。
ラグビーのルールをわれに説く時は大統領のような口ぶり
そう、あれは微熱もつほどの黄昏にはじめて聞いたアメリカの曲
鉛筆の線消えかけた地図を手にあの海岸を再びなぞれ
陽のあたる棚に残したテラヤマを閉じて始まるわが青春忌
O・ヘンリー短編集を読み終えて立つ街角にパンの香りす
コロッケを買う夕刻の横町にあなたの母の子守歌問う
ほぼ編年体だという歌集の始めの方から選んだ。一首目のような相聞にサラダの影響が濃厚に感じられる。注目されるのは一人称で、里見は「われ」を使っており、俵も「吾」だ。上に名前を挙げた玲はるな・佐藤真由美・佐藤りえたちは、一様に「わたし」を使っている。つまり、里見は短歌のコードを受け入れてその世界の約束事のなかで歌を作ろうとしているのに対して、玲たちは短歌のコードから離れた地点で言葉を詩にしようとしているのである。この差は大きい。だから里見の短歌を読むと、優等生の答案のように、よく書けてはいるが突出する個性に欠けるという印象を受ける。確かに佐藤真由美の「今すぐにキャラメルコーン買ってきてそうじゃなければ妻と別れて」のようなインパクト十分な歌と並べると、おとなしいという感じを受けることはやむを得ないだろう。掲載歌のような二句6音の字足らずすらあまりなく、前衛短歌の開発した強引な句跨り・句割れもなく、素直な定型であることもその印象を強めている。等身大の短歌と言うべきであり、これはこれでいいのだろう。
『短歌研究』2004年11月号が、「現代短歌は変わったか 『サラダ記念日』以前・以後」という特集を組んでいるが、寄せられた文章の中では小池光のものがおもしろかった。小池は『サラダ記念日』の新しさは短歌に「ウラミ」が付着していないところであり、「ウラミ」をまったく内在しないところから発信された短歌を目の前に突きつけられて自分たちは動揺したのだと回顧している。確かに文学の根は様々な「ウラミ」である。先年物故したフランスの文芸評論家モーリス・ブランショは同じことを、「文学は manque (欠如) から生まれる」と表現した。青春の挫折・失恋・病気や死・貧困・戦争など、確かに人生は「ウラミ」の山であり涙の谷である。このような「ウラミ」を心中に抱えた〈私〉は、当然ながら世界と衝突する。その衝突と軋轢の軋みが文学となって発露する。近代文学はおおむねこのような構造になっていた。「ウラミ」を抱えた人は、その源を過去へと遡ろうとする。どうして自分と世界はこのようになってしまったのだろうと自問するからである。ここから生まれるのが自己の歴史性への意識で、近代文学とは歴史性の先端にいる〈私〉の文学であり、それは田中康夫の『なんとなく、クリスタル』に至るまでいささかも変わっていない。しかるにサラダ以後の短歌は、「ウラミ」とその相関物であるところの歴史性を消去した。これが小池の文章のだいたいの趣旨に、私自身の言葉を少し付け加えたものである。ちなみに歴史性の消去とともに近代文学は終焉を迎えたのであり、これは柄谷行人の指摘によるところでもある。
小池の主張にはおおむね賛成だが、若い歌人たちにまったく「ウラミ」がないかというと、そうとも言えないのではないか。若い歌人の歌には漠然とした「出口なし感覚」と「終末感」が感じられることが多い。
盛塩が地震(ない)に崩れる。神々ももはや時間を使い果たした 生沼義朗
轢死した猫の形態(かたち)に朧なるさまにわたしの死もおぼろなる 菊池裕
バナナブレッドつついて語る虹の脚と世界の破滅の関係を 佐藤りえ
グラスから矢車草は抜き取られわたしがしずかに毀れはじめる ひぐらしひなつ
髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた 嵯峨直樹
最後の嵯峨は2004年度の短歌研究新人賞受賞者である。「生まれたらもう傷ついていた」と感じる〈私〉が見上げる空は「ペイルグレーの空」なのだ。ただしこの「出口なし感覚」と「終末感」は、〈私〉を世界と対峙させるほどに激しいものではなく、またその原因をこれと特定できるものでもなく、ややもすればそのままに自閉してしまうところが近代短歌の正体のはっきりした「ウラミ」と異なる点だろう。
里見の短歌に話を戻すと、里見もまたサラダ以後世代の例に漏れず、歌に「ウラミ」がまったく付着していない。群馬県榛名町という田園地帯に生まれ育ち、東京の大学の国文科を出て故郷に戻り中学教師をしている里見は、バブル経済崩壊の精神的影響をまともにくらった都市生活者とは異なる青春を送ったようである。しかし里見もまた自分の短歌世界を浮上させる契機を発見する必要に迫られる。この点で注目されるのは、集中の「鈴廻(りんね)抄」連作だろう。
鳥おらぬ鳥籠のなか月射して明治の頃のままの静寂
時計屋の主が姫と呼んでいた人形時計買われゆく午後
雪降るや一軒宿の柱には指名手配の老い知らぬ顔
時が経つほどに花びら散らしゆく祖母のしめたる葉桜の帯
大陸へ渡った祖父が鍵かけたままに残した革のトランク
主題性の際立った連作であり、テーマは言うまでもなく時間の遡行である。それまでの日常に材を採った短歌から一歩踏み出して、一定量の虚構という劇物を混入してテーマを際立たせる手法を試みている。ここには寺山が華麗に駆使した〈虚構の私〉、前衛短歌の反・私性という主張が目指した〈私〉の方法論的拡大を継承しようとする姿勢がある。明治の静寂を若い里見が知るよしもないが、明治の静寂をかくもあらんと想像するところに、世界を対象として浮上させる梃子がある。時間というテーマを強く打ち出すことで、里見の短歌はそれまでのものとは異なる風貌を獲得している。またそれまであまり見られなかった句跨りを使っていることも注目される。
里見はオノマトペにもひと工夫しているようだ。
ちんちくと瓶に沈める青梅にむかし失くした鈴の音を聞く
てぷてぷとシチュー煮えおりこんな夜はグリム童話のおおかみが来る
ざいざいと鳴る杉林そのなかを縫い目のように水の音する
美白液ぱぱぱやぱやと頬にあてふと思い出すみずいろの日々
最後の「ぱぱぱやぱや」など出色であり、私は往年のザ・ピーナッツの唄などを思い出してしまった。
最も印象に残った歌は次の三首である。
病める子の枕のくぼみそのままに廃院となる重田小児科
深々と春 額に音叉あてて識るわが内耳にも鈴一つあり
この夜のねむり始めは黒傘を閉じゆくように閉じ、ゆくよう、に
一首目は「枕のくぼみそのままに」という描写が生々しく、また「重田小児科」という固有名の使用が効果的で、物語性を強く感じさせる一首となっている。二首目は初句「深々と春」が7音という大胆な破調だが、一字空けが効果的に使われていて美しい歌である。確かに音叉を頭骨に当てると頭蓋で共鳴する音が聞こえるのであり、これは作り事ではない。もし「音叉の歌」という特集を組むことがあったら、ぜひ採り上げたい歌である。三首目は入眠時の様子を黒傘が閉じてゆくという比喩で詠ったものだが、結句のリフレイン「閉じ、ゆくよう、に」の切れ切れになった書き方が意識の遠のく様子を表わしていて、修辞に工夫がある。
師の三枝の暖かい跋文をもらって第一歌集を上梓した里見が、「鈴廻抄」で試みたような主題性を今後どのように深めて自分の短歌世界を立ち上げてゆくのか、興味のあるところである。
短歌との出会いは人さまざまである。通っていた高校の教師に村木道彦がいたという田中槐のような羨ましい出会いもあれば、もっとひっそりした出会いもある。里見の場合は中学二年のときに友達が読んでいた『サラダ記念日』が短歌との出会いだという。生粋のサラダ世代である。三枝の跋文から推測すると、里見は1973年頃の生まれらしいから、『サラダ記念日』出版の年に14歳でちょうど計算が合う。これが正しければ、里見は玲はるな・佐藤真由美・佐藤りえたちと同年齢ということになる。しかし、里見の短歌はこれら若手歌人たちの作る短歌とは、少し肌合いがちがうのである。
ラグビーのルールをわれに説く時は大統領のような口ぶり
そう、あれは微熱もつほどの黄昏にはじめて聞いたアメリカの曲
鉛筆の線消えかけた地図を手にあの海岸を再びなぞれ
陽のあたる棚に残したテラヤマを閉じて始まるわが青春忌
O・ヘンリー短編集を読み終えて立つ街角にパンの香りす
コロッケを買う夕刻の横町にあなたの母の子守歌問う
ほぼ編年体だという歌集の始めの方から選んだ。一首目のような相聞にサラダの影響が濃厚に感じられる。注目されるのは一人称で、里見は「われ」を使っており、俵も「吾」だ。上に名前を挙げた玲はるな・佐藤真由美・佐藤りえたちは、一様に「わたし」を使っている。つまり、里見は短歌のコードを受け入れてその世界の約束事のなかで歌を作ろうとしているのに対して、玲たちは短歌のコードから離れた地点で言葉を詩にしようとしているのである。この差は大きい。だから里見の短歌を読むと、優等生の答案のように、よく書けてはいるが突出する個性に欠けるという印象を受ける。確かに佐藤真由美の「今すぐにキャラメルコーン買ってきてそうじゃなければ妻と別れて」のようなインパクト十分な歌と並べると、おとなしいという感じを受けることはやむを得ないだろう。掲載歌のような二句6音の字足らずすらあまりなく、前衛短歌の開発した強引な句跨り・句割れもなく、素直な定型であることもその印象を強めている。等身大の短歌と言うべきであり、これはこれでいいのだろう。
『短歌研究』2004年11月号が、「現代短歌は変わったか 『サラダ記念日』以前・以後」という特集を組んでいるが、寄せられた文章の中では小池光のものがおもしろかった。小池は『サラダ記念日』の新しさは短歌に「ウラミ」が付着していないところであり、「ウラミ」をまったく内在しないところから発信された短歌を目の前に突きつけられて自分たちは動揺したのだと回顧している。確かに文学の根は様々な「ウラミ」である。先年物故したフランスの文芸評論家モーリス・ブランショは同じことを、「文学は manque (欠如) から生まれる」と表現した。青春の挫折・失恋・病気や死・貧困・戦争など、確かに人生は「ウラミ」の山であり涙の谷である。このような「ウラミ」を心中に抱えた〈私〉は、当然ながら世界と衝突する。その衝突と軋轢の軋みが文学となって発露する。近代文学はおおむねこのような構造になっていた。「ウラミ」を抱えた人は、その源を過去へと遡ろうとする。どうして自分と世界はこのようになってしまったのだろうと自問するからである。ここから生まれるのが自己の歴史性への意識で、近代文学とは歴史性の先端にいる〈私〉の文学であり、それは田中康夫の『なんとなく、クリスタル』に至るまでいささかも変わっていない。しかるにサラダ以後の短歌は、「ウラミ」とその相関物であるところの歴史性を消去した。これが小池の文章のだいたいの趣旨に、私自身の言葉を少し付け加えたものである。ちなみに歴史性の消去とともに近代文学は終焉を迎えたのであり、これは柄谷行人の指摘によるところでもある。
小池の主張にはおおむね賛成だが、若い歌人たちにまったく「ウラミ」がないかというと、そうとも言えないのではないか。若い歌人の歌には漠然とした「出口なし感覚」と「終末感」が感じられることが多い。
盛塩が地震(ない)に崩れる。神々ももはや時間を使い果たした 生沼義朗
轢死した猫の形態(かたち)に朧なるさまにわたしの死もおぼろなる 菊池裕
バナナブレッドつついて語る虹の脚と世界の破滅の関係を 佐藤りえ
グラスから矢車草は抜き取られわたしがしずかに毀れはじめる ひぐらしひなつ
髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた 嵯峨直樹
最後の嵯峨は2004年度の短歌研究新人賞受賞者である。「生まれたらもう傷ついていた」と感じる〈私〉が見上げる空は「ペイルグレーの空」なのだ。ただしこの「出口なし感覚」と「終末感」は、〈私〉を世界と対峙させるほどに激しいものではなく、またその原因をこれと特定できるものでもなく、ややもすればそのままに自閉してしまうところが近代短歌の正体のはっきりした「ウラミ」と異なる点だろう。
里見の短歌に話を戻すと、里見もまたサラダ以後世代の例に漏れず、歌に「ウラミ」がまったく付着していない。群馬県榛名町という田園地帯に生まれ育ち、東京の大学の国文科を出て故郷に戻り中学教師をしている里見は、バブル経済崩壊の精神的影響をまともにくらった都市生活者とは異なる青春を送ったようである。しかし里見もまた自分の短歌世界を浮上させる契機を発見する必要に迫られる。この点で注目されるのは、集中の「鈴廻(りんね)抄」連作だろう。
鳥おらぬ鳥籠のなか月射して明治の頃のままの静寂
時計屋の主が姫と呼んでいた人形時計買われゆく午後
雪降るや一軒宿の柱には指名手配の老い知らぬ顔
時が経つほどに花びら散らしゆく祖母のしめたる葉桜の帯
大陸へ渡った祖父が鍵かけたままに残した革のトランク
主題性の際立った連作であり、テーマは言うまでもなく時間の遡行である。それまでの日常に材を採った短歌から一歩踏み出して、一定量の虚構という劇物を混入してテーマを際立たせる手法を試みている。ここには寺山が華麗に駆使した〈虚構の私〉、前衛短歌の反・私性という主張が目指した〈私〉の方法論的拡大を継承しようとする姿勢がある。明治の静寂を若い里見が知るよしもないが、明治の静寂をかくもあらんと想像するところに、世界を対象として浮上させる梃子がある。時間というテーマを強く打ち出すことで、里見の短歌はそれまでのものとは異なる風貌を獲得している。またそれまであまり見られなかった句跨りを使っていることも注目される。
里見はオノマトペにもひと工夫しているようだ。
ちんちくと瓶に沈める青梅にむかし失くした鈴の音を聞く
てぷてぷとシチュー煮えおりこんな夜はグリム童話のおおかみが来る
ざいざいと鳴る杉林そのなかを縫い目のように水の音する
美白液ぱぱぱやぱやと頬にあてふと思い出すみずいろの日々
最後の「ぱぱぱやぱや」など出色であり、私は往年のザ・ピーナッツの唄などを思い出してしまった。
最も印象に残った歌は次の三首である。
病める子の枕のくぼみそのままに廃院となる重田小児科
深々と春 額に音叉あてて識るわが内耳にも鈴一つあり
この夜のねむり始めは黒傘を閉じゆくように閉じ、ゆくよう、に
一首目は「枕のくぼみそのままに」という描写が生々しく、また「重田小児科」という固有名の使用が効果的で、物語性を強く感じさせる一首となっている。二首目は初句「深々と春」が7音という大胆な破調だが、一字空けが効果的に使われていて美しい歌である。確かに音叉を頭骨に当てると頭蓋で共鳴する音が聞こえるのであり、これは作り事ではない。もし「音叉の歌」という特集を組むことがあったら、ぜひ採り上げたい歌である。三首目は入眠時の様子を黒傘が閉じてゆくという比喩で詠ったものだが、結句のリフレイン「閉じ、ゆくよう、に」の切れ切れになった書き方が意識の遠のく様子を表わしていて、修辞に工夫がある。
師の三枝の暖かい跋文をもらって第一歌集を上梓した里見が、「鈴廻抄」で試みたような主題性を今後どのように深めて自分の短歌世界を立ち上げてゆくのか、興味のあるところである。