第179回 吉野裕之『砂丘の魚』

南からやって来た船大きくて横切ってゆく ゆっくり私
                  吉野裕之『砂丘の魚』
 本書は『空間和音』(1991年)、『ざわめく卵』(2007年)、『博物学者』(2010年)、『Yの森』(2011年)に続く吉野の第5歌集である。ただし、吉野は歌の制作年代どおりに歌集をまとめていないので、時系列的には『空間和音』、『博物学者』、『Yの森』、『ざわめく卵』、そして今回の『砂丘の魚』の順番になる。歌集表紙には、灰色の背景に白抜きの魚の形が描かれており、帯を外すと図と地が逆転して、白い背景に灰色の魚になるというおもしろいデザインである。いやに幅の広い帯だなと思ったら、こんな愉快な仕掛けが隠されていたのだ。歌集をお持ちの方はぜひ帯を外してみてください。
 吉野の歌集を読むのは楽しい。歌のリズムに身を委ねていると、作者に導かれて角を曲がって路地に入ったり、橋を渡ったり、ビルの上に誘われたりして、ゆったりと町歩きしている気分になる。決して急がず歩調はあくまでゆっくりと、あちこちにおやという小さな発見や驚きがある。そんな感じがするのである。
いちじくの煮詰められゆく時間からことばをそっと選ぶあなたは
 歌に描かれた場面に流れる時間もコトコトと煮詰められてゆく無花果のようにゆるやかに流れているが、それを描く歌の時間(すなわち読者の読みの時間)もまた春の小川の流れのようにゆるやかである。
 しかし吉野の歌の魅力を言葉で語ろうとすると、これが意外に難しい。今回歌集を一読して感じたことをいくつかのキーワードで語ってみよう。
 ひとつめのキーワードは「文体」である。言うまでもないことだが、文芸のキモは文体にある。同じことを述べても、文体が違えばかたや文芸、かたや非文芸(つまり文芸のなり損ね)ということもある。
とても冷えた酒を注がれてゆくときを春の野菜が口の中にある
六月のカステラの黄のやわらかさ肯うようにフオク刺しいつ
欠伸する犀を見ながら考える不思議なことだ扉の配置
そのままがいいと思えばそのままでいいのだけれど気になっている
 吉野の文体はほぼ現代語の口語体で、定型は守りつつもいささかの破調は辞さないというスタンスである。『空間和音』が上梓されたのは1991年だが、『岩波現代短歌辞典』の巻末年表によると、1985年頃からライトヴァースをめぐる議論が盛んになり、『サラダ記念日』が出た1987年にはライトヴァースをめぐる議論が白熱とある。吉野の第一歌集『空間和音』もおそらくは、バブル経済を背景としどこか浮かれた世情と呼応するかのようなライトヴァースの流れのなかにある歌集と受け止められたにちがいない。だからこそ『空間和音』の出版記念会で、藤原龍一郎は「短歌の言葉に対する葛藤のなさ」に苦言を呈したのである。
 確かに従来の近代短歌と比較すれば「ライト」な文体であるにはちがいない。しかしながらこのような文体であるからこそ表現できるものもある。それは「軽み」である。『日本国語大辞典』(小学館)によれば、「軽み」とは芭蕉俳諧の理念の一つで、庶民性、通俗性を高揚深化し、軽快、瀟洒、直截、平淡、卑近などを芸術化することで、卑近な事象に詩美をとらえた軽妙な風体、とある。
 吉野の短歌の題材は徹底して卑近・平俗であり、大事件は決して詠まれることがない。それは吉野が日常の大事さを重んじていて、短歌は日常のささいなことを掬う器だと考えているからである。たとえば上に引いた歌では、冷えた酒を口に含んだときの印象、カステラの黄色、扉の配置、何か気になることが題材だが、いずれも日常の些事である。「軽み」の文体はこのように吉野の短歌観に根ざしたものだと言える。
 このような詩魂を持つ吉野が俳句に接近するのは自然なことで、吉野は井上雪子・梅津志保らと豆句集『みつまめ』という楽しい豆本句集を定期的に作っている。たとえば次のような句がある。
谷中から手紙来てゐる冷奴
午過ぎは大きな時間秋の貨車  2014年立冬号
落ちていて椿を逃げる形かな
グラジオラス老いたる影の真つ直ぐに 2015年立夏号
 次のキーワードは独特の「空間感覚」である。
私に任せてほしい言い切ったときの背後のそら桔梗色
ダアリアが花を咲かせるかたわらを影を乗せたる自動車が過ぐ
建て替えの前をあわあわ過ぎてゆく店ネクタイを緩めるように
夏草は遠く国会議事堂を置きつつさやぐ暑き暑き日
パイプをくわえたひとが過ぎてゆく大きな窓は私の前
 吉野の歌には歌の核となる事象だけでなく、背景・遠景が描かれているものが多い。そしてなかには事象よりも背景・遠景のほうが重要な歌もある。たとえば上の一首目、誰かが「私に任せてほしい」と言った上句は近景だが、下句では突然遠景にパンして背後の空に焦点が当たっている。二首目では、影のように顔の見えない人を乗せた車の背後に、夏の花ダリアが咲き乱れている。三首目では、建て替え中の店の前を通り過ぎているのだろう。やはり背景が描かれている。四首目では、近景の夏草の遠景に国会議事堂が置かれているという具合である。
 このように背景や遠景が描かれていることによって、歌の中に遠近感と奥行きが生まれ、歌がフラット化することを免れているとも言えるだろう。吉野は都市計画に関わる仕事をしているようなので、もともと空間的把握に秀でていることもあるかもしれない。しかしこれは以前のコラムでも触れたことだが、吉野は物事を固定的な視点から見ることを避けて、「何かが自分の前に形を取って立ち現れる」瞬間を大事にしているようで、歌にしばしば背景・遠景が描かれているのは、何かが立ち現れるにはその出現の〈場〉が要請されるからではないかと思う。
 次のキーワードは「実体と影」である。吉野の歌はゴッホの油絵のような強烈な印象を与えるものではなく、色彩の淡い淡彩画を観ているように感じることがある。その理由はなんだろうと考えてみると、しばしば実体ではなくその影が描かれているか、実体と呼べるものがほとんど登場しないのである。
ブラインドに起重機の影が動いている誰に告げればいいのだろうか
靴先に確かめてゆく春の土あるいは花のやわらかな影
王様にならなくていいといわれたる少年のようなプラタナスの影
開かれてある一冊は膝の上に大きな影を抱くしばらく
ぼくたちの場所だったはずなのにもう木の椅子がある風が揺れる
遠くから聞こえていると思うけれど空の青さと幼子の声
夏めいてくる彼の肩ゆるやかにあるいははかなげに雨のなか
 一首目ははっきりとブラインドに映る影である。実体が存在するから影ができる。ゆえに影は実体の存在を担保するはずなのだが、吉野の歌のなかでは必ずしもそうではなく、影のみとして在るかのようだ。二首目の花の影、三首目のプラタナスの影、四首目の本の影についても同じことが言える。五首目から七首目は、描かれている情景の中の実体の少なさが際立っている歌を並べてみた。五首目では確かに木の椅子はあるがただそれだけであり、後は風が吹いているだけだ。六首目になると青空に幼児の声が遠くに聞こえるだけで、実体と呼べるものはない。七首目も同様で、クローズアップされた「彼」と呼ばれる人の肩だけがあり、あとは背景としての雨のみという次第である。
 セレクション歌人シリーズの『吉野裕之集』に収録された「日常と真向かうための」という文章で、吉野は次のように書いている。
日常はいくつかの側面を持っている。たとえば、物理的側面、機能的(社会的)側面、記号的(文化的)側面といったことばで分けることができるだろう。そして、それぞれが多様な水準と相を持っている。(…)ものごとは、ひとつの視点だけで見通すことはできない。時間も空間も、けっして規則的に構成されているわけではない。日常と真向かうことによって、われわれはこうしたあたりまえのことを実感していく。
 吉野の歌では視点が固定されておらず、たった一人の〈私〉へと収斂することがないのは、このような事情によるものと思われる。また言うまでもなく「個性」で加藤克巳に師事した吉野は都市生活者のモダニストであり、本歌集はモダニストが詠んだ都市詠として読むこともできるだろう。
 最後にもっとも印象に残った歌を一首挙げておこう。
向き合って夏の話をしていたり貨車はしずかに連結を待つ
【お断り】吉野の「吉」の字は上が「士」ではなく「土」だが、テキスト形式では表示できないのでやむをえずこうしてある。ご寛恕を請う。

第23回 吉野裕之『ざわめく卵』

ゆっくりとやって来るものおそらくはその名を発語せぬままに待つ
              吉野裕之「胡桃のこと II」『吉野裕之集』
  歌集を開いて読む。眼は文字を追っているが、どうしても歌の中に入れないことが、ある。風邪で熱っぽいせいか、前の晩に酒を過ごしたためか、書庫の移転で本を運び筋肉痛になったからか、わからない。まるで歌が硬質ゴムでできたドアのように、こちらの入り込もうとする力を、跳ね返す。歌を読む能力が突然消えたのかと、あせる。それでも読み進む。読む速度を変えてみる。途中で立ち止まってみる。そうか、と気がつく。今日の体調が作り出す私の身体のリズムと、たまたま開いた歌集に群れる歌のリズムが、合わなかったのだ。息を合わせなくては。歌の中にひっそりとたたみ込まれている呼吸のリズムと、読む私のリズムとを、ひったりと寄り添うようにして、合わせる。すると今までは文字の並びにすぎなかったものに、呼吸が生まれ、時間が流れ出す。こうして初めて、歌はその秘密のすべてを語りだす。今回、吉野裕之の第二歌集『ざわめく卵』(砂子屋書房、2007)を読んで、こういう体験をした。
 この体験を通じてわかったのは、短歌は「時間の文芸」だということだ。「何を言うか。小説にも時間の流れはあるじゃないか」という意見もあるだろう。もっともである。例えば、池澤夏樹『きみのためのバラ』所収の短編「都市生活」は、主人公の「彼」が飛行機に乗り損ねて当地に一泊することになり、遅い夕食を取るために入ったレストランでの、初対面の女性と交わす会話を軸とする物語だ。読者は主人公に寄り添ってその場面を追体験するが、そこには空港から出て、レストランに入り、食事と会話を終えて店を出るまでの時間が、確かに流れている。しかしこれは、物語の中に流れる時間で、読者の読みに流れる時間ではない。一編の短編を15分で読んでも、1時間かけて読んでも、物語の中に流れる時間は、伸び縮みしない。「物語の時間」ではない「読みの時間」というものがある。短歌の場合には、こちらの方が決定的に重要なのだ。だから、「短歌が時間の文芸だ」と言うとき、その時間とは、歌の中に流れている時間(たとえば作者の人生の時間)ではなく、読み手が歌の読みにかける時間であり、取るリズムをいう。それはまた、歌に寄り添う時間でもあり、歌がこのように読んでほしいと誘っている時間でもある。その誘う声に耳を傾けなければ、歌の読みというものは、おそらくない。
 『ざわめく卵』からほぼ一年後の2008年に、セレクション歌人『吉野裕之集』(邑書林)が出た。第一歌集『空間和音』と『ざわめく卵』からの抄録に、それ以後の歌と散文が収められている。巻末に藤原龍一郎が作者論を書いている。それによると、第一歌集『空間和音』の出版記念会で藤原は、「短歌の言葉に対する葛藤のなさへの不満」を根拠に、吉野の歌を全面否定する発言をしたそうである。おお恐い。藤原が攻撃するのは、例えば次のような歌だ。
春の海マンモスのたりのたりしてときおりぼくに微笑んでいる
ほくほくはやきいも ぽくぽくは木魚 ああ、ぼくたちは啄木が好き
序文を寄せた師の加藤克己が心配した、「しらけの時代の、いささか無抵抗感に過ぎるところ」が、藤原の逆鱗に触れたものと見える。『吉野裕之集』のあとがきで、「十年以上も歌集をまとめなかった。まとめることができなかった、といったほうが正しい」と吉野が述懐している背景には、このような事情もあったと推察される。
 『吉野裕之集』所収の「日常と真向かうための」という文章の中で、吉野は次のように書いている。
「われわれはもっと大切にしなければならないと思う。日常。辞書的にいえば、つねひごろ、ふだんといった意味を持つことば。なんだかとても平凡な感じがする。とはいえ、現実の日常はけっして単純ではなく、その水準や相は多様である。この多様な水準や相をていねいに捉えようとする意志が、いま弱まっているのだと思う」
 これはそのまま吉野の姿勢の表明と取っていいだろう。そして第二歌集『ざわめく卵』はその実践編と考えてよい。だからこの歌集には、激しい抒情も鋭い社会批判もなく、ただ淡々と日常が並んでいるのである。『空間和音』にときどき見られた、いかにも若者風のポップな感覚や言葉遊びはすっかりなりを潜めている。
そのおもて夕日を映す運河わが背景として選ばれている
声をあげ目覚めたときを部屋がありしばらくののち手が現るる
くちびるの端で留めたフレーズが立ち上がりくる秋の階段
六人で酔うテーブルにあっけらかんと運ばれてくるひとの痛みが
秋の日のかがやきの中ふかくふかく見えてくるもの東京の辺に
このようにして連結ははじまりぬ人の消えたる駅の構内
 さっと読み飛ばすと気がつかない細部に、日常をすくい取ろうとする視線と、それを定着しようとする言葉の工夫が見てとれる。
 一首目ではそれは主に下句にある。上句の夕日を映す運河はありふれた風景である。それを「わが背景」と形容することは、背景の運河込みの〈私〉を見るもうひとつの視線を想定させる。「選ばれている」にも〈私〉以外の主体が感じられる。もしかしたら、運河をバックに〈私〉を写真に収めようとしている人がいるのかもしれない。こうして夕日を映す運河が背景に選ばれることによって、都市に生活する〈私〉が切り取られる。しかし、これが風景を選ぶという能動的働きかけではなく、受動的であることに注意しておこう。
 二首目は朝の覚醒の瞬間である。夢でも見ているのか、まず声が出る。発声から覚醒へと移行して、次に自分の手の知覚が立ち戻る。この歌では、「目覚めたときを部屋があり」の助詞「を」と「が」が効果的で、まだ自己と周囲の知覚が定まらない覚醒の瞬間をよく伝えている。
 五首目は特に具体的な光景が詠まれているわけではない。だから何が「見えてくる」のかは読者にはわからない。しかし「ふかくふかく」と三句目を増音して作り出したリズムのなかに聞こえる作者の息づかいに合わせることで、そこに確かに何か見るべきものがあるのだと感じられるのである。
 六首目は深夜の駅構内での列車の連結作業を詠んだものである。ここでの工夫は、冒頭の「このようにして」のいきなり感だろう。この措辞によって、一首の描く風景が〈私〉を離れたところに成立する都市風景として提示されるのではなく、〈私〉がその中に含み込まれた風景として描かれるのである。
 これらの歌に共通する姿勢は、都市に住む〈私〉の目に映ずる風景を、「すでにあるもの」として描くのではなく、「立ち現れるもの」として微細に描くということだろう。「すでにあるもの」としての風景は、実は私が見ているものではなく、既成概念として私が見させられているものである。公園にベンチがあるとする。「ベンチがある」という私の認識は、既成の参照枠 (reference frame)に基づく判断である。私の参照枠の公園のなかには、ベンチやゴミ箱や水飲み場や砂場がすでに登録されている。だから「ベンチがある」という認識は、参照枠に照らしたものにすぎない。吉野は意識的にこの参照枠を遠ざけて、生々しく目の前に立ち現れるものとして、風景を描こうとしているようだ。そのことを推察させる歌が、いくつも集中にはある。
人間のかたちとなって泣いている五月もしくは下闇のなか
椅子というかたちを見せているものの影伸びている君の足元
信州ゆ来たる特急わが前にかたちとなれば静止してゆく
切断がなされるような音がするビルの上なる空の中にて
「人間が泣いている」のではなく、何かが「人間のかたちとなって泣いている」という捉え方に、吉野の方略がある。二首目の「椅子というかたち」も同じである。三首目はより進んでいて、自分の前に停止して初めて何かが特急列車となるという描き方には、頭が軽くくらっとする認識の落差が埋められている。四首目の「切断がなされるような音」にも同じことが言える。吉野の言う「この多様な水準や相をていねいに捉えようとする意志」は、このような歌い方に現れていると考えてよい。
 ここで掲出歌に戻ろう。これは「胡桃のこと II」の最後に置かれている歌である。
ゆっくりとやって来るものおそらくはその名を発語せぬままに待つ
 日常の風景はゆっくりとやって来る。そしてそれは最初は名を持たぬものである。その名を性急に発語することは、風景を既存の参照枠に押し込めることになる。だから向こうからその名を明かすまで待つのである。
 吉野の歌を読む読者もまた、歌がささやきかける時間に寄り添うようにして、じっと待たなくてはならない。性急に自分のリズムで読んではいけない。こうすることで得られる体験もまた、歌のみが与えることのできるものである。

179:2006年11月 第3週 吉野裕之
または、縮小する世界で我に返る歌

腐りたるトマトを捨てし昨日のこと
     ふと思い出す地下鉄に乗り
         吉野裕之『空間和音』

 昨日腐っていたトマトを捨てた。日常よくあることだ。それを今日地下鉄に乗っているときふと思い出したという歌である。「だからどうした」と思わずツッコミを入れたくならないだろうか。「冷蔵庫の上に一昨日(おととい)求めたるバナナがバナナの匂いを放つ」という歌にも同じことが言える。バナナからリンゴの匂いがしたらおかしいが、バナナからバナナの匂いがするのは当たり前だ。吉野裕之の『空間和音』にはこのような歌がたくさんある。どうしてもツッコミを入れてしまう関西人なら、ツッコミどころが多すぎて頭を掻きむしりそうだ。

 これは「ただごと歌」なのだろうか。奥村晃作の「次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」というよく知られた歌と同じように、当たり前のことを当たり前に詠んだ歌なのだろうか。どうもそうではないようだ。それは掲出歌には「ふと我に返る瞬間」が感じられるからである。「我に返る」というのは、夢想していて現実に引き戻されるとか、激しく興奮していた状態から冷静な状態に戻るというのが辞書的意味だが、ここでは「世界に触手や視線を投げかけていた状態から、触手や視線を引っ込めて、自分だけを見つめる状態に移行すること」という意味で使ってみたい。亀が首や手足を甲羅の中に引っ込める様子を思い描いていただければよい。世界に触手や視線を投げかけるのは、世界を認識したり他者と交流したりするためである。私たちは常日頃、外界や他者との交わりのなかで暮している。だから私たちの体からは触手や視線が常に外に出ているのであり、これを〈拡大された自己〉と呼んでもよい。眼が外を向いている自己である。これにたいして触手や視線を引っ込めた自己は〈縮小された自己〉であり、眼が内側を向いている自己である。掲出歌にはこの拡大から縮小へと転じる瞬間が詠まれている。この意味で掲出歌は「ただごと歌」ではないのであり、吉野の作歌の基本的スタンスにこの〈自己の転調の瞬間〉が置かれていることはまちがいない。

 吉野裕之は昭和36年(1961年)生まれで、「個性」「桜狩」に所属し加藤克巳に師事している。『空間和音』は1991年に出版された第一歌集で、作者の24歳から28歳にかけての歌が収録されている。序文のなかで加藤は、吉野のことを自由でくったくがなく健康な青年と紹介し、歌ののびやかさや自然さを称揚する一方で、「しらけの時代の、いささか無抵抗感に過ぎるところに腹を立てる人がいるかもしれない」と懸念を表明している。「しらけの時代の、いささか無抵抗感に過ぎるところ」というのは、吉野の歌をライトヴァースと見なす人がいるという判断があるからである。確かに次のような歌もあるので、加藤の懸念はもっともだといえるかもしれない。

 ほくほくはやきいも ぽくぽくは木魚 ああ、ぼくたちは啄木が好き

 他人事のような相づち打つなんてもう肉まんを分けてあげない

 一月の首都は快晴 ほろほろとみずほちゃんたらこけてしまえり

 歯磨きのチューブの残り少なくてあしたの用事ひとつ見つけた

 ちょうど宗教学者の山折哲雄の『「歌」の精神史』(中公叢書)という本を読んだところなのだが、この本のなかで著者は現代短歌のなかから「身をよじるような感情の表出」が消えてしまいカサカサに乾いていることに警鐘を鳴らしている。著者は演歌ファンで、演歌のような泣き節・嘆き節を低俗と見なすのはまちがいで、そこに歌の根源があるとしているのである。そんな山折が吉野の歌を見たら、きっとお子様向けのソーダ水のようなライトさと不満を述べるにちがいない。

 しかし上にも少し述べたように、吉野の歌はただライトであるのではなく、一見抵抗感のない若者風の語法の裏側に、近代短歌の核心となってきた〈私〉が確かに存在しているのであり、表面的な抵抗のなさにだまされてはいけないのである。いくつか歌を引いてみよう。

 理解されなかったこともパン屋にて迷えることも秋の夕暮れ

 さっきまで諍っていしテーブルにポテト・サラダはぽっこりとある

 今世紀最大のピアニスト死んでわが母は食う太きバナナを

 眠りから覚めたるわれの背後にはアジアへ向かう電話ボックス

 自らの重さを思う目覚ましの鳴る十分前にめざめたる時

 ぼくの目の高さ、コップに注ぎたる水の高さ そろり揃える

 たとえば三首目を見てみると、「今世紀最大のピアニスト」たぶんホロヴィッツの死去は新聞やTVで世界に報道される大事件であり、目の前で母親が太いバナナを食べているというのは日常の瑣事であり小事件である。このように大事件と小事件を上句と下句に取り合わせることで、否応なしにあぶり出されるのは〈縮小した私〉であり、このベクトルを逆向きにしたのが四首目だといえる。特におもしろいのは最後の歌で、目の高さとコップの水の高さを揃えるというところに、吉野の方法論がよく示されている。また一首目の「秋の夕暮れ」のように古歌でさんざん使われた語句を配する手法にも同じ効果があり、古典和歌の巨大な美の世界に〈私〉が生活する陳腐な日常を対置することで、あぶり出されるものがあるのである。

 吉野の歌にはよく固有名詞、それも有名人ではなく身の回りにいる人の名前が出てくる。

 看護婦の美奈子さんまた有線にTELしてる〈夢おんな〉お願い

 大いなる松崎さんの背後よりビルたちの群れ騒ぎはじめる

 〈柳橋〉バス停に祐子さんを見つけてちょっと足早になる

 著名人の固有名は読者の共有知識にもあるため、その知識を利用して歌の意味作用を増幅し、歌意を普遍的地平へと送り届けることができる、いわゆる歌枕はそのような作用を持つゆえに古典和歌では重用され、近代短歌では忌避されてきた。これを歌の世界の拡大と呼ぶとすると、吉野の歌における固有名はまったく逆の作用を持っている。「看護婦の美奈子さん」のようなどこにでもいそうな人の名前を使うことで、歌の世界は逆に縮小し、限りなく個別化されてゆく。これが冒頭に述べた意味において「我に返る」ことを強力に支援していることは明らかだろう。

 この歌集には上に引いたような傾向の歌だけではなく、次のような抒情に満ちた美しい歌もたくさん収録されている。

 海という少女の秘密知りたくて地階の書庫にいる夏休み

 真っ白き部屋はゆっくり夏果てぬティッシュの箱をひとつ残して

 夏の空に雲湧きいたり繋がれて馬はしずかにわれを見ており

 伸びひとつして去りゆけりレントゲン技師屋上に風を呼びつつ

 ゆく夏のひかりに腕を伸ばしつつ彫像はある草叢のなか

 しかしながらこの歌集を特徴づけるのは、「我に返る」ことを基調に置いた〈縮小する世界〉の歌であることはまちがいない。そしてこの〈縮小する世界〉の歌を読んでいると、どこか『日々の思い出』以後の小池光の短歌、たとえば「ガスボンベ横たへられて在りふれば冬草はらにわづかなる風」のような歌を思い出してしまうのである。

 荻原裕幸は『短歌ヴァーサス』第3号の特集「現代短歌のゆくえ」の加藤治郎との対談のなかで、現代の若い男性歌人の歌はモチーフ的にあまり変化がないので、どうしても「不景気」に見えてしまうと述べている。吉野の限りなく〈縮小する世界〉の歌も、もしかしたら「不景気な現実」を「不景気な手法」で詠う歌との批判を受けるかもしれないが、そのような見方はまちがっているだろう。吉野の歌は「現代においていかなる短歌が自分に可能か」という課題にたいする答であり、ひとつの優れた解答なのである。山折哲雄の「天翔けるような抒情はどこへ行ってしまったのか」という嘆きを傍らに置きつつ吉野の歌集を読むと、そこに現代短歌が置かれている状況のひとつが見えてくるのである。