第249回 二三川練『惑星ジンタ』

うつくしい島とほろびた島それをつなぐ白くて小さいカヌー

二三川練『惑星ジンタ』 

 さんさんと陽光の降り注ぐポリネシアあたりの南洋の海が思い浮かぶ。真っ青な海に小さな島が点在するが、そのなかには美しい島もあれば滅びた島もある。滅びた島は放棄されもう人間は住んでいないのだろう。植物だけが繁茂して鳥の楽園となっているにちがいない。南洋の楽園にも時の流れがあり栄枯盛衰はある。島と島を繋ぐのは小さなカヌーであり、そこにのみ人間の営みが感じられる。空から俯瞰しているように静謐で透明で物音がなく、どこか滅びへの憧憬が感じられる歌だ。

 九州の書肆侃侃房から陸続として歌集が出版されている。『惑星ジンタ』は2018年12月に上梓された新鋭短歌シリーズの一冊である。著者の二三川練ふみかわれんは、日本大学藝術学部の学生が中心となって結成された象短歌会に所属。同学部博士課程で寺山修司の短歌と俳句を研究する学徒でもある。監修と跋文は東直子。歌集題名の「ジンタ」とは、おそらくサーカスや寄席などで音楽を演奏する少楽団のことだと思われるが、収録された歌とは直接の関係はない。

 プロフィールに生年は記されていないが、写真と博士課程に在籍中ということを考えれば20代の後半か。現在27歳だとすると平成3年生まれで、大学入学後の18歳から短歌を作り始めたとすると、ちょうど2001年になりまさに「ゼロ年代」の歌人ということになる。

 一読して感じたのは短歌の口語化はここまで来たかということである。今となっては懐かしい『短歌ヴァーサス』終刊号の2007年11月号で、加藤治郎はニューウェーヴ世代が短歌史のエポックとなった理由として次の3つを挙げている。

 1) 革新という近代の原理から自由になったこと

 2) 口語の短歌形式への定着

 3) 大衆社会状況の受容

 そして加藤らの上の世代にあたる前衛短歌の時代は口語化と大衆化を果たすことができず、加藤らのニューウェーヴ世代がこれを達成したときに、近代短歌の革新性が否応なく終焉したと続けている。

 『短歌研究』の2018年12月号には年末恒例の「歌壇展望」座談会が掲載されていて、その中で穂村弘は自分が初めて歌集を出した平成の始めを回顧して、「どういう時代だったかというと(…)口語化が発生して浸透した時代だ」と述べている。続けて「自分でも『ごとし』とある時期までやっていたものが、『ごとし』が出なくなっちゃって、『ような』『ように』と」と述懐している。ニューウェーヴ短歌の旗手の二人がほぼ10年を間に挟んで述べたことを考え合わせると、まもなく終わろうとしている平成という時代を刻印したのは急激な短歌の口語化の流れということになる。二三川の短歌もほぼ完全な口語歌である。

夏が終わる なんの部品かわからないまま灼けている道路のネジは

重力を知らないような足取りであなたが蹴りとばす砂の城

たった今生まれた街ですれちがう蝶と白紙の回答用紙

八両の電車は長い 食道を液化してゆくソフトキャンディ

 口語といえどもポエジーである以上、修辞は必要である。一首目は、初句六音の増音、一字空け、三句から四句への句跨がり、助詞「は」で終わる倒置法と、修辞を駆使している。ちなみに道路に何か落ちているというと、すぐに斉藤斎藤ののり弁の歌を思い出してしまうのはいたしかたない。二首目には目立った修辞は使われていないように見えるが、「重力を知らないような」の直喩、三句までが序詞のようになる構成、体言止めと確かに修辞はある。ただし「足取り」は歩く歩調を言うので、「蹴り飛ばす」にかかるのはややおかしい。三首目は幻想的な歌で、「たった今生まれた街」がSF的。ここでの修辞は「蝶」と「回答用紙」の類似性の関係だろう。四首目は二句切れで、二句までと三句以下とが、一字空けの構成から見ても意味から見ても断絶している歌である。そして三句以下が二句までの喩となっている。これだけ見ても二三川がかなり近現代短歌を読み込んで、短歌の修辞を習得しているのがわかる。

 平成またはゼロ年代になって顕著になったもう一つの流れは、短歌のフラット化、低体温化と〈私〉の希薄化だろう。このうちフラット化は二三川の短歌には当てはまらないが、低体温と〈私〉の希薄化は紛れもない。身を捩るような強い感情の主体としての〈私〉はまったくと言ってよいほど見られない。それと並行して作者の私生活を感じさせるようなアララギ的日常も皆無である。集中唯一の例外は祖父の死を詠んだ一連で、そこには祖父の死を悲しむ作者が確かにいる。

速乾性手指消毒ジェルを手に塗り祖父と会う準備整う

一度目はかならず違う名を呼んで二度目はちゃんと僕の名を呼ぶ

くぐもった祖父の言葉のそれぞれを時に間違えつつ訳す母

喉仏の骨は仏のかたちだと係が見せてうなずく遺族

 この一連を例外として、二三川の作歌姿勢は言葉を組み合わせて美しいポエジーを作り出すということのようだ。しかしそこは人間が作るものである以上、感情が混入しないはずがない。一巻を通底して流れているのは、「微かな喪失意識」と「遠い哀しみ」のように感じられる。

めがさめてあなたのいない浴室にあなたが洗う音がしている

捨てられた都のうえを半月が浮かんだままの夏の収束

ここじゃないどこかもやがてここになる紙飛行機はとても軽くて

心さえなかったならば閉園のしずかに錆びてゆく観覧車

法律で換言できる関係の僕らがくぐるファミレスのドア

僕が先にわすれるだろう初夏のボードゲームの勝ち負けすらも

 一首目は恋人が出て行ってしまい独りになった朝の情景だ。恋人はいないのに、浴室から恋人が体を洗う音が聞こえる。この歌は原因が具体的な喪失の歌だ。二首目はもっと抽象的で廃都が舞台である。人が去り荒れ果てた廃都の上に、それだけは変わらず半月がかかっている。本来は夏の「終息」だが、「収束」と書くと光がぐっと絞り込まれるような印象が出る。三首目、若者は常に「ここではないどこか」に向けて旅立ちたいものだ。「ここ」には陳腐な日常しかないからである。しかしこの歌の〈私〉は、祝祭と情熱に溢れていた「どこか」もやがては「ここ」と同じような日常の吹き溜まりになることを知っている。あらかじめ失われている喪失感である。「紙飛行機」は〈私〉の喩とも、〈私〉を乗せて「どこか」へ運んでくれるはずだった乗り物(思想、革命、芸術、etc. )の喩とも取れる。四首目には「心さえなかったならば」という条件節のみで帰結節がない。帰結節はおそらく「こんな悲しみを味わうことはないだろうに」という仮定法過去だろう。下句は一転して閉園した遊園地の観覧車の情景である。ここにも喪失が感じられる。五首目、「法律で換言できる関係」とは「内縁の妻」「内縁の夫」だろう。若い男女は同棲しているで家族ではないのだが、二人が入る店はファミリーレストランである。この歌は他に較べて軽く明るい。六首目、「初夏」は「はつなつ」と読みたい。ボードゲームは家族や友人や恋人たちが興じる遊びである。だからボードゲームには団欒や恋愛などの人間関係が付随している。しかし歌の〈私〉は自分が先に忘却の淵に沈むことを予感している。ここにもあらかじめ失われた喪失感が濃厚に漂っている。

 「微かな喪失意識」と「遠い哀しみ」を世代論に落とし込むのはかんたんだ。作者の二三川が誕生したのはまさにバブル経済が崩壊した頃で、その後の失われた20年もしくは30年に育ったゼロ金利世代だ。しかしその一方で、世代論に還元してしまうのも安易なようにも感じられる。

 今回は一度読み始めて途中で止めた。どうも波長が合わない気がしたためである。もう一度読んで、結局たくさん付箋の付く歌があった。いくつか挙げておこう。

 

プレス機がドールを潰す一瞬の命にふさわしい破裂音

希望なる言葉かすれてアネモネの血で記されし少年の詩は

風を梳かす 命にふれるかなしみの櫛をはなてば白き薔薇園

ほころんだ羽をちつつ黄昏につづく母とのバドミントンは

やがて折れる塔のごとくに積まれゆく日々にかすかな鶺鴒の声

暗転の小劇場に星空の破片のような蓄光テープ

アスファルトの下に埋もれた花々の萌芽の鼓動つたう足裏

教科書を返しわすれた放課後の教科書にまである人の香

 

 どれも近現代短歌の修辞を踏まえた歌となっており、ライトヴァースに続いて出現したフラットな「棒立ちのポエジー」(穂村弘)とはちがう。やはり二三川が寺山修司の研究家であり、自分より上の世代の資産を十二分に意識しているためであろう。読み応えのある一巻である。