069:2004年9月 第3週 佐伯裕子
または、濃密な家族の物語から立ち上がるエロスと歴史性

我にまだ父ありたりし昨夜(きぞ)の皿
   デリシャスの果(み)は透きとおりたり

          佐伯裕子『未完の手紙』
 短歌のなかには、自分が主題を選ぶという姿勢で作られるものがある一方で、自分が主題に選ばれるのだとしか思えないものがある。その典型は人が避けることのできない病と死であろう。

 われの眼のつひに見るなき世はありて昼のもなかを白萩の散る 明石海人

 失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ  中城ふみ子

 今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅 小中英之

 ハンセン氏病を患い長島愛生園で生涯を終えた明石、乳ガン罹患を劇的に詠った中城、体内に不治の病を抱えて常に死を見つめていた小中。自分は病に選ばれたのであり、自らが作る短歌の主題もまたそれ以外のものではありえなかっただろう。短歌が人生と肉薄する瞬間である。

 佐伯もまたある意味で主題に選ばれてしまった歌人である。だから佐伯の歌集を通読すると、日々折々の歌が非常に少ない。機会詠も時事詠もほとんどない。佐伯の歌の背後には、むせ返るばかりの濃密な物語がある。直接にその物語に触れていない歌の背後にも、通奏低音のごとくにそれは響いている。これが佐伯の短歌に刻印された紋章なのである。

 佐伯の祖父の土肥原賢二は、東京裁判でA級戦犯として裁かれ、昭和23年12月23日に東条英機らとともに巣鴨プリズンで絞首刑に処された。刑死ゆえに遺骨はなく、護国寺にある墓の骨壺のひとつには、処刑前に遺書とともに本人から家族に送られた髪の毛と爪が、もうひとつには処刑された7人の戦犯のものがいっしょに混ぜられたわずかの遺灰が納められているという。1947年生まれの佐伯は、ひっそりと世を憚るように暮す戦犯の家で育った。処刑の前年に生まれた佐伯には、祖父の直接の記憶はないはずである。「くびらるる祖父がやさしく抱きくれしわが遙かなる巣鴨プリズン」という歌があるが、この時佐伯は二歳に満たないので、実際の記憶ではなく家族から聞かされたものだろう。しかし祖父の刑死は佐伯の精神形成に、巨木のような大きな影を落したのである。

 くびられし祖父よ菜の花は好きですか網戸を透きて没り陽おわりぬ 『春の旋律』(1985)

 祖父(おおちち)の処刑のあした酔いしれて柘榴のごとく父はありたり 『未完の手紙』(1991)

 池袋サンシャインビルの下ならむ刑場ありてそこに雪降る 『寂しい門』(1999)

 くさぐさの長き短き裁判の一つにて祖父が裁かれし庭 『現代短歌雁』57号(2004)

制作年代の異なる歌集と歌誌からの引用であることからもわかるように、佐伯は祖父の刑死を執拗に歌にしている。二首目は『現代短歌雁』56号特集「わたしの代表歌2」で佐伯自身が自分の代表歌としてあげている他、『岩波現代短歌辞典』でも『現代短歌大事典』(三省堂)でも佐伯の代表歌とされている。時代は少しちがうが、2.26事件に連座した帝国陸軍少将(予備役)斉藤瀏を父に持つ斉藤文と、似た境遇と言えるかもしれない。

 戦犯を出した家は戦後民主主義の世の中では肩身が狭い。戦後の土肥原家は、賢二の遺書の一節を「戦犯の子孫は生涯を黙して暮すべし」と解釈し、世間にものを言うことを怖れて暮していたという。息を潜めるような暮しを思わせる歌がある。

 ワイパーの弧形の町を去りゆけり疫病神と彼ら呼びにし

 黙(もだ)シツツユケと手紙に遺(のこ)されてわれらひと生の言語障害

 さまざまな書きようのなか憐れなる族(うから)と記事にありき淋しさ

 寄るほかはなき族(うから)なり食卓の酸ゆき匂いのなかに点さる

 だから歌人としての佐伯が選ばれた物語とは、一族の血の物語なのである。残された勝ち気な祖母、父と母そして妹が共に暮す家は歌集では麝香の家と呼ばれている。「人びとのいのちの恨みが籠もっているから、仏間には麝香に似た香を焚きしめていた」ためである。家は濃密な物語を塗り込めて静かに発酵し朽ちてゆく。

 夜を狭くおし黙りたるいっさいは息となりゆき家発酵す

 家朽ちよ朽ちよと思うぬばたまの夜の玻璃戸に桜ふぶけり

 花の日は花降る庭に遊びたる家族逆光のなかにたたずむ

 佐伯が一族の物語の呪縛から解放されたように感じたのは、母親が死んで家を取り壊したときだという。

 わが家を壊す朝に散りたまる玻璃あり青き空を映して

 止まりたる時を立ちいし太柱今日きさらぎの風にくずるる

 このように濃密な物語を作歌の背景としていることから、佐伯の短歌の特徴がいくつか出て来る。そのひとつは連作の重要性である。前衛短歌のように一首の屹立性を重んじる作歌態度では、連作という構成主義はさして重要性を持たない。他の歌と孤絶して一首を立ち上げることが重んじられるからである。しかし佐伯のような大きな歴史を背景とした物語は、一首に閉じこめようとすると、どうしてもはみ出してしまう。短歌は31音の短詩形式であり、また31のなかには意味から見れば捨て音節があるので、伝達できる意味量にはおのずと限界がある。この不利を補うために連作が重みを増すのである。

 佐伯の連作題名には魅力的なものが多い。「闇にみる夜」「父の素足」「腐敗の庭」「麝香の家」「蕁麻の庭」「緋のダリア」など、いずれも物語性に富む題名である。ふつう連作には題名とは何の関係もない自由詠が混じっているものだが、佐伯に限ってはそういうことが少ない。このように短歌が濃密な物語性を喚起するという特徴は、語法も詩想の汲み上げ方もまったく違うので比較にはならないが、寺山修司の短歌と共通すると言えるかも知れない。寺山の短歌もまた背後に物語を強く感じさせ、それが若者が一度は罹ると言われる寺山病の原因ともなっている。

 と、ここまでが佐伯の短歌の表の物語である。佐伯の短歌は公式にはこのように理解され、短歌辞典などにもこの線に沿った解説と解題が掲載されている。作者自身の手になる歌集のあとがきやエッセーもまた、このような解釈を誘導するように書かれている。この公式の解釈にはもちろんまちがっている点はどこにもない。しかし、私が強く惹かれるのは、佐伯の短歌の底を流れている歴史と深くからみあった官能性なのである。あるいは官能性から捉えた歴史性と言ってもよい。

 過去の家族の生活と家とを回想する歌は、まるで全体がセピア色に染まった戦前のフランス映画か、サラ・ムーンの写真のように、甘くせつない雰囲気を湛えている。殊に次の三首目などはまるで映画のワンシーンを見ているようだ。支那絹のショールは、奉天特務機関長だった祖父の贈り物なのだろう。

 毒だみの花のいきれに湿りたる白き素足をもて余したり

 落ちぶれて売りたる銀の燭台が置かれてありぬ床の広きに

 支那絹の花のショールをとりだせば祖母の喀きにし血のあと仄か

 バンヤンの蔭なる琥珀の肌いろを母はかすかに卑しみていつ

 家族の場面ではいまだほのかな官能性は、父を恋う一連の歌になるとずっと色濃く現われる。

 玄関の西日明るしポマードのにじむ帽子が匂いはじめる

 ポインセチアの花より赤く散りにけり父がマントにはらうこな雪

 ああ空の何処も見えぬ父の背に負われてふかく血の博ちあえり

 父の籠りわれに添寝のおしころす唄より淋し息の匂いは

 「ポマードのにじむ帽子」が理解できる世代も限られるかも知れない。佐伯の父の世代の人は外出のときには必ず帽子をかぶっていた。だからしばしば帽子は父の暗喩なのである。上にあげた歌では、殊に三首目と四首目に強い官能性が認められる。父の背に負われてふたりの心臓の鼓動が共振するという父娘の一体感、添寝する父の吐息を間近に感じるというエロティシズムは、血の濃さをはるかに越えて濃厚である。

 佐伯の短歌の顕著な特徴は、これらの歌に見られる官能性が個のレベルに留まらず(それならば相聞歌に終始しただろう)、家族を巻き込んだ歴史に投射されるという視座を得たことにある。次の歌を見てみよう。

 花のふる窓辺にもたれファシズムの影を落していかなる我か

 英霊へ夏柑一顆放りあげてずぶ濡れの眼のなかの青空

 肉たるむハイカラーこそ光りいよ身を緊めて見し天皇もあわれ

 指先を湿らせて繰る〈パル判決書〉にジャムのごときが赤く凝りし

 歴史その勝ちたる者の証なる金の背文字は光らせておく

 宵待草(よいまち)の花咲きたれば顕ち巡る〈戦後〉を断(き)りし有刺鉄線

 明日壊さむ廊下に居間に灯を点す自刃前夜のエロスのひかり

 一首目は、私には拭いきれない戦前のファシズムの影が染みついているという、戦後生まれの自己に澱む歴史性の認識を示す。二首目は戦時中は英霊と讃えられ、戦後は語られなくなった戦死者へのオマージュである。昭和の歴史は天皇に収斂するが、三首目はハイカラーの首の肉がたるむという老いた天皇を見ている。四首目のパル判決書は東京裁判の判決である。判決書に透かし見る赤色はもちろん幻視であるが、それは家族の物語に繋がるだけに現実感がある。四首目は父親の書斎に並ぶ本を詠んだものだが、勝者が敗者を裁いた東京裁判において、敗者の立場に立たされた者の弁である。五首目ははっきりと戦後民主主義の日本を問う歌となっている。

 佐伯には三島由紀夫を詠んだ歌が数首あるが、注目すべきは上の六首目である。ここには明日壊される予定の家という家族の記憶を象徴するものと、明日自決する人間とを重ね合わせる視点がある。戦後を総括することになる家の取り壊しに、死を希求する激しいエロスが混ざり合う。ここに他には見られない佐伯の短歌世界の魅力がある。

 このように佐伯の短歌は、一族の血の物語を深く内包することで、結果的に昭和という時代を鋭く問う短歌となった。また歴史と時代を外部から観念的に捉えるのではなく、細部に宿る官能性という角度から捉えているという点に、短歌ならではの現実把握があることも注目すべきだろう。上にあげた三首目の、ハイカラーにたるむ肉という視点が、短歌にできる現実への切り込み方である。重く身内に籠もる昭和という時代を官能的に詠うことで、佐伯の短歌世界は一家族が歴史に翻弄された物語という事実の地平を離れて、鋭い射程を持つ形象として結実することになった。その成果はもっと評価されてしかるべきだろう。私は佐伯の歌を読んでいて、どうしても佐々木六戈の次の歌を思い出してしまうのである。

 昭和史を花のごとくにおもふとき衰へはいつも花の奥から

 最後に『現代短歌雁』57号(2004)掲載の「鳥」と題された連作から佐伯の最近の歌を数首あげておこう。

 それがまだ木であった日の電柱の根もとに小さな落ち鳥のいて

 博物館の帆柱となる始祖鳥に冷えしガラスの目は嵌まりいん

 電線の鴉赤かり追放の記憶の蕾ひらきゆくとき