第220回 加藤孝男『曼茶羅華の雨』

一本のワインはテーブルに立ちながら垂直にして燃える歳月
加藤孝男『曼茶羅華の雨』 

 テープルに立っている瓶の中のワインはボルドーの濃厚な赤ワインだろう。「燃える」との連想から白ワインでは具合が悪い。解釈に迷うのは「立ちながら」の逆接と、「垂直にして」の「にして」の意味である。「立ちながら」はおそらく意味的に「燃える」に連接するので、「立っているのに燃えている」と解釈できる。厄介なのは「にして」で、「して」の接続助詞用法は並列・修飾・順接・逆接など種々の意味を表すとされている。逆接と取ると「立ちながら」の逆接とかぶるので、ここでは並列と取りたい。「簡にして要を得る」と同じ使い方である。すると「垂直を保ったままで燃えている」となる。
 火や炎は短歌によく詠われる素材である。『岩波現代短歌事典』の「焔」の項には、「写実的に眼前にある火そのものとして歌うだけでなく、比喩として使われることがたいへん多い」と書かれている。本歌集にも掲出歌以外に、「一群の曼珠沙華田へ傾きて火をはなつべき我執ひとむら」という火を詠んだ歌がある。火はしばしば情念の激しさを表し、またこの歌のように何かを焼き尽くすものとしても詠われる。ワインは長い時間貯蔵されて熟成するので、掲出歌では歳月の喩として働いている。作者は時間の流れの中に何か激しいものを感じているのだ。
 歌の意味の読み解きはさておき、この歌を一読して感じるのは極めてスタイリッシュだということである。邑書林のセレクション歌人シリーズ『加藤孝男集』の解説を書いた谷岡亜紀は、加藤の歌に見られる「意匠への関心」と「様式への志向」を指摘した。確かにこれは加藤の歌に見られる一面で、掲出歌ではそれがスタイリッシュさとして現れているのだろう。
 それより何より注目すべきなのは、書肆侃侃房の叢書ユニヴェールの一冊として刊行された本書が、加藤の18年ぶりの第二歌集だということである。加藤の第一歌集『十九世紀亭』は1999年の刊行である。あとがきにその経緯が書かれているが、第一歌集を出版して加藤の短歌への思いは一度冷めたそうだ。そんな時に篠弘に再び短歌に向き合うように強く勧められたという。ちなみに歌集題名の「曼茶羅華まんだらげ」は仏教の用語で、仏が出現するときに天上に咲く白い花のことである。
 『十九世紀亭』を取り上げたときは、加藤の歌に見られる時代に対する「脛の冷え」の感覚と、「倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦み」を指摘した。一方、『曼茶羅華の雨』の底に色濃く流れているのは、宇宙的感覚と死への思いである。冒頭の「銀河詩篇」と「地球照アース・シャイン」から引く。

地球より離りて孤独の火となれる宇宙望遠鏡のなかの神々
神を生むひとの頭脳に左右さうありてふたつの神がはじめにありき
超新星ふたたびカオスに戻りゆく一つの星が滅ぶるときに
ハナミズキ巻けるしら花ひとひらのその渦のなか銀河はひかる
群青の水の球体浮かびゐてその網膜にひとら諍ふ

 人はいかなる時に宇宙的視点に立つか。もちろん子供が夜空の星に憧れるように、純粋に星を愛でることもあろう。しかし歳を経た大人の場合、地上の出来事はつまるところ瑣事に過ぎないと達観するか、地球上で飽きもせず繰り広げられる人間の愚かさに愛想を尽かした時だろう。加藤の歌にはその両方がある。それは『十九世紀亭』に見られた「倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦み」の行き着く先でもある。それは上に引いた五首目などを見ても明らかである。また四首目のハナミズキの花の中に銀河を見るというのは、どこか宗教的世界観を感じさせる。上に引いた他の歌に神が登場することもそれを裏付けているだろう。集中には「かつてわれ西行のごと子を捨てて沙門の粥をすすらむとせし」という歌もある。

ゆふぐれと夜とのあはひに帰りゆくうしほのごとく生は束の間
わが死なば地に汚れたるたましひもゆかむ六等ほどなる星へ
うすやみに脚立きやたつはみえて死の順位筆頭にたつ父の背うごく
生きるとは儚きひびきさざんくわの花びらは落つ淡き地上に
ボタン一つに地上の獄を離れ行くエレベーターは最上階へ

 死への思いを詠んだ歌を引いた。特に三首目の「死の順位」には虚を突かれたような驚きがある。父親と自分と子供を並べれば、確かに最年長の父親は死の順位では筆頭に立つ。脚立には段がありそれを使って人は上に登るので、それは死の順位の喩となっている。「地上は汚穢」「地上は獄」という思いが募れば、人は天上へと行くエレベーターに憧れることになる。
 とはいえ集中にはもっと何気ない物事を詠んだ歌に引かれるものがある。

犬の蚤 猫の蚤より高く跳ぶかかる真理をつきとめし人
通勤の折に眺むる藤ばなのある日剪られて時はくらしも
置く霜のごとき錠剤をテーブルに並べて寒きひと日に沈む
家族とは茨の香りに満ちながらふとかなしみのなかに融和す
夜半に吹く野分にしをるる白萩の朝のメトロにおみなら眠る
ベビーバスに浮かぶ裸身の輝きの一糸まとわぬものの重たさ
風景を閉ぢむとて降りいそぐ雨の平針三丁目ゆく
衰微とやよりあふ皺のうつろひに水とて老ゆる夕まぐれどき

 一首目、犬につく蚤は猫につく蚤より高く跳ぶなどというどうでもよいようなことを研究している生物学者を称えている。学問の基本は無用である。二首目は誰にも覚えのあることだろう。日々通りすがりに眺めて楽しんでいた植物が、ある日、ばっさりと切られているのを見たときの落胆はや。三首目の錠剤が抗うつ剤というのは出来すぎか。「置く霜の」はもちろん百人一首の歌の本歌取りである。四首目の「茨の香り」は諍いの不穏の喩だろう。ふだんは些細なことで諍う家族だが、悲しい出来事が起きると共に悲しむのである。五首目はおもしろい。「夜半に吹く野分にしをるる白萩の」までが「おみな」を導く序詞になっている。朝の通勤風景である。六首目は娘が誕生した時の歌だろう。七首目は平針という喩と三丁目という数字が効果的。八首目は集中屈指の美しい歌である。池か沼か湖か、風に波立つ水の表を見ていると、まるで人間の顔の皺のように思えてきて、「水までもが老いるのか」という思いにかられるという歌である。
 あとがきには1999年から2013年までに制作した歌から取捨選択して本書を編んだとある。なぜ2013年までかというと、その年の四月に加藤はロンドン大学客員研究員として渡英したからである。ちなみに加藤は東海学園大学で国文学を講じる学究の徒である。渡英以前と以後とでは「生活も意識も様変わり」したという。このためそれ以後の歌は収録されていないのである。どう変わったのだろうか。
 加藤は国文学の研究の傍ら、剣道・合気道などの古武術に通じ、柳生新陰流兵法、柳生制剛流抜刀術を習っており、熱田神宮で演武まで披露する腕前である。セレクション歌人シリーズ『加藤孝男集』の自身の手になる略歴の平成九年の項には「もはや伝統しか信じられないと思う」と記されている。日本の伝統に深く傾倒しているのである。
 日本人が初めてヨーロッパに長期滞在するとどのような変化を被るか。大きく分けて二通りの変化が見られる。伝統主義の深化か普遍主義への転向である。ある人は憧れの対象だった欧州の文物思想に触れ、その多くが過去の遺物になり果てていることに失望し、日本回帰して伝統主義をますます深める。またある人は欧州の思想・芸術の根幹に横たわる普遍主義の息吹に触れて、それまでの日本伝統主義を相対化する目を持つようになる。だいたいこのどちらかなのだが、果たして加藤自身はどうだったのだろうか。とても気になるのである。

 

104:2005年5月 第3週 加藤孝男
または、脛に時代の冷えを感じながら口に運ぶ牡蠣の苦み

クリムトの金の絵の具のひと刷毛の
     一睡の夢をわれら生きたり

           加藤孝男『十九世紀亭』
 邑書林から刊行中の「セレクション歌人」叢書の最新刊『加藤孝男集』が出た。今までアンソロジーなどでしか読めなかった歌集の全貌に接することができるのは喜ばしい。アンソロジーで読んだときに印象の残り、ノートに書き留めた歌が掲出歌である。クリムト (1862-1918) は世紀末ウィーンの分離派を代表する画家として活躍し、日本画の金泥を思わせる装飾的な画風で、死とエロスの匂いのする蠱惑的な絵画を多数残した。だからキーワードは「世紀末」であり、加藤の第一歌集『十九世紀亭』が1999年に上梓されたことは偶然以上の意味を持つと考えなくてはならない。

 加藤孝男は1960年生まれで、現在は東海学園教授として国文学を講じている学匠歌人である。「まひる野」会員で、『美意識の変容』などの短歌評論集はあるが、歌集としては『十九世紀亭』が唯一のもののようだ。歌集題名の『十九世紀亭』とは、後に『ふらんす日記』を書くことになる断腸亭主人永井荷風がリヨンに滞在していたとき、足繁く通ったカフェだという。20世紀も終ろうとする1999年に刊行された歌集に、なぜ『十九世紀亭』という題名を付けたのだろうか。それは収録された歌を丹念に読めばわかる。

 かたがはの世界は暮れてうすけぶるサミュエル・ハンチントン氏が衝突

 指をもてマフィンを割ればこぼれたる二十世紀の殺戮の量(かさ)

 ガス入りの水もて舌を潤せば異常気象に暮れゆく世紀

 尖りたちわれを突き刺すエピグラム十九世紀の縁より飛び来

 ガラス器の夏の蜻蛉(あきつ)よくだちゆく世紀とともに火炎をくぐり

 しんかんと世紀は冷えてジュラシックパークに修羅は寒く満ちたり

 ハンチントンの著書『文明の衝突』は1998年に邦訳が出てひとしきり話題になった。冷戦が終焉して世界はより安定した方向に向かうのかと思われたが、案に相違して地域紛争・民族対立・宗教対立が深刻化し、皮肉なことに世界はより不安定感を増した。ハンチントンはその原因のひとつは、西欧文明の比重の相対的低下にあるとした。だから一首目の「かたがはの世界」は沈みゆく西欧文明をさす。

 二首目は作者が『雁』の特集「私の代表歌」で自選した歌である。20世紀が戦争の世紀であったことは疑いがない。マフィンなどというこじゃれた食べ物をカフェテラスなんぞに座って食べる現代の日本の生活の背後にも、夥しい数の戦争の犠牲者が横たわっている。この歌の眼目はその対比にある。三首目の「ガス入りの水」はペリエあたりの炭酸入りミネラルウォーターだろう。現代日本に暮らす私たちは水にまで高い金を払うようになった。しかし私たちが暮らす世界は異常気象に見舞われている。二首目と三首目はこのように同じ構造をしている。

 四首目は『十九世紀亭』という歌集題名の謎を解くよい手掛かりになるだろう。エピグラムとは思想を短く鋭く表わした短詩で、寸鉄詩などと訳されることもあるが、広義には詩の形式を取らない警句も含む。「よい趣味とは嫌悪の集積である」とか「ライオンとは消化吸収された千頭の羊のことである」などの警句の名手であったヴァレリーあたりを思い浮かべればよかろう。加藤は19世紀からこのようなエピグラムが飛んで来て自分を突き刺すと詠っているのである。なぜ19世紀から飛んで来るのか。それは加藤の目には19世紀の方が精神的に豊かな世紀であり、20世紀は精神的貧困の世紀と映っているからである。21世紀を目前に控え、一部の人たちがミレニアムと浮かれ騒いだ1999年の時点で、加藤はより豊かな世紀が人類を待っていると思えたろうか。答はもちろん否である。だから『十九世紀亭』という題名は、単なるレトロ趣味によるものではなく、自分が生きている時代に対する加藤の辛辣な批判精神がつけさせたものだと考えなくてはならない。

 五首目、「くだちゆく」は「腐ってゆく」の意味だから、ここでも20世紀は腐る世紀と把握されている。六首目、「ジュラシックパーク」はマイケル・クライトンが1990年に書いた小説で、1993年にスピルバーグによって映画化された。DNAから古生代の恐竜を復元するという物語であった。復元恐竜が棲むジュラシックパークにも争いの修羅は満ちている。「冷えて」「寒く」と畳みかけるような修辞に、作者の時代に対する冷えの感覚が表われている。加藤は『十九世紀亭』あとがきに次のように書いている。

 「私の精神形成期にあたる八十年代から九十年代にかけては、バブル経済のまっただ中であった。浮薄なものや、その場かぎりの新しさがもてはやされ、面白がられた。そのような流れに全身をさらしながら、脛のあたりがしきりに冷えるのを感じずにはいられなかった」
時代に対する「脛の冷え」のこの感覚、これが歌集全体を貫く主調音である。上に引用したのは「世紀を見下ろす視点」から詠まれた歌だが、この冷えの感覚がこの時代を生きる自分自身に向けられたとき、歌は次のような陰翳を帯びる。

 しをれたる顔をガラスに光らせて一日(ひとひ)のはじめの最終車輌

 思考すら凍えてゐたり外の面には河童火を焚く冬のきはみに

 あらはなる膝のあたりに照る日ざしつくづくと世を厭ふときあり

 黒猿を数多描ける蒔絵箱いかなる鬱を飼ひ馴らししか

 オレンジの果皮を搾れるリキュールの甘さのうちに凶(きよ)をみつめをり

 鋸の歯のごとふるふ狂気あり一本の木をゆつくりと挽く

 紫のバニラを舌にころがして画鋲を口に含むゆうぐれ

 なつかしくわきてぞしばししばづけをかみしめながらかなしみをこゆ

 一首目では最終車輌という語句に目を留めなくてはいけない。時代の先端ではなく最後尾を行く、これが加藤の感覚だろう。思考すら凍える日、またつくづく世を厭う日、このような日々を交えて作者は生を渡り行く。四首目では展示品の蒔絵箱に描かれた猿を見て、その箱の作者はどのような鬱を抱えていたのかと自問する。作者に寄せた鬱が自分の投影であることは言うまでもない。六首目、「オレンジの果皮を搾れるリキュール」とはフランス産のグラン・マルニエという酒だが、甘さの中に苦さが残る。それを「凶」と感じるのは作者の内部にある感覚である。ときには七首目のように身に溢れる激しさを詠う歌もある。八首目「紫のバニラ」とは紫色をしたアイスクリームという意味だろう。本来ならば口に甘いアイスクリームも画鋲を含むような気がするとの意か。九首目「しばししばづけ」の音の連続がおもしろい一首だが、柴漬けに寄せる作者の思いは苦いのである。このように加藤が自分を詠う歌は、なべて倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦みが揺曳している。

 集中に飲食(おんじき)の歌が多いことも、またこの歌集の特徴のひとつだろう。

 一本のシャブリの冷ゆるくらがりに捩りて向きてゐたり鎖骨と

 カシミールカレーにしびる舌をだし鞦韆のごと垂らしあぬ午(ひる) 

 透明な器のなかに鱧の身ははじけて過去にもありし暮れ方

 けざやかにわれの背中のかわききて牡蠣の剥き身にしたたる檸檬

 含むときさびしき水となりはてて銘酒寒水のそのひとしづく

 単に私が食いしん坊なだけかも知れないが、飲食の歌には生の実感のこもる歌が多いように思う。生の実感は死の予感と隣り合わせであることは言うまでもない。ましてや飲食とは食材と化した生き物の死を食らうものであればなおさらである。もうひとつ、TVががなり立てる世界の大事件に背を向けるように、一心に皿の上の食べ物に箸を運ぶ様は、世界の中での個の孤独を浮き彫りにする。

 『現代短歌100人20首』に作歌信条を書くことを求められて、加藤は「即時(リアルタイム)と伝統。短歌は十九世紀的分裂を生きる詩である」と書いた。ここでいう「十九世紀的分裂」とは、明治時代になって西洋近代が流入した結果、伝統日本と西洋近代の狭間で生きることを余儀なくされた日本人の抱えた分裂のことである。柳生新陰流の剣術遣いである加藤にとって、伝統と近代の問題は短歌における中心的課題なのである。『十九世紀亭』という題名は、このような文脈のなかで理解されなくてはならない。

 滅びたるものらよりあふ一枚の大皿に秋の蟹は盛られき

 「滅びたるものら」とは歌人のことだろう。自分たち歌人を「滅びたるものら」と表現するところに、加藤の時代認識と一抹の矜持を感じるべきである。