テープルに立っている瓶の中のワインはボルドーの濃厚な赤ワインだろう。「燃える」との連想から白ワインでは具合が悪い。解釈に迷うのは「立ちながら」の逆接と、「垂直にして」の「にして」の意味である。「立ちながら」はおそらく意味的に「燃える」に連接するので、「立っているのに燃えている」と解釈できる。厄介なのは「にして」で、「して」の接続助詞用法は並列・修飾・順接・逆接など種々の意味を表すとされている。逆接と取ると「立ちながら」の逆接とかぶるので、ここでは並列と取りたい。「簡にして要を得る」と同じ使い方である。すると「垂直を保ったままで燃えている」となる。
火や炎は短歌によく詠われる素材である。『岩波現代短歌事典』の「焔」の項には、「写実的に眼前にある火そのものとして歌うだけでなく、比喩として使われることがたいへん多い」と書かれている。本歌集にも掲出歌以外に、「一群の曼珠沙華田へ傾きて火をはなつべき我執ひとむら」という火を詠んだ歌がある。火はしばしば情念の激しさを表し、またこの歌のように何かを焼き尽くすものとしても詠われる。ワインは長い時間貯蔵されて熟成するので、掲出歌では歳月の喩として働いている。作者は時間の流れの中に何か激しいものを感じているのだ。
歌の意味の読み解きはさておき、この歌を一読して感じるのは極めてスタイリッシュだということである。邑書林のセレクション歌人シリーズ『加藤孝男集』の解説を書いた谷岡亜紀は、加藤の歌に見られる「意匠への関心」と「様式への志向」を指摘した。確かにこれは加藤の歌に見られる一面で、掲出歌ではそれがスタイリッシュさとして現れているのだろう。
それより何より注目すべきなのは、書肆侃侃房の叢書ユニヴェールの一冊として刊行された本書が、加藤の18年ぶりの第二歌集だということである。加藤の第一歌集『十九世紀亭』は1999年の刊行である。あとがきにその経緯が書かれているが、第一歌集を出版して加藤の短歌への思いは一度冷めたそうだ。そんな時に篠弘に再び短歌に向き合うように強く勧められたという。ちなみに歌集題名の「曼茶羅華」は仏教の用語で、仏が出現するときに天上に咲く白い花のことである。
『十九世紀亭』を取り上げたときは、加藤の歌に見られる時代に対する「脛の冷え」の感覚と、「倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦み」を指摘した。一方、『曼茶羅華の雨』の底に色濃く流れているのは、宇宙的感覚と死への思いである。冒頭の「銀河詩篇」と「地球照」から引く。
地球より離りて孤独の火となれる宇宙望遠鏡のなかの神々
神を生むひとの頭脳に左右ありてふたつの神がはじめにありき
超新星ふたたびカオスに戻りゆく一つの星が滅ぶるときに
ハナミズキ巻けるしら花ひとひらのその渦のなか銀河はひかる
群青の水の球体浮かびゐてその網膜にひとら諍ふ
人はいかなる時に宇宙的視点に立つか。もちろん子供が夜空の星に憧れるように、純粋に星を愛でることもあろう。しかし歳を経た大人の場合、地上の出来事はつまるところ瑣事に過ぎないと達観するか、地球上で飽きもせず繰り広げられる人間の愚かさに愛想を尽かした時だろう。加藤の歌にはその両方がある。それは『十九世紀亭』に見られた「倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦み」の行き着く先でもある。それは上に引いた五首目などを見ても明らかである。また四首目のハナミズキの花の中に銀河を見るというのは、どこか宗教的世界観を感じさせる。上に引いた他の歌に神が登場することもそれを裏付けているだろう。集中には「かつてわれ西行のごと子を捨てて沙門の粥をすすらむとせし」という歌もある。
ゆふぐれと夜とのあはひに帰りゆく潮のごとく生は束の間
わが死なば地に汚れたるたましひもゆかむ六等ほどなる星へ
うすやみに脚立はみえて死の順位筆頭にたつ父の背うごく
生きるとは儚きひびきさざんくわの花びらは落つ淡き地上に
ボタン一つに地上の獄を離れ行くエレベーターは最上階へ
死への思いを詠んだ歌を引いた。特に三首目の「死の順位」には虚を突かれたような驚きがある。父親と自分と子供を並べれば、確かに最年長の父親は死の順位では筆頭に立つ。脚立には段がありそれを使って人は上に登るので、それは死の順位の喩となっている。「地上は汚穢」「地上は獄」という思いが募れば、人は天上へと行くエレベーターに憧れることになる。
とはいえ集中にはもっと何気ない物事を詠んだ歌に引かれるものがある。
犬の蚤 猫の蚤より高く跳ぶかかる真理をつきとめし人
通勤の折に眺むる藤ばなのある日剪られて時はくらしも
置く霜のごとき錠剤をテーブルに並べて寒きひと日に沈む
家族とは茨の香りに満ちながらふとかなしみのなかに融和す
夜半に吹く野分にしをるる白萩の朝のメトロにおみなら眠る
ベビーバスに浮かぶ裸身の輝きの一糸まとわぬものの重たさ
風景を閉ぢむとて降りいそぐ雨の平針三丁目ゆく
衰微とやよりあふ皺のうつろひに水とて老ゆる夕まぐれどき
一首目、犬につく蚤は猫につく蚤より高く跳ぶなどというどうでもよいようなことを研究している生物学者を称えている。学問の基本は無用である。二首目は誰にも覚えのあることだろう。日々通りすがりに眺めて楽しんでいた植物が、ある日、ばっさりと切られているのを見たときの落胆はや。三首目の錠剤が抗うつ剤というのは出来すぎか。「置く霜の」はもちろん百人一首の歌の本歌取りである。四首目の「茨の香り」は諍いの不穏の喩だろう。ふだんは些細なことで諍う家族だが、悲しい出来事が起きると共に悲しむのである。五首目はおもしろい。「夜半に吹く野分にしをるる白萩の」までが「おみな」を導く序詞になっている。朝の通勤風景である。六首目は娘が誕生した時の歌だろう。七首目は平針という喩と三丁目という数字が効果的。八首目は集中屈指の美しい歌である。池か沼か湖か、風に波立つ水の表を見ていると、まるで人間の顔の皺のように思えてきて、「水までもが老いるのか」という思いにかられるという歌である。
あとがきには1999年から2013年までに制作した歌から取捨選択して本書を編んだとある。なぜ2013年までかというと、その年の四月に加藤はロンドン大学客員研究員として渡英したからである。ちなみに加藤は東海学園大学で国文学を講じる学究の徒である。渡英以前と以後とでは「生活も意識も様変わり」したという。このためそれ以後の歌は収録されていないのである。どう変わったのだろうか。
加藤は国文学の研究の傍ら、剣道・合気道などの古武術に通じ、柳生新陰流兵法、柳生制剛流抜刀術を習っており、熱田神宮で演武まで披露する腕前である。セレクション歌人シリーズ『加藤孝男集』の自身の手になる略歴の平成九年の項には「もはや伝統しか信じられないと思う」と記されている。日本の伝統に深く傾倒しているのである。
日本人が初めてヨーロッパに長期滞在するとどのような変化を被るか。大きく分けて二通りの変化が見られる。伝統主義の深化か普遍主義への転向である。ある人は憧れの対象だった欧州の文物思想に触れ、その多くが過去の遺物になり果てていることに失望し、日本回帰して伝統主義をますます深める。またある人は欧州の思想・芸術の根幹に横たわる普遍主義の息吹に触れて、それまでの日本伝統主義を相対化する目を持つようになる。だいたいこのどちらかなのだが、果たして加藤自身はどうだったのだろうか。とても気になるのである。