第351回 大塚寅彦『ハビタブルゾーン』

蓮の花ひかりほどかむ朝まだき亡き父母近し老い初めし身に

大塚寅彦『ハビタブルゾーン』

 前歌集『夢何有郷』から数えて実に12年振の大塚の第六歌集である。書肆侃侃房の現代歌人シリーズの一巻として刊行され、奥付の日付は今年 (2023年) 4月8日となっている。今年の復活祭は4月9日の日曜日だったので、その前日ということになる。この日付にもまた意味が籠められているようにも感じられる。歌集題名の「ハビタブルゾーン」とは、宇宙の中で人類が生きることのできる生存可能領域のこと。

 あとがきには12年間の作から240首を選んだとある。創立100年を迎えた中部短歌会主宰の大塚ならば、この間に詠んだ歌は相当な数に上るにちがいない。その中から240首のみを選んだのは意図あってのことである。あとがきには自分では長年「相棒」と内心呼んでいた女性が6年前に他界したと書かれている。そして一冊くらい死者と自分のためにまとめたものがあってもよかろうと本歌集を編んだという。つまり本歌集は相棒とまで見なした人に捧げる鎮魂の書なのだ。世に鎮魂の書があるとするならば、本書ほどその名にふさわしい書物はあるまい。

 その中で第一部の「ハビタブルゾーン」の一連では、今は亡き父母と過去の記憶が詠まれている。掲出歌はその一連の最初の歌である。

古びたるアルバムたどるわがまみにふと宿りたり死者のまなざし

母の差す日傘のしたに影踏みて衛星のごとたましひありき

兵たりし父なりいくさ現身うつしみのかそきき創にとどめゐしのみ

棘満ちて祈りの響き立つる円筒つつオルゴール〈月の光〉零せり

メアド無きメールか短歌うたは 遺影にて君笑まふなり@heavenアット・ヘヴン

 一首目はセピア色と化した古い家族アルバムをめくっている場面である。今は亡き父母の写真を眺めていると、ふと自分もあちら側にいるかのような気分になる。二首目は幼き日の思い出で、母の回りをぐるぐる回っている幼児期の自分。三首目は太平洋戦争に出兵した父親の歌で、体に戦いの傷が残っている。四首目のオルゴールが奏でるのはドビュッシーのビアノ曲である。五首目では短歌は送信先のメールアドレスのないメールのようなものだとしている。確かに古来歌は誰かに送るものだったはずで、近代短歌は送り先のいない歌とも言える。

 本歌集の中核をなすのは第二部と第三部である。第二部の初めでは、作者の相棒の女性は癌に罹患し闘病している。

輪廻など語ることなく六道の辻を行きたり癌病む女とひと

六道の辻地蔵尊の斜向かひ〈幽霊子育飴〉ひつそりと在り

何ほどのこともあらずと死を言ひし師の心ふ病む人とゐて

息の緒をたぐる思ひか余命とふ一日一日ひとひひとひひとの生くるは

生きてある実感きみに沁みゆけと口に運べりわづかなる餉を

 一首目と二首目の六道は、京都市東山区にある六道珍皇寺とその界隈で、幽霊子育飴は、幽霊が子を育てるために飴を買いに来たという伝承があり、実際に販売されている飴である。歌意を解説する必要もないほど過不足ない言葉で、癌を病む人の残された生に寄り添う姿が詠まれていて心に迫る。

 第三部でその人とは遂に幽明境を異にすることとなる。

さくら散るときを選びし君なるや魂鎮めとも花びらの舞う

汝が願ひかなひて母の手を握り声なく逝けり睡るごとくに

火葬するけむりますぐに大空も超えて昇れよきみがたましひ

余剰なきこつの浄さよ火のなかに癌は消えたり君をせしめ

あじさゐの色うつろへど君あらぬ日々変はるなし花毬はなに降る雨

 すべては鎮魂と喪失であり、桜の花散る季節に逝った友への思いは紫陽花に降る六月の雨も流し去ることはかなわない。これらの歌はまさに送信先を失った歌であり、作者の振り絞る喉を出て虚空に響く思いがする。

 そもそも言葉には呪的機能があるとも言われているが、なかでも和歌は古来よりその性格が濃い。天皇が丘の上から都を眺め国の栄えを言祝ぐ歌には、そうあれかしという願望と祈りが籠められている。歌は誰かに贈るものだとするならば、挽歌はこの世を離れた死者に贈る歌である。そのとき歌は、近代を迎えて片隅に押しやられた暗闇の中に埋もれ忘れ去られた呪的機能を再び取り戻すがに立ち上がる。大塚の挽歌にはそのような歌の力が籠もっているように感じられる。

秋水をらして己が死を得たる三島おもひし師や病む日々に (師・春日井建)

残されしとも仰げり切れはしの虹ほのかにも架かるゆふぐれ

しろき蝶けむりの如く翔ちゆきし苑生は碑なき墓処はかどならずや

黄金おうごんの花粉の豪奢まとふ鳥待つや深紅の椿けつつ

行きなきはなびら集ふ花いかだすべきたまや待ちてたゆたふ

 一首目の秋水とは刀のこと。「我らは新たな定家を得た」という推挽の言葉を若き春日井に与えたのは三島由紀夫である。大塚の作る短歌を読んでいると、まるで精密機械のように、入念に選ばれた言葉が置かれるべき場所を得て、カチッと嵌まる音が聞こえるかのようである。二首目の虹、三首目の蝶、四首目の鳥はとりわけ死者の魂と繋がりの深いものであり、ここに選ばれているのは決して偶然ではない。鎮魂の書の一巻を編んだ作者の心を思い瞑目するばかりである。

 

第85回 大塚寅彦『夢何有郷』

蜜といふ黄昏いろのしづもれる壜ひてふと秋冷ふかむ
                       大塚寅彦『夢何有郷』
 大塚寅彦の第5歌集が上梓された。前作『ガウディの月』以来、実に8年振りである。題名は荘子の「無何有郷むかゆうきょう」(むかゆうきょう)にちなむ。本来は人為を加えないありのままの自然という理想境を表したもので、「無」の字を「夢」に置き換えてある。どこにもない夢のユートピアという意味だろう。8年の空白は長いが、2004年に師の春日井建が逝去し、その後を襲って中部短歌会の実質的主宰として歌誌「短歌」の刊行の責を担うという大きな変化があったことも、その原因のひとつと思われる。本歌集の刊行により、短歌を好む人がこうして大塚の歌を読む喜びをまた味わうことができるのは嬉しいことである。繊細な感性と、師の建譲りの美意識と、細やかに言葉を操る高度な技法は、この歌集においても健在で、読者は現代短歌の精髄をページの至る所に見いだして、その美酒に酔うことができる。
 新しい歌集を通読して改めて感じるのは、大塚の歌の姿の美しさと一首の屹立性である。例えば冒頭の掲出歌を見てみよう。詠まれているのは、とある店に立ち寄って蜂蜜をひと壜買ったという、ありふれた日常のひとコマである。蜂蜜の色を「黄昏いろ」と詩的に表現し、「しずもれる」と受けることで、落ち着いた秋の静けさと、柔らかな光を放つ蜜の芳醇さが香ってくる。さらに、下句のかすかな句割れ・句跨りを媒介として、結句の「秋冷ふかむ」に落とし込むことで、一首の描き出す情景が、秋冷を感じている表現されていない〈私〉へと収斂する。その様は蝶がふわりと、しかし確実に望んだ花にとまるかのようである。
 もう少し見てみよう。
飼ひ犬に曳かれて人ら皆あゆむ新興住宅街のゆふぐれ
藁婚の女男めを立ち去りて残りたるストロー二本ふれあひもせず
死はつねにぴかぴかであれ花季はなどきのコイン洗車を霊柩車出づ
 多くの場合、大塚の歌が描くのは、吉野の桜や天河の能舞台のような、チャクラを刺激する特別な場所や歌枕ではなく、ごくありふれた卑俗な都市風景である。一首目の舞台は郊外に造成された新興住宅地だ。「新興住宅街」のように、一見すると歌に詠みにくい単語を使っている点も注目してよい。これまたありふれた光景なのだが、それを歌に落とし込む技法が光る。特に下句の造りの巧みさには感心させられる。「新興住宅/街のゆふぐれ」のような句割れ・句跨りは、一見納まりが悪そうに見えて、実は歌の着地を確かなものにしている。これは大塚が好む技法で、例えば『ガウディの月』に次のような歌がある。
理に生くる者らさびしむペコちやんのを撫でゐたり不二家ゆふぐれ
 邑書林のセレクション歌人『大塚寅彦集』の解説を書いた藤原龍一郎は、この歌の結句を捉えて、「こんな小気味のよい句割れはめったにない」と書いた。本歌集にも類例がある。句跨りの有無は別として、いずれも同じ句割れの手法である。
〈善行〉とふ犯人の名の曇りつつテレヴィもの憂し拉麺屋ひる
〈はだいろ〉の今はあらざる絵の具箱さむしも文具店ひるさがり
ピザ運ぶ原付サンタのくれなゐに雪降りをり街路ゆふぐれ
 先に引いた3首に戻ろう。2首目のポイントはもちろん「藁婚」と「ストロー」の縁語関係にある。藁婚式とは結婚2年目の記念日。飲み終えたグラスにささるストローが触れあいもしないとは、早くも二人の間に隙間風が立っていることを感じさせる。まるで短編小説のように鮮やかに一場面を切り取っている。このことは3首目にも言えよう。街角にあるワンコインで自分で洗車ができる施設から霊柩車が出てくるという、めったに目にすることのない光景である。「花季」とあるので、霊柩車に降りかかった桜の花を洗ったのか。「死はつねにぴかぴかであれ」は、もちろん文字通りの作者の願いではなく、この不思議な光景を目にして作者が抱いた、「死はつねにぴかぴかであれということか」という得心の表現である。
 このように大塚の歌に登場するのは、「ペコちゃん」や「原付サンタ」や「新興住宅街」のように卑近な素材なのだが、それが言葉の魔術によって詩的に昇華され、鮮やかに切り取られた印象的な一場面と化する。その納め方が余りに鮮やかなので、一首が完結して屹立性が非常に高い。これが端正な文語定型と相俟って、歌の姿を美しくしているのである。
 大塚は1961年生まれだから、世代的には1959年生まれの加藤治郎、62年生まれの荻原裕幸というニューウェーブ短歌の旗手と同世代である。この世代は前衛短歌の手法を吸収して、さらに修辞に工夫を凝らした世代である。一見手堅く古風に見える大塚の短歌もこの時代の潮流とは無関係でなく、絢爛たる言葉の技法を駆使した歌がある。
もののふのあづさゆみ春ひたごころたゆませし花咲ける城あと
口紅の色のもみぢの散りぬるをわが思いなほ果てぬゆふぐれ
夢のなかわが愛容れて茶を淹るる想い出せないほどのビューティー
れたきに狂れ得ぬこころ金きらのいてふ降らせる葉つぱ踏み踏み
六月の七彩うつる八仙花ここの辻にも十あまり咲く 
ZOOゆかば水漬く河馬寝かばねのうらうらと戦ひの夢或は見をらむ
 1首目、「あづさゆみ」は「張る」などに係る枕詞だから、「張る」と「春」の掛詞になっている。だから「あづさゆみ春」は、「梓の木でできた弓を張るような」という裏の意味を揺曳させつつ、時間副詞となって背景へと退き、「もののふのひたごころ」という主旋律に場所を譲る。歌意はしたがって、「かつて戦に向かう武士のひたむきな心を和ませた桜の花が咲いている城址」ということになるが、「たゆませし」までは花を導く序詞である。ものすごく手のこんだ修辞なのだが、それだけでなく調べの美しさにも注目すべきだろう。2首目の「散りぬるをわが」は、いろは歌からの引用。3首目には「容るる」と「淹るる」の同音語の遊びがあり、また「ビューティー」という大胆なカタカナ語の使用も注目される。これも先に触れた文章で藤原が指摘していることだが、大塚は「屋上ルーフ」「想像イマジン」「理容店バーバー」のように、漢語に外国語のルビをよく振る。本歌集でも「菜食主義者ヴェジタリアン」「淡紅ピンク)」「十字架クロス」「精神スピリット」など、その技法は健在である。形は違え、ニューウェーブ短歌がめざした表現の拡大と修辞の復活という大きな流れにあるものと言える。4首目は、「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」という、大橋巨泉が出演し1969年に放映された万年筆のCMからの引用である。狂いたいのに狂うことができないという上句の重い内容と、下句の言葉遊びとの対比がポイントだろう。5首目の「八仙花はっせんか」は紫陽花の異名だそうだ。この歌の眼目は六・七・八・十と数字を並べて、「ここのつじ」に九を隠した点にある。数え歌になっているのだから「十」は「じゅう」ではなく、「とう」と読んでほしい。言葉だけでできている歌と言えるが、これも言語空間に独自の美を築くことを目指した師の春日井の教えに従っていると言えるのかもしれない。6首目はもちろん「海ゆかば水漬く屍」という旧海軍の軍歌の名曲の換骨奪胎で、「ZOOゆかば水漬く」までが河馬を導く序詞となっている。実に絢爛たる修辞なのだが、修辞に溺れることなく歌の意味と姿に奉仕している。
 とまあ、このように語り出したらきりがないほどで、どの歌にも工夫と鑑賞ポイントがある。これだけ質の高い歌が並んでいる歌集も珍しい。読者諸賢はその美と同時に、その微量の毒もまた味わわれるがよい。
 簡潔なあとがきに、春日井が逝去して「短歌」の編集発行人を引き継ぐに当たって、多くの別れを経験したその思いが、控えめながら行間に滲んで読める。集中にも50歳を迎え、人生の残り時間を意識する境涯の苦みの漂う歌が多い。なかでも繰り返し歌われるのは、独りの飲食おんじきの歌である。最後に一首引いておこう。
ひやかなる牡蠣をぬるりと呑みしとき遠空の雲いなづま孕む

ぬばたまの鴉は生と死のあはひにて声高く啼く──大塚寅彦の短歌世界

 大塚寅彦が1982年に「刺青天使」30首により短歌研究新人賞を受賞したのは、若干21歳の時である。繊細な感受性が震えるようなその端正な文語定型短歌は、とても20歳そこそこの青年の手になるものとは思えないほどの完成度を示している。それから20年余を経て、口語ライトヴァース全盛の現在となっては、もはや遠い奇跡のようにすら感じられる。穂村弘は、大塚の「をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪」を引いて、「このような高度な文体を自由に使いこなす若者は彼らを最後に絶滅した」と述べた(『短歌ヴァーサス』2号)。ちなみにここに言う「彼ら」とは、大塚、中山明、紀野恵の三人をさす。大塚はこのように文芸において早熟の人なのである。そしてこのことは、大塚の短歌に深い刻印を残しているように思われる。

 1985年の第一歌集『刺青天使』を代表すると思われる二首がある。

 烏羽玉の音盤(ディスク)めぐれりひと無きのちわれも大鴉を飼へるひとりか 

 翼痕のいたみを忘るべく抱くと淡く刺青のごとき静脈 

「烏羽玉の」は「黒」にかかる枕詞だから、古風に音盤と書かれたレコードは、黒光りするLPレコードか、ひょっとするとSPレコードかもしれない。「大鴉」はもちろんエドガー・アラン・ポーの長詩 Ravenで、Nevermore と陰気にリフレインを響かせたあの鴉である。「われも大鴉を飼へるひとり」とは、自己の内部に鴉に象徴されるものを秘めているということだろう。それは自らの内に刻印された運命としての資質であり、大塚の詩想の源泉でもある。大塚には他にも鴉の歌があるが、『ガウディの月』所収の「選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て」にも明らかなように、自らを宿命によって選ばれた者であるとする密かな矜持がある。これは『刺青天使』において特に強く感じられるように思う。

 右にあげた二首目は、歌集の題名にもなった歌である。「翼痕」とあるのだから、何ゆえか天使が羽をもがれてこの地上に堕されている。浮き出す青い静脈が刺青のように見えるという歌だ。地上に堕された天使は、天上的特性と地上的特性を併せ持つ両義的存在である。天上と地上のあいだで引き裂かれている天使は、この世に生を受けて生きている不思議と不全感の喩として、歌集全体を紋章のように刻印している。それは集中の次のような歌に明らかである。

 いづくより得し夢想の血 をさなくてみどり漉す陽に瞑りてゐき

 わが鳥のふかき飛翔を容るるべく真冬真澄の空はあらむを

 せいねんの肉体を持つふしぎさに 夜半の鏡裡に到るときのま

 いつの頃からか宿った夢想の血、地上にあって青年の肉体を持つ違和感、自らを堕天使と思いなす感覚、これは文芸において早熟な若者が抱きがちな魂の影である。ランボーの塔の歌を、ラディゲのペリカンを、三島由紀夫の貴種流離幻想を思い出すがよい。客観的に見れば確かに青年のナルシシズムである。しかし、このような魂の影は文芸の胚珠であり、そこから次のような美しい歌が生まれる。

 みづからの棘に傷つきたるごとし真紅の芽吹きもつ夏薔薇は

 花の屍ににじむつきかげ いもうとの匂ひ百花香(ポプリ)のうちにまじりて

 ところが、自らを羽をもがれた天使に仮託した青年の矜持と幻想は、第二歌集『空とぶ女友達』、第三歌集『声』、第四歌集『ガウディの月』と読み進むにしたがって、だんだんと薄れて行くように感じられる。かわって目につくようになるのは、世界と自分とのかすかな違和感を詠んだ歌と、倦怠と孤独を感じさせる歌である。

 天使想ふことなく久してのひらに雲のきれはしなす羽毛享く

 倦怠を肝(かん)のせゐとし臥しをればジョニ赤の男(ひと)卓を歩めり

 炙かれゐたる魚の白眼うるみつつ哀れむごとしわが独りの餉

 地上に長く暮していると、天使を思うことも少なくなる。天上的特性が薄れて、地上的特性が優位を占めるようになる。天使といえどもこの汚濁の世に生きれば、否応なく日々の塵埃にまみれるのである。かわって表に顔を出すのは、早熟の代償としての老成である。次のような歌に注目しよう。

 モニターにきみは映れり 微笑をみえない走査線に割かれて

 秋のあめふいにやさしも街なかをレプリカントのごとく歩めば

 育ちたるクローンに脳を移植して二十一世紀の終り見たし

 モデルハウス群しんかんと人間の滅びしのちの清らかさ見す

 SF界の鬼才フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を映画化した『ブレード・ランナー』に登場する人造人間レプリカントのように街を歩く私。ハウジングセンターに人間が滅亡した未来を幻視し、恋人はもはやモニターに映し出されるヴァーチャルな存在にすぎない。『現代短歌最前線』(北溟社)上巻の自選100首に添えられた文章は「2033年トラヒコ72歳」と題されている。AIに生活全般を世話されている72歳の老人になったトラヒコの物語である。この設定は意味深長と言わねばならない。

 この短文を読んで、小松左京の『オルガ』というSF短編を思い出した。舞台は人間がサイボーグ化により200歳もの長命を獲得した未来社会である。しかし人間はその代償として生殖能力を喪失している。主人公の老人は公園で思い切って見知らぬ婦人にいっしょにオルガを飲まないかと誘う。婦人は顔を赤らめるが承知し、ふたりは喫茶店でオルガを飲む。オルガとは長命の代償として失った性的快感の代替品なのである。喫茶店の外を見ると、そこにはヒトという種が迎えた晩秋の荒涼とした風景が広がっているという、なぜか心に残る物語である。

 文芸の世界で早熟は栄光であると同時に災厄でもある。穂村弘が「高度な文体を使いこなす若者たち」の一人として名をあげた中山明は、第二歌集『愛の挨拶』以後短歌の世界から距離を置き沈黙して久しい。最後の歌集『ラスト・トレイン』は中山のホームページ翡翠通信で読めるのみであり、そこに収められた歌には透明な惜別感が充満していて、胸が痛いほどである。これにたいして大塚は、第一歌集を見事に刻印した早熟の代償として、早すぎる老成を自ら選択したように思えるのである。

 第四歌集『ガウディの月』には、それまでの歌集にはあまり見られなかった作者の日常の出来事に題材をとった日常詠・機会詠が多く収められている。

 独りの荷解く夜の部屋の新畳にほへば旅のやうな静けさ

 職場出て芝に憩へばくちなはの陽の沁みとほる蛻のわれは

 うすべににこころ疾む日やひいやりと弥生の医師の触診を受く

 親の死、姉の入院と手術、また自分自身の手術、先輩歌人永井陽子の死、転居と、人生の節目となるような出来事が続いて起きたことがここに作用しているのは明らかである。しかし、それだけがこのような歌風の変化の原因とは思えないような気がするのである。私はここで「方法として選択された老成」という言葉を使ってみたくなる。その意味するところは、より日常の些事に拘泥することで、地上的特性が優位を占めこの世に生きる自分の身辺のなかに静かに抒情を歌うというほどのことである。『ガウディの月』に収められた歌の中にしばしば顔を出す諦観と疲労感は、このような短歌に対する態度と無縁ではないだろう。もちろんこのような態度からも美しい歌は生まれる。それは次のような歌であり、これらを読むとき私たちのなかには、静かだが深く心に刺さるものが残されるのである。

 蜻蛉は透き羽にひかりためながらわがめぐりを舞ふ死者の軽さに

 わがめぐりのみにゆらめき世界より隔つる冬の陽炎のあり

 湖にみづ倦みをらむ明るさをめぐりてあればいのち淡かり



『短歌』(中部短歌会)2004年7月号掲載

044:2004年3月 第4週 大塚寅彦
または、ぬばたまの鴉よ時を得て月光に声高く鳴け

烏羽玉の音盤(ディスク)めぐれりひと無きのち
     われも大鴉を飼へるひとりか

            大塚寅彦『刺青天使』
 「烏羽玉(ぬばたま)の」は「黒」にかかる枕詞だから、古風に音盤と書かれたレコードは、黒光りするLPレコードか、ひょっとするとSPレコードかもしれない。時間は夜でなくてはならない。深夜一人でレコードに耳を傾けているのであろう。流れているのはバッハのゴールドベルク変奏曲か、マーラーの交響曲か。「大鴉」はもちろんエドガー・アラン・ポーの長詩 Ravenで、Nevermore と陰気にリフレインを響かせたあの鴉である。作者大塚は鴉に思い入れがあるらしく、他にも何首か鴉の歌がある。

 鴉らの影また黒しにんげんの影よりわづか濃き烏羽玉に

 らうらうと鴉は鳴けよ銃身の色なる嘴(はし)を冬空に向け

 選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て

 「われも大鴉を飼へるひとり」とは、自分の内部に鴉に象徴されるものを秘めているということだろう。それが何かは定かではないが、鴉の黒色とその陰気な鳴き声が示すように、自分の暗い斜面へと傾斜する何かであり、それが大塚の歌の源泉となっていることは確かである。上の二首目「らうらうと」に見られるように、身中の鴉は時を得て声高く鳴くのだ。またその黒色は、あらゆる色彩を吸収し黙する黒ではなく、月光という詩想を得ればみずから光を放つものでもある。

 わがうちに変形真珠(バロック)なして凝るもの月させばあはく光はなたむ

 大塚寅彦は1961年生まれ。19歳で中部短歌会に入会し、春日井建に師事している。1982年「刺青天使」30首により短歌研究新人賞を受賞。1985年に出版された『刺青天使』は第一歌集である。「刺青」は「いれずみ」ではなく、「しせい」と読む。ライトヴァースの火付け役となった俵万智の『サラダ記念日』と2年ちがいの刊行とは思えないほど、端正な文語定型を自在に乗りこなして、青年の清新な抒情を歌った歌集である。

 をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪

 洗ひ髪冷えつつ十代果つる夜の碧空色の瓦斯の焔(ひ)を消す

 ねむりばす咲(ひら)きぬ或るは水底に沈める者の永久(とこしへ)の夢想

 翼痕のいたみを忘るべく抱くと淡く刺青のごとき静脈

 わが鳥のふかき飛翔を容るるべく真冬真澄の空はあらむを

 中山明の章でも述べたことだが、このような短歌が20歳そこそこの若者の手によって作られたとは信じがたい奇跡である。今の20歳くらいの人が作る短歌はたとえば次のようなものなのだ。

 初めてのビキニ誰にも見られてはいけないようで海にころがる 平山絢子

 自転車を懸命にこぐ君の背に顔をうずめるこれ天国かな  丹下佳美

 このような短歌と大塚の短歌の間には、文語と口語のちがいを遙かに越えた超弩級のクレバスが口を開いているように感じるのだが、そのことはまた稿を改めて論じることとしよう。

 『刺青天使』に収録された短歌を読んでいると、そこには大きく分けてふたつの流れがあるように思う。ひとつの流れは上に引用した五首目「わが鳥の」や、「陽のなかにわが眸は澄めよひらかれし白き翼のごとし雪嶺」のように、青年のロマンチシズムが香るような歌で、視線を上げて上を「見上げる歌」と言えよう。そこには青年特有のいささかの背伸びがあってもよい。もうひとつの流れは上の三首目「ねむりばす」や「花の屍(し)ににじむつきかげ いもうとの匂ひ百花香(ポプリ)のうちにまじりて」のように、伏し目がちに呟く「うつむく歌」の系列である。つまり、内面に屈み込む姿勢を取る歌、内部からの夢想を紡ぎ出す空想の勝った歌をいう。私は子供のころから夢想癖があって根が暗いせいか、どうしても「うつむく歌」の方に惹かれてしまう。同じ血を感じるのである。

 私見によれば、「見上げる歌」と「うつむく歌」の両者を繋ぐのが、引用歌四首目の「翼痕の」ではないかと思う。これは『刺青天使』という歌集の題名のもととなった歌であり、作者自身も要の場所にある歌と位置づけていると取るのが自然だろう。肩に翼の痕があるとは、自分を翼をもがれた天使と捉えているとの謂である。そして皮膚を走る青白い静脈は刺青を思わせる。だから刺青天使なのである。なぜか故あって地上に落とされた天使は、天上の特性と地上の特性を合わせ持つ矛盾した存在である。今この世にこうして生きている不思議と不全感を象徴する喩として、歌集全体を紋章のように刻印していると言えよう。

 しかし、このアンビバレントな緊張感は、第二歌集『空とぶ女友達』、第三歌集『声』、第四歌集『ガウディの月』と読み進むにしたがって、だんだんと薄れて行くように感じられる。次のような歌が多くなってくるのである。

 生没年不詳の人のごとく座しパン食みてをり海をながめて 『空とぶ女友達』

 天使想ふことなく久してのひらに雲のきれはしなす羽毛享く

 ひとは争ふべく差異をもつ夕暮の雑踏ひとり瞰してをり 『声』

 吊革に立ちてすずろに思ふこと亀甲を出ず亀は生を終ふ

 倦怠を肝(かん)のせゐとし臥しをればジョニ赤の男(ひと)卓を歩めり 『ガウディの月』

 独り住むわれはも心萎えし夜は吃驚箱(びっくりばこ)に棲むジャック想ふ

 「天使想ふことなく久し」の句が象徴的に示しているように、かつて青年期には地上に落とされた天使と感じた自分だが、地上に長く住み暮らすうちに、だんだんと天上的特性が薄れ、地上的特性が優位を占めるようになる。それは年齢を重ね、日々の塵埃にまみれるということでもある。だから時に倦怠の色濃い歌が生まれるのだろう。上に引用した六首目「独り住む」のように、淋しさの滲む歌も多く見られる。ここには引かなかったが、9.11同時多発テロを詠んだ時事詠や、先輩歌人永井陽子の死去を悼んで作った歌もある。また次のような現代風俗を取り入れた歌もある。

 ルーズソックス脱皮過程の脚の群秋のひかりを乱しつつ過ぐ

 電脳をめぐれるワーム世界すでにバベルの網(ネット)に支配されつつ

 ローソンの若き店員ぎんいろのピアスは何を受信してゐむ

 しかし、大塚の魅力はその感性の鋭さと繊細な表現にあり、近作においてもその魅力は健在である。

 わがめぐりのみにゆらめき世界より隔つる冬の陽炎のあり

 淡水のなか貝らわづかにくち開けて吐きつつゐたり海の記憶を

 燐寸すれば燐寸となりし樹の夢のほのかに揺らぎ細りゆきたり

 蜻蛉は透き羽にひかりためながらわがめぐりを舞ふ死者の軽さに


 『現代短歌最前線』(北溟社)上巻に収められた自選100首は、「2033年トラヒコ72歳」と題されており、添えられた文章もまた、自分が72歳になった未来社会の情景である。ひょっとして作者は、老成をこそ求めているのかも知れないとも思えるのである。