第351回 大塚寅彦『ハビタブルゾーン』

蓮の花ひかりほどかむ朝まだき亡き父母近し老い初めし身に

大塚寅彦『ハビタブルゾーン』

 前歌集『夢何有郷』から数えて実に12年振の大塚の第六歌集である。書肆侃侃房の現代歌人シリーズの一巻として刊行され、奥付の日付は今年 (2023年) 4月8日となっている。今年の復活祭は4月9日の日曜日だったので、その前日ということになる。この日付にもまた意味が籠められているようにも感じられる。歌集題名の「ハビタブルゾーン」とは、宇宙の中で人類が生きることのできる生存可能領域のこと。

 あとがきには12年間の作から240首を選んだとある。創立100年を迎えた中部短歌会主宰の大塚ならば、この間に詠んだ歌は相当な数に上るにちがいない。その中から240首のみを選んだのは意図あってのことである。あとがきには自分では長年「相棒」と内心呼んでいた女性が6年前に他界したと書かれている。そして一冊くらい死者と自分のためにまとめたものがあってもよかろうと本歌集を編んだという。つまり本歌集は相棒とまで見なした人に捧げる鎮魂の書なのだ。世に鎮魂の書があるとするならば、本書ほどその名にふさわしい書物はあるまい。

 その中で第一部の「ハビタブルゾーン」の一連では、今は亡き父母と過去の記憶が詠まれている。掲出歌はその一連の最初の歌である。

古びたるアルバムたどるわがまみにふと宿りたり死者のまなざし

母の差す日傘のしたに影踏みて衛星のごとたましひありき

兵たりし父なりいくさ現身うつしみのかそきき創にとどめゐしのみ

棘満ちて祈りの響き立つる円筒つつオルゴール〈月の光〉零せり

メアド無きメールか短歌うたは 遺影にて君笑まふなり@heavenアット・ヘヴン

 一首目はセピア色と化した古い家族アルバムをめくっている場面である。今は亡き父母の写真を眺めていると、ふと自分もあちら側にいるかのような気分になる。二首目は幼き日の思い出で、母の回りをぐるぐる回っている幼児期の自分。三首目は太平洋戦争に出兵した父親の歌で、体に戦いの傷が残っている。四首目のオルゴールが奏でるのはドビュッシーのビアノ曲である。五首目では短歌は送信先のメールアドレスのないメールのようなものだとしている。確かに古来歌は誰かに送るものだったはずで、近代短歌は送り先のいない歌とも言える。

 本歌集の中核をなすのは第二部と第三部である。第二部の初めでは、作者の相棒の女性は癌に罹患し闘病している。

輪廻など語ることなく六道の辻を行きたり癌病む女とひと

六道の辻地蔵尊の斜向かひ〈幽霊子育飴〉ひつそりと在り

何ほどのこともあらずと死を言ひし師の心ふ病む人とゐて

息の緒をたぐる思ひか余命とふ一日一日ひとひひとひひとの生くるは

生きてある実感きみに沁みゆけと口に運べりわづかなる餉を

 一首目と二首目の六道は、京都市東山区にある六道珍皇寺とその界隈で、幽霊子育飴は、幽霊が子を育てるために飴を買いに来たという伝承があり、実際に販売されている飴である。歌意を解説する必要もないほど過不足ない言葉で、癌を病む人の残された生に寄り添う姿が詠まれていて心に迫る。

 第三部でその人とは遂に幽明境を異にすることとなる。

さくら散るときを選びし君なるや魂鎮めとも花びらの舞う

汝が願ひかなひて母の手を握り声なく逝けり睡るごとくに

火葬するけむりますぐに大空も超えて昇れよきみがたましひ

余剰なきこつの浄さよ火のなかに癌は消えたり君をせしめ

あじさゐの色うつろへど君あらぬ日々変はるなし花毬はなに降る雨

 すべては鎮魂と喪失であり、桜の花散る季節に逝った友への思いは紫陽花に降る六月の雨も流し去ることはかなわない。これらの歌はまさに送信先を失った歌であり、作者の振り絞る喉を出て虚空に響く思いがする。

 そもそも言葉には呪的機能があるとも言われているが、なかでも和歌は古来よりその性格が濃い。天皇が丘の上から都を眺め国の栄えを言祝ぐ歌には、そうあれかしという願望と祈りが籠められている。歌は誰かに贈るものだとするならば、挽歌はこの世を離れた死者に贈る歌である。そのとき歌は、近代を迎えて片隅に押しやられた暗闇の中に埋もれ忘れ去られた呪的機能を再び取り戻すがに立ち上がる。大塚の挽歌にはそのような歌の力が籠もっているように感じられる。

秋水をらして己が死を得たる三島おもひし師や病む日々に (師・春日井建)

残されしとも仰げり切れはしの虹ほのかにも架かるゆふぐれ

しろき蝶けむりの如く翔ちゆきし苑生は碑なき墓処はかどならずや

黄金おうごんの花粉の豪奢まとふ鳥待つや深紅の椿けつつ

行きなきはなびら集ふ花いかだすべきたまや待ちてたゆたふ

 一首目の秋水とは刀のこと。「我らは新たな定家を得た」という推挽の言葉を若き春日井に与えたのは三島由紀夫である。大塚の作る短歌を読んでいると、まるで精密機械のように、入念に選ばれた言葉が置かれるべき場所を得て、カチッと嵌まる音が聞こえるかのようである。二首目の虹、三首目の蝶、四首目の鳥はとりわけ死者の魂と繋がりの深いものであり、ここに選ばれているのは決して偶然ではない。鎮魂の書の一巻を編んだ作者の心を思い瞑目するばかりである。