烏羽玉の音盤(ディスク)めぐれりひと無きのち
われも大鴉を飼へるひとりか
大塚寅彦『刺青天使』
われも大鴉を飼へるひとりか
大塚寅彦『刺青天使』
「烏羽玉(ぬばたま)の」は「黒」にかかる枕詞だから、古風に音盤と書かれたレコードは、黒光りするLPレコードか、ひょっとするとSPレコードかもしれない。時間は夜でなくてはならない。深夜一人でレコードに耳を傾けているのであろう。流れているのはバッハのゴールドベルク変奏曲か、マーラーの交響曲か。「大鴉」はもちろんエドガー・アラン・ポーの長詩 Ravenで、Nevermore と陰気にリフレインを響かせたあの鴉である。作者大塚は鴉に思い入れがあるらしく、他にも何首か鴉の歌がある。
鴉らの影また黒しにんげんの影よりわづか濃き烏羽玉に
らうらうと鴉は鳴けよ銃身の色なる嘴(はし)を冬空に向け
選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て
「われも大鴉を飼へるひとり」とは、自分の内部に鴉に象徴されるものを秘めているということだろう。それが何かは定かではないが、鴉の黒色とその陰気な鳴き声が示すように、自分の暗い斜面へと傾斜する何かであり、それが大塚の歌の源泉となっていることは確かである。上の二首目「らうらうと」に見られるように、身中の鴉は時を得て声高く鳴くのだ。またその黒色は、あらゆる色彩を吸収し黙する黒ではなく、月光という詩想を得ればみずから光を放つものでもある。
わがうちに変形真珠(バロック)なして凝るもの月させばあはく光はなたむ
大塚寅彦は1961年生まれ。19歳で中部短歌会に入会し、春日井建に師事している。1982年「刺青天使」30首により短歌研究新人賞を受賞。1985年に出版された『刺青天使』は第一歌集である。「刺青」は「いれずみ」ではなく、「しせい」と読む。ライトヴァースの火付け役となった俵万智の『サラダ記念日』と2年ちがいの刊行とは思えないほど、端正な文語定型を自在に乗りこなして、青年の清新な抒情を歌った歌集である。
をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪
洗ひ髪冷えつつ十代果つる夜の碧空色の瓦斯の焔(ひ)を消す
ねむりばす咲(ひら)きぬ或るは水底に沈める者の永久(とこしへ)の夢想
翼痕のいたみを忘るべく抱くと淡く刺青のごとき静脈
わが鳥のふかき飛翔を容るるべく真冬真澄の空はあらむを
中山明の章でも述べたことだが、このような短歌が20歳そこそこの若者の手によって作られたとは信じがたい奇跡である。今の20歳くらいの人が作る短歌はたとえば次のようなものなのだ。
初めてのビキニ誰にも見られてはいけないようで海にころがる 平山絢子
自転車を懸命にこぐ君の背に顔をうずめるこれ天国かな 丹下佳美
このような短歌と大塚の短歌の間には、文語と口語のちがいを遙かに越えた超弩級のクレバスが口を開いているように感じるのだが、そのことはまた稿を改めて論じることとしよう。
『刺青天使』に収録された短歌を読んでいると、そこには大きく分けてふたつの流れがあるように思う。ひとつの流れは上に引用した五首目「わが鳥の」や、「陽のなかにわが眸は澄めよひらかれし白き翼のごとし雪嶺」のように、青年のロマンチシズムが香るような歌で、視線を上げて上を「見上げる歌」と言えよう。そこには青年特有のいささかの背伸びがあってもよい。もうひとつの流れは上の三首目「ねむりばす」や「花の屍(し)ににじむつきかげ いもうとの匂ひ百花香(ポプリ)のうちにまじりて」のように、伏し目がちに呟く「うつむく歌」の系列である。つまり、内面に屈み込む姿勢を取る歌、内部からの夢想を紡ぎ出す空想の勝った歌をいう。私は子供のころから夢想癖があって根が暗いせいか、どうしても「うつむく歌」の方に惹かれてしまう。同じ血を感じるのである。
私見によれば、「見上げる歌」と「うつむく歌」の両者を繋ぐのが、引用歌四首目の「翼痕の」ではないかと思う。これは『刺青天使』という歌集の題名のもととなった歌であり、作者自身も要の場所にある歌と位置づけていると取るのが自然だろう。肩に翼の痕があるとは、自分を翼をもがれた天使と捉えているとの謂である。そして皮膚を走る青白い静脈は刺青を思わせる。だから刺青天使なのである。なぜか故あって地上に落とされた天使は、天上の特性と地上の特性を合わせ持つ矛盾した存在である。今この世にこうして生きている不思議と不全感を象徴する喩として、歌集全体を紋章のように刻印していると言えよう。
しかし、このアンビバレントな緊張感は、第二歌集『空とぶ女友達』、第三歌集『声』、第四歌集『ガウディの月』と読み進むにしたがって、だんだんと薄れて行くように感じられる。次のような歌が多くなってくるのである。
生没年不詳の人のごとく座しパン食みてをり海をながめて 『空とぶ女友達』
天使想ふことなく久してのひらに雲のきれはしなす羽毛享く
ひとは争ふべく差異をもつ夕暮の雑踏ひとり瞰してをり 『声』
吊革に立ちてすずろに思ふこと亀甲を出ず亀は生を終ふ
倦怠を肝(かん)のせゐとし臥しをればジョニ赤の男(ひと)卓を歩めり 『ガウディの月』
独り住むわれはも心萎えし夜は吃驚箱(びっくりばこ)に棲むジャック想ふ
「天使想ふことなく久し」の句が象徴的に示しているように、かつて青年期には地上に落とされた天使と感じた自分だが、地上に長く住み暮らすうちに、だんだんと天上的特性が薄れ、地上的特性が優位を占めるようになる。それは年齢を重ね、日々の塵埃にまみれるということでもある。だから時に倦怠の色濃い歌が生まれるのだろう。上に引用した六首目「独り住む」のように、淋しさの滲む歌も多く見られる。ここには引かなかったが、9.11同時多発テロを詠んだ時事詠や、先輩歌人永井陽子の死去を悼んで作った歌もある。また次のような現代風俗を取り入れた歌もある。
ルーズソックス脱皮過程の脚の群秋のひかりを乱しつつ過ぐ
電脳をめぐれるワーム世界すでにバベルの網(ネット)に支配されつつ
ローソンの若き店員ぎんいろのピアスは何を受信してゐむ
しかし、大塚の魅力はその感性の鋭さと繊細な表現にあり、近作においてもその魅力は健在である。
わがめぐりのみにゆらめき世界より隔つる冬の陽炎のあり
淡水のなか貝らわづかにくち開けて吐きつつゐたり海の記憶を
燐寸すれば燐寸となりし樹の夢のほのかに揺らぎ細りゆきたり
蜻蛉は透き羽にひかりためながらわがめぐりを舞ふ死者の軽さに
『現代短歌最前線』(北溟社)上巻に収められた自選100首は、「2033年トラヒコ72歳」と題されており、添えられた文章もまた、自分が72歳になった未来社会の情景である。ひょっとして作者は、老成をこそ求めているのかも知れないとも思えるのである。
鴉らの影また黒しにんげんの影よりわづか濃き烏羽玉に
らうらうと鴉は鳴けよ銃身の色なる嘴(はし)を冬空に向け
選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て
「われも大鴉を飼へるひとり」とは、自分の内部に鴉に象徴されるものを秘めているということだろう。それが何かは定かではないが、鴉の黒色とその陰気な鳴き声が示すように、自分の暗い斜面へと傾斜する何かであり、それが大塚の歌の源泉となっていることは確かである。上の二首目「らうらうと」に見られるように、身中の鴉は時を得て声高く鳴くのだ。またその黒色は、あらゆる色彩を吸収し黙する黒ではなく、月光という詩想を得ればみずから光を放つものでもある。
わがうちに変形真珠(バロック)なして凝るもの月させばあはく光はなたむ
大塚寅彦は1961年生まれ。19歳で中部短歌会に入会し、春日井建に師事している。1982年「刺青天使」30首により短歌研究新人賞を受賞。1985年に出版された『刺青天使』は第一歌集である。「刺青」は「いれずみ」ではなく、「しせい」と読む。ライトヴァースの火付け役となった俵万智の『サラダ記念日』と2年ちがいの刊行とは思えないほど、端正な文語定型を自在に乗りこなして、青年の清新な抒情を歌った歌集である。
をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪
洗ひ髪冷えつつ十代果つる夜の碧空色の瓦斯の焔(ひ)を消す
ねむりばす咲(ひら)きぬ或るは水底に沈める者の永久(とこしへ)の夢想
翼痕のいたみを忘るべく抱くと淡く刺青のごとき静脈
わが鳥のふかき飛翔を容るるべく真冬真澄の空はあらむを
中山明の章でも述べたことだが、このような短歌が20歳そこそこの若者の手によって作られたとは信じがたい奇跡である。今の20歳くらいの人が作る短歌はたとえば次のようなものなのだ。
初めてのビキニ誰にも見られてはいけないようで海にころがる 平山絢子
自転車を懸命にこぐ君の背に顔をうずめるこれ天国かな 丹下佳美
このような短歌と大塚の短歌の間には、文語と口語のちがいを遙かに越えた超弩級のクレバスが口を開いているように感じるのだが、そのことはまた稿を改めて論じることとしよう。
『刺青天使』に収録された短歌を読んでいると、そこには大きく分けてふたつの流れがあるように思う。ひとつの流れは上に引用した五首目「わが鳥の」や、「陽のなかにわが眸は澄めよひらかれし白き翼のごとし雪嶺」のように、青年のロマンチシズムが香るような歌で、視線を上げて上を「見上げる歌」と言えよう。そこには青年特有のいささかの背伸びがあってもよい。もうひとつの流れは上の三首目「ねむりばす」や「花の屍(し)ににじむつきかげ いもうとの匂ひ百花香(ポプリ)のうちにまじりて」のように、伏し目がちに呟く「うつむく歌」の系列である。つまり、内面に屈み込む姿勢を取る歌、内部からの夢想を紡ぎ出す空想の勝った歌をいう。私は子供のころから夢想癖があって根が暗いせいか、どうしても「うつむく歌」の方に惹かれてしまう。同じ血を感じるのである。
私見によれば、「見上げる歌」と「うつむく歌」の両者を繋ぐのが、引用歌四首目の「翼痕の」ではないかと思う。これは『刺青天使』という歌集の題名のもととなった歌であり、作者自身も要の場所にある歌と位置づけていると取るのが自然だろう。肩に翼の痕があるとは、自分を翼をもがれた天使と捉えているとの謂である。そして皮膚を走る青白い静脈は刺青を思わせる。だから刺青天使なのである。なぜか故あって地上に落とされた天使は、天上の特性と地上の特性を合わせ持つ矛盾した存在である。今この世にこうして生きている不思議と不全感を象徴する喩として、歌集全体を紋章のように刻印していると言えよう。
しかし、このアンビバレントな緊張感は、第二歌集『空とぶ女友達』、第三歌集『声』、第四歌集『ガウディの月』と読み進むにしたがって、だんだんと薄れて行くように感じられる。次のような歌が多くなってくるのである。
生没年不詳の人のごとく座しパン食みてをり海をながめて 『空とぶ女友達』
天使想ふことなく久してのひらに雲のきれはしなす羽毛享く
ひとは争ふべく差異をもつ夕暮の雑踏ひとり瞰してをり 『声』
吊革に立ちてすずろに思ふこと亀甲を出ず亀は生を終ふ
倦怠を肝(かん)のせゐとし臥しをればジョニ赤の男(ひと)卓を歩めり 『ガウディの月』
独り住むわれはも心萎えし夜は吃驚箱(びっくりばこ)に棲むジャック想ふ
「天使想ふことなく久し」の句が象徴的に示しているように、かつて青年期には地上に落とされた天使と感じた自分だが、地上に長く住み暮らすうちに、だんだんと天上的特性が薄れ、地上的特性が優位を占めるようになる。それは年齢を重ね、日々の塵埃にまみれるということでもある。だから時に倦怠の色濃い歌が生まれるのだろう。上に引用した六首目「独り住む」のように、淋しさの滲む歌も多く見られる。ここには引かなかったが、9.11同時多発テロを詠んだ時事詠や、先輩歌人永井陽子の死去を悼んで作った歌もある。また次のような現代風俗を取り入れた歌もある。
ルーズソックス脱皮過程の脚の群秋のひかりを乱しつつ過ぐ
電脳をめぐれるワーム世界すでにバベルの網(ネット)に支配されつつ
ローソンの若き店員ぎんいろのピアスは何を受信してゐむ
しかし、大塚の魅力はその感性の鋭さと繊細な表現にあり、近作においてもその魅力は健在である。
わがめぐりのみにゆらめき世界より隔つる冬の陽炎のあり
淡水のなか貝らわづかにくち開けて吐きつつゐたり海の記憶を
燐寸すれば燐寸となりし樹の夢のほのかに揺らぎ細りゆきたり
蜻蛉は透き羽にひかりためながらわがめぐりを舞ふ死者の軽さに
『現代短歌最前線』(北溟社)上巻に収められた自選100首は、「2033年トラヒコ72歳」と題されており、添えられた文章もまた、自分が72歳になった未来社会の情景である。ひょっとして作者は、老成をこそ求めているのかも知れないとも思えるのである。