第169回 宇佐美ゆくえ『夷隅川』

にりん草いずれか先に散りゆきて残れる花に夕日ただよう
                 宇佐美ゆくえ『夷隅川』
 ニリンソウは春に二輪一対の白い花を咲かせるありふれた花である。作者は農作業をしていて、近くの土手に咲くニリンソウの一輪だけが先に散っていることに気づく。時刻はそろそろ農作業を終えようかという夕暮れである。どこといって取り立てて特別なものは何もない。ありふれた日常の小さなものに寄せる愛情が感じられ、心地よい余韻が残る歌だ。
 この歌集を腰を据えて読んでみようという気になったのは、巻末の著者略歴を見たときである。
1923年生まれ 千葉県大多喜郡小谷松出身
1946年 宇佐美二三男と結婚
1967年 大多喜町学校給食センター勤務
     大多喜町立保育園給食室勤務
1981年 退職
 これだけしか記されていない。ふつう略歴には歌人としての履歴を書くことが多い。○○結社所属とか、○○の指導を受けるとか、○○賞候補になるとか、そういう履歴である。しかしこの略歴にはそのようなことが一切書かれていない。職業はいわゆる給食室のおばさんである。こういう人が文芸にいそしみ、歌集を出す。日本以外の国ではとうてい考えられないことである。
 歌集に添えられていたカードを見ると、もう少し情報が得られる。歌集題名となった夷隅川いすみがわは、千葉県の房総半島南東部をぐねぐねと蛇行しながら流れる川だそうだ。作者はその川のほとりに70年住んで農作業をして来たという。給食室勤務のかたわらの兼業農家なのだ。もう一枚のカードには、歌集編纂を担当したこずえユノが「私の母の歌集です」と紹介している。こずえユノは「かばん」同人の歌人である。跋文は雪舟えまで、版元は最近歌集出版が多い鎌倉の「港の人」。
 さて、700首に迫ろうとする収録された短歌をすべて読み終えて巻を置いたとき、深い感動を覚えた。ここには黙々と働き、子供を育て、両親と夫を看取り、草花と動物に分け隔てのない愛情を注ぐ、無名の人の真実の人生がある。通読すると、作者がどのような人生を送ってきたか、また日々どのような感慨を抱いてきたかが、まるで手に取るようにわかる。それは一巻の小説を読むようであり、また一編の映画を観るようでもある。
揚水の早や始まりて暁の野を光りつつ水の走れり
給食の作業はじまる水槽に舞い入りて浮く花のいくひら
身弱なる夫をたよりに来し方の心細きもいつか忘れぬ
この川のほとりに住みて大方の思い出はみな水にかかわる
川上に生家も母もありし日の思い出さるる橋渡りおり
 文語基調の定型を守り、写実を基本とする衒いのない詠み方である。これだけの歌を読んだだけですでにいろいろなことがわかる。まず、作者は夷隅川のもう少し上流から嫁いで来たのだが、すでに母親も他界し生家も今はない。無住となって取り壊されたのだろう。一首目の揚水は田に水を張る準備で、周囲に広がる農村の風景が目に浮かぶ。二首目は勤務する給食室の情景で、どこからか紛れ込んだ桜の花びらが水槽に浮いている。結婚した夫は身体の弱い人だった。あとでわかるが、夫もまた短歌を作る人であった。四首目にあるように、この歌集に収録された歌のどこかに必ず川があり橋がある。
明日もまた草刈りせむと夕やけの土手にかがまり鎌を研ぎおく
たがやせば土に寄りきてついばめる小鳥らとひねもす冬畑にいる
梅もぎやじゃがいも用と籠を編みならべて足らう寒の灯のもと
もぐら除けを背負いてゆけば頭上にてプロペラ廻り何故かおかしき
山畑にひと日はくれぬ紫蘇の実をこきし匂いの指に残りて
彼岸会の鐘なりくれば泥の手を合わせていのる山の畑に
 畑を耕し、籠を編み、家で大釜一杯味噌を炊くというのは、若い人にはまるで「日本昔話」の世界のように見えるかもしれないが、ほんの50年くらい前の農村ではふつうのことだった。私も子供の頃、山口県に住んでいた祖父母の家に行くと、よく味噌作りを手伝わされた。「もぐら除け」というのは、風で回るプロペラに棒を付けて地面に突き刺すものらしい。もぐらは音に敏感だという性質を利用したものだという。いずれも昔から続く農村の暮らしをていねいに描いていて、こうした懐かしい風景が急速に失われつつある現在、このまま冷凍保存しておきたい気持ちになる。六首目を読んだとき、これはほとんどミレーの描く世界ではないかと思った。鳴り響く鐘はアンジェラスではなく、彼岸会を告げる寺の鐘ではあるが。
いく世代続きしものか組という縁も解きて村を去る兄
水難の甥に流せし灯籠の遠くにゆきてなおもまたたく
牛飼いをやめると言いて妹の持ちきし牛乳ちちをおしみつつ飲む
わが家に終のぞうりをぬぎ逝きて貧しき母の形見となりぬ
麻痺の夫湯ぶねに支え合う子らの背中の汗の光りつつ落つ
ゆるやかにトビ舞い澄める浜の朝旅立つ夫に子らとすがりぬ
ケアーバス待つ身となりぬわが門の桜吹雪を浴びてたたずむ
 兄は村を去り、妹の息子は水難で死亡、近くに住む妹は牛飼いを止める。母親を看取って送り、やがて夫は認知症が進んで全身麻痺になる。懸命に夫を介護しやがて見送る。自分は一人暮らしとなり、やがてデイケアに通い始めるといった人生の節目が詠まれていて、胸に迫るものがある。
雑魚しじみ子らと掬いし日もはるかこの川べりに一人くらすも
光つつ流れて止まぬ夷隅川ひとのみ老いて橋をゆき交う
 歌集巻末近くに置かれた歌で、作者の人生が川と橋とともにあったことがよくわかる。
 それにしても、写実と実相観入の「アララギ・パッケージ」はすごいと改めて感じざるをえない。作者は夫君とともに歌会で研鑽を積んでおり、また自身ていねいに物を観る観察眼を持っていることも確かなのだが、それをこのような歌にすることができたのは「アララギ・パッケージ」の力によるものである。誤解を恐れずに言うならば、「アララギ・パッケージ」とは、とりわけ文学の天才ではないふつうの生活者でも、文学の世界に参入して人の心を打つ歌を作ることができるためのアプリケーションである。
 近代短歌の本流を形成したアララギに刃向かい短歌を革新しようとした陣営が、「アララギ・パッケージ」に代わる方法論を提示しえたかというと、それは心許ない。例えば塚本邦雄の前衛短歌は、塚本の芸術全般にわたる博学と独自の言語感覚に支えられた個人芸であって、他の人が容易にまねすることができるものではない。
 この歌集を読むと、短歌という文芸の根底が、市井に暮らすごくふつうの人々によって支えられているのだということがあらためて感じられる。そう感じさせることがこの歌集の力である。