第184回 山田航『水に沈む羊』

ガソリンはタンク内部にさざなみをつくり僕らは海を知らない
                   山田航『水に沈む羊』
 『さよならバグ・チルドレン』に続く山田の第二歌集が出版された (2016年2月)。不思議なタイトルだが、これについては後で触れる。版元は港の人。光森裕樹が第一歌集『鈴を産むひばり』を出してから歌集に縁ができた出版社である。光森はふつうにインターネットで探して見つけたところに出版を依頼したという。帯を付けないのが方針だそうで、本歌集にも帯がない。薄い水色の表紙にタイトルが印刷されている文字は、ドット数の少ないデジタル表示のように輪郭線がぎざぎざしている。デジタルだからこうなるのだが、アナログ感が漂うのが不思議だ。装丁も簡便で小体な歌集になっている。
 さて、第一歌集の批評では「抒情プラスニューウェーブ」「歌風の振り幅の大きさ」「プロデュース感覚の必要性」というようなことを書いた。第二歌集を通読して感じたのは「郊外育ちの子供」の感受性である。山田はプロフィールに「札幌生まれ札幌育ち」と書いているので現実には違うのかもしれないが、少なくともこの歌集は1970年代後半から80年代に生まれたあるボリュームゾーンを代弁している気がする(山田自身は1983年生)。
果てなんてないといふこと何処までも続く車道にガストを臨む
だだっ広い駅裏の野に立つこともないまま余剰として生きてゆく
スカートならフードコートのゴミ箱にぜーんぶ捨てたなんて言ひ出す
アスファルトに椿ひとひら腐るころ公民館に落語家が来る
ゴルフ打ちっ放しの網に桃色の朝雲がかかるニュータウン6:00
 一首目の車道は国道でガストは国道沿いによるあるチェーン店である。二首目、駅裏の野原はたぶんこれから造成と建築が予定されている空き地だろう。三首目のフードコートは大型ショッピングモールにある飲食施設で、四首目の公民館は大都市にはない。五首目ははっきりとニュータウンと書かれている。
 昔、東京都の周辺都市や神奈川県などの隣接県に生まれた子供たちは、東京に出てゆくことを熱望していた。地元はダサい地方都市で東京には何でもあるからだ。しかしある頃から若者たちは地元で幼なじみの友人たちとまったり暮らすことを好むようになったという。いわゆる「マイルドヤンキー化」である。たとえば音楽グループ「いきものがかり」は厚木や海老名への地元愛を公言していて、小田急線が大好きだという。奇しくもボーカルの吉岡は1984年生まれで、水野と山下は1982年生まれである。山田とほぼ同世代に当たる。
 山田の歌集を読んでいると、整然として明るいのだが、どこかがらんとしていて空間に陰影がない郊外やニュータウンの感覚を感じるのである。ただし大きなちがいもある。マイルドヤンキーは地元愛に溢れていて地元を離れないが、山田は地元を憎悪している。ブログで「この歌集は地元と学校を憎んでいる人のために作った」と書いていることからわかる。
 なぜ地元と学校を憎悪するのか。それは山田が感じている不全感に由来する。
鉄塔の見える草原ぼくたちは始められないから終はれない
剥き出しの肩がかすかに上下するリズムいつかは羽撃くための
濾過されてゆくんだ僕ら目に見えぬ弾に全身撃抜かれながら
ふるさとがゆりかごならばぼくらみな揺らされすぎて吐きそうになる
 「始められないから終はれない」とは、人生の第一歩を踏み出すことすらできていないという意味である。「いつかは羽撃く」は淡い希望だが、いつまでも羽撃けないことをうすうす感じているだろう。「揺らされすぎて吐きそうになる」は揺籃の地への憎悪に他ならない。読んで気づくのは、山田の短歌の一人称は「僕」や「吾」ではなく、必ずと言ってよいほど「僕たち」「僕ら」だということだ。ということは少なくとも短歌の場においては、山田は自分を特殊な人間と捉えているのではなく、ある世代、ある集団の一員とみなしているのである。
 不全感のもうひとつの源は「ふたりぼっちの明日へ」という連作に見える。
「生めない」と「生ませられない」天秤の傾ぎばかりを観測されて
葡萄色の産科医院へ告げに行くずつとふたりで生きてゆくこと
無精卵といふ語が責めてゐるものは君なのか俺なのか夕映え
 この連作のカップルは不妊で子供を作れないのだ。ここにも強い不全感の理由が見てとれよう。
 巻末に置かれた「水に沈む羊」は歌集のタイトルともなったタイトルチューンで、「短歌研究」誌に発表されたものである。なぜ水に沈む羊なのか。
水に沈む羊のあをきまなざしよ散るな まだ、まだ水面ぢやない
屋上から臨む夕映え学校は青いばかりの底なしプール
 この二首を読むと、学校がプールに喩えられており、「水に沈む羊」とは学校の中で溺れそうになっている生徒(自分)の喩であることがわかる。なぜ羊かというと、北海道はジンギスカンが盛んだからではなく、童話では羊は狼に襲われるからである。
便器の底の水の向かうにしらじらと顔を蹴られてゐる僕がゐた
溺れても死なないみづだ幼さが凶器に変はる空間もある
沈みゆく僕の身体をさする根はやさしいやさしいにせものの指
べたついた悪意とともにつむじから垂らされてゆくコカ・コーラゼロ
 学校での集団的いじめの光景である。山田が実際に学校でいじめに遭ったかどうかを詮索するのはどうでもよく、山田の目には学校がこのように映っているという点が重要だ。この連作だけ歌の末尾が頁のいちばん下に来るように配置されていて、いきおい歌の初めの位置は上がったり下がったりする。それが学校というプールの中で浮き沈みする羊のレイアウト的喩となっている。上に引いた歌では「コカ・コーラゼロ」のディテールが上手い。
 さて歌集を通読した感想はどうかというと、前歌集にはたくさんあった寺山修司的、西田政史的短歌がずいぶん減っている。たとえば次のような叙情的な歌である。
角砂糖ふくめば涼しさらさらと夏の崩れてゆく喫茶店 
              『さよならバグ・チルドレン』
自転車は波にさらはれ走り去るものみな君に届かぬ真夏
祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも
 本歌集で探すと次のような歌は見つかるが数は少なくとても残念だ。
水張田の面を輝きはなだれゆき快速列車は空港へ向かふ
花と舟と重なりあひてみづうみを同じ速度で流れゆく見ゆ
昭和製のコイン入れれば震へ出す真夏を回りつくすさざなみ
 それから山田は旧仮名遣いを採用しているのだが、旧仮名は文語脈と旧字がセットになって初めて生きるものだ。まあ旧字は無理として、山田のように口語脈で旧仮名を使うととても違和感がある。口語脈ならば新仮名でよいのではないか。
 山田は本歌集と前後して2015年末に『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)を上梓している。こちらは1970年以後に生まれた歌人を取り上げ、歌人論とアンソロジーを取り合わせたものである。若い歌人のアンソロジーとしては、『太陽の舟』(北溟社 2007年)、『現代短歌最前線 新響十人』(北溟社 2007年)があるが、「トナカイ語研究日誌」で文体を鍛えた手練れの山田のことである。鋭く斬り込む歌人評とアンソロジーは短歌に興味のある人たちにとって格好の導入となるだろう。短歌実作と評論の両面で活躍する山田ならではである。

第105回 山田航『さよならバグ・チルドレン』

りすんみい 齧りついたきりそのままの青林檎まだきらきらの歯型
        山田航『さよならバグ・チルドレン』(ふらんす堂)
 平成21年(2009年)に第55回角川短歌賞と第27回現代短歌評論賞をダブル受賞した山田航の第一歌集が出た。1ページに3首を配して100ページ余りなので、ざっと300首が収められている。解説は「かばん」の先輩で、今年『世界中が夕焼け 穂村弘の短歌の秘密』を山田と共著で出した穂村弘。歌集巻頭に角川短歌賞受賞作「夏の曲馬団」が置かれているが、作者のあとがきが長い割には、歌の配列が編年体なのかそれとも構成してあるのか書かれていないので、そこはわからない。おそらく構成によると思われる。
 山田についてはこのコラムですでに書いたことがあるが、第一歌集を一読してもその時に書いたことをあまり変える必要はなさそうだ。しかしこれだけの数の歌をまとめて読むと新たに発見することもあるので、今回はそのあたりを中心に書いてみたい。
 前のコラムでは山田の短歌世界に一番近いのは寺山修司で、西田政史らの短歌もよく読んでおり、これを総合すると「抒情プラスニューウェーブ」となると断じた。そのラインは変わらないけれども、一冊の歌集となると細かく見れば多面的で、短歌への立ち位置や文体において相当な幅があることがわかる。
角砂糖ふくめば涼しさらさらと夏の崩れてゆく喫茶店
雨を想ふ。大好きだつた人たちがみな消えてゆく夏になるまで
でもぼくは君が好きだよ焼け焦げたミルク鍋の底撫でてゐるけど
「いい意味で愚かですね」とコンビニの店員に言はれ頷いてゐる
 冬の長い北海道に暮らす山田には夏への憧れがあるのか夏の歌が多いが、その大部分は眩しいほどの青春の抒情である。上に引いた最初の2首はそのようなキラキラとした透明感のある歌で、山田のこういう側面を評価する人は多かろう。このような世界は定型と短歌の韻律を守った歌になっている。これに対して次の2首はニューウェーブ風で、文字こそ旧仮名だが完全に口語である。3首目はもろに西田政史風で、4首目となると短歌の韻律はほとんど感じられない。ほとんど呟きのような声の低い言葉が連なっている。
 さて、どちらが本当の山田の姿か。解説の中で穂村は、角川短歌賞を受賞した作品について、「選考委員のなかにはこの世界はつくられていると感じた人もいたにちがいない」と述べ、また「言葉の修辞レベルで甘やかにつくりこまれている」とも書いている。ただ、その背後にどうしようもない苦さが潜んでいて、突然〈私〉の表情と口調が変わったように、次のような歌が投げ出されることがあるとしている。
鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る
 この辺りの事に踏み込んで考察すると、どうしても作者のプライベートと心の秘密の領域に土足で上がり込まなくてはならないのだが、幸い山田自身が長いあとがきで率直にその事情を語っている。実はこの歌集で最も驚くべきなのはこのあとがきなのである。歌集のあとがきというと、○○年から××年までの歌を集めたという制作過程とか、歌集をまとめるにあたってお世話になった方への謝辞などが、簡潔な文体で書かれているのが普通である。しかし山田のあとがきは「僕はホームランを打ちたかった」と題名まで付いており、そこには心と体をうまくコントロールができずに人間関係や就職に失敗してきた様子が率直に書かれている。そんななかで短歌に出会い、短歌ならばクリーンヒットを打てるかも知れないと言葉を紡ぎ始めたという。他の人がやすやすとしていることをどうしてもうまくできないというのは穂村弘とよく似ているが、穂村は『世界音痴』や『現実入門』などでそのような自分を突き放して戯画化し、ほとんど芸の境地にまで達している。それにたいして山田は「大丈夫かいな」と感じるほど直球で率直なのである。
 今年創刊された同人誌『率』の創刊号に山田がゲストとして参加していて、自作を解説しているのだが、そこでおもしろいことを言っている。不安モードに入ると今現在のことしか考えられなくなり、その状態の時には動詞の終止形で終わる歌が多くなる。逆に恋愛などでテンションが高い時期には体言止めの歌が増えるというのである。そう言われて見れば、上に4首引いた最後の「いい意味で」と次の「鉄道で」は終止形で終わっている。4首の最初の「角砂糖」は体言止めである。
 「さてどちらが本当の山田の姿か」という先ほどの問への答はこれで明らかだろう。どちらも山田の本当の姿なのである。ただし、不安モードでは今現在の自分のことしか考えられなくなり終止形止めの歌ができる。逆の昂揚モードの時は、あれこれ想像を巡らせ修辞を工夫する余裕ができて、体言止めの歌が増える。両方のモードの歌をもう少し引いてみよう。
たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく
突然に舗道は途切れ木漏れ日は僕を絡める蜘蛛の巣になる
いつの日か誰かわかつてくれるだらう 夕焼けもまた自閉してゆく

自転車は波にさらはれ走り去るものみな君に届かぬ真夏
遊歩道に終はりの見えしとき君の口笛はふいに転調をせり
ぼくたちのこころにかくもふりやまぬ隕石を撃ち落とした輪ゴム
 要するに山田は生きるためにブンガクを必要とする人間だということだ。ブンガクは「江戸の敵を長崎で討つ」ようなものだ。実生活において幸福な家庭を持ち、社会的地位も金もある人間はブンガクを必要としない。フランスの批評家モーリス・ブランショが「文学は欠如 (manque)から生じる」と喝破したとおりである。しかし逆にこれほどまでにブンガクを必要として短歌に接近することに、一抹の危惧を覚えないわけではない。
 そのことはあとがきに見える山田のあまりの率直さにも言える。作品を作る時にはそこには多少の自己演出がある。「こう見られたい私」というものが少なからずあるはずだ。歌集をまとめるときにはそれは選歌に現れる。選ぶ歌と捨てる歌の選別の中に、「自分の短歌世界はこの方向に向けたい」という演出がある。演出と言って悪ければプロデュースと言ってもよい。本歌集にはそのような意味でのプロデュース感覚がなく、そのために読んでいて歌の世界の振幅の大きさに驚くことになるのだろう。穂村弘だって〈ほむほむの世界〉をちゃんとプロデュースしている。今後の山田の課題はこのプロデュース感覚ではなかろうかと思われる。
 「夏の曲馬団」については以前のコラムでも触れたので、それ以外の歌から印象に残ったものを挙げてみよう。
まるく太る雲のテューバにささへられソプラノで鳴る初夏の自転車
祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも
水飲み場の蛇口をすべて上向きにしたまま空が濡れるのを待つ
炎天を歩くレンテンマルクにて購ひしパラフィン紙を破る
アヌビアス・ナナ水槽に揺れてゐて ナナ、ナナ、きみの残像がある
鍵穴は休符のかたちのドアを開くにふさはしき無音あれ
脈搏の数より多き星めがけ指をかけたり楕円の引金トリガ
フェルディナン・シュヴァルよ、蟻よ、かなへびよ、わがいとほしきものは地を這ふ
 2首目と3首目は作者の静かな祈りのような境地を表していて印象に深く残る。4首目にレンテンマルク、6首目にアヌビアス・ナナのようなカタカナ語が挿入されている。これらは意味よりも語感や韻律に奉仕しており、何か不思議な呪文のようにも響くところがおもしろい。レンテンマルクとはインフレ対策としてドイツで1924年から一時的に発行された不換紙幣だから、今はもう使えないはずだ。だからこれでパラフィン紙を買うことはありえない。しかしレンテンマルクとパラフィン紙の組み合わせが詩的効果を生んでいることは確かである。5首目のアヌビアス・ナナは熱帯魚などの水槽に入れる水草。ナナは女性の名のように聞こえるが、ラテン語で「小さい」を意味する語。アヌビアスからは魂を狩りに来るエジプトのアヌビス神が連想される。しかし山田の歌ではナナはまるで女性への呼びかけとして響いており、意味の浮遊感が歌柄を大きくしている。7首目「脈搏の」からは「真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり」という正岡子規の歌が連想される。ただ子規の歌では星から光が届くのだが、山田の歌では星をめがけて撃つというちがいがある。8首目のフェルディナン・シュヴァルは不思議な石の宮殿を作ったフランスの郵便配達夫。その建造物は今でもリヨンとグルノーブルの間に存在する。
 次は山田の述志の歌と読むべきだろう。
ざわめきとして届けわがひとりごと無数の声の渦に紛れよ
 歌集冒頭に「スタートラインに立てない全ての人たちのために」というエピグラフを配し、巻末の著者紹介の最後に「PUSH START BUTTON 」と書かれた矢印を作った作者にとって、本歌集は応援メッセージであると同時に、作者自身の覚悟の表明でもあるのだろう。

第69回 山田航「夏の曲馬団」その他

ああ檸檬やさしくナイフあてるたび飛沫けり酸ゆき線香花火
                          山田航「夏の曲馬団」 
 平成21年(2009年)に第55回角川短歌賞を受賞した連作「夏の曲馬団」冒頭の歌である。レモンを切ったときに切断面から飛び散る果汁の飛沫を線香花火に喩えたもので、特に難解な所はない。しかし初句が「ああ檸檬」である。現代短歌で「ああ」で始まる歌はそう多くない。
ああ夕陽 明日のジョーの明日さえすでにはるけき昨日とならば
                        藤原龍一郎
ああこんな処に椿 十年を気づかずにこの坂を通いぬ  佐佐木幸綱
ああかくも物の如くに犀は立ち疾走の衝動を踏んでいるのか
                      花山多佳子
 「ああ」は感動を表す間投詞としては、今では大仰に過ぎると感じられる。だから山田が掲出歌で初句に用いているのは意図的なのである。さらに「飛沫しぶけり」「酸ゆき」と古めかしい文語が続き、結句は昔懐かしい線香花火と来ればもうその意図性は明らかだろう。北海道の同人誌「アーク・レポート」3号のインタヴューで山田は、「寺山修司さん風にしようというコンセプトがありましたね」と率直に語っている。山田はやや古風でノスタルジーを感じさせる抒情の世界をコトバで構築することを狙ったのだ。「ああ檸檬」に始まる入り方といい「飛沫けり」の倒置法といい、現代短歌を十分に研究した跡が見られる筆の達者さである。
 山田航やまだわたるは1983年生まれ。角川短歌賞受賞のことばによれば、21歳の時に突然短歌が読みたくなって、書店で『寺山修司青春歌集』を買ったのだという。なぜ突然短歌が読みたくなったのか、興味あるところだが、たぶん自分でもうまく答えられまい。青春期特有の鬱屈が山田を寺山に向かわせたのだと思われる。続いて『一握の砂』と穂村弘『ラインマーカーズ』を買ったそうだ。書店に置いてある歌集を安い方から買っただけだということだが、『一握の砂』は除くとして、札幌の書店の品揃えがその後の山田の辿る道筋を決めたようだ。その道筋とは抒情とニューウェーブ短歌である。
 山田はその後、極めてユニークなことを始める。図書館に通って過去の短歌作品を大量に読み、ブログで短歌評論を始めたのである。短歌実作の前に短歌評論を手がけるのは珍しい。この評論は「トナカイ語研究日誌」として現在も続いているが、この評論活動が山田の短歌実作の糧となり、また過去の短歌に学ぶ姿勢を形成したことは疑いない。その後、2008年に同人誌「かばん」に入会。「アークの会」と「pool」でも活動している。特筆すべきは角川短歌賞を受賞したのと同じ2009年に、「樹木を詠むという思想」で第27回現代短歌評論賞を受賞したことである。角川短歌賞と現代短歌評論賞の同年ダブル受賞は前例がない。短歌界が山田の今後に大いに期待する所以である。
 さて、山田短歌の特質は何かということになると、まだ作風が固まっていない若い歌人の場合、これを見定めるのはなかなか難しい。次席の紅月みゆき「シュレディンガーの猫」と競り合った角川短歌賞の選考座談会では、「心の凹凸のようなものが自然な言葉で歌われている」(小島)、「あまりにも健康的過ぎずかつ神経質過ぎない (…)非常にナチュラル」(三枝)、「誰もが見ているけれど普段気がつかないようなことで、確かな目があってそれが抒情のふくらみになっている」(永田)などと評されている。何首か引いてみよう。
知らぬ間に解けてしまつた靴紐がぴちぴち跳ねて夏がはじまる
調律師のゆたかなる髪ふるへをり白鍵が鳴りやみてもしばし
楽器庫の隅に打ち捨てられてゐるタクトが沈む陽の方を指す
停車場にとんぼは浮かび夕焼けに鈍くきらめくあかがねの屋根
百葉箱のぞく仕事を半世紀続けたといふ母方の祖父
 こうして改めて眺めてみると、応募作品をまとめるに当たって山田が極めて意識的に戦略を練っていることがわかる。「どのあたりを狙うか」をうまく考えているのである。題名にもある「曲馬団」や、「調律師」「停車場」「百葉箱」「標本室」「路面電車」「映写技師」など、セピア色を帯びた言葉が並ぶ。その他にも絶滅しつつある洋書店や喫茶店が登場し、祖父や父の名も出る。しかし、上に引いた五首目の「母方の祖父」が実在するとか、四首目の夕焼けの停車場を山田が実際に見たなどとは思えない。これは山田が選び抜いた言葉たちによって作り上げた、コトバで出来た世界である。その手つきがあまりに巧みなので、まるでほんとうの世界のように見えているのである。短歌製作のこの手法において、山田は同じく若手でも野口あや子などのように、自分の感性の井戸からコトバを汲み上げるタイプとは明らかに異なる。
 「ああ檸檬」の歌で始まる連作「夏の曲馬団」は、次の歌で終わっている。
掌のうへに熟れざる林檎投げ上げてまた掌にもどす木漏れ日のなか
 林檎が優れて寺山的アイテムであることは言うまでもないが、冒頭の「ああ檸檬」で醸し出した青春性と心の翳りを、連作の掉尾を飾る林檎の歌で受けて締めくくる構成の巧みさも際だっている。「アーク・レポート」3号のインタヴューで山田は、以前は連作を作るときにはドラマ的な物語を構築しようとしていたが、ドラマ性を曖昧にして意図的に弛めた方がよいと考えるようになり、その実験として誕生したのが「夏の曲馬団」だと述べている。この連作観は卓見と言ってよかろう。たしかにあまりに物語的に構成された短歌連作は、虚構性が前面に出て、わざとらしさが目についてしまう。不思議なことだが、連作の中に他の歌とは調子のちがう歌やヘタな歌が混じっていたほうが、作者の肉声と息遣いが感じられてリアリティーが増す。「夏の曲馬団」にも、「人はみな空が恋しく壁面に空を映したビルを見上げる」のように、お世辞にも上手いとは言えない歌があり、選評で永田に「これじゃまるで中島みゆきだよ」と評されているが、こういう歌も混じっていた方がよいのである。
 今年(2011年)に入って同人誌「かばん」がぶ厚い新人特集号を出した。この号に山田は30首を寄稿し、荻原裕幸と東直子が評を書いている。「珈琲牛乳奇譚(ミルク増量ver.)」がその題名である。ちなみにver.はversionの略で、「珈琲牛乳奇譚」はすでに「pool」7号に発表しており、その改作版なので「ミルク増量ver.」となっているのだ。この連作を見ると「夏の曲馬団」の歌人とはまるで別人のようである。
カフェオレじやなくてコーヒー牛乳といふんだきみのそのやり方は
たばこ吸うまねしてぷうつと息を吐く望郷なんてぼくたちにはない
祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも
でもぼくはきみが好きだよ焼け焦げたミルク鍋の底撫でてゐるけど
水飲み場の蛇口をすべて上向きにしたまま空が濡れるのを待つ
酔つ払へるカフェオレ「カルアミルク」なるものの噂で街はもちきり
 旧仮名による定型という作りは同じでも、ずっと口語的でポップ感が増している。評のなかで荻原は二点を指摘している。まず山田は西田政史のニューウェーブ短歌から多くを摂取しているということ、次に荻原が最も注目する五首目の歌によって、山田はニューウェーブの方法論と従来の秀歌観との間に何らかのつながりを見つけようとしているということである。第二の点について私はよくわからないのだが、「アーク・レポート」3号のインタヴューで山田は、荻原裕幸や西田政史らが好きだったので「玲瓏」に入会することも考えたと述べているのを見ると、確かに山田は西田政史の唯一の歌集『ストロベリー・カレンダー』を読んでいるのである。西田の歌を引いてみよう。
ヴォネガット二冊と猫を左手にTシャツのきみ暮らす部屋まで
レアチーズケーキに向かふくれなゐの火星を食べてきたやうな口
珈琲にミルク注ぎて「毎日がモカとキリマンジャロのほどの差ね」
 バブル経済の好景気を背景に豊かな生活を享受した時代の若者が、それでも感じざるを得ない虚無感がどこまでも明るくポップに表現されているのが西田の短歌である。山田はポスト・ニューウェーブ世代に属するのだが、ひとつ上の世代のニューウェーブ短歌が行ったことをその跡をたどるようにして咀嚼し、その成果を自分の抽斗に加えようとしているのだろう。上に引用した山田の「祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも」という歌に注目すると、評で東が指摘しているように、従来の近代短歌では無意識の動作のなかに潜在的な祈りを読み取ろうとする傾向があったのに対して、山田は「祈りではないんだらうな」と否定的態度を取りながらも、断定はせずに含みを残しているところに、近代短歌と完全に切れた位置で作歌をしているのではない山田の微妙なスタンスが感じられる。
 山田の強みは過去の膨大な短歌の資産を渉猟して学んでいることにある。まだ作風が固まっているとは言えない歌人だが、いずれ短歌の鉱脈のなかから自分に繋がる言葉を発見するだろう。