手羽先にやはり両手があることを骨にしながら濡れていく指
山階基『風にあたる』
おもしろい歌だ。中華料理店か居酒屋で鶏手羽先の唐揚げを食べている。するとある時、手羽先にも右手と左手があることにふと気づく。手や羽根のある生物なら左右があるのは当然のことである。しかし手羽先は食べ物としか見てこなかったので、今の今まで右手と左手があることに気づかなかったという発見の歌だ。
山階基は平成3年(1991年)生まれ。早稲田短歌会を経て未来短歌会に所属。「陸から海へ」で黒瀬珂瀾の選を受ける。2016年の第59回短歌研究新人賞で次席となる。この年の新人賞は武田穂佳。2018年の第64回角川短歌賞で次席。この年の短歌賞は山川築。同年第6回現代短歌社賞でも次席に選ばれている。『風にあたる』は2019年7月に上梓された第一歌集で、東直子と枡野浩一が帯文を寄せている。
プロフィールによると、山階は2010年(平成22年)頃から短歌を作り始めたようだ。するとゼロ年代歌人の次の世代ということになる。同じ早稲田短歌会出身の永井祐が1981年生まれで、2000年から短歌を作り始めたというから、山階はちょうど永井のひと回り下の世代だ。さてこの若い世代の歌人はどのような歌を作るのだろうかと興味深く歌集を繙いた。
時間は前後するがその少し前に、東直子・穂村弘の『しびれる短歌』(ちくまプリマー選書)でなるほどと思う一節に出会った。第六章「豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌」で、「何をしてもムダな気がして机には五千円札とバナナの皮」、「大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円」という永井の歌を引き、他の歌人のお金の歌も引用してひとしきり論じた後、加藤治郎や俵万智ら80年代に登場した歌人と永井たち若い世代の感覚の差に触れて、穂村は次のように言う。
永井くんは、そういう僕らの世代の口語の文体では、自分たちの生活実感は歌えないっていう確信があったと言っていて、それはそうだろうなと思う。斉藤斎藤も、何でこんなにハイテンションなのか理解できないって言っていて、それもそうだろうと思う。ただ、ぼくらが岸上大作がなんであんなに青臭いのか理解できないっていうのと同じで、理解できないと言いつつ時代の中で見れば理解できるし、もちろん彼らだって時代の中で見た時の感触はわかるとおもう。だから「理解できない」というのは、自分たちには、受け入れがたいってことなんだよね。
つまり同じ口語短歌でありながら、バブル世代の加藤治郎や俵万智らの短歌に見られる欲望の素直な肯定とテンションの高さは、穂村が「ゼロ金利世代」と名付けた若手歌人たちには理解できず、彼らはまた異なった文体で自分たちの生活実感を描こうとしているということである。山階の歌集を一読したとき、まっさきに頭に浮かんだのはこの穂村の言明だった。
ではゼロ年代のひと回り下に当たる山階はどのような文体で詠っているのだろうか。
洗濯機に絡まっているこれはシャツこれはふられた夏に着ていた
覚えたての道を行くとき曲がりたいのをこらえれば目印に着く
暮らすほどではなくしかし面白くみんなしばらく立ち寄る小島
いつまでが湯上がりだろう室温の野菜ジュースに濡れるストロー
あらわれてただ抱きとめるだけになる夏のスクランブルのほとりに
一首目、洗濯機を回している日常風景である。他の洗濯物と絡まっているシャツにふと目が行くと、それはあの人に振られた夏に着ていたシャツだと気づく。「これは」の繰り返しと、「夏に着ていた」の倒置法によって短歌の文体になってはいるが、詠まれている素材はごく日常的なものである。二首目、馴れない場所に行くときには目印の建物が必要になる。しかし歩いていると曲がりたくなるおもしろそうな道がある。曲がりたいのをぐっと堪えて目印に辿り着く。「曲がりたい/のをこらえれば/目印に着く」の句跨がりがかなり無理筋だ。三首目、この「小島」は現実のものではなく、ゲームの中のものだろうか。四首目、「湯上がり」というのは浴槽を出てから何分後までを言うのか。そんなことは誰にもわからない。独り言のような問い掛けの後に、それとは何の関係もない野菜ジュースのパックに刺したストローが登場する。五首目、上句を読んだだけでは何が現れるかわからない。下句まで読んで初めて、渋谷のスクランブル交差点で彼女と待ち合わせしているのだとわかる。
このように2010年世代の短歌は完全な口語である。加藤治郎が前衛短歌がやり残したこととして挙げていた短歌の口語化はほぼ完全に実現されている。それと同時に気づくのは、歌に詠まれている素材・主題がすべて日常卑近なもので、短歌の体温が低く、テンションもなべて低いことだ。「歌い上げる」のではなく、むしろ「歌い下げる」とさえ言いたくなる。ずっと上の世代の短歌とちょっと較べてみよう。
昼顔のかなた炎えつつ神神の領たりし日といづれかぐはし 小中英之
青春に逐はれしわれら白樫のいのち封じし幹に倚り立つ 小野茂樹
睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月 大塚寅彦
永井祐たちゼロ年代以下の若い歌人たちには、このようにテンションが高く格好よく決めるような歌は嘘臭く見えてしまうのだろう。どうしてこんなにハイテンションなのか理解できないのである。歌の素材が日常卑近であることは問題ではない。短歌や俳句のような短詩型文学は、もともと小さなことを掬い上げるのが得意な形式である。しかし永井祐たちゼロ年代以下の若い歌人らは、小さなことを低いテンションで歌にする。ここが大きなちがいだろう。
本歌集から注目した歌をいくつか引いてみよう。
気にいった服が小さくなることはもうないね真夜中の息継ぎ
さかさまにペダルを漕げばあともどりできる白鳥ボートはすてき
乗るたびに減る残額のひとときの光の文字を追い越して行く
八月の墓にやかんで持って行く水ゆれているのが手にわかる
満ちていく水のすがたに鎖骨まで引きあげてから脱ぐカットソー
本歌集では歌集をどのように構成したか述べられていないのでわからないが、最初の二首はかなり若い時の歌ではないか。一首目は成長期が過ぎて大人の体格になったことを過去への哀惜を交えて詠んだもの。二首目の後退するスワンボートは時間を遡ることの比喩である。青年期を迎えた時には少年期を懐かしむ気持ちになるものだ。三首目はプリペイドカードをかざして改札を抜ける時の光景。光の文字とは改札口の表示板に表示される残額の数字である。新世代の抒情だなあと感じる。四首目は一転して昔ながらのお盆の墓参の様子で、薬罐の中で揺れる感覚で水の存在を感じているという絞り込みによって実感が生まれている。五首目はカットソーの裾を持って脱ぐ動作を詠んだ歌。裾がだんだん上に上がる様を水が満ちる様子に喩えたところが秀逸で清新な抒情を感じる。
卯の花がすきなあなたと手を組んでふたり暮らしという寄り道を
にぎやかな港のように恋人をとおく呼び寄せようたまにはね
生まれた町の川風のなかこの岸をきみと歩いた気になっている
同居する相手の性をいちばんに訊かれるんだな部屋を探すと
結婚はないんですけど 大丈夫、ふたりで住めばそう見られます
恋人をまじえて水炊きをかこむ呼びようのない暮らしの夜だ
角川短歌賞の次席に選ばれたときの連作「コーポみさき」から引いた。選考委員の東直子が熱心にプッシュしつつ解説している。それによると作中の〈私〉の同性の「恋人」が遠くに住んでいて、作中では「きみ」と呼ばれている。一方、〈私〉は友人とコーポみさきに部屋を借りて同居生活を始める。相手は異性で「あなた」と呼ばれている。だから最後の歌は、遠くから来た同性の恋人と、同居している異性の友人と〈私〉の三人で鍋を囲んでいるという複雑な関係である。東は「新しい時代のジェンダー問題に触れつつ日常を繊細に描いている」と評価する一方で、小池は「三人出て来るのは多過ぎる。短歌は二人まででないと話が複雑になる」と否定的で、「わからないんだよ、私」と述懐している。私は今ひとつ自信がないが、もし東の読み方が正しいとしたら、相当に新しい新時代の人間関係ということになるだろう。選考委員の永田和宏が、「新しい歌ではあるけれど、『歌に拉致される』という喜びからは遠い」と結論しているのが印象に残った。
その他に注目した歌を挙げておこう。
火みずからついえるすべのないことをそれでも熾されたあまたの火
添い遂げるだろう互いにゆがみつつ靴のかたちは足のかたちは
路地に雨たまりやすくて波のようによぎる車のはやさやおそさ
とねりこの枝葉ぱらぱら落ちていく枝葉のなかに鋏と庭師
金属の文字がはずれたあとにあるコーポみさきのかたちの日焼け
使おうとペッパーミルをつかむたび台にこぼれている黒胡椒
回送電車の窓はひかりを曳きながら合図のように繋ぎなおす手
指先にはじいて鳴らす缶のふた飲みかけのままココアはゆるむ
一首目は何の光景を詠んだものかよくわからないのだが、墓参の歌の後に置かれていることもあり、私は震災など災害の記念日に灯す灯火を思い浮かべた。集中ではやや異色の歌である。二首目の足と靴の歪み、三首目の水溜まりを通り過ぎる自動車の遅速への着目が光る。四首目は、枝葉の中から鋏と庭師が現れるというアングルとトリミングが秀逸だ。
『現代詩手帖』の2010年6月号の「短詩型新時代 詩はどこに向かうのか」という特集で黒瀬は次のように述べている。
俳句では私性を薄くしていく形になってきているというのに対して、短歌は私性を表面張力のように強くしていると感じます。その私性とは、単純な自己のドラマ化ではなく、「私」がいまここに存在して、この世界を見ているという意味での私性です。おそらくこれはある意味、かつてなく強い「私性」です。
黒瀬が念頭に置いているのは永井祐や斉藤斎藤の短歌なのだが、黒瀬の言うことはゼロ年代世代以下の若い歌人におおよそ当てはまる。山階も例外ではない。たとえば集中の「食べかけた森永ミルクキャラメルの箱を鳴らして合いの手にする」などという歌を読むとそう感じる。これを読む他人の私は「だからどうした?」としか言いようがないのだが、歌を作った作者本人には思い当たる経験があったのだろう。だがそれは自分にしかわからないことである。その経験を他者へと修辞によって架橋することが課題かもしれないと思う。