161:2006年7月 第2週 松木 秀
または、奥行きのない世界に凡庸な引用として生きる私

日本史のかたまりとして桜花
    湧きつつ消える時間の重み
       松木秀『5メートルほどの果てしなさ』

 桜を詠んだ歌は古来数多いが故に、桜は歌人の鬼門でもある。先人の言葉によって良伝導化された回路が、私たちの感受性を強力に回収するからである。そのとき記号としての「サクラ」は、人を絡め取る巨大な回路の集積として立ち現れる。掲出歌はそれを「日本史のかたまり」と表現し、眼前に咲き誇る桜に時間軸を重ねて見ているのである。屈折した見方ではあるが、もはや私たちはこのように屈折した観点からしか桜を見ることはできないのだ、と作者は言いたいようだ。眼前の桜へと浸透しそうになる感受性を拒否する姿勢が鮮明で、この姿勢は歌集を一貫している。それは作者と言葉の距離でもまたある。

 松木秀は1972年(昭和47年)生まれで「短歌人」所属。第一歌集『5メートルほどの果てしなさ』で、日置俊次と並んで2006年度の現代歌人協会賞を受賞している。歌集題名は「青い雲天高く投げ5メートルほどの果てしなさへ歩むかな」という歌に由来する。歌人としての松木の視座はどこにあるのだろうか。

 日本に二千五百の火葬場はありてひたすら遺伝子を焼く

 千羽鶴五百九十四羽目の鶴はとりわけ目立たぬらしい

 機関銃と同じ原理の用具にてぱちんと綴じられている書類

 核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色とおもう

 なにゆえに縦に造るか鉄格子強度のゆえか心理的にか

 儀式とは呼べないまでも地球儀を運ぶとき皆丁寧となる

 新聞も読んでない今日まあいいか明日には明日の殺人が来る

この歌集に特徴的に並ぶ歌群を抜きだしてみるとわかるように、これらの歌は「漠然と言いたかったが今まで言えなかったこと」をズバリ述べた歌である。一首目は、火葬場では遺体を焼いているだけではなく、DNAも焼いているのだと指摘することで、個人の死が種としてのヒトの連綿たる進化の過程へとずらされる驚きがある。二首目は千羽鶴の群のなかの五百九十四羽目の鶴という無意味な数を挙げることで、忘れられる些事を掘り起こしている。三首目では、オフィス用具としてのホッチキスは機関銃の発明者であるベンジャミン・B・ホッチキスが考案したものだと指摘することで、オフィスの机の上に普段とは違う風が吹く思いがする。四首目もなるほどと膝を打つ歌で、確かに核ミサイルの発射ボタンは映画以外では誰も見たことがないが、何となく赤色だろうと感じる。五首目は、鉄格子はなぜ頑丈な縦の鉄棒からできていて、横棒ではだめなのかという歌であり、これまた答えに窮する疑問である。

 『5メートルほどの果てしなさ』の出版をプロデュースし、巻末に解題を執筆した荻原裕幸は、松木の文体を「風刺的文体」と呼び、その無名性や無私性ゆえに現代短歌が苦手としてきた文体であると指摘した。なぜ苦手かというと、現代短歌は「発語者の内面を構成し、そこから自己像を読みとらせることをある種の約束としてきたから」なのである。風刺的文体の無名性・無私性が内面を構成することを妨げ、結果として自己像が立ち上がらなくなるとすれば、現代短歌が立脚してきた〈言葉→内面→自己〉という指示関係の連鎖が成立しなくなる。荻原は松木が風刺的文体を、自己像をきわだたせる方向に活用していないという点を評価し、現代短歌の地平を拡げたと結んでいる。荻原は、伝統的な「自己像へと収斂する短歌」と対置されるべき「拡散する自己像」または「自己像を無化する短歌」の可能性をあちこちで語っている。この荻原の持論に賛同するかどうかはさておき、ここで考えたいのは松木の短歌を分析するに当たって、荻原の持論は果して有効か否かという問題である。というのも、〈言葉→内面→自己〉という連鎖が松木の短歌において、「生活者としての〈私〉」の水準においては確かに成立していないとしても、「〈私〉をいかに捉えるか」という「メタレベルの〈私〉」においては、やはり成立しているのではないかと思えるからである。

 ああまただまたはじまったとばかりに映像を観るただの映像

 Confusion will be my epitaph 凡庸な引用として生きる他なし

 ちょっとした拍子に欠ける消しゴムのように何かを落としたような

 夕暮れと最後に書けばとりあえず短歌みたいに見えて夕暮れ

 輪廻など信じたくなし限りなく生まれ変わってたかが俺かよ

 奥行きのある廊下など今は無く立てずに浮遊している、なにか

 一首目はイラク戦争に題材を採った歌である。遠国での戦争をただ映像で観るしかない無力感を詠った歌と解釈することもできるが、それよりも前景化されているのは世界の皮相化だろう。表面しかなく奥行きのない世界に生きて、表面をただ滑ってゆくしかない〈私〉と捉える視点がここにはある。二首目の英文は「混沌こそわが墓碑銘」という意味だが、注目されるのは下句の方で、「〈私〉は凡庸な引用でしかない」という自己の無名性を意識する〈私〉がここにある。三首目は言いさしのまま終わる結句が、効果的に自己像の不在と崩壊感覚を露わにしている。四首目は風刺的短歌と取ることも可能だが、むしろ「準拠体系」を喪失した〈私〉を描いているとも取るべきだろう。しかも結句を「見える夕暮れ」ではなく「見えて夕暮れ」と結ぶことで、実際に夕暮れを現出させて終わっているところが心憎い。五首目では輪廻転生を拒絶する作者の「たかが俺かよ」という投げ遣りな口調が、作者の〈私〉の立ち位置を確かに照射しているだろう。六首目は渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を踏まえた本歌取りだが、ここでも詠われているのは奥行きを無くした世界である。だから白泉の句では二本足でしっかり立っていた戦争も、松木の歌では名付けようもない何物かとして表層を浮遊するしかない。これらの歌の言葉は、通常の意味での喜怒哀楽を描くことで作者の内面を指示するものでは確かにない。しかし、これらの言葉は「メタレベルの〈私〉」を浮上させることで、依然として私性に深く関わるのではないだろうか。

 と、一応は荻原の説に反論してみたのだが、荻原の言うことにも一理ある。作者の〈私〉と言葉の距離感が今までの伝統的短歌の流れを汲む人とは異なるからである。作者と言葉の距離感を示すふたつの例をあげて松木と比較してみよう。

 一刷毛の夕焼けが来て鮃から泌み出る水を照らしていたり  吉川宏志

 くだもの屋の台はかすかにかたむけり旅のゆうべの懶きときを

 茄子の花小さく咲いていたりけり どう怒ればいいのだろう虹  江戸 雪

 切られたる髪落ちる肩ぐりぐらり夏草のまま遠いひとおもう

ともに「塔」所属の歌人だが、作者と言葉の距離感は対照的である。吉川は冷静な観察を通して言葉を自分の方へと手繰り寄せ、その結果、世界を自分へ静かに引き寄せる。言葉は作者が考案したものというよりは、見つめられた対象から自然に滲み出て来たようだ。巧みに手繰り寄せられる結果として、〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の距離は、それが一瞬の幻想であるにせよ、極小化されたように感じられる。〈言葉〉という中間項を挟んで、〈私〉と〈世界〉とが束の間合一するとき、強いカタルシスが得られる。一方、江戸においては事情はまったく異なる。江戸は言葉によって世界を引き寄せるのではなく、言葉に載せて〈私〉を世界へと投げ出すのである。それは吉川とは異なり、江戸にとっての世界は認識の対象ではなく、〈私〉がその中で何かを体験し何かを感じる場所と捉えられているからだろう。しかしながら、このようにスタンスは異なるとはいえ、吉川と江戸はともに〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の三項目のあいだの繋がりを信じており、それをゴムのように伸び縮みさせて距離感を測定しているのである。

 ところが松木の短歌を読んでいると、この三項目の距離感が喪失していると感じられてならない。

 ストローをくろぐろとした液体がつぎつぎ通過する喫茶店

 たった今天は配管工事中火花としての流れ星あり

 コピー機のひかりに刹那さらされて分裂をするなまぬるき文字

これらの歌には〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の三項目を適当な距離に置いて配置するべき奥行きがない。それは荻原の言うように無名性・無私性を旨とする風刺的文体のせいかと言うと、どうやら事はそれだけに留まらないように思える。〈私〉と〈言葉〉の距離と並んで、〈言葉〉と〈世界〉の距離もまた、現代短歌シーンにおいては以前とは異なる相貌を呈しているようである。それが松木個人の生理に基づくものなのか、それとも若手歌人に共有された言語観なのかは、もう少し検討を要する課題である。

 

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