第20回 柚木圭也『心音 [ノイズ]』

黒揚羽頭(づ)を越えゆきぬ 心音とふ羽音ひびかせ地にわれは生く
                       柚木圭也『心音[ノイズ]』
 藤原龍一郎『短歌の引力』を読んでいたとき、1996年から1997年の時評で『歌壇』の「期待の新人たち」という特集に触れて、「もっと読みたいと思わせてくれた二人」として松原未知子と柚木圭也の名が挙げられているのが目にとまった。次のような歌が引かれていた。
ひとに向かふ思ひはるかに閉ぢられて消ゆることなきガラスの気泡  柚木圭也
千秋のおもひに待てば届きたるどこ吹く風といふほかの風  松原未知子
 松原のその後のめざましい活躍を知っていたので、並んで名を挙げられている柚木圭也とはどういう歌人か知りたくなり、藤原龍一郎さんに「もっと読んでみたいのですが、柚木さんは歌集を出しておられないのですか」とメールを出した。すると「柚木は歌集は出しておらず、今は作歌を中断している」という返事が来てがっかりした。今からずいぶん前のことである。
   この出来事が記憶の底に埋もれかけた頃、柚木さんから突然メールが届き、「今度歌集を出すことになったので送りたい」というありがたいお申し出を受けた。ややあって手許に届いたのが『心音{ノイズ]』(2008年、本阿弥書店)である。当然ながら作者の第一歌集で、栞には穂村弘、横山未来子、そして「短歌人」の先輩の小池光が寄稿している。
   巻末略歴によると柚木は1964年生まれ。86年に作歌を開始し「短歌人」に所属するが中断。しばらく後に復帰して短歌人新人賞と短歌人賞を受賞するも、2001年にまたも中断。小池の栞文によれば、敬愛する高瀬一誌が亡くなったことが影を落としているらしい。柚木は「短歌人」の次世代のホープと目されていたという。将来を嘱望された歌人がある日忽然と姿を消し、長い不在の後に復帰して第一歌集を出すというのは珍しいことだろう。プロのスポーツ選手や棋士などとちがって、歌人には資格試験も免許も位階もない。誰からもお墨付きをもらえない。「自分は歌人だ」と強く自己規定する人が歌人なのである。柚木のように長い中断の後で歌人の自覚を取り戻すのは難しいことだ。まずは柚木の復帰を喜びたい。繙けば初夏の桃に刃を当てたように清新な歌が流れ出す一巻であればなおさらのことである。
 この歌集には作歌を始めた頃から中断するまでの歌がほぼ編年順に並べられており、最後に初期歌編が収録されている。つまり人為的な加工や演出は排され、自分の歩みをありのままに見せたいとする作者の意図があると見てよい。最初の歌群は作者が大学生であった頃に遡るため、小池が指摘するように「激変する今日から見れば明らかに一昔前の一青年の軌跡」という印象を免れない。しかし、そのためかえって青年期の歌に作者の歌人としての資質が透けて見えるという利点もある。
 巻頭近い青年期の歌からいくつか引いてみよう。
ホヤ酢なる海綿体を噛みしめて人に対かへば生臭きかな
たそがれと夜と混じれるこの街はうすくれなゐの肺胞として
こんなものだらうと思はれてゐるこんなもののなかに吾(あ)も混じりゐつ
二部学生の列に混じりて立喰ひにうどんをすするわが影あはし
遠くより視て匂ひ嗅ぎわけること さびしき今日の特技のひとつ
すり傷おほきコップにて飲むワインゆゑ視えてくるものあるやもしれず
自転車で走り抜けるとき春泥はあるやさしさをもて捉ふるしばし
 痛いほどに若さを感じさせる歌で、微熱のような青春の鬱屈が確かにここにある。矜恃と裏腹の空疎感、世界・世間への渇仰と反発、こういった二律背反的感情が同時に心を占めるのが青春というものである。なかでも青春期の病の筆頭は肥大した自意識だろう。柚木の歌にも自意識の歌が多い。たとえば一首目「ホヤ酢」を食べる〈私〉が意識するのは自分の生臭さである。この臭いは対人的状況において意識されるのであり、対他的自己を見つめるもう一人の〈私〉の視線がある。三首目では集団の中の〈私〉が詠われているが、ここでもやはり〈私〉は自分を集団の他者との比較において捉えている。〈私〉は私にとって〈私〉なのではなく、他者にとって〈私〉なのだ。四首目の「二部学生」や五首目の「さびしき特技」にはどこか啄木を思わせる匂いがあり、青春歌の空気が濃厚である。六首目の「すり傷おほきコップ」が自己または自己の置かれた境遇の喩であることは言うまでもないが、少しわかりやす過ぎる感もあるか。七首目では、自転車を漕ぐときに抵抗感を与える春泥にすら優しさを感じるところに、甘さを伴う青春の生暖かい鬱屈がある。柚木はこのように憂いと鬱屈を抱えた青春歌人として出発したのである。
 写実を基本とする歌人にもふたつのタイプがあるようだ。ひとつは〈視る人〉、もうひとつは〈視られる人〉である。〈視る人〉は文字通り全身これ眼となって風景を視るタイプで、多くの場合、作者の〈私〉は視線の中に溶解して姿を現さない。現代ではその典型は吉川宏志だろう。ランダムに選んだ次の二首の両方に「見る」という動詞が含まれているのは偶然ではない。
いまだ暗き朝の川面を見下ろせば手すりのうえの軽雪(かるゆき)が飛ぶ 
                            『海雨』
五階より見れば大きな日なたかな墓の透き間を人はあゆめり
このタイプの人は自分を詠うことが少ない。言うまでもないことだが、このような歌は見たままを詠っていて〈私〉が不在だと言っているのではない。吉川の歌には風景を切り取る角度や手つきのなかに確かな〈私〉がある。しかしその〈私〉は手つきに内在し、詠われる対象として顕在化することが少ないということである。自画像を描かない画家と言えばいいだろうか。
 一方の〈視られる人〉も周囲の風景を視はするのだから、ほんとうは〈視、かつ視られる人〉と呼ぶべきだが、〈視る人〉の外へ向かうベクトルに対して、内に向かうベクトルが強いのでこう呼んでおく。〈視られる人〉が風景を視るのは、視線が対象に跳ね返って自己へと立ち戻ることで自己存在を確認するためである。吉野裕之をその一タイプとするのはあながち間違いではあるまい。
理解されなかったこともパン屋にて迷えることも秋の夕暮れ  『空間和音』
自らの重さを思う目覚ましの鳴る十分前にめざめたる時
吉野の歌は確かに自意識の歌ではなく、むしろ自己感覚の歌と呼ぶべきだろう。しかしこれらの歌にはブーメランのように最終的には自分へと戻ってくる視線がある。対象に反射して戻って来る視線が〈私〉の輪郭を逆照射するところに視線の意味のすべてがあるというタイプと言ってよい。こちらは自画像を描く画家になぞらえることができる。
 このようにやや乱暴ながら〈視る人〉と〈視られる人〉という類型を立てるならば、柚木はその出発点においては〈視られる人〉である。〈視られる人〉はよく自分の振る舞いを歌に詠む。
傘をたたみ顔上げしときゆくりなく〈鮮魚魚玉〉目に映りゐき
はしやぎゐる振りを扮ふわがことをさみしき男とレンズは映す
ひげ剃りを頬に当ててはわが顔の凹凸なること確かめてゐつ
 若い画家がよく自画像を描くように、〈視られる人〉が描く自己の振る舞いは、世界との対峙の中で自己の輪郭を確認しようとする作業に他ならない。
 このことは柚木の歌の別の特徴でも確認することができる。歌集に収められた歌には飲食の歌が多い。この〈私〉は実によく物を喰うのである。
夕食にて残りしぬたの酢味噌をば夜更けてねぶる舌くさきかな
うたのことはつかはつかに思ひ食むキムチギョウザは喉に熱きを
うつしみは真昼の街にオムライス食みをりくちびる赤く濡らして
すすり合ふ麺かおのれか判かぬまま満ちゆけるなり夜更けの内腑
わが顔を凝視(みつ)めたるのち飯蛸のまろき頭を食みにゆくかも
 栞文で穂村と横山は二人とも飲食の歌に触れている。穂村は作者にとって飲食は「生を味わう」ためだが、歌集後半で口にするものが「乾燥剤」「昆虫図鑑」となるに至っては生を味わう衝動の暴走だとしている。横山は飲食をテーマにした歌に「若々しく逞しく、ときに荒々しく生に向きあう姿」を見ている。いずれも一理ある指摘だが、少し別の見方もできよう。飲食とは食物という外界に由来する異物を体内に摂取する行動である。〈私〉の境界線を暫時解放して外界を取り入れるとき、人は自己を意識せざるをえず、またそのときに自己の違和感が極大化する。この違和感が舌の臭さや唇の赤さや麺と自己の判別不能に表現されていると見ることができる。
 歌に表現された作者の自己意識は、しかしながら歌集を読み進むうちに次第に淡くなる。青春期を脱した作者が壮年期を迎え、青春の鬱屈もまた同時に姿を変えたものと見える。歌集後半には次のように静かに自己と世界を見つめる歌が多くある。
闇に手をひたして洗ふ花曇る今日をうすらに汗滲みたるシャツ
ガーゼあてて血の吸はれゆく手のひらの数秒を春の時間といひて
コピー用紙吐き出さむときかそかなる西瓜の甘き香はただよひぬ
羽となるべき耳の重たくあるゆふべ睡り没(しづ)みて水風呂のなか
早桃(さもも)拙く剥きて酸ゆけき指さきに早桃の匂ひを灯して歩く
 ここに来て柚木の中で〈視る人〉と〈視られる人〉とがある平衡点に達したと見える。柚木はラグランジュ点にたどり着いたのである。そのような地点から繰り出される歌は、世界にそっと手を差し入れて引き抜くと、手のひらに花びらが一枚残されているといった趣を湛えている。
 願わくばこの歌集が紆余曲折した今までの歩みの総括ではなく、これから踏み出す新たな歩みの第一歩となってほしいものである。柚木の次の一手を楽しみに待つとしよう。