第206回 『桜川冴子歌集』

笑つてはいけない、いけない 眉検査に前髪を切り貼りつけて来ぬ
桜川冴子『キットカットの声援』
 一読して思わず笑ってしまった一首。作者は国語教師として女子校に勤務している。ミッション系の女子高校は校則が厳しいのだろう。服装検査の項目では髪型とスカートの長さが定番だが、眉検査というのもあるのだ。安室奈美恵のような細眉は御法度である。目の前の女子高生はそれを隠すため、自分の前髪を少し切ってソックタッチで貼り付けて来たのである。この歌の次に「髪を切りソックタッチで眉に貼る今ごろこんな生徒頼もし」という歌が置かれている。たぶんこの女子生徒はお叱りを免れたのだろう。
 作者は1961年生まれ。「かりん」に所属し、馬場あき子を師とする歌人である。『六月の扉』(1997年)、『月下壮子つきひとをとこ』(2003年)、『ハートの図像』(2007年)、『キットカットの声援』(2013年)の4冊の歌集があり、砂子屋書房の現代短歌文庫から『桜川冴子歌集』(2016年)が出ている。今回は『桜川冴子歌集』に拠った。
 桜川の短歌を読むときは、作者が福岡の伝統あるミッション系女子校の教員であること、自身もキリスト者であること、そして生まれ故郷が水俣であることが重要だろう。国語教師として生徒たちと接する日常からは、次のような瑞々しい職場詠が生まれている。
お祈りのときわれを見る生徒ゐてさりげなくわれも見て目を閉づ
太陽の母月影の父に囲まれて子はほそぼそと面談にくる
授業受くる生徒の膝に笑ふ膝怒る膝あり突き出してくる
〈わたくしを束ねないで〉と言ふやうに生徒出てゆく身を固くして
わが耳に聞こえぬ音を拾ひたる女子高生のさみどりの耳
 一首目、ミッション系の学校では礼拝の時間がある。祈るときは手を組み目を閉じるが、こっそり目を開けて先生の様子を窺う生徒がいるのだ。細かいことであるからこそ教室の様子が伝わって来る。二首目は三者面談の様子。子供の教育では母親が主役で父親は影が薄い。「子はほそぼそと」なので成績も芳しくなく自信のない子なのだろう。三首目、あまり行儀のよくない生徒は足を前に出したり、通路にはみ出したりする。生徒たちを膝で捉えたところがおもしろい。四首目、思春期の子供は周囲への同調と個我の意識の間を微妙に揺れ動く。「生徒たち」と十把一絡げにされることを嫌う気持ちが描かれている。五首目、聴覚は年齢とともに衰えるが、特に高波長音域の感度が鈍くなる。蚊の飛ぶようなモスキート音は若い人には聞こえるが、中高年には聞こえない。女子高生は何かの音に気づいてそちらに顔を向けたのだろう。「さみどりの耳」に一度切りの若さが感じられる。
 キリスト者が常に想わなくてはならないのは原罪である。我らはみな罪人であり神の赦しと救済を乞い願うところに信仰が成立する。桜川の歌の底流にはその想いが深く流れているようだ。
にんげんは人貶むるとき勢ふエルサレムのイエスの死より
花柄のハンカチ広げ草に食ぶソマリアのパンをわたしは奪ひ
菖蒲田にこころの種を蒔いてみるとき人間はやつぱりさびしい
寄せ墓の肩を寄せ合ふやうにゐる隠れ切支丹死の後もなほ
内戦に鳥はさまよひアレッポの石鹸に泡立つわれは平和か
 一首目、他人を貶めるときに勢いづく人間の性は、キリストが天に召された頃から変わっていない。二首目、草上のピクニックで私が食べるパンは、ソマリアで飢餓に苦しむ子供が食べるはずだったパンかもしれない。三首目の「人間は畢竟寂しい存在である」という述懐は深みから発せられた作者の心の声のように聞こえる。九州は布教が盛んに行われた切支丹の地である。桜川が殉教した二十六聖人や信仰を密かに守った隠れ切支丹に心を寄せるのは当然のことかもしれない。四首目は隠れ切支丹の島を訪れた際の歌。四首目、アレッポはシリアの都市でオリーブ石鹸が名産品である。アレッポ産の石鹸で手を洗いながらシリア内戦に苦しむ人たちを想っている歌だ。
 桜川の歌に眼前の景ではなく遠くに想いを馳せる歌が多いのは、我と人、あるいは我とモノの二者関係ではなく、我と人・モノと神という三者関係でこの世界を捉えているからではないかと思う。
 そして水俣である。言うまでもなく水俣では1950年代にチッソ水俣工場の廃液によって水俣病が発生し、多くの公害被害者を出した。豊かな不知火の海は有機水銀で汚染されたのである。
実験に使はれたりし水俣の狂へる猫を思ふ春月
浄土への道の法被のやうに咲く白木蓮の水俣の死者
はなびらは死を巻きながら散りゆくを首相来ざりき水俣五十年
ヘドロ埋めし水俣湾の蓮池に蒲の穂はじつと天を突くのみ
住民の亀裂を生みし水俣病人のなかにも苦海ありにき
 「人のなかにも苦海あり」とはまさに原罪の意識に他ならない。水俣に想いを寄せ苦しむ人の側に立とうとする桜川が、東日本大震災が起きたときに水俣とフクシマを重ねたのはよく理解できるだろう。
泣きながら家族を捜す被災の子見らるる者は見る者を射る
高レベル放射線廃棄物の泣くキリストが生れてまだ2011年
ミナマタの海の記憶をもつわれは眼を閉ぢてフクシマになる
かたむける壺に流るる民としてフクシマを見るわれのミナマタ
 集中で異色なのはチベットに旅し鳥葬を見た折の歌である。
青旗のヒマラヤをゆく禿鷹の臓器重く死者は沈みて
藍ふかく高き空より禿鷹は人の死待ちてその死貪る
禿鷹に食べてもらへぬわれなるか さびしい腕を空に翳せり
誰からも遠くありたし禿鷹が人の死食ふを黙し見る空
 チベット密教の信仰によれば、鳥葬は霊魂の離脱した肉体を天へと返す儀式だという。禿鷹の臓器がずっしり重いのは、人肉を食らったからである。驚くのは三首目の「禿鷹に食べてもらへぬわれなるか」だ。作者は鳥葬を恐ろしいもの、おぞましいものと見ておらず、その眼差しには清々しい憧れすら感じられる。また「誰からも遠くありたし」の句に厳しい孤絶が感じられる。強い印象を残す一連である。
 現代短歌文庫の『桜川冴子歌集』には短歌だけでなく歌論や、他の歌人による作者評も掲載されている。作者評で用いられている表現に興味を引かれた。小島ゆかりは桜川を「花曇りの人」と呼び、明るさの内外にうっすらと花曇りが立ちこめているという。また福島泰樹は桜川と乗り合わせた電車の中での「闇のように暗く深い孤独を纏った白い顔」、「一点に注がれたまま微動だにしない切れ長の目」を回想している。それはある意味当然である。短歌のような文芸を志す人は、ただ明るいだけの人ではない。ただ優しいだけの人でもない。心に深い闇を内蔵しているからこそ、深き淵から神を呼び歌を作るのだろう。
万羽鶴つと降り立ちて鏡なす水田暗めり己の闇に
 『月下壮子』の中で最も美しい歌である。鶴が自分の闇で水張田に影を作る。闇は己の内にこそある。しかし闇あっての光であることもまた言うまでもない。