第114回 江田浩司『まくらことばうた』

こもりぬのそこの心に虹たちてあふれゆきたり夢の青馬
            江田浩司『まくらことばうた』
 「未来」「Es」に拠る気鋭の歌人・江田浩司がおもしろい歌集を出した。『まくらことばうた』(北冬舎)である。すべての歌の初句に枕詞を置き、頭音のいろは順に配列するという技巧的な造りである。たとえば掲出歌では「こもりぬの」(隠り沼の)は「下」にかる枕詞だが、少しずらして「そこ」にかけてある。「こもりぬの」は本来は意味のある言葉だが、ここでは「そこ」を引き出すための装置として使われている。「隠り沼の底のように私の心の奥底には」という意味だから、直喩の構造を持ちながら言語的には直喩ではない連辞となっていて、その微妙な接点に歌に立ち上がる喩の姿がある。
 あとがきには「初句の『枕詞』と、それにより導き出される『被枕詞』に触発されて創作したものである」とある。「被枕詞」とは聞き慣れない造語だが、これについては後に触れる(注)。ぱらばらと見ると「いはばしる」「ちはやぶる」「つきくさの」「ぬばたまの」などよく知られた枕詞もあるが、見慣れないものも少なくない。
をぐるまのわが身に響む鳥の声、少女をとめらのこゑ風やいたまむ
くもりびの影にもあらぬわれなればうす墨色の受難を恋へり
ちりひぢの数にもあらぬわが身にて賽の宴の流刑地ならむ
やくしほの辛き思ひに爪を立てうたの在りかとなれる千鳥よ
かやりびの下燃え蜜を垂らす世に骨太の声ひびきわたりぬ
 一首目、「をぐるまの」の「を」は「小」だから「小さな車」つまり「小さな牛車」だろう。はて、これは枕詞か。『全訳古語例解辞典』(小学館)にも片桐洋一『歌枕歌ことば』(笠間書院)にも掲載がない。おそらく江田の創作枕詞なのだろう。「くもりびの」(曇り日の)、「ちりひぢの」(塵泥の)、「やくしほの」(焼く塩の)、「かやりびの」(蚊遣り火の)なども言葉としては存在するが枕詞ではない。とするとこの歌集での「枕詞」とは、狭義の枕詞ではなく、広く歌語・歌枕と解釈すべきなのだろう。
 見ようによっては時代錯誤的な枕詞を配した歌をなぜ平成の世に作るのだろうか。短歌の方法論に自覚的な江田のような歌人が、単なる気まぐれや戯れで作ったとは思えない。以下、私の勝手な想像を交えて考えてみたい。
 明治期に近代短歌が成立したとき、それまでの和歌で多用されていた枕詞・序詞・掛詞などの修辞は古くさく不用なものとして排除された。近代短歌のモットーは「自我の詩」である。詠うべき主題は〈私〉だ。とりわけ写実は言葉とモノとの一対一の対応を前提とすることから、指示物のない枕詞・序詞・掛詞は異物である。以後、短歌を自己の真情を盛る器と見なし、言葉を〈私〉を表現するための道具とする態度が生じた。かくして言語記号は歴史・神話に深源を持つ本来の不透明性を失い、限りなく透明な媒体となった。今日、現代短歌の「棒立ち」化や短歌の言葉のフラット化が指摘されるが、この現状は近代短歌が選択した道の延長線上にあると見なすこともできる。
 さて、江田があとがきで書いた「初句の『枕詞』と、それにより導き出される『被枕詞』」に立ち戻ってみよう。
いはばしの間近き君に深むかも真水に浮かぶ天体の香よ
 「いはばしの」は「間」「近し」「遠し」にかかる枕詞である。したがってこの歌では「間近き」が枕詞によって導き出された「被枕詞」に当たる。枕詞と被枕詞の間には呼応関係があるため、枕詞に続く語の選択は自ずと制限される。歌の作り手はここで語の選択権を言語の側に譲渡する。これは近代短歌の原則に反する行為である。
 また古語辞典を繙くと、「うつせみの人目を繁みいははしの間近き君に恋ひわたるかも」という万葉集の歌が掲載されている。これは「いははしの」の用例であると同時に、江田の短歌の本歌である。つまり江田は枕詞を用いることで語の選択権を言語に譲り渡しただけではなく、大規模な本歌取りをしているのだ。これもまたオリジナルな自我の詩であれとする近代短歌のセオリーに反している。
 なぜそんなことを試みるのか。その意図は本歌集のあとがきに過不足なく述べられている。「古代の、異質な言葉の世界に刺激を受けながら、内省的な言葉との内なる出逢いを即興的に表出し、言葉自体に内在する超越的な力を創造性へと発揮させることを目的としている」とある。つまりは作歌の重心を〈私〉の側から言語の側へと転移させるということだ。いったん〈私〉を括弧に入れて、言葉が言葉を導き出し、言葉が別の言葉と呼応する膨大な関係性の網の目の律動に身を委ねるのである。
 この態度から二つのことが帰結する。ひとつは和歌の修辞が立脚していた「美の共同体」と歴史性への意識であり、もうひとつは枕詞の少なからずが地名に由来することから来る「地霊」(genius loci) の復権である。旧来の「美の共同体」はとうに崩壊しているから、江田は自力で新たな共同体をめざすのだろう。地霊については江田もあとがきで触れており、東日本大震災後に本歌集を上梓する意味のひとつとして意識している。
 おそらく江田には現代の歌語が痩せ細ってしまったという認識がある。枕詞を通じて言語の自立的な律動と呪的強度を賦活することで、新たな詩語を志向しているのだろう。次の歌はその述志とも読める。
ちはやぶる神にしあれば言の葉は明るき闇を秘めにけるかも
 神=logosに秘められた明るい闇とは、言葉に定着され陳腐化する以前の豊饒な意味の世界をさすのだろう。実際に本書を読んでいると、密教の声明か延々と続く念仏を聴いているときのように、母音と子音に分解された音のうねりに呑み込まれそうになり、ふと吾に返る瞬間がある。興味深い経験である。本歌集が現代短歌シーンでどのように受け止められるか見守りたい。

(注)「被枕詞」は万葉学者の古橋信孝氏が使った用語だとのご指摘をいただいたので、訂正したい。

079:2004年11月 第4週 江田浩司
または、短歌表現の可能性を実験し続ける憂鬱な胎児

予言者の闇には時の星座あれ
       蒼き髪より蝶を発たしむ

    江田浩司『メランコリック・エンブリオ』(北冬舎)
 江田浩司の『メランコリック・エンブリオ』は問題歌集である。第一歌集でありながら、総計33句と903首を収録したその物量感がまず尋常でない。ふつう第一歌集を上梓するときには、それまでに書き溜めた歌のなかから類想歌を削り、取捨選択という自己選歌の過程を経て、歌数を絞って出版するものである。結社主宰みずからによる選歌のケースもあると聞く。この過程を経ることで完成度の低い歌を捨て、歌集の水準を高めるのである。しかるに江田の第一歌集には、たとえ類想歌が多くなろうともあえて捨てずに、とにかくまるごと提示したいという情念が感じられる。

 江田は1959年生まれで「未来」会員。栞文には、岡井隆、谷岡亜紀、藤原龍一郎が寄稿している。岡井は別格として、谷岡・藤原は江田の短歌世界を批評する歌人として、これ以上はないと言ってもいいくらい適任なのだが、そのふたりですら江田の短歌世界の多面性を扱いかねている、といった風情である。この歌集は6部構成を取っており、それぞれ傾向のはっきり異なる歌群から構成されている。順を追って見てみよう。

第一部

 憎しみの翼ひろげて打ち振れば少年の雨期しずかにめぐる

 骨きしむ音にかあらん自己愛は蹌踉として汝にしずめり

 ゆうごりの霜の沙庭に翼おく一条の陽にさざんか散りぬ

 第一部には、江田が近代短歌の遺産を十分に咀嚼し継承していることを示すように、極めて上質の抒情を内包した歌が並んでいる。近代短歌だけではなく、古典和歌の技法をも自家薬籠中のものとしていることは、三首目「ゆうごりの霜の沙庭」を見ればわかる。「夕凝り」と漢字で書かず「ゆうごり」と仮名で書くことで古典臭を薄め、和歌言語を現代風に衣裳変えする試みも注目に値する。他にも「さらしい」(晒し井)、「なみくもの」(波雲の)、「あさはふる」(朝羽振る)などがあり、思いつきではなく計画的な試行であることがわかる。なかには「夕空の櫂こぎゆくは月草のかりなる命曳きゆくわれら」のように、現代では使用例の少ない「月草の」のような枕詞すら見られる。もし第一部に収録された歌だけを読んだならば、江田は古典和歌から近代短歌までの技法を継承する、歌壇のお覚え目出度い模範的歌人かと思われるほどである。

  ところが第二部になるとこの印象は一変し、江田は本来の反逆児の相貌を露わにする。

第二部

 処刑の朝目で射る楕円 崩れゆく思想笑いてしずみゆけり

 雲を喰う雲の苦しみ菜の花色にともす思想よ血まみれの鳥

 十三人目の使徒は革命を身籠れり祖国に向けて白き歯を剥き

 「思想」「革命」「形而上」「意味」などの生硬な漢語が多用されて、歌は一気に強い観念性の磁場を帯びる。それと同時に五七五七七の三十一音に収まらない破調の歌も多くなる。第二部のトーンをよく示すのは、「濡れた翼を持ちて被わんとぼろぼろな俺に跪座する妻よ」のような歌だろう。第一部では隠されていた一人称の「俺」が顔を出すが、それは観念に蚕食され思想的煩悶に身悶えする「俺」である。古典和歌風の予定調和的抒情は振り捨てられて、未消化な観念を吐き出すような歌が並ぶ。

 この傾向は第三部においてその頂点に達する。第三部は歌集の題名ともなった「メランコリック・エンブリオ」50首から始まっている。

第三部

 パラダイムから解き放たれし寒卵メタフォリカルな自慰に固執す

 難解な排卵 天体の運行に嗅ぐ少女の瞑想…………氾濫

 首を切る やはり僕の手、私生児を慰めるイコン、死にそうな馬

 一読してわかるように、近代短歌の技法は解体されその痕跡すら留めない。すべて破調の歌であり句切りすら不可能な語彙の連鎖となっている。第三部はおそらく江田の試みた最も実験的な部分であり、後述するがこの実験は現代詩の試みを抜きにしては理解できないだろう。

 第四部になると、あやうく解体されそうになった短歌の姿は元に復して、短歌的文脈で読める歌に戻る。

第四部

 肉感はそのままにして象形の淡き疼きをシーレ屠れり

 帰りゆく家がおぼろに意味を編み制度の馬は嘔吐激しき

 夜の落葉一枚が刻む民族を幻想しつつ楽は果てたり

 第四部に頻出するのは固有名である。スーチン、シーレ、パスキン、ルシアン・フロイド、デレク・ジャーマン、メイプルソープ、ジャクリーヌ・デュ・プレなど、いずれも重い芸術的宿命を背負った人たちであり、江田はこれらの芸術家に心を寄せることで自己の思想の試金石としているのだろう。

 次の第五部は一転して生活歌・境涯歌の世界となり、歌意をたやすく理解できる平明な歌が並んでおり、あまりの落差に驚くほどである。

第五部

 黒葡萄もぐように取る靴下に洗剤の香ははつか薫りし

 春霖の細かき粒を身にまといしつばめは命まかがやくかな

 つばくらよそぼ降る雨にしずくするおまえの視界にわれら抱き合う

 中学高校一貫校の教師をしているらしい江田の「父兄との押し問答をするうちにへそのあたりが痒くなりたる」のような職場詠すら散見され、歌が作られる場がはっきりと見える。

 第六部は「神々の手淫」と題された153首の連作である。

第六部

 黙示とは凍てうつくしき鶴にして海の蒼さに染まりたる声

 声からは人消えゆきてかなしくも逃散をする月の光の

 月の光燃える魚類の劇場の鰭の冷たさ冬の森呼ぶ

 結句の一部を次の歌の初句に取り込むしりとり形式の連作で、「寒晴れの光の中を歩みたる片耳の犬 わたしは飢える」から始まり、最後の「自慰をする葉脈のような日記から救われ難き過去は寒晴れ」で最初の歌に戻り、全体が円還構造をなす壮大なものである。力業であり、ジャブのように自在に言葉を繰り出す江田の能力は異能と言うほかはない。

 ふつう歌集を批評する場合、その歌人の資質を最もよく表わす歌を数首引き論評することで、その歌集が構築しようとした世界の特質を活写できる。しかし江田の場合には、作歌方法も、意味と韻律のバランスも、定型と破調の割合も、六つの部ごとに大きく異なる。どれが本当の歌人江田なのか。おそらくどれもが江田なのであり、その振幅の大きさと多面性をまるごと提示したところに、この歌集の問題性があるのである。

 では江田がこの歌集で試みた実験とは何だろうか。それは短歌における言語の役割を反転させようとしたことではないだろうか。

 小説のような散文と、俳句・短歌のような韻文とでは、素材たる言語の持つ機能が異なる。その違いは主として、言語機能全体のなかで占める「意味」の比重に関わると考えてよい。散文の言語は意味を伝達することが主たる任務であり、描写により意味を塗り重ねて行くことによって、作品世界を構築する。小説のような散文においては、「意味」は作品という建物を建てるレンガであり漆喰であり、小説はこの意味で「シニフィエの城郭」である。読者は小説の描写が分泌する小さな意味の積分を反復し、一巻を読了した時点で大きな意味を発見する。もちろん小説のなかにも、意味に還元されることに抵抗し、記憶に残る印象的な像はある。例えば『失われた時を求めて』の紅茶にマドレーヌを浸すシーンなどその典型だろう。しかし、その像は独立して存在しているのではなく、プルーストの記憶をめぐる物語の要としての意味を担う形で、小説全体の意味の一部として取り込まれ、その内部で機能する。

 一方、俳句・短歌などの韻文における言語は、言うまでもなく意味のみの伝達をその第一義としない。それは最短詩型の俳句を見ればすぐにわかることである。

 鬼百合が蜜ため朝の駅燃える  坪内稔典

 蜜を溜めた真っ赤な鬼百合が咲き乱れ、朝の駅をまるで火事の現場のように見せている。その描写自体は何か特定の意味を伝えようとしたものではない。ここでは咲き乱れる鬼百合を「燃える」と表現することで、読者の脳裏の網膜に投影される情景の「強度」が問題なのであり、そこに「蜜ため」が加わることで加算される秘密性とほのかなエロスが、一句の読みのすべてである。俳句は「形象性の文学」であり、一句が脳裏に結像するイメージの強度がそのまま「感性的な意味」であり、論理的な意味だけをそこから単離することはできない。短歌においてその役割を果たすのが「喩」であることは言うまでもない。

 青春のをはりを告ぐる鳥の屍(し)の掌にかくばかり鮮しきかな  小池光

 フロアまで桃のかおりが浸しゆく世界は小さな病室だろう  加藤治郎

 ここには鳥の死骸という〈物体〉と、「青春期の終わりを迎える戦き」という〈観念〉すなわち〈意味〉があり、一方が他方の「喩」となる関係がある。鳥の死骸そのものには意味はなく、また即時的物象として存在しているわけでもない。鳥の死骸は〈観念〉すなわち〈意味〉の「喩」となることで、この一首により最終的に感得される感性的意味作用に参加するのである。このように〈物体〉と〈観念〉とが互いに映し合うという相互関係が歌の世界を浮上させ、そこに形象化された感性的意味を作り上げる。その感性的意味は、日常言語の伝達する〈意味〉ではもはやない。大まかに言えばこれが短歌の語法であり、短歌における言語はこのような感性的意味の形象化をその職能とする。加藤治郎のように、意識的に短歌の語法の拡大を試みてきた歌人においても、同じことが言えるのである。

 江田の実験はこの物体と観念の互いに映し合うという関係を壊し、物体と観念を同じ地平に強引に並置し、そこに生じる〈物体の歪み〉、〈観念の引き攣れ〉から生じる歪んだ磁場を弾機として、己の短歌世界を立ち上げようとするものだと思われる。

 光の煮凝り虚偽の実験室に一羽の鳥が…………触る肋骨

 林檎に青空が落ちる 動かない木・考える時間・死にはしない

 ダ・ビンチ世界は曲がる、はじめに足がない霧の部屋にて

 一読してわかるように、これらの歌は結像力が極めて低い。読んでいて何かの情景を思い浮かべることもなく、全体としてひとつのイメージに収斂することもない。短歌が詠まれた場がまったく見えないことは言うまでもない。だから、栞で藤原龍一郎が言うように、「読者は言葉の孕んでいる熱量に圧倒されながら、混沌に意味を読み取る努力を続けなければならない」ということになり、結果として「頭が痺れる」わけである。読者にとって親切な歌の作り方とはとても言えないのだ。

 このような〈物体〉と〈観念〉の同じ地平での並置は、現代詩の手法であることにふと気づく。

   皇帝

 石の中に眼がある 憂愁と倦怠にとざされた眼がある
 その人は黒衣をきて私の戸口を過ぎる 冬の皇帝
 淋しい私の皇帝 ! 白皙の額に文明の影をうつし欧州の墓地まで
 歩いて行く 太陽を背中に浴びて あなたの自己処罰はいたいた
 しい                 
                 田村隆一『四千の昼と夜』

 このように何の前置きも場面設定もなく、いきなり〈物体〉と〈観念〉が混在するコトバの世界に引き込むのが現代詩の常套手法である。現代詩においては短歌と異なり、描写された物体と観念・意味との間に、互いを映し合う喩的関係は成立しない。それは日本語の現代詩が、本来の意味における韻文ではなく、言語の機能から見れば散文だというところに原因があるのだろう。

 三枝昂之は「一回性の〈意味〉の屹立」(『現代定型論 気象の帯、夢の地核』所収)という文章のなかで、清水昶の詩集『新しい記憶の果実』から「開花宣言」を選び、その一部を短歌として翻案改作し、何が変容するかを観察するという興味深い実験を試みている。その結果わかったことは、詩のなかで意味を発信している部分を短歌に移し替えると、その意味をそのまま意味として定着することが困難だということである。意味を担う一行は、短歌の韻律が形成する詩的秩序に放り込まれると、何物かの喩として解釈されることで一種の多義性のなかをたゆたうようになる。これが三枝の結論である。

 この実験結果を念頭において、再び江田の実験的短歌を見直してみると、江田はこのような歌のなかで、物体と観念とが互いに喩的関係を持つという短歌的な言語のあり方そのものに挑戦し、喩的関係を拒むように物体と観念を並置することで、一首に強い意味的磁場を形成することを目的としているということがわかるだろう。だからこれは現代詩の手法の短歌への導入なのであり、俳句・詩・短歌とさまざまな文芸ジャンルに幅広く精通している江田ならではの試みなのだとも言える。江田が現代詩にも通じていることは、「風呂桶を洗いて身たる幻はサフランを摘む僧になる俺」という歌をみればわかる。これは現代詩の金字塔にして難解な、吉岡実の『サフラン摘み』へのオマージュである。

 歌集題名の『メランコリック・エンブリオ』は「憂鬱なる胎児」という意味だという。それは作者の内部に生まれ育った得体の知れない生き物の謂であり、自己の内部への過剰なこだわりの象徴である。江田が従来の短歌的語法に満足せずこのような実験を試みたのは、内に巣くう「内なる他者」に言葉を与える器として、近代短歌の語法では十分ではないと感じたからに他ならない。しかしこの実験はまだ実験に終っていると見なさざるをえないようだ。作者自身があとがきに書いているように、「内部の他者」から「外部の他者」へと出会う通路を見つけるには、まだまだ江田は孤独な道を歩まねばならないようである。