第222回 田村元『北二十二条西七丁目』

この街にもつと横断歩道あれ此岸に満つるかなしみのため
田村元『北二十二条西七丁目』
 

 この歌のポイントは「此岸しがん」である。此岸は仏教用語で、迷いと煩悩に満ちた現世を意味し「彼岸」と対立する。彼岸は煩悩から解放された浄土である。此岸から彼岸に渡るには何かの手段が必要だ。それはふつう修行による悟りか仏への帰依とされる。しかし悟りにも帰依にも縁のない作者は、その願いを横断歩道に仮託している。悲しみに満ちたこの世界から脱出するために、より多くの横断歩道あれと祈る、短歌が祈りとなったよい歌だ。たまたま見たTVのNHK短歌で大松達知が紹介していて心を引かれた。
 田村はじめは1977年生まれ。北海道大学在学中に短歌を始めて「りとむ」に所属。2002年に「上唇に花びらを」で第13回歌壇賞を受賞した。『北二十二条西七丁目』は受賞作を含む第一歌集である。歌集題名は北大生のときに住んでいた札幌の住所にちなむ。札幌の道路は碁盤の目のようになっているので、直交座標のように無機的な数字で住所が表記される。三枝昂之が跋文を寄せている。
 北大法学部を卒業して会社勤務の田村の主題は、サラリーマンの哀感とそれでもなお失うまいとする詩人の矜恃である。それに群馬県という関東周辺部出身のコンプレックスと、青春時代を過ごした札幌への追慕が少し加わるという構成になっている

サラリーマン向きではないと思ひをりみーんな思ひをり赤い月見て
部屋にてもつい新聞を縦長に折りてしまへりサラリーマンわれは
俺は詩人だバカヤローと怒鳴つて社を出でて行くことを夢想す
島耕作にも坂の上の雲にも馴染めざる月給取りに一つ茶柱
日々嫌ひびいや」とアナウンス聞こゆ職場への一つ手前の日比谷駅にて
サラリーマン塚本邦雄も同僚と食べただらうか日替わりランチ

 一首目、「自分はサラリーマンに向いていない」と感じながら、それは自分一人の思いではなく皆同じように感じているのだと自覚している。この自意識の働きが田村の特徴だろう。二首目、満員電車で立ったまま新聞を読むとき、隣の人の邪魔にならないように新聞を縦長に小さく折る。自分の部屋でも思わず同じことをしてしまうという自嘲の歌である。今では電車の中でみんなスマホを見ているので、あっという間に過去の風景となってしまったが。三首目、上司から意に沿わないことを言われ、「俺は詩人だ」と啖呵を切るという夢想だが、もちろん自分はそんなことはしないと知っているのである。四首目の島耕作は弘兼憲史のマンガ『課長島耕作』の主人公で有能なサラリーマンの代表格。『坂の上の雲』は言わずと知れた司馬遼太郎の代表作で、青雲の志に満ちた明治期の青年を描いている。そのいずれにも自分は共感できないと感じながら飲む茶碗に茶柱が立つのはあまりにささやかな幸運か。五首目は田村が会社から中央官庁に出向していた時代の歌。駅名の日比谷が「ひびいや」と聞こえるのだから、相当病んでいたのだろう。六首目、塚本邦雄は金商又一という商社に勤めるサラリーマンだった。その塚本も時には食堂で同僚と日替わりランチを食べたことがあるのだろうかと自問する。以上は馴染めないサラリーマン生活を送らねばなららない自分を自嘲する歌だが、時折次のような詩人の矜恃を詠う歌も混じる。

ドトールで北村太郎詩集読み、読みさして夜の職場に戻る
わが詩句はわが生活に規定され友の前髪のやうに五月雨
節分を跨いでわれの本棚に開かれぬまま匂ひ立つ『土』

 仕事の合間にドトールという個性のないカフェで北村太郎詩集を読むのは、日々の仕事に埋没すまいという矜恃の現れだろう。自分の短歌は自分が送る生活に規定されてしまい、その枠を抜けることができない。そんな思いの中にも友の前髪のように爽やかな五月雨を感じることもある。いつか読もうと買ってある長塚節の『土』はまだ繙かれていないが、確かな存在感をもって救済のごとく書架にある。
 そんな田村を慰めてくれるのは酒らしく、集中には飲食の歌、とくに酒の歌が多い。

くれなゐのキリンラガーよわが内の驟雨を希釈していつてくれ
目黒川暗く流れてラーメンを食べるためわれは途中下車せり
酒なしでやつてゐられる人たちを横目にくぐる黄の暖簾かな
メートルを上げてそろそろわが背丈越えてゆくころ酩酊となる
酒飲めばわれと世界に接線が引かるるやうなやすらぎにあり

 飲食は飲食でも、食べ物や酒の旨さを喜ぶ歌はあまりない。物を食べるのは空腹を満たすため、酒を飲むのは汚穢の現世から身を引き剥がすためのようだ。
 山田航も『桜前線開架宣言』の田村の項で指摘しているように、生活者の立場から都市東京を詠んだ歌が少なからずある。

攻略包囲もさるるものとして首都はあり、その首都の朧夜
東京市と呼べば親しき川魚の眠りにわれは落ちて行くなり
ひとりから始めるわれの都市論のフランスパンと水を購う
ぬばたまの常磐線の酔客を支へて来たる日本、はどこだ
白地図のやうな地平に生まれ出てそれが群馬だと知るまでの日々

 東京はフランスパンと水を買う街だというところに地方出身者の抱く違和感が表明されている。しかし一読した限りでは、田村にとって都市論はまだ発展途上の主題のようで、独自の視点から十分に展開されているとは言いがたい。伊藤一彦の「東京に捨てて来にけるわが傘は捨て続けをらむ大東京を」のように、一度東京に出て故郷に戻った地方出身者の重い心情や、吉野裕之の「改札を斜めになって通りゆく男はおとこの角度を持って」のように、トリミングするごとく街の風景を切り取る洒脱な手法など、個性の光る都市論が生まれればと願おう。
 このようにサラリーマン生活の辛さと苦しさが大きなテーマとなっているのだが、そんな田村にも日々の暮らしの中で嬉しいこと、喜ばしいことがあるだろう。もっとそういうことを歌に詠めばよいと思う。最愛の伴侶を得たときにも、「旧姓を木の芽の中に置いて来てきみは小さくうなづいてゐた」という一首のみで済ませるというのはあんまりというものだ。
 最後に心に残った歌をいくつか挙げておこう。

幾筋も汗流れをりわれにまだ棄つるべきものある歯痒さよ
遮断機は色なき風を分かちたりベンガル虎の尻尾のやうに
あらがひて天へと還るひとひらもなく折り紙の銀に降る雪
訳もなく〈善意志〉といふ語が浮かび哀しみて食むわかき筍
ガラス片未明の道に散らばりて光にも欠片かけらといふものはあり
シャチハタの名字はいつも凜としてその人の死後も擦れずにあり
言葉のみ意味を背負ひてうつつにはただ一輪の梅が咲きをり

 どれも美しい歌だが、私がいちばん感心したのは次の歌である。

官僚にも〈つ〉と〈ぬ〉の区別ありわれは余所者なれば〈ぬ〉で過ごしたり

 『岩波古語辞典』によれば、「つ」は動作・作用を人為的・意志的なものとして描くのに対して、「ぬ」は自然的・無意志的に描き、話し手の関与できない自然的作用の完了を表すという。これも作者が中央官庁に出向していた時の歌で、作者は出向者という余所者なので、「ぬ」を使うというのである。「ぬ」「つ」は完了の助動詞なので、「官僚」との掛詞というわけだ。