007:2003年6月 第2週 福島泰樹
または、逝きし者たちへの絶叫挽歌

あじさいに降る六月の雨暗く
     ジョジョーよ後はお前が歌え

              福島泰樹
 古典的和歌の世界には、「歌枕」というものがある。古くから和歌に詠まれることによって、高い象徴性を獲得するに至った地名・景物である。吉野、近江、逢坂山、水無瀬、竜田川などがそれであり、こういった名は強いイメージ喚起力を持つ。明治以降の短歌革新運動は、個の自己表現という近代的命題を掲げたため、歌枕のように和歌の伝統的遺産に寄りかかった技法は、意識的に避けられて来たと言ってよい。
 しかし、短歌は極端な短詩形文学であり、31文字による一首はそれだけで自立した表現になることは難しく、外側に拡がるものと接続することで喚起力を増幅する。だから歌に力を与えようとするならば、現代短歌でも歌枕に頼ることになるのである。
 地名に歌枕があるように、季節にも歌枕がある。現代短歌で季節の歌枕の代表は、なんといっても六月と八月である。八月は言うまでもなく終戦と原爆の記憶と結びついている。六月は1960年の安保闘争で、この国民的大事件は樺美智子と岸上大作というふたりの聖者を生んだことで伝説と化した。

 掲載歌以外にも、現代短歌には六月を詠んだ歌は多い。

 六月の雨は切なく翠なす樺美智子の名はしらねども (福島泰樹)

 女ひとり殺せぬおれに六月の雨は不憫にワイシャツ濡らす (福島泰樹)

 こころなきものも殴たれよ六月の嵐のなかのひるがほ揺るる (伊藤一彦)

 六月の雨はとりわけせつなきを粗大ゴミなるテレビも濡らし (藤原龍一郎)

 福島の二首目は、安保闘争の挫折のなかで、1960年12月5日にブロバリン150錠を服用したのち縊死した岸上大作の「血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする」を踏まえたものであろう。
 1943年生まれの福島は、60年安保の年には17歳であり、安保闘争には参加していない。彼が参加したのは1966年に始まる早稲田大学の学園闘争である。その体験が『バリケード・1966年2月』(1969年)として結実し、福島は現代歌人のなかで独特の地歩を占めるに至った。

 眼下はるか紺青のうみ騒げるはわが胸ならむ 靴紐結ぶ

 樽見 君の肩に霜ふれ 眠らざる視界はるけく火群ゆらぐを

 ここよりは先へ行けないぼくのため左折してゆけ省線電車

 ちなみに「紺青のうみ」とは本当の海のことではなく、当時「青ガラス」とも呼ばれた機動隊の制服の青のことである。バリケードで封鎖した建物の屋上から下を見下ろしている光景を詠んだものである。『バリケード・1966年2月』所収の短歌は、いずれも熱い血潮のたぎる男の歌であり、花鳥風月を詠む伝統的短歌世界にはない、独自の抒情を作り出している。ひと言で言うならば、近代的ルサンチマンの短歌と言えるだろうか。しかし岡井隆は、この歌集が出版された頃にはもう左翼闘争の政治的結末はすでについていたのであり、「私たちは、福島のいかにも口当たりのよい闘争歌に、自分たちの反体制的気分の代弁者を見いだそうとした」と苦い回想を漏らしている(『現代百人一首』)。
 福島はその後、友人や先輩歌人・小説家らとの惜別を軸に、死者になりかわりその無念を詠うという独自の方法論を確立した。以後福島の歌はすべてが挽歌であると言われる所以である。

 みな行った茂樹も君も花あらし雪の電車を待つことはない

 薔薇色の骨に注ぎぬ美酒すこし黒鳥館に春の雪降れ

 あおぞらにトレンチコート羽撃けよ寺山修司さびしきかもめ

 とうとうと水は流れて長門狭 蘆溝橋の灯やゆらめきやまず

 さらばわが無頼の友よ花吹雪け この晩春のあかるい地獄

 一首目の茂樹は1970年に事故死した歌人の小野茂樹。二首目は中井英夫への挽歌で、黒鳥館とは中井の号であり、「美酒」「骨」も中井好みの語彙である。三首目は言うまでもなく寺山で、「トレンチコート」と「かもめ」がキーワード。四首目は「長門狭」から知れるように中原中也。最後は飲み友達であった『地獄は一定すみかぞかし』の石和鷹への挽歌である。福島はこのように友人先輩との惜別を詠い、その人になりかわって果たせなかった無念を詠うことで、短歌に古代的呪文としての特性を回復させ、短歌に他に類を見ない訴求力を与え、同時にみずからはイタコと化したと言えるのではないか。
 まだイタコ化の一歩手前の歌を一首あげておく。

 君去りしけざむい朝 (あした) 挽く豆のキリマンジャロに死すべくもなく

この歌枕はもちろんキリマンジャロである。ヘミングウェイが雪のキリマンジャロ山頂で死体となっているヒョウの雄々しい姿に自らの理想を仮託したように、福島はヒョウにはなれない自分を見つめて朝の苦いコーヒーをすするのである。
 しかし、このように現代短歌にも豊かに用いられている歌枕はどれくらい生き続けるのだろうか。今の若者でヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』を読んだことのある人がどれくらいいるだろうか。私は大学教師をしているので、授業中にかつて世界文学全集に収録されていたような書名が出てくると、読んだことがあるかどうか学生に聞くことにしている。先日は『日はまた昇る』が出てきたので聞いてみたら、50人ほどいるクラスで誰一人読んだことのある学生はいなかった。「スペイン内戦のことを描いた小説ですね」などとボソボソと説明したが、「スペイン内戦」すら理解してもらえたかどうか心許ない。短歌における歌枕は、案外このあたりから崩壊していくのかも知れない。