105:2005年5月 第4週 西勝洋一
または、後退戦を戦う男は霧雨の降りしきる海を見つめて

まぎれなく〈季〉うつろうと虎杖(いたどり)の
        群生ぬけて海にむかえり

          西勝洋一『コクトーの声』
 砂子屋書房の現代短歌文庫から『西勝洋一集』が出版されたのは、去年 (2004年) の3月のことである。西勝は1942年生まれで、「短歌人」「かぎろひ」会員。北海道は旭川で教員を勤め、北方から歌を作り続けている。第一歌集『未完の葡萄』 (1970年)、第二歌集『コクトーの声』 (1977年)、第三歌集『無縁坂春愁』 (1990年)、第四歌集『サロベツ日誌抄』 (1998年)がある。『西勝洋一集』には『コクトーの声』 完本の他、他の歌集から抜粋が収録されている。今回通読していろいろなことを考えさせられたが、そのひとつは短歌の「時代性」と「歴史性」ということである。

 短歌の時代性とは何か。それは歌が時代を反映することではなく、歌が時代といかに切り結ぶかということだ。作歌の根拠が時代の動向に深く根ざすとき、その深部から詠い出される歌には模倣できないリアリティーが生まれる。たとえば次のような歌である。

 さびしいこと誰もいわないこの村にこの日素枯れてゆく花があり 『未完の葡萄』

 森うごく予兆すらなく冬空へ少女が弾けるショパン〈革命〉

 ライラック揺れる坂道朝ごとに病むたましいの六月来る

 わが裡にはためく旗よいつの日か憎しみ充ちてちぎれ飛ぶまで

 総身は冷えて佇ちたる かすみつつ渚の涯につづくわが明日

 野葡萄の熟れてゆく昼 状況をまっしぐら指す矢印の朱(あけ)

 1942年生まれの西勝はやや年少の60年安保世代であり、「革命」「状況」「六月」などのキーワードが示すように、左翼運動に身を投じたことが歌から窺われる。第一歌集『未完の葡萄』には、上にあげた四首目「わが裡に」のように、高いトーンで自分を鼓舞する歌があり、かと思えば次のように敗北感と屈折の歌もある。

 展(ひら)かるる明日(あした)あるべき日曜日 午後るいるいと花の凋落

 凛烈の朝の路上に卑屈なる笑みして あれも〈かつての闘士〉

 短歌としての完成度をここで云々するつもりはない。私がこのような歌を読んで強く感じるのは、大文字で書かれるような〈時代の状況〉と、状況と正面から衝突した青春と、その衝突の摩擦から生じる熱気とがあって生まれて来た歌の数々であり、叱責を恐れずに言えば、それはある意味で「幸福な時代」だったということである。言葉が指すべき〈現実〉が厳然としてあり、抒情が生み出されるべき〈心情〉が疑いなくそこにある。〈言葉〉―〈現実〉―〈心情〉が何十年に一度かの惑星直列のように一直線に並んでひとつの方向を照射するときにしか、このような歌は生まれないだろう。「これではあまりにストレートすぎる」という思いを抱きつつも、ある種の羨望に似た気持ちを禁じることができない。現代の私たちはこの惑星直列的状況から遙か遠くに来てしまった。短歌的状況論から言うと、『未完の葡萄』が上梓された1970年以後、「内向の世代」を経て不思議に明るい80年代を迎え、やがてバブル景気とともにサラダ現象とライトヴァースの隆盛を迎えて、ケータイ短歌というものが登場して今日に至っている。〈言葉〉―〈現実〉―〈心情〉という直列関係は、テクノロジーと修辞のかなたに溶暗してしまった。

 しかし、である。〈言葉〉―〈現実〉―〈心情〉の直列は、そのあまりのストレートさ故に、時代のの刻印から逃れることができないという宿命を背負う。第二歌集『コクトーの声』の後書きで、西勝は「『未完の葡萄』後半部をつつんだあの明るい断言の日々が、急に気恥ずかしく思い返されてきた」「発語の困難さを自覚したのはそのような時からであり、それが時代が失語の夕暮れに向かって歩みを始めた時と重なっていたことを知るのはもっと後になってからのことである」と述懐している。ある時代に深くコミットした人間は、時の移ろいとともに後に取り残される。これが残酷な「歴史性」である。では失語の黄昏のなかで歌人としての西勝はどのような方向に向けて歩みだしたか。「〈個〉の発見」(『コクトーの声』後書き)という方向だと本人は述べている。『未完の葡萄』で時代と権力と群集へと向かった歌人は、『コクトーの声』ではただ独り雨の降りしきる海と向かい合う。

 潮迅き海を見ている 街々をただ過ぎしのみうつむきながら

 わが日々のどこも流刑地 ゆうぐれて海だけ騒ぐ町を往きたり

 渚は雨 その薄き陽にてらされて壮年の道みゆるおりおり

 その海にかつてかかりし虹のこと喪の六月を過ぎて思える

 岸辺打つ波散ってゆく闇ながらわが言葉あれしずかに苦く

 わが死後の海辺の墓地に光降る秋を想えり少し疲れて

 『未完の葡萄』を特徴づけるのは「樹木」であった。「樹々よりもずっとさびしく佇ちながら降る雪の中ゆくえ知らざる」など、樹木を詠った歌が多い。樹木は佇立し天に向かって伸びる生命として象形され、青春とやや青い思想の喩にふさわしい。西勝とほぼ同世代の三枝浩之の初期歌集にもまた樹木の歌が多いのは偶然ではあるまい。「視界よりふいに没するかなしみの光 暗澹と樅そそりたち」のような歌を見れば、樹木に付託された象徴性は明らかだろう。

 『コクトーの声』では一転して海が頻々と登場する。樹木は西勝の自我と思想とを形象するものであったが、海はそうではない。海は失語の時代を迎え中年にさしかかった〈私〉の想いを反照するものであり、時に慰藉として働く。『未完の葡萄』で西勝は、「わが視野にまだ見える敵 撃ちながら撃たれて秋の石くれとなる」と詠んだ。「敵」が明確な形として存在し、「敵を撃つ」という思想がリアリティーを持ちえた時代である。『コクトーの声』に寄せた長文の評論のなかで三枝昂之は、西勝は「後退戦を戦う」ことを余儀なくされたのであり、『未完の葡萄』から『コクトーの声』に至る軌跡は、「敗北の現場をも喪失してゆく過程である」と述べた。厳しい批評であり時代認識である。後退戦を戦うなかで、西勝の想いは屈折し内向してゆく。皮肉なことにその反転が美しい歌を生むのである。次のような歌がある。

 〈目覚めへの旅〉終るなき道の辺に突風ののち折れしダリア    

 冬野 するどく鳥発(た)ちゆきてこころざしいつか捨てゆく恐れ持ちたり

 かぎりなく失語の闇に降りしずむ雪あらばわが朋とこそ呼ぶ

 論ひとつ我らをつなぐ幻想にふかぶかと暮れてゆく陸橋よ

 疾走ののち少女の汗まみれ淫蕩のわが六月越えて

 聴きとめていく俺だけは此処に居て移ろう日々の微(かす)かな声も

 一読して「近代短歌だ」と感じる。それは歌の背後に「ウラミ」が付着しているからである。小池光は俵万智のサラダ短歌の新しさは「ウラミが付着してない」ことだという斬新な見方を示した(『短歌研究』 2004年11月号)。小池の文章を読んだとき、ある意味で目からウロコが落ちる思いがしたものだ。ここで言う「ウラミ」とは、貧困・病気・劣等感・挫折・嫉妬など、自らの不遇や不随意感の原因となっているものに対する鬱屈した感情である。近代短歌の背後には多かれ少なかれこの「ウラミ」が付着しているのであり、その鬱勃たる感情が作歌の原動力となった面は否定できない。

 しかしこれは何も近代短歌に限ったことではなく、古典和歌の時代も同じではなかったろうか。伊勢物語のスーパーヒーロー在原業平は、平城天皇の孫という血筋にもかかわらず、藤原氏の陰に隠れて従四位上の官位しか得られなかった。文徳天皇の第一皇子の惟喬親王は母が紀氏の出であったため、生後わずか九ヶ月の第四皇子惟仁親王の立太子を指をくわえて見るほかなかった。鬱勃たる思いを抱く惟喬親王が水無瀬の別荘に遊んだ時、業平も同行して有名な「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌を詠んだ。居合わせた一人は「散ればこそいとど桜は愛でたけれうき世に何か久しかるべき」と返した。だからこれらは単に桜を詠んだ歌ではない。当然皇位を継ぐはずであった親王に対する愛惜と無念を詠んだ歌である。まさに「ウラミ」の歌なのだ。

 唐木順三は『無用者の系譜』のなかで業平を論じ、「身をえうなき者に思ひなして」というのが業平の人物像とその歌のキーワードであり、自らをこの世に容れられない「無用者」と思いなすことによって、現実世界が変貌をきたし、そこに新しい世界、現実とは次元を異にする抽象・観念の世界が拓かれたと断じている。

 唐木の論法を西勝の歌の世界に当てはめるならば、『コクトーの声』は「身をえうなき者に思ひなし」た無用者の歌だと言える。業平や惟喬親王の場合は、宮廷における権力闘争に敗北したことが自らを無用者と観ずる原因だが、西勝の場合は政治闘争の敗北と時代に取り残されたことが原因である。しかしながら原因にちがいはあれ、状況的また心情的には非常によく似ている。

 『コクトーの声』の後書きのなかで、三枝昂之が「定型詩短歌は、その変質の過程で、共同体から疎外された一人の人間の魂を歌うものとして、形式を完成させた」と言っているのは、このことに他ならない。三枝は次のように続けている。

 「だがそれと同時に、投げかけあった問いや応えや唱和が〈われわれ〉の間を往き交って生きた歌になりえた対の片歌の構造を、そうした複数の人間が行うべき問いと応えと唱和をたった一人の人間がみずからの内部で強引に果して世界の意味をその中に閉じこめるという、詩的暴力の構造にと変えてしまった」
 短歌定型について深い思索をめぐらしている三枝ならではの言葉である。ならばもし三枝の言う所が正しければ、『コクトーの声』に収録された西勝の歌がすべて孤独の歌であることは、なんら不思議なことではないのである。