第29回 谷村はるか『ドームの骨の隙間の空に』

つばめ空の真中で止まる島の昼その静けさで壊せわたしを
        谷村はるか『ドームの骨の隙間の空に』
 今回取り上げるのは、今年(2009年)3月に出たばかりの谷村はるかの第一歌集である。谷村は2006年度短歌研究新人賞に同名の連作で応募し、惜しくも候補作に終わっている。同年の受賞は野口あや子の「カシスドロップ」。珍しくヒロシマと原爆のテーマを正面から詠って話題になった。選考座談会でもそのことがひとしきり話題になっている。
 短歌賞の選考座談会を読んでいつも感じることだが、どうして選考委員は候補作の作者の実年齢にこだわるのだろう。2006年短歌研究新人賞の座談会でも、「かなしみのみなもとのひと遠い空にひとりいるから孤独ではない」という谷村の歌を取り上げて、選考委員の馬場あき子は「この人は原爆で恋人を亡くしていて、そしてずっと年老いて、なおかつ自分の恋人が奪われた広島を離れず生きているという、そういう感じがするんですね」と発言している。実際には谷村は昭和46年(1971年)生まれで、2006年当時は35歳である。被爆体験もないし、いわんや戦争体験もない。平成16年の角川短歌賞で、当時17歳だった小島なおが受賞したときの選考座談会でも、作者はほんとうに17歳なのかという点に議論が集中していた。選考委員の米川千嘉子は、ほんとうに17歳なのだろうかと疑問に思って評価を保留にしてしまったとさえ述べている。
 なぜここまで年齢にこだわるのかという理由を推測するのはそれほど難しいことではない。若年の受賞者が出た時の社会的な話題性は当面措くとして、実人生を詠うことが明治以来の近代短歌の王道なので、どうしても歌の背後に作者本人を捜してしまうのだろう。作者の実人生という裏打ちがなければ、歌の価値が減じるというわけである。しかし短歌は文学の一形式であり、文学はその飛翔力の多くを想像力に負っている。過度に実年齢にこだわるのは、短歌の表現力を狭めてしまうことにならないか。
 谷村は現在「短歌人」所属。元朝日新聞の記者で、福井支局・広島支局と移動を重ね、記者と歌人の二足のわらじを履くことに耐えかねて遂に退社、短歌を生活の中心に据えるため現在は派遣社員として働いているという。根性の座った歌人である。経歴を知らずにまず歌集を読み、後で経歴を知ってなるほどと腑に落ちるところがあった。それは住んだ街への思い入れの深さである。単に転勤でたまたま住むことになった街にこれほど愛憎を深く持つことはあまりない。ふつう街は単なる仕事の場であり、日常の風景に過ぎないからである。しかし、新聞記者ならば、その街に暮らす人と深く交わり、街の歴史と交差する機会も多かろう。『ドームの骨の隙間の空に』は、街への想いと人への想いが交錯し混じり合い、遂には見分けがたくなる瞬間をすくい上げ、時には投げつけたような歌集となっている。
 短歌研究新人賞候補作となった連作「ドームの骨の隙間の空に」から引いてみよう。
遡りも下りもしない川の水の 夕凪 この街に長い残照
八月以外の十一か月の広島にしずかな声の雨は降りくる
慣れてないふたりは「幸せ」の前で浅い呼吸をくりかえしていた
いっそまったく違う街になってしまえば 何度も何度も咲く夾竹桃
ある日は通しある日は撥ねたわたしというこの容れ物のこの卑怯な皮は
 この五首の中に谷村の短歌の特徴はすべて凝縮されている。その一は、上に述べた街への想いと人への想いの交響であり、街を詠っているのか人を詠っているのか判然としないほど両者は混じり合っている。谷村の歌に純粋な叙景はなく純粋な叙情もない。叙景は即叙情であり、その逆もまた真なのである。あとがきで谷村は、「それぞれの街と会話し、感情の深い部分で交わった」と言い、この歌集は恋文集のようなものだと述べている。
 その二は、街や人への思い入れがそのまま自分へと反照し、「私はこれでいいのか」という自己反省となって戻って来る点である。これは上に引いた五首目に顕著に感じられる。冒頭の掲出歌の「壊せわたしを」の結句や、「枯らしたのはおまえだという声にただ抗いたくて水撒く真夏」にもそのことは見える。街に対して人と同じように友情や恋慕の気持ちを抱く傾向は少女の頃からあったと、谷村はあとがきで述べている。この性向が高じると、人に代わって街のすべてを引き受けようという、途方もない意志が芽生えることになる。次の歌はそのような気持ちから生まれたものだろう。
送るホームで憚りもせず触れあえばそうそう、もっと、と死者たちの声
諍ったまま運命の朝を送り出した人もいるそのぶんまでいだ
 しかし他人に代わって街のすべてを引き受けることなど、到底なしうることではない。その街が重い歴史を持ち、死者の影が揺曳する街ならばなおさらのことである。だから谷村の試みは挫折する。挫折しながら何度も何度も繰り返す。破綻するべく運命づけられている行為を、それを知りつつなお繰り返すのは実存的営為に他ならず、そこに谷村の抒情の深い地層があるのだ。
 谷村の短歌の特徴のその三は、口語ベースの歌の律にある。栞文を寄稿した短歌人会の大先輩・藤原龍一郎は、谷村の短歌において五七五七七のリズムは内在律としてのみ意識されており、短歌界に現在流布している口語短歌とは似ても似つかないと述べている。藤原はそれ以上詳しく分析してはいないが、おそらく次のようなことが言いたいのだろう。谷村の文体の対極に位置するのは、例えば「月並みなことを言うけど幸せは過ぎ去ってから気がつくものだ」という加藤千絵の歌である。この歌では五七五七七は厳密に守られている。その意味では形式上は確かに短歌である。しかしここではリズム形式が外在律として外側から枷を掛けているにすぎず、短歌に必須の歌の内部から発生する内的リズムが完全に欠如している。現代の一部の口語短歌がフラットだと言われる所以である。谷村の歌の律はこれとはまったく異なる。ゆるやかに定型を守りつつも、字余り・字足らずの破調を多く含み、時にうねり時に疾走する内的リズムの変化が多いのである。このことは上に引いた「いっそまったく違う街になってしまえば 何度も何度も咲く夾竹桃」などの歌をつぶやいて見れば感じられよう。
会えば争うような気がして行かれない黒い川面を渡るこうもり
どの卓も同じ角度で完璧なビニールの薔薇咲く尼崎アマの店
父ちゃんと娘の前にひとつずつニュートーキョー大ジョッキは置かれ
おまえより多くの町で生きてきたおまえより辛いカレーを食って
昼ビール汗となり伝う首すじを許そう許しあおう死ぬまでを
 作者は昼間からビールを飲み、激辛カレーを食べ、球場で声を涸らして応援し、博多の祭りで踊り狂うという、男性的で行動的な性格であるらしい。一言で言えばハードボイルドなのである。そういえばハードボイルド小説では街がもうひとつの主人公となっていることが多い。ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズが描くボストン、ローレンス・ブロックの元アル中探偵マット・スカダー・シリーズの舞台ニューヨーク、そしてマイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズのロサンゼルスは、作品を読む大きな楽しみとして街が克明に描かれている。ハードボイルド小説の神髄は「卑しい街を行く孤独な騎士」だと誰かが言っていたが、谷村にも次の歌がある。野球観戦の歌である。
一晩中呼びつづけたい名のために濁った街を抜け球場へ
同じ月に照らされた夜を、同じ雨に包まれた夜を、記念日として
 「濁った街」と知りつつその街を愛し、安酒場でビールを呷る。これはハードボイルド以外の何物でもない。これに雨と夜を加えれば完璧な道具立てとなる。なぜハードボイルドになるかというと、それは心の底に慚愧の想いがあるからだろう。このため時に谷村の歌には破れかぶれの感じが漂うのだが、それが致命的な破綻とならず、かえって強さを感じさせるところがいかにもおもしろいのである。
 もちろん集中には次のような美しい歌もある。
諦めの海に浮かんだわたしたちは島、緩衝の水めぐらせて
この街に雪降るたびに降ったよと知らせるたびにそれはこいぶみ
東京のビール工場の屋上に海を嗅ぐわれら海の上に棲む
いま何かに赦されて会うわたしたち匂いのしない汗を流して
ブラインドにスライスされた青空を疲れ目は細く遠く探すよ
 しかし谷村の歌の真骨頂は、街への愛憎を恋歌へと昇華するその独特な気持ちの有り様にある。専業歌人の覚悟を固めた谷村が今後どのような歌を詠むのか楽しみなことだ。