第285回 近江瞬『飛び散れ、水たち』

開けっ放しのペットボトルを投げ渡し飛び散れたてがみのように水たち

近江瞬『飛び散れ、水たち』

 歌集題名が採られた歌である。「投げ渡し」という複合動詞で歌の場面には別の人がいることが知れる。同世代の若い友人だろう。目上の人や子供には、栓を開けたままのペットボトルを投げたりしないからである。中身の鉱泉水がかかっても、「おい、何するんだよ」で済む気の置けない相手だ。飛び散る水に、たてがみのように散れと命じている言葉は、実は自分たちに向けられた言葉でもある。たてがみはライオンや馬などの動物に見られるもので、ライオンでは雄に限られており、雄々しさの象徴である。次の歌のようにドアのノッカーと化していても、たてがみは凜々しい。

鬣に森の名残りの香を立たせ氷雨にむかうノッカーの獅子  

               山田消児『アンドロイドK』

 だから掲出歌は雄々しくありたいという願望を抱えた男子のまぶしいほどの青春歌なのである。

 結社誌『塔』の7月号で塔短歌会賞が発表され、昨年度の塔新人賞に続いて近江瞬が受賞した。よいタイミングなので『飛び散れ、水たち』を取り上げたい。

 近江瞬は1989年生まれ。短歌との出会いは書店の古本コーナーで偶然手に取った俵万智の歌集『あれから』だという。それから歌歴わずか5年だというから驚く。塔新人賞以外にも、歌壇賞、笹井宏之賞、短歌研究新人賞などで、最終候補や佳作に選ばれている。『塔』期待の新人と言ってよい。『飛び散れ、水たち』は今年 (2020年)の5月に刊行されたばかりの第一歌集で解説は山田航。

 山田も解説で指摘しているように、本書はまぶしいほどの青春歌集である。したがって詠まれている世界は少し過去のこととなる。そして季節は光溢れる夏である。

何度でも夏は眩しい僕たちのすべてが書き出しの一行目

僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った

黄昏に盗まれてゆく教室で君から充電コードを借りる

みずうみの波の始点となるような声にならない君の耳打ち

何歩目のグリコでしたか少年が大人の顔をし始めたのは

 一首目は巻頭歌。歌集を編む時は、誰しも巻頭にどの歌を置くかに腐心する。巻頭歌は歌集全体のトーンを決めるからである。「すべてが書き出しの一行目」は、それほど残りページがない身から見れば羨ましい限りだが、誰にもそういう時期があったのである。二首目、人の眼鏡を借りて掛けると、度数がちがうので世界が少しちがって見える。それを「世界を盗み合う」と表現している。この程度のことで笑い合えるのが若さに他ならない。三首目の教室は大学でもおかしくはないのだが、どうしても高校だと思えてしまう。四首目は女性の秘密の耳打ちを波の始点と捉えているところが美しい。五首目はじゃんけんでグーで勝ったら「グリコ」で3歩、パーで勝ったら「バイナップル」で6歩、チョキで買ったら「チョコレート」で6歩進むという子供の遊戯に子供から大人への変化を重ねた歌。

 上に引いた歌は屈託のないきらきらする青春である。しかし青春は光に満ちているばかりではない。そこには青春特有の影もまたある。

僕たちはまだ行き先すらも決められず丁字路にながくブレーキを踏む

てっぺんにたどり付けない服たちが落ち続けているコインランドリー

標識の行き先がみな未来だと突きつけられている帰り道

容器ではなくて剥がした蓋につくヨーグルトに似て、教室に僕

内側に未来を抱いてトイレットペーパーその芯だけは空白

 一首目は可能性と同義の将来の未決定という宙ぶらりんの状態におののく青春。二首目は、ドラムの中で回転して頂点に辿り着く前に落下する洗濯物に己の姿を見る歌。三首目も一首目と同工異曲の歌。四首目、自己評価の不安定もまた青春特有の現象である。特に同じ教室に学ぶ学友と自分を比較して、自分のランクはどのあたりと考えることが多い。この歌では自己評価は限りなく低く、蓋に付いたヨーグルトである。五首目、未来に広がる可能性という手形はもしかして不渡りかもしれず、自分の中身は空っぽだと詠う。しかしこのような影もまた確実に青春の一部である。

 はっきりと歌のトーンが変わるのは、三部構成の第三部からである。

塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々

上書き保存を繰り返してはその度に記事の事実が変わる気がする

あの時は東京で学生をしていましたと言えば突然遠ざけられて

僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空

避難路の整備のために立ち退いた寿司屋が廃業する八年目

 作者は宮城県の石巻市の生まれである。2001年の東日本大震災の時には、東京で大学生をしていた。実家に電話して「帰ろうか」と言うと、「食糧が一人分減るだけだから帰って来るな」と言われたという。それだけでも心が締め付けられる。大学を卒業後、東京で就職して働くが、思うところあって故郷に戻り新聞記者となる。第三部はそれからの歌である。

 一首目、被災地の支援は本来は現地の実情に即したものが必要だが、そうでないものもあるのが現実だ。善意で植えた花は塩を浴びた土地では育たない。二首目、同じ出来事でも何度も語るうちにその意味や重みが変化するように感じられる。三首目、震災の惨禍を共有できなかったという心の痛みは消えることがない。四首目、みんなが黙祷する時に目を開けているのは新聞のための写真を写すためである。仕事とは言え、ここでもみんなと気持ちを共有できないという心の屈折がある。だから翌日に「三月十二日の午後二時四十六分に合わせて一人目を閉じている」ということになる。五首目、震災からの復興事業のあおりをくらって廃業する店もある。間接的ながら震災の二次被害である。「あのときどうすればよかったのか」という問は、作者ならずとも多くの人の心にまだ棘のように刺さったままだろう。

 塔短歌会賞受賞作の「ネジCとネジE」にも触れておく。謎のような連作題名は、次の一首目に由来する。

ネジCが別の説明書の中でネジEとして使われている

売れているタンスを目立つ場所に置く売れているタンスが売れていく

クレームをアフターと言い換えている 貧乏ゆすりに気づいて止める

社員への打診があった片岡さんがそれから三ヶ月後に辞めた

どこまでを社員でいよう送別会終わりの駅で手を振りながら

退職後五日が過ぎたフロア内を客でも店員でもなく歩く

 作者は大学を卒業後、東京で家具店に勤務していた。受賞作は勤めを辞めるまでをていねいに構成した一連となっている。一首目は家具の組み立て説明書のなかで、同じネジがある説明書ではネジCと、別の説明書ではネジEと呼ばれていることに気づいた歌。ネジは汎用でありどこにでも使われる。唯一無二のネジというものはない。働く自分たちもまた交換可能な部品にすぎない。連作中で私がいちばんいいなと思ったのは六首目の歌である。ついこの間まで勤めていた店を、客でもなく店員でもなく歩いてみるというのは、会社を辞めてまだ次の勤めを始めていない宙ぶらりんの状態には解放感も伴うだろうが、同時にまるで自分が誰にも見えない幽霊になったような奇妙な感覚だったことだろう。

狭き空を飛行機雲が真四角に切り抜いて開く雨の入口

晩夏にブルーシートを掲げれば無数の光に変わりゆく傷

雨の降り始めた街にひらきだす傘の数だけあるスピンオフ

水風船ふくらんでゆく半分は蛇口のこぼす夏の吐息に

かごのなか収集車を待つ瓶たちの粉々になるほうの透明

飲み込んだ海の一部を返すとき魂のごと糸引く唾液

靴底に溜まった砂場の砂を捨て「あっ」とつかむ夏のひとかけ

句読点の付け足されゆく校正の各所で開く赤い雨傘

 印象残った歌を引いた。よく使われている語は「夏」「光」「青」「透明」で、これを見ても本歌集が青春歌集であることがよくわかる。ゼロ年代に登場した若手歌人たちは穂村弘に「ゼロ金利世代」と呼ばれ、リア充からはほど遠い不景気な日常を低いテンションで詠うスタイルが多かったが、近江はそれとは180度方向性を異にしている。その意味でも注目すべき歌集である。

 このようなキラキラした青春歌集を読むと時代の変化を感じないわけにはいかない。『現代短歌の全景 男たちの歌』(河出書房新社 1995)の座談会で小池光が、自分たちの若い頃は詩を作っていると言うと、尊敬されて大きな顔ができたが、短歌を作っていると言うと「おまえはばかじゃないか」と言われる雰囲気があったと発言している。小池の念頭にあった詩というのは、戦後詩を代表する田村隆一ら荒地派のことだろう。また別の所で小池は、俵万智の『サラダ記念日』の画期的な点は、それまでの短歌にまとわりついていたウラミから歌を解放したことだとも述べている。近江はおそらくそんな時代の雰囲気も短歌が内包する影も知らないだろう。そういう意味でも時代がひとつ回ったように感じるのである。