鏡面に揺るる水銀 カデンツァのゆび砕くごと冬はゆくべし
金川宏『アステリズム』
巻末のプロフィールによれば、著者の金川宏は1953年生まれの詩人・歌人である。一時「コスモス短歌会」に在籍したことがあるようだ。前歌集『揺れる水のカノン』(2018年)のあとがきによると、70年代半ばから80年代にかけて短歌を作っており、角川短歌賞の候補になったこともあるという。1983年に第一歌集『火の麒麟』、1988年に第二歌集『天体図譜』を上梓している。しかしあとがきで著者はこれを、「凡庸を絵に描いたような人生のなかでの、ただひとつの間違い」と書いている。書き溜めた短歌を筐底深く仕舞い込み、友人との交流から刺激を受けて『揺れる水のカノン』として刊行するまで、実に30有余年が経過している。「歌の別れ」は珍しくないが、短歌を離れてこれほど時間が経ってから再び短歌に戻るというのはそうあることではない。
第一歌集と第二歌集は入手不可能になっているが、黒瀬珂瀾がプログ「しづかに羽をこぼす毎日」で第一歌集『火の麒麟』を紹介している。それによると次のような歌が収録されていたらしい。また跋文は松平修文だという。
酔ひ醒めて戻り来れば神のごと月の光は椅子を占めゐつ
地の涯て焚かるるごとき夕映えや母を呼ぶべく咽喉ひらきをり
晩餐の果てたるのちの月光射せる卓にか黒し父の臓腑は
血の暗喩、微量のむらさき、少年の詩歌焚きゐつやよひきさらぎ
口に血のにほふゆうべを疾駆する従ふものはみな夭き死者
歌の選び方に耽美嗜好の黒瀬のバイアスがかかっているかもしれないが、それにしてもかなりの耽美ぶりである。歌集が出版された1983年がどういう時代だった短歌年表などで振り返ると、1982年には大塚寅彦が「刺青天使」で短歌研究新人賞を受賞し、加藤治郎が「スモール・トーク」で受賞するのは1986年である。1984年には紀野恵の『さやと戦げる玉の緒の』、栗木京子の『水惑星』、中山明の『猫、1・2・3・4』が出版され、1985年には仙波龍英の『わたしは可愛い三月兎』が世に出ている。俵万智が「八月の朝」で角川短歌賞を受賞するのは3年後の1986年である。あちこちでライトでポップな短歌が頭をもたげ始め、やがてライトヴァースとニューウェーヴの時代を迎えるとば口という時代である。『火の麒麟』は前衛短歌の血飛沫を総身に浴びた歌集であり、当時の短歌シーンの動向に背を向けて、超然と孤高を保っているようにも見える。
第三歌集『揺れる水のカノン』は、短歌と詩を並列した詩歌集という体裁を採っている。短歌部分から何首か引用してみよう。
鞦韆に微睡めばめぐり深ぶかと草を沈めてたそがれるみづ
おほいなる銀の胸鰭ゆふばえて風こそ渉れ死は近からむ
ひとときをこの世にありしなぐさめにひとみの奧処かりがねわたる
きみのあぶくとぼくのあぶくが壜の先端でまじはるなんて死んだあと
樹のあはひぬけて半身透りゆく九月のキリン黄昏を統ぶ
歌集の構成からも短歌と詩を接続しようとする意図が感じられる。『火の麒麟』のおどろおどろしい漢字の羅列と較べると、はるかに接近しやすく日常的な言葉が増えている。時々口語の混じった歌もあり、第一歌集の痙攣する美意識から、より日常的な詩の世界へと着地したようだ。また集中には「マドリガル」「カノン」「ジーグ」「Intermezzo」などの音楽用語が頻出していて、音楽との親和性も感じられる。
『アステリズム』は2023年刊行の第四歌集である。歌集題名の「アステリズム」(asterism)には、「星群、星座」という意味と、「星彩、星状光彩」という意味がある。後者は宝石などの結晶の頭を磨くと星のような形で生じる反射光をいう。つまりは夜空に輝く星と、宝石の内部に輝く星である。どちらの意味か決める必要はない。歌集はその冠を戴き、天空と宝石のあわいを漂う。栞文には、歌人の三田三郎、H氏賞詩人の峯澤典子、川柳の小池正博が寄稿している。ジャンルの壁を越境しようという姿勢がここにも感じられる。
『アステリズム』にも短歌と詩を並置したものが見られるが、前歌集に較べると詩が少なく短歌の分量がずっと増えている。4部に分かれた構成になっているが、あとがきがないのでどのような方針で歌を配しているのかわからない。読んでいて気づいたのは、最後の第IV部に来ていきなり古典和歌のような歌が多くなっていることである。たとえば次のような歌がそうだ。
夕づける野の空たかくかがやきて標のごときギンヤンマゆく
傘ふたつ野に消えゆきて春浅き墓のほとりは薄日射したり
ほほゑみははばたきに似てけふそらにはるけき永遠のことば失ふ
さざなみの音にとほざかる夢の橋こときれてのち揺らぐ言葉は
そののちもみやこはとほく風のなか焼べられてゆく草のオルガン
「夕づける」や「夢の橋」と来ればこれはもう美の共同体に支えられていた古典和歌の世界である。歌集最後の第IV部に置かれた歌が現時点での最終形態だとすると、作者は古典回帰を果たしたのかと疑ってしまう。しかし実際はそうではなく、歌の配列は編年体によらず、自由に構成されているとみえる。というのも歌集冒頭近くには次のような歌が並んでいるからである。
猫の骨が透けてみえるようなひかりで組み立ててみる午後からのこと
たえず小さな叫喚にみちて涸れ井戸の騙し絵を昇る月球
感嘆詞に追いつくまでもう秋の気配を翳らせているきみのゆび
なんの旗か雨昏のなかにはためきてけぶるがにみゆしろき階
みずたまりが発光し羽化したばかりの女の子が溺れている地下駐車場
定型をほぼ守っている第IV部の歌に較べると、韻律がより自由で破調を恐れない作風である。たとえば一首の上句は19音あり、意味で区切ると「ねこのほねが / すけてみえるような / ひかりで」と6・9・4となる。二首目の上句は「たえずちいさな / さけびにみちて / かれいどの」で7・7・5である。五首目に至ってはもう韻律を頼りにして区切ることすらできない。これは明らかに一行詩である。
短歌と一行詩を区別するものは何か。これは答えるのがなかなかに難しい問である。すぐに思いつくのは五・七・五・七・七の韻律だろう。しかし増音・減音の破調は珍しくないし、前田夕暮らが目指した自由律短歌というものもある。近現代短歌に限っていえば、歌の中の〈私〉の比重という答もある。近現代短歌は「自我の詩」であり、「私性」を基盤とする。しかし近代的自我の確立以前の古典和歌に「私性」は乏しい。「駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井手の玉川」という藤原俊成の和歌に近代的な「私性」は見られない。一首の意味の収斂と結像力という見方もできる。ときには短歌的喩の力も借りつつ、短歌は一首としてひとつの意味へと収斂し、その意味を支える視覚像を結ぶ。「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血のほのか汚るる皿をのこして」という小池光の短歌を例に取ると、この歌はただひとつの場面を描いており、全体としてその指向する意味は「生の不安」だろう。一般に詩は、このようにひとつの場面がひとつの意味に収斂することがない。むしろ詩では、日常的でない意外な言葉の組み合わせと統辞法の脱臼を駆使して、イメージを散乱させることでポエジーを生み出そうとする。例えば次の例がそうだろう。
旗
尖塔を支えている蔓草
犬の影の疾駆
拇指のような雲が影を落とす 朝の奏楽
石の恋人の黒い靴下どめ
入沢康夫詩集『倖せ それとも不倖せ・続』所収「古い夏の絵はがき」
一行詩と短歌を区別は、上に挙げた要因のどれかというわけではなく、おそらく全部が異なる配合比率に基づいて競合することによってかろうじて感じられるのだろう。
金川の短歌を見てみよう。
みずのなかに繁っているのはひとのこえ饗宴すぎてウォルター・デラ・メアの冬
韻律は七・八・五・五・十一で破調だが、中央の五・五にかろうじて短歌的韻律が残っている。ふつう水の中に繁っているのは水草だが、それを「ひとのこえ」にずらし、次に「饗宴すぎて」へと統語と意味が飛躍する。この飛躍が詩の成分だ。そして結句はイギリスの児童文学と怪奇小説の作家のウォルター・デラ・メアへとまた飛ぶ。一首全体としてひとつの視覚像を結ぶことがなく、ひとつの意味へと収斂することもない。むしろ外部へと拡散することで、世界を構成する様々な意味へと繋がろうとしているようにすら見える。また短歌の背後に見えるただ一人の〈私〉という私性からはるかに遠いことも、金川の短歌を一行詩へと寄せている要因である。
最後に美しい歌をいくつか引いておこう。
パッサカリアの波紋たちたり鳥墜ちて昏き緑の日々の鏡面
ひかりにも墓場があって布をめくるときいっせいに飛び立つ、鴫は
ビルのあわいあゆみいたれば夕光おんがくのごとうつしみに響る
弓兵の眼をして見ているきみの背中を縦に流れてゆくひかりの河
ミクソリディアン音階かけのぼってゆくひとひらの雪きみのゆびさき
かつて発したかたちのままに唇から放電している最後の間投詞
五首目のミクソリディアン音階とは、ドレミファソラ♭シドのように、シの音が半音下がっている旋法をさす。帯文にも書かれているが、金川の好みの語彙は、鳥、火、光、水、鏡、樹のようだ。短歌として読んでも、一行詩として読んでもよい。入念に選んで配列された言葉の中に没入すると、この世界にどこか似ている不思議なワールドに迷い込んだような気分にさせられる。そんな歌集である。