第79回 雪舟えま『たんぽるぽる』

目をあけてみていたゆめに鳥の声流れこみ旅先のような朝
               雪舟えま『たんぽるぽる』
 私が雪舟えまの名を初めて知ったのは、2000年(平成12年)という区切りのよい年に刊行された『短歌研究』誌の創刊800号記念臨時増刊号「うたう」だったと思う。今から11年前に発行されたこの号は、現代短歌を俯瞰するために参照することが不可欠な雑誌となった。加藤治郎がよく「うたう」以前と「うたう」以後という言い方をする所以である。穂村弘・加藤治郎・坂井修一が審査員となった「うたう作品賞」という企画が、それまで歌壇に縁のなかった短歌作者を掘り起こしたのだ。そこには電子メールというインターネット媒体を用いた作歌指導というこの企画の方針が関係している。受賞したのは盛田志保子「風の庭」だったが、入選作に雪舟えまや佐藤真由美が名を連ね、候補作には天道なお、秋月祐一、天野慶、石川美南、加藤千恵、赤本舞(今橋愛)、柳澤美晴、玲はる名らが居並ぶ壮観である。
 「うたう」は新しい短歌作者の輩出というだけに留まらず、現代短歌における文体の変容という点でも画期的であった。それは同号の特別座談会での穂村弘のキーワード「棒立ちのポエジー 一周まわった修辞のリアリティ」によく表されている。この座談会よりも「みぎわ」22号(2004年)に穂村が寄稿した「棒立ちの歌」という文章の方が簡潔にまとめられているので、そちらを参照すると、穂村は概ね次のようなことを述べている。
 80年代に登場した中山明、紀野恵、大塚寅彦らは文語を含む高度な修辞を駆使し、短歌言語という非日常的な言語にリアルな思いを乗せることができたが、彼らを最後にそのような作者は絶滅した。例えば「わたくしにあらぬおみなご引き連れていづこにおはす水晶の夏」という紀野恵の歌では、個人の想いに対して「うた」が上位のレベルにある。ところが若い作者においてはその関係が逆転している。例えば「たくさんのおんなのひとがいるなかでわたしをみつけてくれてありがとう」という今橋愛の歌では、一首全体が〈私〉の想いそのもので、それがそのまま「うた」になっている。これが「棒立ちの歌」である。一見散文的に見えた俵万智の歌でも、句またがり、対句、序詞、体言止め、比喩など、「うた」を成立させる工夫が必ず含まれていた。ところが若い作者にはそのような修辞上の工夫がなく、〈私〉の想いと「うた」のレベルが急速に平準化している。その理由は「うた」以前の問題として、自己意識がフラット化しているためで、若い世代にはそれ以前の世代に見られた気取り、衒い、生意気さ、形而上的志向といったものが見られない。よく言えば最初から地に足がついているのである。
 「うたう」で明確に前景化されたこの自己意識のフラット化と〈私〉の想いと「うた」のレベルの平準化という傾向は、あれから11年経過してますます進んでいるように見える。その傾向は今回取り上げる雪舟えまの歌集にも顕著に見ることができるのである。
 雪舟は1974年札幌生まれ。北海道では小林真美名義ですでに活動していたらしく、跋文で松川洋子が雪舟の札幌時代のことに触れている。1997年「かばん」入会、すでに述べたように2000年の「うたう」作品賞で入選、2009年に短歌研究新人賞で次席。ちなみにこの年の新人賞受賞者はやすたけまり。『たんぽるぽる』は雪舟の第一歌集で、「たんぽぽがたんぽるぽるになったよう姓が変わったあとの世界は」という歌から題名が採られている。結婚して姓が変わった違和感を詠んだものである。帯文は東直子、穂村弘が朝日新聞の6月26日の書評欄で取り上げて褒めている。
 やすたけまりの歌集「ミドリツキノワ」にも言えることだが、『たんぽるぽる』の基調をなすのは女子的世界観に染め上げられたメルヘンで、正直言ってオジサンにはキツい。
おんなじパックに入れてよかったね、きょうだいらしいあさり二つは
雨の中うさぎに雨を見せにゆくわたしをだれも見ないだろう
どの恋人もココアはバンホーテンを買いあたしの冬には出口がない
死だと思うアスタリスクがどの電話にもついていて触れない夜
春雷は魂が売れてゆく音額を窓におしあてて聞く
 しかしその点は当面無視することにして、短歌としての造りを見てみよう。「うたう」以後の若手歌人に共通するのは、一)緩い定型意識 二)平仮名の多用 三)喩の少なさ 四)区切れの不在 だろう。
 まず一)だが、概ね定型に準拠しているものの、型としての意識は低く、その結果として句割れ・句跨りも少ない。句割れ・句跨りは強い定型意識があって初めて修辞として成立するからである。例えば掲出歌「目をあけてみていたゆめに鳥の声流れこみ旅先のような朝」を見てみよう。三句目までは定型だが下二句「流れこみ旅先のような朝」は15音でうまく区切れない。同じことは引用したほとんどの歌について言える。
 二)は今さら言うまでもない。
 三)はやや評言を要しよう。加藤治郎は80年代後半に始まったニューウェーヴ短歌を「修辞ルネサンス」と呼んだ。写実に基礎を置く近代短歌が否定した枕詞・序詞・掛詞・言葉遊びなどを復活させたという一面があるからである。ニューウェーヴ短歌を特徴づけるのが修辞だとすると、穂村が棒立ちの歌と呼んだ「うたう」以降の若手の短歌の特徴は修辞の不在である。なかでも喩が少ない。上に引いた雪舟の五首はランダムに選んだものだが、喩らしきものは五首目の「春雷は魂が売れてゆく音」しかなく、これすら喩かどうか定かではない。喩が少ない理由は、若手歌人は「ヒリヒリするような切実な想い」を短歌によって表現しようとしているため、喩は想いのストレートな伝達の障害となるからである。喩は言語表現として意味が圧縮されているため、解凍と解読を必要とし、ストレートな伝達には向かない。
 四)もこの点と深く関係する。区切れは歌の内部空間に広がりを付与し、また永田和宏が「問と答の合わせ鏡」と呼んだ内部構造を形成するために不可欠なのだが、若手歌人にはそれが邪魔なのである。それは「想いのストレートな伝達」を最重要視しているからだ。吉田弥寿夫はかつて、「内容が統一的であり、しらべにも切れがない方法は、モノローグ的発想であり、集団から阻害(ママ)された単独者のもの」と述べた(『雁』4号)。この評言が実によく当てはまるではないか。
 こうひとくくりにするのが乱暴であることは承知の上で言うが、若手歌人の短歌に不足しているのは何だろうか。それは「〈私〉の想い」に向き合うのと同じくらいか、それ以上の熱情をもって、「言葉」に向き合う姿勢ではなかろうか。定型という便利な器に乗っかって「〈私〉の想い」を述べようとすると、流れにプラスチック製のボートを浮かべたように、するすると抵抗なく下流へと下ってしまう。もちろんするすると下ってはいけないのである。それはあまりに安易な道だからだ。短歌定型という急流に逆らって上流へと這い登るくらいでなくてはならない。それは定型を問う姿勢である。
 なかはられいこ『脱衣場のアリス』巻末に収録された座談会で、穂村は次のような発言をしている。穂村は「えんぴつは書きたい鳥は生まれたい」という中原の句をよいとする意見に反対し、それより「五月闇またまちがって動く舌」「開脚の踵にあたるお母さま」の衝撃力の方が勝っているとする。その理由は「えんぴつ」は初めから持っていた世界観を表現したに過ぎないのに対して、他の二句はフォルムの要請というか、定型で書いて来てその中でつかみ上げた言葉であり、そこには認識の更新があるからだという。
 ここには傾聴すべき意見がある。穂村の言うことを私なり変奏すると次のようになろう。物性物理に固有振動数という概念がある。どのような物体にも自然に振動させた場合に持つ振動数というものがある。物体にその固有振動数を与えた場合、共振という現象を起こして強く振動する。ところが固有振動数からかけ離れた振動を与えても、あまり大きな振動を起こさない。地震が起きたときに建物のよって被害の大きさが異なるのは、建物の固有振動数が異なるからである。
 この概念を比喩的にずらして、言葉にも固有振動数というものがあるとは考えられないか。「ごはんを食べる」と「決議を採択する」は振動数が異なる。前者は日常的場面で用いられ、後者は公的場面で用いる。混在すると「ごはんを食べてから、決議を採択する」となって、明らかにおかしい。また「自転車」と「走る」はよく似た振動数を持つので、同時に用いられやすい。一方、「洗濯機」と「宇宙」はかけ離れた振動数を持つため、並べて用いられにくい。
 詩の言葉の発見とは、使い古された言葉の振動数帯を離れて、あえて異なる振動数の言葉を連接することで新奇な美を創り出すことである。だからそれは事前に持っていた世界観を言葉で表現することではなく、定型と格闘するなかで、自分にとっても思いがけない言葉の組み合わせを発見することである。
 「うたう」以降の若い歌人たちに欠けているのは、このような意味で言葉に向き合う姿勢ではなかろうか。読む者の認識を更新する歌を作ってもらいたいと思うのである。
 雪舟の歌集をきっかけに書き連ねて来たが、もちろん雪舟の短歌のすべてが「うたう」以降の若手歌人の陥穽に陥っているというわけではない。集中では次のような歌に注目した。
ジャンヌダルクのタイツの伝線のごとき流星に遭う真夜のごみ捨て
わたしの自転車だけ倒れてるのに似てたあなたを抱き起こす海の底
傘にうつくしいかたつむりをつけてきみと地球の朝を歩めり
硝子戸にぶつかる燕 忽ちにインクにもどりそうなつばめよ
苦しげに水を漏らしている機械抱きたい夏の入り組む道で
わたしたち依りしろのよう花火へと向かう人らに心あかるむ
 一首目には明らかに定型意識が働いている。また「ジャンヌダルクのタイツの伝線のごとき」までが流星にかかる枕詞的な喩で、下句の本体よりも喩が前面に出てくるおもしろさがある。ちなみにジャンヌダルクはどんなタイツを穿いていたんだろう。二首目では、「わたしの自転車だけ倒れてるのに似てた」で切れるのか、それとも「あなた」に連体修飾句としてかかるのかわからず、わからないのが瑕疵とも言えず、意味とイメージがたゆたう所がかえってよい。それが海の底のゆらゆらするイメージとよく符合している。三首目「傘にうつくしいかたつむりをつけて」は17音だが、5・7・5にうまく切れないので定型からは外れている。しかし傘についたかたつむりという極小と地球という極大の組み合わせが詩を生む。四首目はガラスにぶつかった燕がインクに変化するという見立ての歌だが、「もどりそうな」と言っているから、燕は元はインクだったということになる。これもイメージの美しい歌である。五首目の機械は詞書から故障してばかりの洗濯機ではないかと推測されるが、そう取らずともよい。上句はやり場のない苦痛の喩と取ってもよい。この歌には珍しく句切れがあり、上句の喚起する不思議なイメージを、下句の具体的な場面設定が受け止めるという短歌的構造になっている。六首目の「依りしろ」とは、神や霊などが憑くものを言う。「わたしたち」は依りしろのように魂が浮遊したような状態なのだが、花火見物に出かける人波に混じって自分を取り戻すというくらいの意味だろう。
 いろいろと書き連ねたが、歌人は第二歌集で決まるというのが小池光の持論である。今後の活躍に期待したい。