第48回 高山れおな『荒東雑詩』

七夕や若く愚かに嗅ぎあへる
        高山れおな『荒東雑詩』
 新暦の七夕はまだ梅雨の最中で、暑さもさほどのことはなく、雨が多くて夜空に銀漢を拝むことも稀である。ここはぜひ旧暦でなくてはならない。旧暦7月ともなれば、暑さは厳しさを増して、室内でじっとしていても汗が噴き出す。掲句はこういう日本の気候を背景に読むべきだろう。ただし七夕は秋の季語である。伝承では七夕は牽牛と織女の年一度の逢瀬の日。その伝承と二重写しのように、若い男女が逢い引きをしている。嗅ぐのは体臭と汗の匂い。場所は冷房もない狭いアパートがよろしかろう。句のポイントは「愚かに」。こう言い切れる作者は確かに中年である。若い頃の性愛の深さと愚かしさを言い当てて、間然とするところがない。
 私は俳句の世界に暗いので、高山れおなという俳人は、名前の響きから女性だとばかり思いこんでいた(付記参照)。ところが実は男性で、しかも高山れおなは俳号ではなく本名だという。世界はまことにワンダーに満ちているのである。略歴によると、高山は1968年生まれ。1993年に同人誌「あに」に参加し、第一句集『ウルトラ』でスウェーデン賞を、第二句集『荒東雑詩』で加美俳句大賞を受賞している。角川の『現代俳句大事典』によると、「豈」は1980年に摂津幸彦・大本義幸・藤原月彦らが創刊した同人誌だという。「豈」は「あにはからんや」と言うときの「あに」を漢字で書いたもの。藤原月彦は藤原龍一郎の俳名。摂津幸彦は私の憧れの俳人で、沖積舎版の『摂津幸彦全句集』も愛蔵している。1996年に急逝したのが惜しまれてならない。高山は摂津の薫陶を受け、「豈」が輩出した俊英の一人である。句集から読み取ると、どうやら写真関係の出版社勤務のようだ(注1)。『現代俳句100人20句』の編集委員から作句信条を求められ、高山は「和歌無師匠只以旧歌為師」と定家の言葉を引用してこれに当てた。「和歌ニ師匠ナシ タダ旧歌ヲモツテ師トナス」と読み下すのだろう。先人の残した歌だけが私の師だというのだ。潔い態度である。
 掲句は「七夕や」で一句切れがあり、季語も含まれているので、見かけ上は有季定型句である。句集も新年・春・夏・秋・冬と季節の部立てで構成されている。しかし本句集に収録されている句は一筋縄ではいかない。高山は伝統的な有季定型を否定はしないものの、言葉と言葉の軋み合いから発光する言語の美を追究する前衛俳句とも親和性がある自在な句風のようだ。高山はかねてより、「俳句の本質は何か」を問う俳句本質論は俳句にとって有害無益だと論じており、その自由な態度は本句集にも現れている。私が一読して得たのは、俳句とは「出会いがしらの文芸」だという感想である。本句集にもさまざまな人や物との出会いがある。例えば次のような人との出会いの句はどうだろう。
菜採須児なつますこわらふ水玉の恒河沙
犀省二河馬稔典とわかくさ食ふ
荒星のふるさとあらむ歌姫に
 一句目には、草間彌生がフランスから勲章をもらい、その授与式に出席したとの詞書がある。草間は1970年代からハプニングなどの前衛芸術活動を展開、その後アメリカに渡ってオキーフの知遇を受けた芸術家である。トレードマークは毒々しいまでの水玉模様で、瀬戸内海に浮かぶ直島の埠頭には草間の制作した水玉カボチャが鎮座していて、人気がある。恒河沙ごうがしゃは数の単位で10の52乗、ひいては無限の意。「水玉の恒河沙」は詩的転倒で、無限に増殖する草間の水玉模様をさす。「菜採須児」は万葉集冒頭の雄略天皇の歌から。水玉模様の服を着て授与式に出た草間の様子が、無邪気に笑まう乙女のようだったのだろう。句が生まれる契機は眼前にある草間本人だが、そこから万葉集の過去へ飛び、さらに恒河沙によって無限の宇宙へと飛翔するような飛躍感が大きい。俳句の妙味のひとつに、17音の狭隘な容れ物にどれだけ大きな時空間を抱え込めるかという点があるが、大きな広がりを感じさせる句である。こういう句が出会いから生まれるところにまた面白味がある。
 二句目は奈良東大寺を訪れた際の句。省二は写真家の大竹省二だろう(注2)。稔典はネンテンさん、こと坪内稔典。写真家と俳人に同行した仕事の旅行のようだ。大竹省二と坪内稔典が犀と河馬に擬せられ、「わかくさ食ふ」により一座に動物園のごとき茫洋とした雰囲気が現出する。「わかくさ」はもちろん奈良の若草山と響き合う。集中には「たんぽぽのたんのあたりが麿ですよ」の句があり、これは坪内の「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」という句を踏まえたものである。このように高山の俳句は眼前の景を詠む写生句ではなく、先人の残した膨大な俳句空間を自在に渉猟し、過去の作品と響き合う作りになっている。読む方も句とともに時空を超えた文芸空間に導かれる。それを読み解くのが楽しい。もっとも、句の背後に何かありそうなのに、こちらの知識と想像力が限られているため、読み解けない句も少なくはない。 
 三句目は椎名林檎のコンサートに行った人から、下克上バッジなるものをもらった折りの句。荒星あらぼしは凍てつく冬の夜空に光る星の意で冬の季語。椎名林檎のエキセントリックな歌と下克上という言葉が生み出した連想だが、すぐに「荒星や毛布にくるむサキソフォン」という摂津幸彦の句が思い出される。冬の星座と音楽に響き合うものがあるのだろう。
 このように一句ごとに鑑賞しているといくら書いても終わらない。印象に残った句をいくつか引いてみよう。
日へみなぎる大陸の沙鬼房逝く
永き日の歪める真珠バロックを吐く妻であれ
貝寄風に目のあけられぬ蒙塵や
無着陸告天子からなみだ降る
六月の空おんがくのやうに降る
王の死の午後かと思ふほほづき市
金魚玉舐めて味なきむかし哉
八月や我に霊式戦闘機
底紅や人類老いて傘の下
 一句目の鬼房は、2002年に亡くなった俳人の佐藤鬼房。「毛皮はぐ日中桜満開に」の句がある。三句目の「貝寄風かいよせ」は、陰暦2月20日頃に吹く西風。この風で寄せられた貝殻を拾い集めて、大阪の四天王寺で聖徳太子を祭る造花を作るという。四句目は三橋敏雄への挽歌で、告天子こくてんしはヒバリの別称。7句目の金魚玉は、夜店で買った金魚を入れる球形のガラス容器で、今ではもう見なくなった物を惜しむ挽歌。8句目はもちろん零式戦闘機と掛けた戦死者を偲ぶ歌である。底紅は中心部が赤いムクゲの花。摂津幸彦の7回忌の折に作られた句である。どうも挽歌に印象深い句があるように思えるのは、私の個人的嗜好のせいか。
 折しも『短歌研究』2月号が、「五七五+七七ではあるけれど」と題して、短歌と俳句を比較する特集を組んでいる。座談会の参加者は、短歌と俳句の両方を作る藤原龍一郎、江田浩司、奥田亡羊と、俳人の櫂未知子。座談から短歌と俳句の生理のちがいがあぶり出されておもしろい。櫂はたとえば今日満開の桜に出会ったとして、その景色に対する敬意が季語だという。すると季語以外の部分に櫂未知子の〈私〉が入るのかと問う藤原に、櫂はそういう意識がないと答えている。「この場所で今私が作った」その私が櫂でなくてもかまわないのかと重ねて問う藤原に、櫂は「いっこうにかまわない」と断定している。続けて、句はある日天から降って来るもので、自分以外の人に降って来てもいいのだという自在さである。おしなべて歌人の方が〈私〉の表現に固執する傾向があり、俳人は切って句の大きさを実現するので〈私〉を表現しない。「短歌の七七の未練がましさが好きだ」という藤原の発言は、このちがいをよく表していると言えるだろう。歌人の未練がましさと比較して、俳人のいさぎよさが際だつように思える。
 詞書が多用されているのが『荒東雑詩』のひとつの特色で、言わないことを以て良しとする俳人には珍しい多弁の印象がある。その詞書のなかには短歌も混ざっていて、「桜桃の種吐きつのる黙深く、善を求めて悪をなすべし」「守るべきひとつだになき白昼の氷いちごをつつく四、五人」などがあるが、どこか歌人の作る短歌と肌合いがちがっているところがまたおもしろい。これでもかと力む歌人にたいして、力が抜けているとでも言うのだろうか。『荒東雑詩』はそんなことまで考えさせてくれる。
【付記】
 今日の午後にでもこの文章をサーバにアップしようと考えていたまさに本日5日、朝日新聞朝刊の歌壇俳壇欄の俳句時評の担当が五島高資から高山れおなに交替になるという記事が掲載された。略歴と写真があり、確かに高山は男性であることを確認した。高山はなかなかの論客と聞く。これから時評を読めるのが楽しみである。
(注1) 高山は「芸術新潮」の編集者とのこと。
(注2) 省二は大竹省二ではなく、句集『鯨の犀』のある岡井省二のことだと、高山ご本人からご指摘をいただいた。曖昧な推測で物を言うと怖い。お詫びして訂正する。