第117回 佐藤弓生『うたう百物語』

一本の避雷針が立ちじりじりと夕焼の街は意志もちはじむ
                   浜田到『架橋』
 今回話題にするのは佐藤弓生『うたう百物語』(メディアファクトリー、2012)である。あとがきによると、怪談専門誌『幽』に連載した文章をまとめたものだという。世に怪談専門誌などというものがあることにまず驚くが、お寺の住職を読者とする『寺門興隆』とか、養護教諭向けの『保健室』などという雑誌まであるのだから、怪談専門誌があってもおかしくはない。日本は世界に冠たる雑誌王国なのだ。ちなみに本書の帯文は道尾秀介と穂村弘。表紙装画は黒田潔。いつもの線描イラストではなく、黒の背景に花と昆虫を配した耽美的な絵である。装丁は名久井直子。錦見映理子の歌集『ガーデニア・ガーデン』の装丁を手がけた人で、今注目の装丁家である。
 『うたう百物語』の構成は、一回分が見開き2頁弱の掌編に短歌を一首添えるという形式になっている。題名の「百物語」は伝統的な怪談話の形式で、起源は不明ながら室町時代に遡るともいう。和室に百本の蝋燭を灯し、その場に集まった人が一人怪談話をするたびに蝋燭を一本消してゆく。百本の蝋燭を消したとき、本当の妖怪が出現すると言われている。時には99本の蝋燭を消した段階で話を止めて、朝を待つこともあるとされている。おもしろいことに『うたう百物語』も99話までは掌編と短歌の組み合わせだが、百話目は読者を怪談話会に誘う内容の掌編のみで、短歌は添えられていない。これは本書に佐藤が施した楽しい仕掛けで、百話目の歌は読者自身が詠ってくださいということである。
 注目したいのは掌編と添えられた短歌の関係性である。あとがきによれば、佐藤は連載を始めるに当たって、最初は怪しい短歌を選び、その中にある物語を読み解いてゆくつもりだったという。ところが物語は中ではなく外からやって来た。短歌の前に立ったとき、背後から別の物語が聞こえて来たという。つまり短歌と掌編とは独立したものであり、その間に交感し照応する関係があるということだろう。
 しかし「怪しい短歌」とは何だろうか。佐藤が選んだのは次のような歌である。
きりわけしマンゴー皿にひしめきてわが体内に現れし手よ  江戸雪
鉄門の槍の穂過ぎて春の画の少女ら常春藤きづたの門より入れり
                             山尾悠子
包丁に獣脂の曇り しなかつた事を咎めに隣人が来る  魚村晋太郎
鈍色の客車ひとつら黄昏を地下隧道に入りて出で来ず  山田消児
夕ぐれといふはあたかもおびただしき帽子空中を漂ふごとし  玉城徹
 確かに何やら不穏な気配の漂う歌ではある。江戸の歌の「わが体内に現れし手」は何かの比喩だと思われるが、字義通りに取るとシュールである。山尾の歌にも不思議な感じが満ちている。魚村の歌に登場する包丁はいったい何を切ったのだろう。玉城の歌も比喩なのだが、歌に置かれると比喩が実体的な視覚性を帯び、あたかもルネ・マグリットの絵を見ているような印象を与える。余談ながら山尾悠子の歌が引かれているのが嬉しい。佐藤自身もSFを書いているので、違う畑の人ではないのだ。
 ではこのような歌に佐藤が添えた掌編はどのようなものか。たとえば江戸の歌に寄り添う掌編は、お腹に胎児を宿した女性が数時間前に男から聞かされた偽りの言葉を反芻し、「どんな言葉も、自ら死ぬことはできない。異常細胞と同じだ。言葉は分裂と増殖を始めてしまった」と感じる。そして「傍らで眠るこの人の、偽りを話す口を、塞いでしまわくては」と締めくくられている。「わが体内に現れし手」を文字通り胎児の手に見立てて紡がれた幻想である。
 佐藤の紡ぎ出す掌編は、時に短歌に付き、時に短歌から離れた詩空間に飛翔して、読者を幻想の糸に搦め取る。できれば夏の夜か秋の夜長に、芳醇な香りのウィスキーをちびちびと舐めながら、ひと晩に一編を読むとよかろう。ふだん目にする機会の少ない夢野久作や中島敦の短歌に触れることができるのも楽しい。
 ちなみにいろいろな短詩型文学に触れることができるという点でお勧めなのは、斎藤慎爾編の三部作『短歌殺人事件』『俳句殺人事件』『現代詩殺人事件』(光文社文庫)である。それぞれ短歌・俳句・現代詩を素材に用いた推理小説を集めたアンソロジーで、『短歌殺人事件』『俳句殺人事件』では、頁の欄外に現代を代表する短歌と俳句が添えられていて、一粒で二度美味しい。『現代詩殺人事件』には佐藤弓生の「銀河四重奏のための6つのバガテル」という短編が収録されている。
 最後に集中で私が最も好んだ掌編を紹介しておこう。語り手はタクシーの運転手。深夜に大きな花束を抱えた一人の客を乗せる。客は隣の県の半島の南端まで行ってくれという。走り出すと、客は一人のはずが、後部座席にはいつのまにかもう一人いて、二人の輪郭は怪しく溶け合い、植物の芳香と動物の体臭が強く匂う。やがて夜明けとなり目的地が近くなったときに、「海岸まで降りますか」と問いかけると客は次のように答えた。「ここで、いいです。ここがいい。もう急ぐことはありません。分かれたあとは僕たち、とてもお腹がすくんです。」(原文では「分かれた」に傍点)
タクシーの後部座席が祭域となる 沈黙のぼくらを乗せて  黒瀬珂瀾