第126回 堀合昇平『提案前夜』、木下龍也『つむじ風、ここにあります』、鯨井可菜子『タンジブル』

雑踏の中でゆっくりしゃがみこみほどけた蝶を生き返らせる
          木下龍也『つむじ風、ここにあります』
 九州の書肆侃侃房から若い歌人の歌集を世に出す「新鋭短歌シリーズ」第1期全12冊の刊行が始まった。監修者は加藤治郎と東直子。書肆侃侃房は急逝した笹井宏之の歌集『ひとさらい』『てんとろり』を出した出版社で、その縁で今回の版元を引き受けたものと思われる。若手歌人が歌集を出すのは経済的にもなかなか難しいことなので、今回のシリーズの企画を喜びたい。第一回配本は、堀合昇平『提案前夜』、木下龍也『つむじ風、ここにあります』、鯨井可菜子『タンジブル』の3冊で、今回は3冊をまとめて取り上げる。歌集3冊の一気読みはなかなかキツいが、あとがきの隅々まで読んだ。
 堀合昇平は1975年生まれで、2008年から未来短歌会に所属して、加藤治郎の選を受けている。2011年に未来賞を受賞した実力派である。コンピュータメーカーに勤め人として勤務している。なぜ短歌に興味を持ったのか、いつから作歌しているのかは詳らかではないが、近代短歌の本流を行く堂々とした作風である。
結び目をほどけば匂い立つ汗を見果てぬ明日の手がかりとする
全身が痺れるような提案のキラーフレーズ浮かばぬ夜は
ああ我の周辺視野に口づけの角度で眠るかなしいおとこ
ああ夏は行方も知れぬ夕暮れにじいちゃんと飲むドクターペッパー
ゼリー菓子の包みをひらく指先のざわめき止まず 炉の冷えるまで
敗北の暗喩のごとき夕立のなか噛みくだすミントタブレット
 『提案前夜』の大部分を占めるのは、上に引いた最初の3首のような職場詠である。作者はコンピュータメーカーの社員として、社内で企画を提案し顧客にシステムを営業販売する仕事をしている。『提案前夜』という不思議な題名は、2首目のような社内会議での企画提案を明日に控えた眠れない夜をさす。1首目の果てしなく見返りのない労働の汗、2首目の不眠の夜の煩悶、3首目の悲しい職場風景、このようなものが作者の歌の主題である。いつから日本の会社は社員を死ぬまで働かせるようになったのか知らないが、大手企業でもブラック化しつつある現代の労働風景を執拗に歌にしている。厳しい労働環境に生きる作者にとって、短歌は心の拠り所であり、深夜、家族が眠る家に帰宅し独り歌を作ることによって、心の悪魔祓いをしているのだろう。
 4首目と5首めは、祖父の葬儀のために岩手県の海岸地方に帰郷した折りの歌である。4首目では祖父とドクターペッパーのちぐはぐな取り合わせが、祖父を失った悲しみをよく表現している。5首目は火葬場で遺体が焼き上がるまでを待つ親族たちの光景。今回呼んだ3冊の歌集に共通して登場するアイテムが、6首目のミントタブレットすなわちクリスプなのがおもしろい。時代は清涼感を求めているのか。
 堀合の作風はニューウェーブ風というより、はるかに近代短歌に距離が近く、腹にズシンと響く歌である。なかでも次のような歌に作歌技術と感性の冴えを感じる。
新月の夜の更けゆけば停止線わずかに越えて停まるプリウス
選択に余地あることの幸せは 洗顔フォームを伸ばす手のひら
たましいのごとき一枚をひきぬけば穴暗くありティッシュの箱に
 木下龍也は1988年生まれ。結社には属さず、山口県に住みながら穂村弘の「短歌ください」などに短歌を投稿している無結社、ネット系歌人である。2012年全国短歌大会大会賞受賞。男性歌人がスーツを着てグラビア雑誌よろしく写真に納まっている「短歌男子」(2013)にも参加している。『つむじ風、ここにあります』は非常におもしろく読み、付箋もたくさん付いた。
花束を抱えて乗ってきた人のためにみんなでつくる空間
中央で膝を抱える浴槽の四方のバブが溶け終わるまで
包丁を買う若者の顔つきをちゃんと覚えておくレジ係
生前は無名であった鶏がからあげクンとして蘇る
鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい
救急車の形に濡れてない場所を雨は素早く塗り消してゆく
 木下の持ち味は、平易な口語でポエジーを立ち上げる言語感覚と、見過ごしそうな生活の些事を冴えた感覚で捉えることにより、奇想の世界を瞬間的に現出させる力だろう。たとえば1首目、エレベーターか電車の車内風景である。花束が潰れないように、少しずつ譲り合って場所を空けてあげる。木下もやさしさ世代の一人である。2首目、炭酸入浴剤のバブが溶けるまで、身体を縮めて浴槽に入っているという日常の光景だが、ありそうな光景ながらなにかおかしい。3首目は無差別殺傷事件を踏まえたもの。4首目は思わずくすっと笑ってしまう歌だが、名前も付けてもらえなかったブロイラーが、唐揚げになって店頭にならぶと、「からあげクン」という名前を与えられる。一種の現代文明への皮肉としても読める。5首目では鮭おにぎりを鮭の死と表現したところがポイントである。
 木下の短歌を読んでいると、学生がゲバ棒を握って政治運動にのめり込んでいた時代ははるか遠くなったと改めて実感する。ここには「大きな物語」はいっさいない。恋人らしき女性以外は、他者は一人も登場しない。堀合の短歌が心に残すザラザラ感とは対極にある、蒸留されたような静かな世界である。この歌集から一首選べと言われたら、次の歌を選びたい。静かな悲鳴が感じられる歌である。
なぜ人は飛び降りるとき靴を脱ぎ揃えておくのだろうか鳩よ
 鯨井可菜子は1984年生まれ。「かばん」と尾崎左永子の「星座」に所属。歌集題名の『タンジブル』(tangible)は英語で「手で触れられる、手応えのある」という意味。鯨井の短歌は、現代社会で働く女性の辛さ、女性ならではの恋愛、そしてやや想像をたくましくした抒情の、3つの領域に展開している。
試されることの多くて冬の街 月よりうすいチョコレート噛む
夕闇に赤い自分を編む羊このまち統べるごとしユザワヤ
阿佐ヶ谷の画家の家にて昼下がりファム・ファタールが茹でるそうめん
お別れの茶会のあとのガレットの屑やわらかに春雨の降る
めそめそと暮らせば部屋は蛾に好かれ桔梗は枯れて茄子は腐った
朝の駅 人は群れなし大きなるカスタネットの中を歩めり
夏の朝かばんの底に二つ三つゼムクリップの散りて光れり
 1首目、現代に生きる勤労女性なら共感するだろう。「月よりうすい」という喩が効いていて、こう表現されるとまるで月が芝居の書き割りのようだ。2首目のユザワヤは手芸用品の専門店。「赤い自分を編む羊」というのは、羊がセーターになった自分を編んでいるのだろうか。不思議な感じのする歌である。3首目は想像だけで作った歌だが、阿佐ヶ谷という地名と大時代なファム・ファタール (femme fatale 宿命の女)とそうめんの取り合わせが絶妙。4首目は抒情的な歌で、後に酒瓶と煙草の吸殻の散らばる男の会合とはちがって、女性の茶会は優雅である。この歌集には女性らしい相聞の歌も多くあるのだが、5首目はそのなかでもやけっぱち感の強い歌で、こういうテイストの歌も捨てがたい。6首目の大きなカスタネットとは自動改札機だろう。通路を遮断してはまた開く様子をカスタネットに喩えた歌である。7首目は説明不要の抒情的な歌。
 鯨井の基本は口語だが、定型感覚がしっかりとしているので、同人誌系の作家にありがちな定型無視のぐだぐだ短歌は少ない。次の歌に見られるような明るく清潔な抒情が持ち味かと思う。ボードレールの詩を思い出してしまった。
窓になる前のひと日よ 麗らかに街を運ばれゆくガラス板
 ぼやぼやしているうちに第2回配本の歌集3冊が出版された。シリーズ企画はこの勢いが命だろう。この3冊はまた機会を改めて取り上げることにしたい。