第185回 北村薫『うた合わせ 北村薫の百人一首』

サブマリン山田久志のあふぎみる球のゆくへも大阪の空
            吉岡生夫『勇怯篇 草食獣・そのIII』
 今日は北村薫『うた合わせ 北村薫の百人一首』(新潮社)を紹介したい。いや、ぜひ読むことをお勧めしたい。ここで私は心情と言葉の間を隔てるあまりの距離に身もだえするのだが、本書をまだ読み終わっていないことを告白して、その不足を補填したい。読んでいる途中であまりの楽しさに読むのを中断した。ひと息に読んでしまうのはあまりにもったいない。夜に仕事を終えた後で、シングルモルト・ウィスキーか芳醇な赤ワインをちびちびと舐めながら、50章のうち1章か2章だけを読んで味わうのがよい。そしてまだ読む残りがこれだけあると満足して眠りに就くのが理想だ。そのような本にはめったに出会えるものではない。
 本書は今年 (2016年)の4月20日に刊行されたばかりの本である。今日は5月1日なのでわずか10日前のことだ。新聞で広告を見てすぐ取り寄せた。それは北村薫が無類の読書家であり、『詩歌の待ち伏せ』(文藝春秋 2003年)、『続 詩歌の待ち伏せ』(文藝春秋 2009年)という古今東西の詩や短歌を論じた楽しい本を出しているからだ。その北村が近現代短歌で百人一首を編むという。あとがきによれば、百人一首の本来の姿は二首一組の短歌アンソロジーだとする安東次男の指摘に触発されたものだという。
 掲出歌は第15章「その秋」に置かれた歌。北村は『詩歌の待ち伏せ』でもこの歌を取り上げている。山田久志は往年の阪急ブレーブスの投手で、下手投げの名手であったためサブマリンの異名を取った。野球ファンの北村は、昭和46年10月15日の日本シリーズ第3戦で、中2日で登板した山田が無失点で迎えた9回に、巨人軍の王貞治に逆転サヨナラスリーランホームランを打たれてマウンドにくずおれた場面に重ねてこの歌を鑑賞している。そのとき山田の頭上に広がっていたのは大阪の空ではなく後楽園球場の青空だったのだが、北村はそれを知りつつも、この歌を昭和46年10月15日の出来事を下敷きにした普遍の「ある試合」の歌だと締めくくっている。だから「その秋」なのである。
 北村が吉岡の名歌と取り合わせるのは次の歌である。
三島死にし深秋われは処女(おとめ)にて江夏豊に天命を見き 
                   水原紫苑『あかるたへ』
 私は知らなかったのだが、水原は大の江夏ファンで、江夏に目覚めたのが昭和45年、小学五年の年だという。『星の肉体』所収の「椿の崖」という二頁ほどの短いエセーのなかで、水原が好きになるのは決まって三船敏郎や江夏豊のような男らしい男なのだが、なぜか水原が夢中になると例外なく無惨に墜ちて行くと書いている。
 北村が吉岡の歌と水原の歌を取り合わせ対としたのは、山田久志と江夏豊の野球つながりかというとそうではない。そちらが本命ではなく、昭和46年10月15日の日本シリーズ第3戦から遡ること一年前、昭和45年11月25日に市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で起きた三島割腹事件が本命である。だから「その秋」なのである。このことに気づいた時、二首の取り合わせから心に静かに広がるものがないだろうか。王に逆転サヨナラHRを打たれた阪急は脱力したように負けを重ねて日本一の王座を逃した。「その時」が運命の分かれ道だったのだ。江夏は水原がファンになった年の夏に心臓発作を起こし、その後ずるずると墜ちて覚醒剤使用で服役した。才気に溢れていた三島由紀夫も次第に小説を書けなくなり、クーデター未遂で割腹して果てた。江夏にも三島にも運命の分かれ道となる「その時」があったはずである。北村が書いていないことだが、後楽園球場と市ヶ谷の防衛省を隔てる距離を地図で見てみると、2.5kmくらいしか離れていない。
 もう一章紹介しておこう。
加賀をすぎ能登に出でゆく夜しぐれのま闇のなかの折口信夫
                   安永蕗子『冬麗』
かげろうは折口信夫 うす翅を わが二の腕にふせて 雨聴く
                   穂積生萩『松虫』
 この二首の取り合わせから北村が記憶とエピソードを紡いでゆく手つきは、まるで一編の掌編小説を編むかのようである。北村の父は民俗学者で折口の弟子だったという。折口の名は子供の頃から耳にしていた親しいものであった。安永の歌にある能登は、折口の養子の藤井春洋の生地であり、また二人の遺骨が納められた墓のある場所でもある。北村の目はこの歌に続く歌に注がれる。
白鳥の羽咋の音もはりはりと雪の小骨を噛みつつあらむ
 羽咋(はくい)は能登の地名で、「はくい」という音は「羽喰」に通じるという。そこから北村は凍てつく寒気の中で羽繕いをする白鳥の嘴から零れる凍り付いた雪が白い小骨のようだと幻想を広げている。
 穂積生萩は秋田県出身の歌人で、折口に傾倒し『私の折口信夫』という著書がある。女性嫌いだった折口の唯一の女性の弟子だったとされる。その穂積の師の骨を食べる歌というのが「こりこりと乾きし音や 味もなき師のおん骨を食べたてまつる」である。宗教学者の山折哲雄はかねてより日本にあったという「骨かみ慣習」に注目しており、秋田時代に実際に父親の骨を食べたことを穂積から聞き出している。しかし折口の骨を食べたかどうかについては答をはぐらかしたという。
 上に引いた安永の「白鳥の」の歌がこのエピソードを踏まえたものだとは北村は考えてはいないものの、「全てを咀嚼した安永は、闇の歌に続け、白い自然の中に《折口信夫》を溶かし込んだのではなかろうか」と締めくくっている。すべてのエピソードがカチリと繋がる様はさすがはミステリの書き手である。
 私にも「骨かみ慣習」についてひとつ思い出したことがある。ずいぶん昔のことになるが、俳優の勝新太郎の父親が亡くなり墓に納骨する時に、勝が骨壺から父親の骨を一片取り出してかじった。すると隣にいた妻の中村玉緒がみっともないことをするなとなじって止めたという出来事があった。私は「なんてことをする人だ」とその時思ったが、山折が考えているように、昔の日本に広く「骨かみ慣習」があったとすれば、勝の行為はごく自然な肉親の死を悼む行為であったことになる。私の記憶には墓の前に喪服で佇む勝夫妻の映像が残っているのだが、TVで見たのだろうか。それとも記憶の塗り替えが起きたのだろうか。それは謎である。
 『うた合わせ 北村薫の百人一首』には他にも、塚本邦雄と石川美南、東直子と尾崎翠、大野誠夫と加藤治郎、斉藤斎藤と葛原妙子など、意外とも思える取り合わせの歌が収められており、それぞれに味わい深い文章が添えられている。巻末には穂村弘と藤原龍一郎との鼎談まであるという豪華さだ。
 短歌は北村というよき読者を持って幸せである。また本書に登場する歌人名に読み仮名が振ってあるのも親切だ。読み方のわからない歌人は多いからである。私など長らく杜澤(とざわ)光一郎の名字は「もりさわ」と読むのだと思っていた。
 本書の巻末に収めきれなかった組み合わせの歌が並べてある。百人一首が二巻あるというのもおかしいかもしれないが、ぜひ続編を期待したいものである。