第190回 経塚朋子『カミツレを摘め』

碧釉漣紋器(へきいうれんもんき) 青をたどればしづかなる縁の乱るるひとところあり
経塚朋子『カミツレを摘め』
 「碧釉」とは陶磁器にかける青い釉薬で、「漣紋」とは打ち寄せるさざ波のような波形の模様である。したがって「碧釉漣紋器」はさざ波模様のある青い陶磁器となる。作者は美術展か展示会に出掛けて陳列された作品を観ているのだ。しかし陶磁器の縁を視線で辿ってゆくと、滑らかな縁に一ヶ所だけ乱れたところがあることに気づく。轆轤を回す手の乱れか、釉薬をかけるときの気の乱れか。それに気づくのは作者自身に陶芸の経験があるからである。つまり単なる鑑賞者ではなく実作者の眼差しである。作者の鋭い観察眼が生きた歌で、三句までの静に四句以下の動を対比させた構成もよい。
 経塚朋子は「心の花」所属で、『カミツレを摘め』は今年 (2016年)3月に出版された第一歌集である。序は佐佐木幸綱、解説は『すずめ』の藤島秀憲、装幀は花山周子。歌集題名は「わたくしは雨であり車輪であり轢かれた肉だ カミツレを摘め」という一首から採ったという。不思議な歌だが、あとがきによれば、高校生の時に駅のホームで目撃した轢死に触発された歌だという。「カミツレ」はハーブのカモミーユのことで、ハーブティーによく使われる。この命令形は他者にではなく、自分自身に向けたもので、カミツレのような小さな花を摘むことで死者を供養できればという想いを表している。この想いはまた作歌という行為にも続くのだろう。
 前回も書いたことだが、「自我の詩」としての近代短歌は作者もしくは作中の〈私〉との紐帯がポエジーの要であり、歌の言葉はすべて〈私〉へと収束し、〈私〉を押し上げる。本歌集も例外ではなく、ほぼすべての歌の背後に作者経塚の〈私〉がある。意味不明な歌や誰に向かうのか曖昧な歌は一首としてない。そういう意味できちんとピントの合った眼鏡でものを見ているような印象を受ける。また近代短歌の常道として家族がよく詠われるので、作者には夫と最近親離れした男の子が一人いて、10歳を超える黒猫のクロと暮らしていること、また亡父は数学者で、年老いた一人暮らしの母親をときどき訪ねていることもわかる。
 いくつか引いてみよう。
黒表紙の帳簿を数字でうづめつつ海よりとほき窓べにはたらく
疲れはて君が眠る日裏庭にしげる茗荷をことごとく刈る
ほの暗き水中にくぐむわれが見ゆ時計まはりにろくろ挽くとき
父の部屋に古き書物の積まれをり増ゆることなく減ることもなく
海老天の揚げ方までも講義せり油絵保存修復博士
 作者は美術体験施設工房に勤務しており、一首目は職場詠である。「海よりとほき」に憧れとため息が聞こえる。二首目は家族と自宅を詠んだ歌で「ことごとく刈る」という結句に何かの想いがありそうだ。三首目でわかるように作者は陶芸に携わっている。あとでも詳しく述べるが美術制作や美術品に向き合う歌が本歌集のひとつの特徴となっている。四首目の亡父を詠んだ歌にははっとした。死とはもはや変化しないことなのだ。逆に生とは変化し続けることである。この歌の下句には深い洞察がある。五首目はユーモアの感じられる歌。油絵保存修復博士という称号が実在するのかどうか知らないが、確かに油の化学的性質には通じていそうだ。
あをく鋭く旋律きこゆ釉薬を茶碗の内に流し込むとき
わが眠る霜月の夜をかがやくべし器つめたる窯のふた閉づ
窯の蓋ひらけば器鳴りいづる冬の銀河のさざめく音に
土が燃ゆ金属がもゆ石がもゆ窯の穴より朱の噴きいづ
意にそふと見せて手強し陶筐を窯よりいだせば反りかへりをり
 陶芸の歌を引いた。一首目は巻頭歌で、流し込んでいるのは青い釉薬である。「鋭く」は「するどく」でもよいが「とく」と詠むべきか。三首目はとりわけ美しい。器が鳴るのは取り出すときに互いに触れるためか、あるいは温度変化による収縮のためか。その音を銀河のさざめきに喩えているのだが、もちろん銀河は無音である。五首目のように陶芸では思わぬ変化に逢うこともあり、それがまた陶芸の妙味でもあるのだろう。手強く反り返る陶筐がまるで生き物のように描かれている。
卵のサラダを男食べをり針金の人々冥く立つアトリエに
ウィリアム・モリスの庭群青の草をふみ鶫が盗むエゾヘビイチゴ
筆順をたどれば絵師の息の見ゆ笑ひころげるうさぎとかへる
一人を思ひつめつつ石化せるカミーユ・クローデル 有楽町 雨
エゴン・シーレその名を口にしたるとき鳩尾にくろき茨の痛み
図録(カタログ)を閉ぢおもひをりハンス・コパーのざらざらとした器のふくらみ
 本歌集の特徴のひとつは美術品に向かう歌や芸術家に想いを馳せる歌が多いという点にある。一首目は「針金の人々」でジャコメッティのことだと知れる。あとがきによれば2006年に開催されたジャコメッティ展を観たことが作者の転機になったようで、「真実は虚の中にもあり、その虚に救われることもある」と知ったとある。ジャコメッティは私にとっても思い出が深い。大学生のとき矢内原伊作の『ジャコメッティとともに』(筑摩書房、昭和44年)という名著を読み、当時国内で唯一ジャコメッティの作品を所蔵していた箱根の彫刻の森美術館まで足を運んだ。その頃私もやり場のない青春の鬱屈を抱えていたのである。後年パリに留学した折、アレジア街にあったというジャコメッティのアトリエ兼住居跡を訪ねたが、見つけることができなかった。二首目のモリスはアーツ・アンド・クラフツ運動の旗手。三首目は高山寺所蔵の鳥獣戯画図である。四首目のカミーユ・クローデルは詩人ポール・クローデルの姉で、長くロダンの助手であり愛人であった女性。五首目のエゴン・シーレはクリムトらと共に活動したウイーン分離派の画家で、その強烈な絵画は一度見たら忘れられない。世紀末ウィーンの矛盾と相克を一身に引き受けたようなシーレの絵は確かに痛みを感じる絵である。六首目のハンス・コパーはルーシー・リーの伴侶でもあった陶芸家で、ナチスの手を逃れた亡命ユダヤ人。「我が生の痕跡を一切残さぬこと」と遺言して自死したという。挙げられた芸術家の名を見ると、多くは運命の手に翻弄され受苦を芸術へと昇華させた人たちであることがわかる。作者の想いがそのような芸術家へと向かうことが、作者の芸術観をよく示していると言えよう。
ニュルンベルグの橋わたらむと迷ひゐむ数式も解もわすれたる父
娘たちに継がるることなく北側の書庫に古りたる『位相幾何学』
黒き森に倒れたる樅 数学者は冷たき手をして横たはりをり
肩ごしにすすきが原の虹を見き失職の父とすごしし一夏
ひるがほの花がためたる天の水 父の正義は難く尊し
比丘尼坂に見初めし少女をこの岸にのこし寂しくないのか 父よ
 父恋いの歌を引いた。作者の父への想いはとりわけ深いようだ。この歌からもいろいろなことが読み取れる。たとえば作者の他に娘がいたこと、父の跡を継いで数学者になった姉妹はいないこと。「黒き森」はドイツのシュバルツバルトなので、父君はドイツに客死したのだろうか。また四首目と五首目は並んでいる歌なので、父君はどうしても譲れない正義を貫いて職を辞したことがあるようにも読める。六首目の「少女」は作者の母親で、この歌では比丘尼坂という地名が効果的に使われている。
 最後に特に好きな歌を挙げておこう。
古生代いかなる音の満ちゐしか鳥の囀りなき世界とは
若き鳶の地図にわが家のオレンジの屋根もあるべし葡萄も薔薇も
万緑の句碑の冷たさ花と花のあはひのときを森はざわめく
藤の花のにほひしづかに降りてきてわれに王者の夕暮れがくる
階(きだ)なして波くづれゆく海岸線サガンのやうに車走らす
白き蝶かげをひきつつ庭をゆき楓の下に影をうしなふ
 一首目、作者は庭に来る鳥をこよなく愛しているようで、まだ鳥類のいなかった古生代の空を満たしていた音に想いを馳せている。二首目は空高く遊弋する鳶の視点に立って、我が家のオレンジ色の屋根も見えているだろうと詠んでいる。一首目は時間的距離、二首目は空間的距離が歌に広がりを与えている。三首目、「万緑」と来れば中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」を思わずにはいられない。この句ではないかもしれないが、句碑が初夏の緑に包まれている光景。「花と花のあはひのとき」が巧みである。四首目を採ったのは個人的好みからで、私も一日の中で夕暮れがいちばん好きだ。「王者の夕暮れ」がよい。五首目、『悲しみよこんにちは』で18歳にして文壇の寵児となったサガンの生活はその後乱れ、スピードとアルコールとコカインに溺れた。しかし海岸線の道路をオープンカーで疾走するサガンはスキャンダルとは無縁のカッコよさだ。六首目、庭を飛ぶ蝶とその影の両方を視ているのだが、楓の木陰に入った途端、影は消えて蝶のみとなる。その瞬間を切り取って「影をうしなふ」と表現したところが巧みである。
 28年になるという歌歴を凝縮した感のある充実の歌集である。