第236回 歌壇賞受賞川野芽生

思惟をことばにするかなしみの水草をみづよりひとつかみ引きいだす
川野芽生


 川野芽生かわのめぐみが今年度の歌壇賞を受賞した。発表は『歌壇』2月号で行われたのですでに旧聞に属する話題をなぜ今頃取り上げるかというと、恥ずかしながら今まで知らなかったのである。私が定期購読しているのは『短歌研究』だけで、他の短歌総合誌は書店で見かけると買ったりしている程度なのだ。『短歌研究』7月号の作品季評で川野芽生の「ラビスラズリ」が取り上げられていて、荻原裕幸が「川野さんは歌壇賞の受賞者で」と講評を始めているのを読んで知ったというお粗末である。新聞の受賞短報記事は注意して見ているのだが見落としたようだ。
 川野芽生は1991年神奈川県生まれで、東京大学の駒場教養学部にある超域文化科学専攻比較文学比較文化コースという長い名前の学科で学んでいる現役の大学院生である。長い名前だが伝統的な言い方をすれば文学部の比較文学科に当たる。プロフィールから計算してたぶん博士課程の1年生だろう。本郷短歌会と同人誌「穀物」に所属している。私は「本郷短歌」は創刊号から愛読していて、川野芽生は安田百合絵や小原奈実と並んで注目していた歌人なので、川野の受賞はまことに喜ばしい。『歌壇』2月号を取り寄せてさっそく受賞作品と選考座談会を読んだ。受賞作は「Lilith」30首。選者は伊藤一彦、三枝昂之、東直子、水原紫苑、吉川宏志の5名で、水原と吉川が二重丸を付して一位に推し、三枝が一重丸を付けている。選者も川野作品の読みに苦吟したようで、なかでは吉川がいちばん的確な読みを披露している。短歌賞の選考では選者も力量を試されるのだ。
 川野作品の読みが難しいのは、川野が比較文学の研究者であり、その知識を駆使して作品を作っているからである。題名の「Lilith」からして曲者で、リリスとはユダヤ教の伝承で男の子に害をなすとされる妖怪もしくは悪霊の名である。この世に最初に登場した女性とされることもあり、アダムの最初の妻であったという異説もある。イブがアダムの肋骨から作られたのにたいして、リリスはアダムと同様に土から作られたとされることから、男女の対等を求めるフェミニズムのシンボルとなっているという。題名にこれだけの歴史的背景とコノテーションが隠されているのだ。あとは推して知るべしである。

馬手と云へり いかなる馬も御さずしてさきの世もをみななりしわが馬手
harassとは猟犬をけしかける声 その鹿がつかれはてて死ぬまで
晴らすharass この世のあをぞらは汝が領にてわたしは払ひのけらるる雲
摘まるるものと花はもとよりあきらめて中空にたましひを置きしか
おのこみなかつて狩人〉その嘘に駆り立てらるる猟犬たちよ
汝が命名なづけなべて過誤あやまりにてアダム われらはいまも喩もて語らふ
白木蓮はくれんよ夜ごとに布をほどきつつあなたはオデュッセウスをこばむ

  「Lilith」から引いた。一首目、馬手めては馬の手綱を取る右手のことで、左手は弓を持つので弓手ゆんでという。初句の「馬手と云へり」は「誰かが馬手と言った」ということではなく、右手を馬手と呼んだ命名そのものを呪っているのである。「自分は女に生まれ武者や騎士のように馬に乗ることはないのに、自分の右手も馬手と呼ばれるのはなんでやねん(関西風に言えば)」と憤り、「おまけに私は前世も女だったので、馬に乗ることなど金輪際ない」とまで言いつのっているのである。巻頭歌が高らかにフェミニズムを宣言してこの連作の基調を規定している。
 二首目、harassとは「困らせる、うるさがらせる」の意で「ハラスメント」という言い方に用いられている。「セクハラ」の「ハラ」である。辞書によると古仏語harerに由来し、その意味は「刺激する、かき立てる、犬をけしかける」で、古高地ドイツ語のharenに遡るのではないかと考えられている。ガリアを占領したフランク族の言葉から仏語に入り英語となった単語である。現代仏語のharasserが有音のhなのはこの歴史的理由による。この歌で詠われている鹿とは男性からのハラスメントに悩まされる女性の喩に他ならない。一首目の馬手から馬による狩猟のイメージが準備され、それが二首目の猟犬へと繋がっていることにも注意しよう。
 三首目ではharassが音から「晴らす」へとずらされており、この世の青空を占拠する男性の前では女性の私は払いのけられる雲にすぎないと詠っている。初句の「晴らす」を見たとき、一瞬「恨みを晴らす」方向に行くのかとどきどきした。
 四首目、美しい女性はしばしば花に喩えられるが、男性に摘まれることを待つだけの花は受動的存在で、いわば純粋な対他存在である。自分の人生をいかに生きるかという自己決定権を放棄して(放棄させられて)魂を失った人形になっていると詠んでいる。ちなみに「中空」は「なかぞら」と読む。古語で「なかぞら」は形容動詞であり、「どっちつかずで中途半端な」「精神の不安定な」を意味する。
 五首目は、馬、猟犬、狩人のイメージで一首目と二首目に縁語的につながっている。「太古の昔から男は狩人なんだ」と男は言いたがる。だから外に狩りに出かけて獲物を捕り、洞窟で子育てをしながら待っている女に獲物を分け与える。性による分業という神話であり、川野ははっきりと「嘘」と断定し、その嘘に駆り立てられる男たちに憐れみの眼差しを向けている。
 六首目を読み解くには旧訳聖書の知識が要る。神は最初の人間アダムを作った後に、あらゆる家畜、あらゆる野の獣、あらゆる空の鳥をアダムの前に連れて来てアダムがどう呼ぶかを見た。アダムが呼んだ名が獣や鳥の名となったと創世記にある。物の名の起源神話である。ちなみにこのくだりに魚が出てこない。ヨーロッパで長く「魚の名は真の名であるか」という哲学論争が続いたのはそのためである。またアダムは何語で事物に名を付けたのかも論争となった。旧訳聖書はユダヤ民族の聖典だからヘブライ語だろうと考えるのが自然だが、そうかんたんには運ばず「真の名」論争は実に17世紀まで続いたのである。川野は男性であるアダムの名付けはすべて誤りだと断言する。この世のさまざまな名称は男性の視点から男性に都合よく作られているということだろう。だから女性である自分はアダムが付けた名ではなく喩を使って語らざるを得ない。ここには川野の言語についての根源的関心が看て取れる。
 七首目はホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにしている。トロイア戦争のために出陣したオデュッセウスの妻ペネロペアには求婚者が108人押し寄せたが、求婚を退けるためにペネロペアは「今織っている織物が完成したら結婚相手を決める」と言って、昼に織った織物を夜に解いて時間かせぎをしたという逸話である。このためペネロペアはしばしば貞女の鑑とされる。しかし川野はこの逸話に独自の変奏を加え、ペネロペアは求婚者を拒むだけでなく、夫のオデュッセウスをも拒んでいるのだという。

たれも追はずたれも衛らず生きたまへ青年よここが対岸
わがウェルギリウスわれなり薔薇そうびとふ九重の地獄infernoひらけば
魔女を焼く火のくれなゐに樹々は立ちそのただなかにわれは往かなむ

 私は男性に従わず生きるのだから、男性も誰も守らず生きよと呼びかけ、『神曲』では地獄めぐりをするダンテをウェルギリウスが導いたが、私を導くウェルギリウスは私自身だと宣言する。そしてたとえ魔女狩りに遭って火刑に処されようとも、火のただ中に屹立するというのだから威勢がよい。
 選考座談会で吉川は、「男性社会に対する呪詛に近い批判」があり、「新しい形のフェミニズム的な表現が生まれている」と高く評価した。水原は最初はフェミニズム的視点に気づかず耽美的文体に引かれて推したが、男性社会に対する呪詛に近い批判をここまで繊細で端麗な文体で歌いあげたのはすごいと述べた。伊藤は吉川が指摘したようなテーマでリアルに歌うのは難しいが、様式美でしか表現できないことを作者は歌っていると評価し、すごく才能のある作者だと述べている。三枝は、このところずっと平たい歌の方へ行っていたのが、かっこいい表現をしていて大きな問い掛けにはなるが、このかっこよさは引いてしまうという人もいるかもしれないと述べている。
 ほぼ全会一致で一位に決定した選考委員の評言に付け加えるとしたら、文体の面では文語定型を基本としつつも、前衛短歌の技法に多くを学び、イメージの重視と破調を恐れない大胆さを有し、また塚本邦雄にも通じる言葉フェチでありながら言語への根源的懐疑を内包しているところが川野の個性だろう。
 歌壇賞受賞後の第一作となる「ラピスラズリ」(『歌壇』2018年3月号)から引く。

くがといふくらき瘡蓋のを渡り傷を見に来ぬ海とふ傷を
薔薇園をとざすゆふやみ花の色なべて人には禁色にして
Lapis-lazuliみがけりからだ削ぎゆけばたましひ見ゆ、と信じたき夜半
ねむる――とはねむりに随きてゆく水尾みをとなること 今し水門越ゆ
殺められて水底にある永遠を胡蝶菫パンジイめきて海馬うみうまよぎる

 ちなみにラピスラズリは旧約聖書の創世記にも登場する貴石で、青色の原料として高値で取引された。フェルメールの絵によく使われている。胡蝶菫と書いてパンジイと読ませるところなど言葉フェチの本領発揮である。海馬はタツノオトシゴの異名だが、大きなウミガメをも意味するらしい。歌壇賞受賞作のフェミニズムは影も形もなく、むしろ『本郷短歌』に発表された旧作を見ると、こちらが川野のベースラインのようだ。

身じろがば囚はれなむをこゑのごと曼珠沙華あふれかへる白昼  『本郷短歌』第5号
夕かげは紅茶を注ぐやうに来て角砂糖なるわれのくづるる

 『本郷短歌』創刊号の座談会で川野は、「小さいころからずっと小説や詩を書いていた」と述べ、「自分の中に表現したいものがあるんじゃなくて、言葉との出会い」が大事で、「自分に理解できない言葉がやってきて、その言葉と自分がぶつかって何かの化学反応が起きる」と述べている。文学少女であったことはまちがいなく、また「人生派」ではなく「コトバ派」の歌人であることを裏付けていよう。そのことは『歌壇』2月号に掲載された歌壇賞の受賞の言葉にも表れている。
 今回このコラムを書くために関連情報をネットで調べていたら、衝撃的な事実が判明した。本郷短歌会は運営が困難になったため2017年12月末をもって解散したというのである。本郷短歌会は2006年に発足しているので、11年で活動に終止符を打ったことになる。最近『本郷短歌』が送られてこないなと思っていたら、解散していたのだ。小原奈実は6年間の医学部の課程を終えて退会したし、安田百合絵や川野芽生は博士課程に進学して忙しいだろうし、その他のメンバーも卒業して大学を離れたのでやむを得ないのかもしれない。私は2012年5月7日のコラムに、「発表の場を得て漕ぎだした『本郷短歌』である。雑誌を創刊するのにはたいへんなエネルギーが必要だが、続けるのにはさらにエネルギーがいる。エールを送りたい」と書いた。解散という事態を迎えたことはとても残念だ。しかしまた何年か時が過ぎたら新しい種が地に蒔かれることを期待したい。