第240回 鷺沢朱理『ラプソディーとセレナーデ』

水に書く言葉に似たるこの生をマルクス=アウレリウスも生きしと想へば

鷺沢朱理『ラプソディーとセレナーデ』

 鷺沢は1982年生まれで「中部短歌会」所属。短歌実作だけでなく評論でも活躍しており、『ラプソディーとセレナーデ』は本年 (2018年) 8月に上梓された第一歌集である。鷺沢の名はずいぶん前からあちこちで見ていたので、これが第一歌集と知って驚いた。どうやら制作にじっくり時間をかける遅作型らしい。跋文は「中部短歌会」主宰の大塚寅彦。

 まず歌集の構成がおもしろい。クラシック音楽の構成を模しており、第一部は第一楽章 Moderato grazioso, ma non troppoと題されている。「中程の早さで優美に、しかし過度でなく」を意味する。この調子で第二楽章は Larghetto, tempo rubato、第三楽章は Presto energico et passionatoなど第六楽章まで続く。歌集題名も『ラプソディーとセレナーデ』だから、短歌と音楽の交通を念頭に置いているのである。

 おもむろに歌集を繙いてみると、中身も尋常ではない。第一楽章の冒頭は「四曲一隻屏風『濃姫』」と題されている。最初の数首を引く。

「国宝の玻璃割る美学」と追放の修復師われの末路笑ふか

十余年美濃の御寺みてらの奥の院に闇を食ひつつ絵をなほしをり

信長の美濃攻めゐたる屏風より銀箔はくはがしみれば姫うかびたり

 どうやら歌の中の〈私〉は美術品の修復師らしく、美濃の斎藤道三の娘で織田信長に嫁いだ濃姫を描いた屏風を修復しているらしい。極めてフィクション性の高い設定である。

 屏風はくの字に折れ曲がる平面を畳むが、1つ1つの平面を「扇」という。扇は右から一、二、三、四と数える。扇4枚から成る屏風が「四曲」である。屏風はふつう2つが対になっており、それを「一双」と呼ぶ。対を成さず片割れだけが「一せき」である。したがって「四曲一隻屏風」とは、扇4枚から成る片割れのみの屏風ということになる。

 

壱扇「輿入」

なして父よ尾張へゆけとおつしやるか黒柿のごときうつけの嫁に

泰西の真珠呑む女王の決意もてわれ火瑪瑙ひめなうを呑むが婚をす

弐扇「信長殿」

荒梅雨にはだけたる肩うち出して泥蹴り帰る人がわが夫

信長殿のうすき胸処むなどに寄する頬琥珀のごとく染まりゆくらん

参扇「父と兄」

弘治二年美濃に報あり父道三、兄義龍に討たるるとあり

閉ぢ合はぬあにいもうとの黒蝶貝われて輝けと父よ言ひしか

四扇「稲葉山炎上」

紅蓮や紅蓮燃えて帰蝶は亡き父の山城たかく灰と散りたし

吹き荒れしひかりと花の交響ゆふと覚めみれば朝の静もり

 

 それぞれの扇から二首ずつ引いたが、濃姫の輿入れに始まり、信長との日々、道三が息子の義龍に打たれるという出来事が続き、最後に道三の居城稲葉山城が落城するまでを時系列で描いている。ちなみに「帰蝶」は濃姫の名であったとされる。

 後はこの調子で、「軸装三幅対『雪豹』、「海底洛中洛外図屏風」、「四曲一双屏風『夢葵』」など、源氏物語や伊勢物語や長谷川等伯の絵などに想を得た屏風仕立ての歌が続く。文語定型旧仮名遣の絢爛たる歌物語の世界である。

 なぜ屏風なのか。跋文で大塚寅彦も同じ問を発しているがはっきりとは答えていない。少し考えてみよう。

 私たちが知っている西洋絵画はふつう動きのないものである。教会に飾られている宗教画や世俗の静物画を見てもそこにはふつう動きはない。したがって絵の中に流れる時間はない。カラヴァッジォのようなバロック絵画は好んで劇的でダイナミックな場面を描いたが、それでもなお画面の動きはスナップショットのように凍結され時間が止まっている。絵画の中では時間は流れないのである。このような西洋絵画に革命をもたらしたのは印象派のモネだ。モネはルーアン大聖堂や牧場の積み藁の前にイーゼルを立て、早朝から夕刻まで太陽の移動に従って刻々変化する光を描いた。その光の時間的変化を一枚の絵に重ねて描いたため、絵は輪郭を失った光の集積と化したのである。そこに描かれているのは時間、より正確には表象の移ろいを通して感じられる時間である。

 これに対して日本の絵画にはもともと時間の観念が含まれていたと思われる。代表的なのは絵巻物である。絵巻物を繙くと、右から左に向かって一連の出来事が時間順に描かれている。だから絵巻物では同じ人物が何度も登場するが、見ている私たちは何の違和感も感じない。この感覚は現代のマンガにも受け継がれている。今でもマンガは右から左に向かって読む習慣が根強く残っているのは、絵巻物以来の日本の絵画の伝統のせいにほかならない。

 日本画の重要な主題は季節の移ろいである。だから一双の屏風には右に春の風景を、左に秋の風景を描いたりした。私たちは右から左に視線を移動させることで、時間の経過を感じることができる。

 ここまで来れば鷺沢がなぜ自らの短歌世界を展開する舞台として屏風を選んだのか明らかだろう。屏風は扇の集合体であり、見る私たちは右から左へと目を走らせることによって、そこに擬似的な時間を作り出すことができる。これは物語を語ろうとする鷺沢にとってまことに好都合なのである。

軸装三幅対「淡路廃帝」

怨み描く身はそそり立つ筆持ちて赤羅引く血に指も染まれり

淡路へと永久とはに逢はじのみやこ背に大炊おほひみかどふなべりに泣く

淡路とは泡のみちなれぬばたまの墨に浮くその気泡か生は

 しかしなぜ鷺沢は自らを絵画修復師や絵師に見立てて、現代とは関係のない歴史物語を描くのか。近現代短歌は「私性の文学」と言われるが、いったい鷺沢の〈私〉はどこにあるのだろうか。あとがきで鷺沢は次のように書いている。

 短歌に《美》を復権しなければならない。葛原妙子は、「歌とはさらにさらに美しくあるべきではないのか」(『朱霊』後記)と問うたが、短歌に於いてその達成はいまだ道半ばであるどころか、美への義絶はますます忌々しき問題に、いや問題にすらされない。

 跋文で大塚は、古典的和歌の世界では作りごととしての花鳥風月が詠まれてきて、それは言葉が織りなす世界であると指摘した後に次のように続けている。

 つまり近代の和歌革新以降に、現実の個体と作中の「われ」との紐付けが強固になされたことによって見失われた膨大な何か、自由自在な「こころ」の住処としての形式が、まだまだ回復されてないこと、あるいは現在において失われた古典的な美意識の復権ということも鷺沢の中にあるのは明白であって、言葉本来の意味に近い些かフェティシズミックに見える拘りによってそれを実現しようとしていると思われる。

 つまりはこういうことだ。古典和歌の世界は「美の共同体」を感性の基盤としており、美しいとされる言葉の中から選んで組み合わせる技を競った。藤原俊成が「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」と詠んだとき、その背後には誰もが知る『伊勢物語』があった。だからここには男に捨てられた女性の嘆きが聞こえるのである。それは美の共通基盤として共有された世界である。しかし近代の和歌革新の結果、短歌は「自我の詩」となり「美の共同体」は忌むべきものとして否定され失われた。代わって称揚されたのは、一回きりの生を生きる〈私〉の表現としての歌である。大塚が正しく指摘したように、鷺沢はこの現状を嘆き、短歌に美を復権しようとしているのだ。その試行が屏風仕立てによる絢爛たる物語絵巻なのである。

 しかし一抹の不安が残る。回復すべきは「美の共同体」もしくは「美の共通資源」なのだが、鷺沢個人の試行によってその共同性が回復できるだろうか。塚本邦雄は前衛短歌の時代を経て古典へと回帰し、独自の美の世界を打ち立てた。しかしそれは古今東西の芸術に通じた博覧強記と強烈な個性によって可能になったものである。また塚本自身は「共同性の回復」など目指してはおらず、むしろ孤高を愉しんだ感がある。

 本歌集の短歌すべてが屏風仕立ての絵物語ではなく、第二楽章では、上司のパワハラに遭って務めていた学習塾を辞職し、鬱病になって実家に戻り祖父の畑を耕すという現実の作者に近い〈私〉が詠まれている。

青竹のわれのこころをパキリ折る怒声の上司斧のごとしも

木にもあらぬ草にもあらぬうつ病者わが就職の笹の靡きよ

祖父に代はり手に持つ鍬の重かれどこのリハビリは効くよと祖母は

座してをられぬこの病なれうろつけば桜は耳のうしろに咲かゆ

 また第三楽章の「桜と春草のための大屏風歌」では早世した友人を詠っている。

桜咲く遠山の暮れ見つめゐる絵を描く君とそを詠ふ僕

ともに見し京の桜の散るゆめの三十五にして絵と果てし君

芸大を中途に出でて師を謗りその放埒は憎まれて死す

 これらの一連は「私性の文学」としての近代短歌のコードに基づいており、自在に詠む作者の技量は明らかなのだが、絢爛たる美の絵物語の合間にこれらの歌に出会うと、〈私〉の在り処と位相の落差にどうしても違和感が残る。作者が本歌集を題名まで含めて一巻の巧緻に織り上げられた作品としようとしているのでなおさらそのように感じるのである。

 最後に個人的なエピソードをひとつ。歌集の表紙絵は1926年に描かれた中村大三郎の「ピアノ」という京都市美術館所蔵の絵である。着物姿の女性がグランドビアノに向かって演奏している大正ロマンの漂う絵だ。ピアノにはANT. PETROFと刻印されている。チェコのアントニン・ペトロフ社製のピアノである。実は我が家にもペトロフのピアノがあった。家人がピアノを弾くので産まれた娘にも習わせたいと購入した。その際、ヤマハやカワイではおもしろくないとペトロフのアップライトを買った。ヤマハのように低音から高音まで均一に音が鳴るという点では劣る点があったものの、華やかや音色のピアノだったと記憶する。

 大塚は跋文で鷺沢のユニークさは歌壇広しといえども彼にしか見いだせないほどだと言いつつも、「かなり読者を選ぶ世界」だと評した。鷺沢の試行がどのように受容されるか注目される。