西の方角へ一滴ひかるあれは海掌にひとかけらトパズのせゐて
浦上和子『根府川』
西の方角を遠望すると、かなたにきらりと光るものがある。それは朝の光に輝く海である。しかし海はここから遠くにあり、丘陵が眺望を遮っているのでほんの少ししか見えない。しかし確かにあれは海である。そして手のひらを目の高さに上げて見ると、まるでトパーズの欠片を乗せているように見えるという歌と読んだ。トパーズを海の喩と捉えれば、この歌は近代短歌のコードで読むことができる。しかし次のような歌はどうだろう。
かくながくふかくつめたく落ちゆけるときの狭間へ充つ 鳥の歌
冒頭の「かく」「ながく」「ふかく」「つめたく」と「く」で終わる言葉が二音・三音・三音・四音とだんだん長くなり、落下のイメージを形成している。これは短歌の技法ではない。また誰がどこに落ちているのか皆目わからない。また「落ちゆけるときの狭間」は、「落ちゆけるとき」という時間副詞なのか、それとも「落ちゆける」は「時」にかかる連体修飾節なのかも判然としない。仮に後者と取ると、落下のイメージから始まり、「時間の狭間」に落ちるという謎のようなイメージが続く。そして一字空けて「鳥の歌」である。これは近代短歌のコードで読める歌ではない。しかしこの歌には魅惑的なイメージがあり、一読して魅了される。これは詩の技法である。確かに作者は現代詩を書いている人なのだ。
プロフィールによれば、浦上和子は1946年生まれ。1984年に『夢処分』という詩集を出しているので、最初は詩人として出発したのだろう。「桜狩」にしばらく所属し、その後二人誌『Orphée』を拠点として活動している。『根府川』は今年 (2020年)の11月に上梓された第一歌集である。帯文は版元の書肆侃侃房の社主で詩人の田島安江」。歌集題名の根府川は小田原市の南部を流れ駿河湾に注ぐ川だという。歌集は5章からなり、5年ごとに区切った逆編年体という珍しい構成になっている。
歌集を一読して、久々に「非在の美」を詠う歌人に出会ったという想いを深くした。「非在の美」とは、今ここにないものに美を認める審美的態度であり、リアリズムの対極にある立場と言える。それは時に始原への憧憬に充ちたロマンチシズムの形を取ることもあり、またこの世は洞窟に映った影と断ずるプラトン主義へと傾斜することも、また観念と想像力が生み出す美を至上とする唯美主義へと到ることもある。「非在の美」の代表選手は言うまでもなく塚本邦雄である。
しかし浦上の短歌の肌合いが塚本と大きく異なるのは、やはり浦上の出発点が現代詩であることが大きいように感じられる。たとえば次のような歌がある。
ほそくふかく陸へ切りこむ湾の 告げうる刻はとうに過ぎたり
森閑と了りし人の辺にありて遠く熟れゐむ黒葡萄見ゆ
駝鳥の檻に鳥影なくて白昼のたまごのやうな雲うすみどり
一首目、三句までは陸へと切り込む狭い湾のイメージが展開し、まるで序詞のように進むが、一字空けが断絶を生み、序詞が掛かる語がないため宙吊りになる。一字空けの後の下句はまったく関係なくある喪失感が詠われている。近代短歌の「問いと答の合わせ鏡」(永田和宏)の緊張関係はどこにもない。二首目、「森閑と了りし人」とは、ひっそりと亡くなった人という意味だろうか。歌中の〈私〉はその人のそばに居るのだが、どこか遠くで熟れている黒葡萄を脳裏に浮かべている。この歌でも上句と下句を繋ぐ糸が意図的にほぐされている。三首目、獣園のダチョウの檻だろうか。檻の中にはダチョウはおらず空っぽである。空には卵のような雲がかかっている。ダチョウと卵には縁語の関係はあるが、これも上句と下句の連接が緩く作られている。このような作歌法は意図的なものと考えられる。
近代短歌の技法とどこがちがうのだろうか。それを収斂と拡散という言葉で捉えてみたい。佐伯裕子の『あした、また』の次の歌を見てみよう。
なお人を恋うるちからの残りいる秋と知るとき葡萄熟れゆく
初句から「知るとき」までが歌中の〈私〉の想い(叙情)で、結句が叙景である。近代短歌はこのように、一首の内部の叙情の部分と叙景の部分とが、互いを照応し合い緊密な関係を結ぶことによって意味的なまとまりを作りだしている。その根本は「収斂」であり「緊張」である。初句から始まる〈私〉の想いが高まりつつ「葡萄」という物へと反転し収斂してゆく。熟れた葡萄は豊かな秋の実りであり、豊穣の象徴でもある。読み終わった読者の脳裏には、色濃く熟れたブドウのイメージがくきやかに残り、その背後に身内に人を恋う力がまだ残っていたのを感じている〈私〉の想いが揺曳する。近代短歌のお手本のような作り方である。
これに対して浦上の作歌法は、言葉をできるだけ遠くへと拡散するというものだと思われる。たとえば次の歌を見てみよう。
ひとを拒む背へ梢の翳ゆらし陽はかたぶけり 長きつかのま
「ひとを拒む背」とは、何かを拒否して〈私〉に背中を向けている人がいるのだろうか。何をなぜ拒んでいるのかは明かされない。ただ硬い背中のイメージだけが残る。日が西に傾いて木の影がその背中にかかる。「長きつかのま」という語義矛盾の形容は、ほんの束の間が長く感じられたということだろう。その情景はなんとかイメージすることはできるが、イメージはちらちらと拡散するばかりで、明確な像を結ばない。このように言葉の意味的な連接をわざと緩めて、ひとつの意味に収斂することを避けて、言葉をなるべく遠くへ飛ばすのは現代詩と前衛俳句の手法である。読む人の脳裏では、束の間のイメージの煌めきが浮かんでは消え、そのあわいからポエジーが立ち上がる、そのような作りになっている。
そのことは、一首の中でふと遠い何かと繋がるという歌が多いことがよく示しているだろう。上に引いた「森閑と」もそうなのだが次のような歌がある。
ここにあらざるこころの飛行冬麗の盆地の縁に立つ妣の家
春雲のむかう透けゆく飛機ありてふと召命といふ言の葉
錆噴けるアラジンにともす青き火よ頽れゆく街のこゑふと聴こゆ
金雀枝の黄零れゐる白昼をジャン・ジュネの欲望あはくよぎれる
一首目では心が安曇野の故郷に飛び亡き母の家を幻視する。二首目では薄雲のかなたに飛ぶ飛行機を見て神の呼び声を思う。三首目のアラジンは昔懐かしい灯油ストーブで、青い炎を見て遠くの廃市の声を聞く。四首目では初夏に咲く金雀児の花を見て、泥棒詩人ジュネに想いを馳せるという具合である。作者はこのように、一点に凝集し収斂する意味の核を追い求めるのではなく、想いを飛ばして遠くにあるものが共鳴し合い、かすかに呼応するところにポエジーを見出しているように思われる。その糸は細くとも美しい。
もうひとつの特徴は歌に内包された物語性である。たとえばそれは次のような歌に濃厚に感じられる。
語るだらう見しらぬ島の水没を翡翠青玉失しし表情に
一閃となり墜ちゆける飛行士の脳ゆめみむ人著くまでを
匣より溢るるリボンのきんいろの渦はうたへり在りし刻のま
よみがへる記憶懼るる兵士あり美しき記憶引き出しし夜を
一首目の遠い島の水没、二首目の飛行士の墜落、三首目のリボンが歌う在りし日の歌、四首目の兵士の記憶は、それぞれどのような物語を隠しているのだろうか。これらの歌は一首で意味が完結することなく、まるでシェラザードの夜咄のように歌の外にある非在の物語へと読者を誘うのである。
父の遺品の水盤へさす月明かりたましひといぬ痕跡に似て
ほの昏き花舗ダフォディルこれきりに不在のものを去らむ汐どき
フランス組曲さはさは流れ花いろの夕光ながれ埒なくなりぬ
いのちの際のイソシギの目へ凝らしゐて霜天に満つというべきひぐれ
死者宛てに届きし絵葉書のピエタの上うつすら乱るる生者の指紋
伽羅匂ふエレヴェータに昇り訪ひし家族よあをき空蝉
ブーゲンヴィレア悼みのごとく垂れゐたりその扉までの階さざなみ
なんびととも分かてぬ死者の夜をあらふかそけく洗ふ冬の葡萄を
付箋の付いた歌は数え切れないほどあり挙げると切りがない。また作者の言葉と文字への拘りは相当なもので、読んでいて幾度漢和辞典を引いたか知れないほどである。通常とは異なる読みのルビも多い。この言葉へのフェティシズムに近い執着もまた塚本と同質のものがある。とはいへそのような言葉へのフェティシズムは文語とともにすでに失われた文化であり、口語を使ってフラットな日常を詠う若い歌人の目から見れば、すでに歴史の彼方に消えたものかもしれない。そのような意味でも近年出会うことの少ないタイプの歌集と言えるだろう。本歌集を繙けば、作者の繰り出す言葉の海にしばし陶然となることはまちがいない。