窓辺にはブリキの犬が置かれゐて胴の継目はくきやかにあり
小田桐夕『ドッグイヤー』
喫茶店の風景だろうか。窓辺にブリキの犬のおもちゃが置いてある。ブリキ製のおもちゃは今ではもう作られることが少ないので、たぶん昔のものだろう。ところどころ錆びているかもしれない。製作時に半身ずつ作って繋いだので、胴体に継ぎ目がはっきりと見えている。そのような情景を感情を交えずに詠んだ歌である。
しかし歌から何の感情も伝わって来ないかというと、そんなことはない。胴に継ぎ目を残したままずっと窓辺に置かれている犬のおもちゃに向ける暖かい眼差しが感じられる。またそのような姿で置かれているブリキ製の犬に対するかすかな憐憫の情も滲んでいるように思う。
私たちは言葉で作られた短歌を読んで、なぜ作った人の心がわかるのだろうか。短歌に限らず、私たちは日頃から他人の感情や心を察して行動することがある。なぜ私たちには他人の心がわかるのだろうか。
私が研究している言語学は、心理学を含む認知科学から多くのことを学んでいる。言語は認知の結晶だからである。私たちになぜ他者の心理や知識状態がわかるのかという問題は、「心の理論」(英 theory of mind / 仏 la théorie de l’esprit)と呼ばれ、昔から議論されている問題である。私たちには読心術という超能力はない。したがって何らかの方法で他者の心理を推論するプロセスがあるはずだ。
現在では次のように考えている研究者が多い。私たちは自分の心の一部に、他者の心のメンタルモデルを作っている。そのモデルは、私たちが他者について知っていることや、他者の言動などを材料にして、無矛盾的に構成されると考えられる。
言語学からひとつ例を挙げよう。日本語には自分が知らない単語には「というのは」とか「って」などメタ形式と呼ばれる記号を使うという規則がある。
(1) Aさん : 昨日、Kさんの出版記念パーティーで、三枝さんに会ったよ。
Bさん : 三枝さんって誰ですか。
AさんはBさんも三枝さんを知っていると思って話したのだが、Bさんは知らない人なので「って」を使ってたずねている。これなしで「×三枝さんは誰ですか」とは言えない。英語では Who is Saigusa?と言い、メタ形式は必要ない。
おもしろいのは、日本語では相手が知らないだろうと思われる単語にも「という」を付けなくてはならないことである。
(2) 私は京都で生まれました。
(3) 私は山口県の三隅町という所で生まれました。
山口県の三隅町という町はそれほど知られていない所なので、「という」を付けている。ちなみに三隅町は母方の祖父が住んでいた所で、画家の香月泰男の故郷でもある。一方、京都はよく知られているので付けていない。もし「私は京都という町で生まれました」と言ったら、「京都くらい知ってるわい」と言われてしまう。このようにメタ形式の使用が義務的な言語は日本語以外にはないようだ。日本語は相手の心の状態を察する言語なのである。
私たちはこのように、自分の心の一部に他者の心のメンタルモデルを作っている。だから何かを見たときに、「あの人ならばこう感じるだろうな」と推測することができる。このモデルが共感の基盤になっていると考えられる。自分の心と他者のメンタルモデルの一致点が多いときに共感が生まれる。
前置きが長くなった。小田桐夕は1976年生まれで、2014年から「塔」に所属している。第14回塔短歌会賞で次席に選ばれており、「記憶を残す╱継ぐ ─ シベリア抑留と短歌をめぐって」という評論で、塔の七十周年記念評論賞を受賞している。プロフィールなどで本人についてわかるのはこれくらいだ。『ドッグイヤー』は今年 (2024年)に上梓された第一歌集である。小島なお、梶原さい子、そして師の真中朋久が栞文を寄せている。
歌集タイトルのドッグイヤーとは、直訳すれば「犬の耳」で、雑誌や本などで印を付けておきたいページの隅を三角形に折ることをいう。集中の「いくそたび巡るページか一冊はドッグイヤーに厚みを増して」から採られている。
作者の歌風だが、旧仮名遣いを用いていることもあってか、所属する結社「塔」の歌人では珍しく、古典的でときには王朝的な雰囲気を纏う歌が多いのが特徴と言える。歌集の冒頭付近から引く。
文字を書く手とわたくしを撫づる手のおなじとおもへず 瞼を閉ず
とほき灯のつらなりのごとき林檎飴あぢははぬまま思春期過ぎき
沸点がたぶんことなるひととゐる紅さるすべり白さるすべり
うしろから抱かれゆくことゆるすときあなたから取る鍵のひとつを
死をもつて話がをはる必然を両手のなかに撓めて夜更け
一首目では、パートナーが書き物をしているときの手と、自分を愛撫するときの手とは表情がちがうとしている。二首目はお祭の夜店で売られているリンゴ飴を詠んだもの。紅色のリンゴ飴を遠い灯火に喩えている。短歌定型の最強の修辞は喩である。「つらなりのごとき」の増音が、リンゴ飴がたくさん並んでいる情景のアイコン的な喩となっているとも取れる。この歌では過去の助動詞は「けり」ではなく「き」がふさわしい。本歌集の隠れた主題はおそらく自己と他者の差異の確認なのだが、三首目はそれを端的に表した歌。沸点とは、何かに夢中になるポイントとも、怒り出す限界値とも解釈できる。下句の「紅さるすべり白さるすべり」がまるで童謡のようなリフレインの効果を出している。四首目、パートナーが自分をバックハグするとき、相手から鍵をひとつ奪い取るという少々恐い歌である。その鍵は相手に秘めていた小箱の鍵か。五首目では誰かの死で終わる物語を読んでいる。その結末は避けることができない必然である。しかし両手の中で撓めているのはペーパーバックの本だ。「必然」は抽象概念であり、撓めることができない。このように抽象と具象とを強引に連結するのもまた短歌の修辞のひとつである。
作者はどうやら絵を描く人で、パートナーもそうらしいということが歌を読んでいるとわかる。
白紙つてこんなに広い コピックの尖を素足のやうに置きたり
窓の外を見てゐる人を描くとき私の眼は絵のなかの窓
病室でスケッチはじめミリペンで白い蛇腹の凹凸を追ふ
花嫁のまはりに薔薇を描きゆくきみは植物図鑑ひらいて
たのまれて絵筆を握るきみがもつとも描きたい世界とは、なに
趣味なのか仕事にするか迷ひゐしわがすぎゆきをふかく沈める
筆先になにかを探すやうな顔いくたびも見きこれからも見る
一首目のコピックとは、デザイナーなどが使う水性の不透明マーカーで、色の種類が多い。三首目のミリペンとは、漫画家などが使う細い線を引くドローイングペンのこと。いずれも絵を描く人の専門用語だ。四首目、五首目を見ると、パートナーも絵を描くことがわかる。六首目からは絵を趣味とするか職業とするか迷っている様子が窺われる。
画家であることは短歌製作にどのような影響があるか。画家とは、何よりも対象を視る人である。そのことは短歌における事物の描き方に影響するにちがいない。それはたとえば次のような歌に感ずることができる。
なびきゐるゑのころの穂の間のみづ、うつりこむ街、町つつむ空
えのころ草の穂が風に揺れている。穂と穂の間に小さな水面があり、その水に町の風景が反転して映っていて、その上に空が拡がっているという描き方は、視点の反転とズーム効果がありとても映像的だ。
しかしながら物事を映像的に描くのが小田桐の短歌の眼目かというと、そうではないように思われる。
けふをまだ記しをはつてゐないのに罫線にかすれるボールペン
くやしさをおぼえてゐたい点描のなかにしずもる花のひとつの
いひわけを遠くの海に流したいすこしいたんだサンダル履いて
散りをへてかすかににほふだれかれのそしてわたしの血と葉とほたる
真冬にはしろく固まるはちみつの、やさしさはなぜあとからわかる
一首目の日記を書き終える前にかすれるボールペンは、そのままの事実とも何かの喩とも取れるが、そこに未完の残余を思う気持ちがある。二首目でも点描の中の花は、実際に見た絵と喩との間をたゆたって、意味の未決感を漂わせる。読者にはなぜかがわからないが、その花は〈私〉の悔しさと結びついているらしい。三首目でも〈私〉は何かの言い訳をしたことを悔やんでいる。四首目は秋の紅葉を詠んだ歌だが、結句に不思議な激しさが感じられる。五首目では三句目までが序詞のように置かれている。それは後になって気づく人の優しさの喩としてもある。
思うに小田桐は、毎夜に机に向かってその日の出来事を日記につけるように歌を作っているのではないか。その日の出来事はその時に感じた感情と結びついている。もしそうだとすると、歌は日々の感情の記録でもあることになる。これは小説や詩などの他の文芸にはない機能である。短歌が長く命脈を保ってきた理由はそのあたりにあるのかもしれない。
ためらひをふふめる筆の穂の先に掠るるままにはらはらと、空
そそぎくるひかりの束をうけとめてちひさき傘は夏をただよふ
湿りゐる髪をたがひに持つことを夏のはじめの切符とおもふ
世のなかは空の瓶だとおもふ日にひときは響く雨音がある
ひらかるる日までひかりを知らざれば本のふかみに栞紐落つ
まなぶたにアイマスクの熱そつと乗す一日の底に魚は沈むよ
特に印象に残った歌を引いた。書き写していて改めて感じるのは言葉の連接の滑らかさで、そのあたりに小田桐の歌が古典調と感じられる理由がありそうだ。ごつごつした手触りの観念的な言葉がなく、言葉から言葉への移行に無理がない。それは声に出して朗読してみるとよくわかる。
集中で最も技巧的な歌はおそらく次の歌だろう。これもまた古典的な美を現代に蘇らせている。
葉の間にひかりは漉され流れこむはだらはだらに午後の綵