『ちろりに過ぐる』と〈私〉の四つの位相
以前にこのコラムで取り上げた評論集『不可解な殺意』の著者森井マスミの第一歌集『ちろりに過ぐる』が今回の歌集である。著者の紹介は重複するので省く。最近では珍しいクロス貼りの重厚な造本で、表紙には黒を背景として悠然と泳ぐ鯉の絵がある。栞文は藤原龍一郎・尾崎まゆみ・吉川宏志・加藤治郎。帯文には藤原の栞文の一節が引かれている。後記・奥付から裏表紙の価格表示に至るまで旧字で統一されており、高い美意識を感じさせる。本コラムではパソコンの制約上、旧漢字をすべて再現できないことをご海容いただきたい。
歌集題名は集中の「(世間はちろりに過ぐる)待つといふ長すぎる時間さへも、ちろりに」にあるが、「ちろりに過ぐる」は室町時代の小歌を集めた閑吟集から取られている。「瞬く間に過ぎてしまう」の意だが、「ちろり」には「短い時間」の他に、酒の燗をつける金属製の容器の意味もあり、「燗をつけるくらいの短い時間」でもある。題名が閑吟集から取られていることは、「引用」が森井の方法論の根幹にあることを雄弁に示している。
本歌集は結社誌『玲瓏』と詩歌文芸誌『GANYMEDE』に発表された作品を収録しているが、巻末に付せられた初出一覧からわかるように、歌集の構成は編年体でも逆編年体でもなく、意志的かつ演劇的に構成されている。この事実も森井の姿勢をよく表していることに留意しておこう。また内容を一読して驚かされるのは、表現形式の多様さである。通常の短歌に加えて、俳句作品と河内音頭まである。どう見ても栞文で吉川が述べているように、「非常に異色な問題作」なのである。どこがどう問題なのだろう。
第III部に収録された初期作品を引いてみよう。
第I部に収録された「白桃の芯」は三島由紀夫『近代能楽集』の「班女」を下敷きにした自由な変奏である。また『死の棘』日記は島尾敏雄、「ひかりごけ」は武田泰淳を下敷きにしている。おまけに「白桃の芯」冒頭の歌「約束は秋、といふのに手にならす扇の骨はきしきし冷えて」は、後京極藤原良経の「手にならす夏の扇とおもへどもたゞ秋かぜのすみかなりけり」の本歌取りである。三島の「班女」がそもそも能の古典演目を元に作られた戯曲であることを考えると、まるでマトリョーショカのように幾重にも入れ子にテクスト関係が結び合わされていて、クリステヴァの言う「間テクスト性」intertextualityに満ちた言語空間を構成していることがわかる。さて、このような言語空間に置かれた次のような歌を読むとき、読者はいったい誰の声を聴くのだろうか。
栞文「シミュラークルの挑発」でこのことを問題としたのが吉川である。吉川は森井の方法論の根底には、短歌で従来言われてきた〈私〉が本当に存在するのか疑わしいという挑発が込められていることを認めた上で、本歌集を読む読者は困惑し、共感することが難しいと批判的に述べ、これに対抗する立場から次のように書いている。
吉川の発言をもう少し広い文脈に置いて考えるために、いささか図式的になることを恐れずに言うと、短歌の〈私〉にはざっと見回して少なくとも四つの位相があるように思われる。
第一は歌中に直接的に〈私〉が登場する場合である。「我のみが初日にこだわる獄庭に太陽など拝む者あらずして」(郷隼人)では、〈私〉は人称代名詞「我」と明示的に表現され、また「あらずして」と判断する主体としても働いているわかりやすい〈私〉である。一人称歌のほとんどがこれに当たる。
第二は言語表現における視点が作り出す〈私〉である。『短歌ヴァーサス』11号に斉藤斎藤が書いた「生きるは人生とちがう」が論じているのは、このタイプのいささか手のこんだヴァージョンだが、これをなぞる形で言うと、「私」には「私は身長178cmである」というときの客体用法と、「私は歯が痛い」と言うときの主体用法の二種類の用法があり、現代短歌の〈私〉はこの複合体だと斉藤は言う。その上で、「飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ」(岡井隆)の上句は主体用法の〈私〉で、下句は客体用法の「岡井隆」であり、全体として一首は「岡井のわたし」になっていると結論している。この場合、上句の「飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆく」が視点を含む言語表現になっているのだが、視点の置き方には無限と言ってよいほど様々なヴァリエーションがある。たとえば「もちあげたりもどされたりするふとももがみえる/せんぷうき/強でまわってる」(今橋愛)は性愛の場面を詠んだ歌で、仰臥する女性側に固定された固定カメラのような視点である。このように視点を固定するとよりシャープな〈私〉が形成されるかというと実は逆で、斉藤の言う「ななめ後ろから私を写すアングル」が少なくとも近代短歌には必要なようだ。なぜそうなのかという問に十分に答える用意が今の私にはない。ただ、考えられるのは、〈私〉とは関係概念であり、その擁立には他者を必要とするのではないかということである。「私」は他者を孕むことで初めて〈私〉としてくきやかに輪郭を獲得するのではないか。逆説的ながら、純度100%の私は〈私〉として立ち上がることができないのではないだろうか。
第三は永田和宏の有名な「問と答の合わせ鏡」の反照力学によって浮上する力動的な〈私〉である。「退くことももはやならざる風の中鳥ながされて森越えゆけり」(志垣澄幸)を引きながら、上句の問の拡散性と下句の答の求心力がはらむ緊張関係が一首を成立させると永田は論じた。これを斉藤風にアレンジすると、「退くことももはやならざる」が客体用法の私で、「風の中鳥ながされて森越えゆけり」が主体用法の〈私〉の反映ということになろう。しかし永田はここでは、問をできるだけ遠くに飛ばし、それを答によって再び回収する作者の力仕事の強度に焦点を当てて、それを「緊張関係の中に懸垂された一回性の発見」という張り詰めた言葉で表現している。
最後の四番目は今までのように歌の中に構造的に作り出される〈私〉ではなく、吉川流に言うと「ふと感じられる」〈私〉である。ある言い回し、ある比喩、ある韻律の背後に生々しい人の存在を感じることがあり、その有り様は一様ではなく、また予測もできない。吉川が「身体性」という概念でくくろうとしている〈私〉である。たとえば、「つきぬけて虚しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が落ちくる」(安永蕗子)という歌では、四句の「燃え殻のごとき」の八音が作り出す急かされるようなリズムに生々しい声を聞く思いがする。
さて、では森井の歌集に話を戻すと、多様なテクストの換骨奪胎を重層的に組み合わせた森井の言語空間に見いだされる〈私〉があるとするならば、それは今まで述べてきた四つの類型のどれにも該当しないことは明らかである。森井のテクストには演劇性が濃厚に感じられるが、同じ演劇性でも寺山修司が短歌で駆使した「〈私〉の犯罪性」とも異なる。森井の〈私〉はテクストの重層性の燦めきのなかに反射し拡散するかのようでもある。
森井は評論集『不可解な殺意』のなかで次のように述べており、自らの試行の解説と取れる。
そう断った上で、さて、森井は本歌集で行った試みによって、新しい〈私〉を立ち上げることに成功しただろうか。この問に即答することは難しい。栞文を書いた歌人たちの受け止め方も様々である。劇という方法で新しい〈私〉を発見したと評価する尾崎を除いて、藤原も加藤も言い回しは異なれども、「その意欲と試みを高く評価し、今後を見守りたい」という意味の、栞文的な結び方で終わっている。確かに今の段階ではそれ以上のことを言うのは難しいだろうと私も感じる。このコラムを書いていて最も腐心するのは結びの文だが、今回に限ってはうまく結べない。森井の試みがそれだけ重みを持つものだという証左と見なしておきたい。
歌集題名は集中の「(世間はちろりに過ぐる)待つといふ長すぎる時間さへも、ちろりに」にあるが、「ちろりに過ぐる」は室町時代の小歌を集めた閑吟集から取られている。「瞬く間に過ぎてしまう」の意だが、「ちろり」には「短い時間」の他に、酒の燗をつける金属製の容器の意味もあり、「燗をつけるくらいの短い時間」でもある。題名が閑吟集から取られていることは、「引用」が森井の方法論の根幹にあることを雄弁に示している。
本歌集は結社誌『玲瓏』と詩歌文芸誌『GANYMEDE』に発表された作品を収録しているが、巻末に付せられた初出一覧からわかるように、歌集の構成は編年体でも逆編年体でもなく、意志的かつ演劇的に構成されている。この事実も森井の姿勢をよく表していることに留意しておこう。また内容を一読して驚かされるのは、表現形式の多様さである。通常の短歌に加えて、俳句作品と河内音頭まである。どう見ても栞文で吉川が述べているように、「非常に異色な問題作」なのである。どこがどう問題なのだろう。
第III部に収録された初期作品を引いてみよう。
黒海の塩ひとつまみアーティチョーク嘘ふつふつと鍋底にゆれいかにも師の塚本好みの語彙と美意識によって紡ぎ出された歌である。栞文で玲瓏の先輩である尾崎が書いているように、森井は「塚本の言語感覚を完璧に受け取り、完璧に制御している」のである。おそらくは完璧すぎるほどに。しかし、塚本短歌の語彙の強度と強靱な美意識を支えているのは、塚本の強烈な個性と戦争体験である。師が持つものを弟子は持たない。また背景となる時代も異なる。塚本の時代に成立した〈私〉は、現代では同じ文脈では成立しがたい。ならばどうするか。森井は新しい〈私〉を探しに出発するのである。そのとき演劇研究者である森井が採用したのは、本歌取りを超えた引用と換骨奪胎という手法なのだ。
ゆくへ知らざる夢くくるとき 沈丁の花散りやまぬ黙の坩堝に
いくたびかいのち澄む夜のちりつばき にほふうつつに夢の縦傷
かへりみざれば乳白の過去なべて死を喚びさます潮の紺青
第I部に収録された「白桃の芯」は三島由紀夫『近代能楽集』の「班女」を下敷きにした自由な変奏である。また『死の棘』日記は島尾敏雄、「ひかりごけ」は武田泰淳を下敷きにしている。おまけに「白桃の芯」冒頭の歌「約束は秋、といふのに手にならす扇の骨はきしきし冷えて」は、後京極藤原良経の「手にならす夏の扇とおもへどもたゞ秋かぜのすみかなりけり」の本歌取りである。三島の「班女」がそもそも能の古典演目を元に作られた戯曲であることを考えると、まるでマトリョーショカのように幾重にも入れ子にテクスト関係が結び合わされていて、クリステヴァの言う「間テクスト性」intertextualityに満ちた言語空間を構成していることがわかる。さて、このような言語空間に置かれた次のような歌を読むとき、読者はいったい誰の声を聴くのだろうか。
ガラス窓鎖して夜から逃げ出して舟なき島にひとを思ひぬ「白桃の芯」はいちおう「班女」の主人公花子に成り代わって詠むという設定になっているのだが、思考動詞「思ひぬ」感覚動詞「気がする」の主語=主体を確定することは難しい。三島の『近代能楽集』自体が古典空間と現代とを往還する構造になっており、森井の歌における主体の〈私〉は幾重にも折重ねられた言語空間の中で反射し反響し、それを求めようとしても幻のように逃げ去ってしまう。
置いてきたビニール傘の白銀にだれかの指がふれた気がする
栞文「シミュラークルの挑発」でこのことを問題としたのが吉川である。吉川は森井の方法論の根底には、短歌で従来言われてきた〈私〉が本当に存在するのか疑わしいという挑発が込められていることを認めた上で、本歌集を読む読者は困惑し、共感することが難しいと批判的に述べ、これに対抗する立場から次のように書いている。
森井マスミは、作者の経歴(年齢・性別・生活環境など)を超越した〈私〉を仮構的に作りだそうとするのだが、短歌の〈私〉には、もう一つ別の面があって、作品の韻律や視点が生み出す〈私〉も存在するのである。最新歌集に『西行の肺』というタイトルを付けたことからわかるように、最近の吉川は歌の中に響く声や息づかいという身体性に重きを置く立場を採っている。その吉川から見れば森井の作り上げた言語空間はシミュラークルとしか思えないのであり、そこに本当の短歌の〈私〉は立ち上がることがないと考えている。
吉川の発言をもう少し広い文脈に置いて考えるために、いささか図式的になることを恐れずに言うと、短歌の〈私〉にはざっと見回して少なくとも四つの位相があるように思われる。
第一は歌中に直接的に〈私〉が登場する場合である。「我のみが初日にこだわる獄庭に太陽など拝む者あらずして」(郷隼人)では、〈私〉は人称代名詞「我」と明示的に表現され、また「あらずして」と判断する主体としても働いているわかりやすい〈私〉である。一人称歌のほとんどがこれに当たる。
第二は言語表現における視点が作り出す〈私〉である。『短歌ヴァーサス』11号に斉藤斎藤が書いた「生きるは人生とちがう」が論じているのは、このタイプのいささか手のこんだヴァージョンだが、これをなぞる形で言うと、「私」には「私は身長178cmである」というときの客体用法と、「私は歯が痛い」と言うときの主体用法の二種類の用法があり、現代短歌の〈私〉はこの複合体だと斉藤は言う。その上で、「飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ」(岡井隆)の上句は主体用法の〈私〉で、下句は客体用法の「岡井隆」であり、全体として一首は「岡井のわたし」になっていると結論している。この場合、上句の「飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆく」が視点を含む言語表現になっているのだが、視点の置き方には無限と言ってよいほど様々なヴァリエーションがある。たとえば「もちあげたりもどされたりするふとももがみえる/せんぷうき/強でまわってる」(今橋愛)は性愛の場面を詠んだ歌で、仰臥する女性側に固定された固定カメラのような視点である。このように視点を固定するとよりシャープな〈私〉が形成されるかというと実は逆で、斉藤の言う「ななめ後ろから私を写すアングル」が少なくとも近代短歌には必要なようだ。なぜそうなのかという問に十分に答える用意が今の私にはない。ただ、考えられるのは、〈私〉とは関係概念であり、その擁立には他者を必要とするのではないかということである。「私」は他者を孕むことで初めて〈私〉としてくきやかに輪郭を獲得するのではないか。逆説的ながら、純度100%の私は〈私〉として立ち上がることができないのではないだろうか。
第三は永田和宏の有名な「問と答の合わせ鏡」の反照力学によって浮上する力動的な〈私〉である。「退くことももはやならざる風の中鳥ながされて森越えゆけり」(志垣澄幸)を引きながら、上句の問の拡散性と下句の答の求心力がはらむ緊張関係が一首を成立させると永田は論じた。これを斉藤風にアレンジすると、「退くことももはやならざる」が客体用法の私で、「風の中鳥ながされて森越えゆけり」が主体用法の〈私〉の反映ということになろう。しかし永田はここでは、問をできるだけ遠くに飛ばし、それを答によって再び回収する作者の力仕事の強度に焦点を当てて、それを「緊張関係の中に懸垂された一回性の発見」という張り詰めた言葉で表現している。
最後の四番目は今までのように歌の中に構造的に作り出される〈私〉ではなく、吉川流に言うと「ふと感じられる」〈私〉である。ある言い回し、ある比喩、ある韻律の背後に生々しい人の存在を感じることがあり、その有り様は一様ではなく、また予測もできない。吉川が「身体性」という概念でくくろうとしている〈私〉である。たとえば、「つきぬけて虚しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が落ちくる」(安永蕗子)という歌では、四句の「燃え殻のごとき」の八音が作り出す急かされるようなリズムに生々しい声を聞く思いがする。
さて、では森井の歌集に話を戻すと、多様なテクストの換骨奪胎を重層的に組み合わせた森井の言語空間に見いだされる〈私〉があるとするならば、それは今まで述べてきた四つの類型のどれにも該当しないことは明らかである。森井のテクストには演劇性が濃厚に感じられるが、同じ演劇性でも寺山修司が短歌で駆使した「〈私〉の犯罪性」とも異なる。森井の〈私〉はテクストの重層性の燦めきのなかに反射し拡散するかのようでもある。
森井は評論集『不可解な殺意』のなかで次のように述べており、自らの試行の解説と取れる。
そして、文学を支える基盤である「私」自体が、近代的な「私」からボストモダン的な「キャラクター」へと移行していく中で、こうした状況を食い止める可能性を探るとすれば、前者を機能として構造的に回復していくか、後者に方法としての批判性を見い出すか、そのいずれかによるほか方法はないであろう。文学を成立させていた基盤そのものが、すでに瓦解している現状を、もうそろそろわれわれは、現実として受け止めるべきである。(「文学の残骸 ─ オタク・通り魔・ライトノベル」)江田浩司は万来舎のホームページに書いた評論で森井の歌集を取り上げ、上に引用した箇所を引き、「規範的な短歌批評」に対抗して森井の試みを擁護する論陣を張っている。森井は「玲瓏」で江田は「未来」という結社のちがいはあるものの、江田もジャンルを横断する試みを続けていて、森井と立ち位置は近い。しかし、その江田も森井のテクストの孕む危険性を認めない訳にはいかないと言う。森井の試みがポストモダン的なシミュラークルの戯れ、表層の遊戯と見なされてしまう危険性である。それは森井の意図からは最も遠い受け取り方だろう。
そう断った上で、さて、森井は本歌集で行った試みによって、新しい〈私〉を立ち上げることに成功しただろうか。この問に即答することは難しい。栞文を書いた歌人たちの受け止め方も様々である。劇という方法で新しい〈私〉を発見したと評価する尾崎を除いて、藤原も加藤も言い回しは異なれども、「その意欲と試みを高く評価し、今後を見守りたい」という意味の、栞文的な結び方で終わっている。確かに今の段階ではそれ以上のことを言うのは難しいだろうと私も感じる。このコラムを書いていて最も腐心するのは結びの文だが、今回に限ってはうまく結べない。森井の試みがそれだけ重みを持つものだという証左と見なしておきたい。